第7話 お勧めの席は十人十色
久遠の持っていた株主優待券。それがどこで使える物なのかがさっぱり分かっていなかった遥は、彼女に生まれたての雛のごとくついて行った。その結果、一人ではまず立ち寄ることのない複合商業施設に入り、エレベーターに乗せられ、気が付いたら映画館に居た、という訳である。
そして、今、遥は選択を迫られている。
「さて、どれにしましょうか」
どれにしましょうか、と言われても困る。だから、
「えっと……刹那さんのお勧めとかは」
久遠に投げる。
「有るには有るけど、今日は遥さんに選んでもらおうかなって」
投げ返された。別にキャッチボールは望んでいないのだが。
「って言っても、そんなに詳しくないんですよね……」
事実、久遠が誘ってくれるというのだから、お勧めの作品が有るものだと思っていた。
「そうなの?」
「そうなんです。私、そういうの詳しくなくって」
久遠は頬に指を当てて「うーん」と悩んだ後、
「じゃあ、あれ、見た事あります?」
びしっと、近くのに有ったポップを指さす。彼女が「見た事ある?」と聞いたのには訳がある。久遠が指し示したそれは、いわば「総集編」の様なものだからである。詰まるところ一度テレビアニメとしてやった作品を、再編集とか、別視点だとかで組み替えて映画にした、といった類の物なのだ。つまり、大元のアニメを見ていると筋を知っている物を見ることとなり、余程のファンでなければ結構辛いものが有る。だからこそ、なのだろう。
そこそこ有名で、それこそクールの「覇権」だとかなんだとか言われた作品。ただ、幸いにも遥は見ていなかった。だから、
「えっと、ありませんけど」
「じゃ、これにしましょっか」
「そう、ですね。ちょっと気になってはいましたし」
提案を受け入れる。
「それじゃ、席取りに行きましょ?」
久遠はそう言ってナチュラルに遥の手を取る。
「あっ……そう、ですね」
動揺して、受け答えが切れ切れになる。だって、同年代の、それも女子の手を握るなんてそう起きる事では無い。妹のならあるが、あれは血縁だからノーカンだ。
久遠は遥の手を引き、チケット売り場迄行くと、
「すみません、これの11時10分からの回を二枚ください」
そう告げてから先ほどの優待券を渡す。受付の人は慣れた手つきで機械を操作して、
「そちらの画面、水色の部分が空いているお席となります。お好きなお席をお選びください」
手前に有った画面にパッと劇場内の略図が映る。結構のスペースが既に埋まっているという印である赤色に染まっている。後残っているのは後方、両端、そして前数列だ。
久遠は遥の方を振り向き、
「どこにしよっか?」
「えっと……」
微妙な所だ。残っているのはどれも「劇場の作り」に見やすさが大きく依存する席だった。スクリーンと最前列の距離が短ければ前数列はやや見上げる形になるし、横に広い構造なら両端はやや見づらい。そして、単純に広ければ広いほど、後ろの方は不利になる。
どれも一長一短だが、席数や、このフロアの広さを見る限りだと広い可能性が高いだろ。そう考えて、
「それじゃあ、前の方の……C列とか、どうでしょう?」
久遠はうんとひとつ頷いて、
「そうしよっか」
受付の人に、
「えっと、C列の3と4でお願いします」
「Cの3と4ですね。畏まりました。発券いたしますとキャンセル等出来ませんのでご了承ください」
滑らかな手つきで入力し、
「こちらが、C列3番と4番の券となります。ご確認ください」
久遠が受け取り、確認し、
「はい」
「ありがとうございました」
受付の人は一つ礼をする。その所作は非常に丁寧である。きっと、そのあたりもマニュアルに入っているのだろう。
二人は並んでいる人の邪魔にならない様に横にずれ、
「取り敢えずこれ、遥さんの分」
久遠がひらひらっと差し出してくる。「C-4」と書かれた券だ。
「あ、ありがとうございます」
遥は受け取り、
「これからどうしましょうか?」
「どうしようか」
見える所に有った大きな壁時計はまだ10時の30分も回っていなかった。
沈黙。やがて、久遠がポンと手を叩き、
「そうだ!ねえ、遥さん」
「な、何でしょうか?」
「可愛い服とか、興味ない?」
唐突に何を言い出すんだろうこの人は。
「ほら、下に洋服屋さんとか有ったから、どうかなって、思ったんですけど」
なるほど。確かに女性同士が時間を潰すのに服を見るというのは定番っぽい感じがする。
「そう、ですね」
「ですよね?それじゃ、行きましょう?」
再び遥の手を引く久遠。何でこんなに距離感が近いのだろうか。女性同士だとこんなに握り合ったりするものなのだろうか。ちなみに男性同士ではしない。少なくとも“黎”にはそんな記憶は無いし、今後も無いと思う。
「はい」
とはいえ、悪い気分はしないので、遥は、されるがままになっていた。
◇ ◇ ◇
着いた。
複合商業施設というだけあってその中は実に充実しているようだった。上層階にある映画館からエレベーターに乗った時に見た限りでは洋服屋、飲食店、映画館(何ともう一つあるらしい)、ショールーム辺り。他にも色々有るには有るのだが、ぱっと見では何を扱っているのかが分からない場所の方が多かった。
そして、お目当ての階。レディースのフロア。本来ならまず立ち寄らないフロアに遥は足を踏み入れていた。特に遥は、調から多くの服を貰っているため、余計に機会が無い。そんな空間に足を踏み入れている。別に、入るだけなら男でも問題は全然ない。無いのだが、女装をしているという事がかえって緊張を誘う。
「さ、行きましょ」
再び久遠に手を引かれる。
「は、はい」
少し反応が遅れる、しかし、久遠はそんな事には気が付かずに店の奥へと入っていく。もしかしたら、彼女自身、欲しい服が有ったのかもしれない。学校では制服なので分かりにくいが、どうやらかなり服には気を使っている様に見える。だとすれば、これも時間を潰すという意味では無く、本当に自分が見たいから、
「遥さん」
くいくいっ。手を引っ張られる感覚。
「はい、何でしょう?」
久遠は遥から手を放し、陳列棚から一つ服を取り出し、
「これ、どうかな?」
遥に見せる。白基調のワンピース。
「えっと、」
正直な所、女性物について問われても遥には良く分からない。分かるのは目の前にあるその服が「良さそう」か「そうでない」かという程度。久遠が持つそれは、彼女に良く似合いそうだ。だから、
「いいんじゃないでしょうか?」
そう答える。すると久遠はぐいっと遥に押し付け、
「じゃあ、はい」
「はい?」
「着てみようよ。ね?」
試着を進めてくる。
「えっと、私が着るんですか?」
「そうだけど?」
何でそんな事聞くの?と言った具合。全く疑問に思っていない様子である。まあ、女子が女友達に、試着を勧めるという事はありふれた事だろう。
ただ、遥は(少なくとも生物学上は)男子である。
だから正直な所、自分が試着するというのは出来れば避けたかった。服を着るという事はすなわち今着ている物を脱ぐという事でもある。場所にもよるが、試着室というのは通常カーテンで仕切られているだけの半個室である。久遠と一緒に居る時にそんな場所で着替えるというだけでもリスキーなのに、女性同士なので、途中で覗かれる可能性もある。そして、もしそうなった場合、性別がバレる可能性がある。別に意図して隠している訳では無いのだが、折角仲良く出来ているのに、水を差すような事はしたくない。
加えて、彼女の様子から察するに、断るとすれば「それなりの理由」が必要になる。しかし、遥には彼女を説得できるだけの「それなりの理由」が思いつかない。
「……分かりました」
だから、了承して服を受け取る。ここで「覗かないでくださいね」と言う事も考えたが、何だか前フリ見たくなってしまうような気がしたのでやめた。人は「やるな」と念を押されるとやってみたくなる。そういう生き物なのだ。
「やった。それじゃ、えっと」
久遠は辺りを見渡して、
「あ、あそこですね。いきましょ」
再び遥を先導する。その足取りは実に軽やかだった。
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