第8話 バストは見れば分かります

 残念ながら試着室は、完全に個室となるタイプでは無かった。ただ、カーテンは複数個所を留める事が出来るようになっていたので助かった。これなら外から外そうとすれば、少し時間がかかるだろう。勝手に外れるという事は、まあ無いと思う。そんな事が有ったら一大事である。

「着替え終わったら教えてくださいね」

「は、はい」

 遥は曖昧に返事をして、カーテンを引いて、留める。印象は違うけど久遠は久遠だ。流石に人の着替えを覗くような事はするまい。そう信じよう。

「さて……と」

 取り敢えず、手荷物を備え付けのカゴに入れ、持たされたワンピースをばっと広げる。

「……っていうか、何でサイズ分かったんだろ」

 思い出すと不思議な話である。当然、遥は久遠に服のサイズなど教えた覚えはない。調から送られてきた物の殆どはサイズがぴったりだったが、あれだってきつかったり、ゆるかったりする場合も有った。彼女の事だ、きっと見た目の体形や身長から適当に見繕ったのだろう。

 しかし、久遠は違う。確か、何の迷いも無く一着の服を取り出した。あんなに簡単にサイズを知らない人間の服を選び取れるものだろうか。

 一応。自らの体に重ねて、サイズを確かめる。うん、良い感じだ。実際には着てみないと分からないが、多分問題無い。服自体がゆったりとしたワンピースだから……あっ、だから確かめる必要も無かったのかな?

「どうですかー?」

 痺れを切らしたのか、布越しに久遠の声が聞こえてくる。よっぽど遥がこの服を着たところが見たいらしい。

「すみません、もうちょっと待っててください」

 一言、断りを入れ、ワンピースを荷物の上にそっと置いて、遥はまず上から脱いでいく。ワンピースという服の構造上、どうしても上下両方を脱がなければならない。しかし、出来る限り、下半身が下着一枚という状態は避けたい。なので、上を脱ぐ→ワンピースを着る→下を脱ぐ。と、いう順番で着替えていく事にした。これならば万が一覗かれる事が有っても問題は無い。

「よっ……と」

 上を脱ぎ、ワンピースを着て、下を脱ぐ。まるでプールの着替えの様だ。脱いだ後履くものは無いけれど。

「終わりましたよ」

 遥はそう言って留め具を外して、カーテンを開ける。

「どう、でしょうか?」

 遥の姿を見た久遠はぱちぱちと瞬きをする。しかし、それしか反応が無い。

「えっと……」

 何となく、片手でスカートの裾を広げてみる。本当はあんまりやらない方が良いのだが、これで反応してくれるだろうか。まあ彼女も流石に突然襲い掛かって来たりは、

「すっごく似合ってる!」

 襲ってきたぁー!突然再起動がかかったように動き出し、空いている方の手を包むようにしてがっしりと握る。顔も近いし、何だか息遣いも荒いような、

「ね、他のも着てみない?」

「そ、」

「ちょっと待っててね、持ってくるから!」

 そうですね、という言葉は聞いてもらえなかった。久遠はくるっと方向転換すると店内へと早足で消えていく。角度的にここからは見えないが、あの様子だと、大喜びで遥に着せる服を選んでいるに違いない。一体何が彼女をそこまでやる気にさせたのだろうか。

 遥が手持ち無沙汰で待っていると、久遠が大量の服を持ってやってくる。というか、それ、全部着ろってこと?

「取り敢えず似合いそうな服をチョイスしてましたよ!」

 先ほど同様、遥に服の山を押し付ける。落す訳にもいかない。取り敢えずといった感じで受け取る。

「えっと、これは……」

 そして、当然ながら一番上になっている物が遥の視界に映る。水着である。しかもマイクロビキニ。これはどういう事だ。この場で着て、披露しろとでもいうのか。そんな視線に気が付いた久遠は凄く良い笑顔で、

「きっと似合うと思うの!」

 そんな事は聞いていない。そして、やっぱりこれも着させるつもりなのか。水着を着るにしたって、遥に選択権が有るのならばまだ、何とかなる。なるべく布の多い物を選んだり、パレオを巻いたりすれば一応は大丈夫だろう。

 しかし、これは駄目だ。こんな布の少ない水着を着た姿を久遠に見られる訳には行かない。女性には有るはずの無い物が付いているのだ。一発で男性だとバレてしまう。ここまで来たらいっそ白状してしまった方が良い気もするのだが、目の前で輝く瞳を見るとそれも躊躇われる。

「えっと、これ全部、ですか?」

「そうよ?」

 久遠は「何か問題でも?」という顔をする。まるで自分の行動を疑ってない。暴走状態。とはいえ、久遠は遥を女性だと思っている。女性同士で服を勧める位なら別に普通……いや、それでもこれはない。これでは着せ替え人形だ。この関係性に一番近いのは仲のいい姉妹、だろうか。

 取り敢えず、水着を着る訳にもいかない。それから、余り生地の少ない物も良くない。幾ら華奢とはいえ、男なのだ。素肌の見える面積が増えるのは非常によろしくない。だから、

「えっと、映画の時間って大丈夫ですかね?」

 タイムリミットを確かめる。時間が短ければ着られる服の数は減る。数が減れば、露出の少ない物だけを厳選する事が出来る。

「そっか、そうだね」

久遠は自らの腕時計を確認し、

「あー」

 急に声のトーンが下がり、

「そっか……そうだよね」

「えっと、ちなみに今の時間は……?」

「10時50分。だから、それを全部試着してたら時間になっちゃう……」

 よほど遥に着て貰いたかったのか、久遠は目に見えてがっかりする。そんな姿も学校では見せない物だ。でも、遥が見たいのは彼女のそんな顔じゃない。だから、

「それじゃあ、着られるのは一着だけ、ですかね?」

「え?」

「折角選んで貰いましたし、一着だけ、着てみてもいいですかね?」

 そう、申し出る。久遠は会話に追いつくと、

「是非!」

 再び元気を取り戻し、

「あ、特にお勧めなのはその水着」

「それじゃ、時間も無いですし、すぐに着替えますね!」

 とんでもない事を言い出したので、強制的に会話を打ち切り、カーテンを閉める。外から「似合うと思うんだけどなぁ……」という声が聞こえる。遥は心の中で「いや、男がこれを着ても絶対似合いませんって」と突っ込む。考えると自然と口角が上がる。今日は時間が許さないけど、いつかまた、一緒に服を見たい。純粋にそう思う。

(まあ、水着は駄目だけどね……)

 そう考えながら、持っている山の中から一着の服を選別して、残りを荷物の上に乗せる。薄桃色のブラウス。これなら性別がバレるような事は無いだろう。

 早速、着替える。念には念を入れて、なるべく下半身を露出しないように気を使いながら、ワンピースを隠れ蓑にして、自分のスカートを履く。履き終って、漸くワンピースを脱ぐ。久遠に連れられてここまで来たけれど、ぶっちゃけ服を買う予定は無い。今の手持ちだけで充分である。

 だから、出来る限り丁寧に畳む。余り自信がある訳では無いが、それなりの期間女装して生活していたから、ある程度「どう畳んだらいいか」は分かる。

 そして、ワンピースも山の上に積み上げ、手に持っているブラウスを試着する。時間もあまりない。さっさと済ませてしまおう。そう考え、インナーの上にブラウスを着る。

「……よし」 

 なんとなく、備え付けられていた鏡で身だしなみを確認し、

「終わりました、よ?」

 カーテンを開けて、披露する。

「いい感じ!」

 久遠はまたしても大喜び。

「そ、そうですか?」

「そうよ!」

「あ、ありがとうございます」

 女性として、服が似合うと褒められるのは嬉しい反面、何ともむずがゆい。

「えっと、着替えても……?」

 遥は伺いをたてる。まさか映画に間に合わなくなる訳にはいかない。久遠はやや名残惜しそうに、

「そう、ね。時間も無いものね」

「ですね」

 本当の所は他の服も着てみせたい気持ちもある。しかし、どう頑張っても時計の針は止まってくれないし、上映も始まってしまう。だから、

「今度は、時間のある時に来たいですね」

 そう告げて、カーテンを閉める。自分で言っておいてなんだが、墓穴を掘っているような気がする。だって、久遠は遥にマイクロビキニを着せたがっているのだ。折角時間を盾に回避できたのに、またその危険が復活することになる。

 それでも、出来る限りで応えてあげたい。それが今の遥の本心だった。最も水着は何としてでも断ることにはなるが。

 静寂。

「…………遥さん。私、お店の中見てるね」

「あ、分かりました」

 カーテン越しに久遠が居なくなる気配がする。何だか淡白である。もっと喜んでもらえるものだと思っていたのだが。それとも、着せたい服を選びにでも行ったのだろうか。

 ブラウスを脱ぎ、丁寧に畳む。畳んだそれを山の上に重ねる。この服の山は買わない物だ。出来る限り綺麗な状態を維持したい。そう考えて、丁重に扱う。だから遥は、その中にあった下着類の存在に最後まで気が付かなかった。


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