第二章

第6話 好きな作者についてって何となく調べたりするよね

「こんな感じで良かったのかな……」

 遥は前髪(ウィッグだが)を弄りながら、一人呟く。場所はJRの有楽町駅前。時間は9時半。久遠との待ち合わせ時間まではまだ猶予があるが、これでも既に30分が経過している。

 昨晩は大変だった。普段からそこそこ規則正しい生活を送り、特別やる事が無いときは早寝早起きを心掛けている遥だが、昨日に限っては上手く行かなかった。

 いや、途中までは順調だったのだ。恐らく風呂に入った辺りまでは。しかし、風呂に入っている時に気が付いてしまったのだ。今日は見るアニメがある。しかも結構遅い時間だ。

 それを見てからでもある程度の睡眠時間は確保できる。しかし、いつもよりは少ない。そんな状態で映画を見に行くのは良くない。そう結論付けて、寝ることにした。

 したのだが、眠れなかった。いつもはリアルタイムで見ている物を録画して見ることにしたのがいけなかったのか、あるいは遠足前の小学生の様に舞い上がってしまっているのか。

 そんな状態のまま数十分が過ぎた。黎は諦めて本を読んでから寝ることにした。ついでに軽く夜食を作って食べた。しかし、それでも眠くはなってこない。

 とうとう、録画設定をしていたアニメの時間になる。こうなったらいっその事アニメを見れば心残りの様な物も無くなり寝られるのではないかと思い、リアルタイムで視聴した。そして、見終わり次第、ベッドに入り寝る努力をした。するとすぐに寝付けたようで、次に気が付いた時には目覚ましが鳴り響いていた。

 と、いう訳でいつもよりは少し睡眠時間が少ない。眠くは無いのだが、念には念を入れてさっきコーヒーを買って飲んだ。その程度で効果が有るのかは分からないが。

「ふぅ……」

 遥はふっと辺りを眺める。休日ではあるもののまだ時間が早い事もあって、人はそんなに居なかった。それでも、時折歩みを緩めて遥の姿を見ていく人が居る。ちなみに殆どが男性だ。考えてみれば、女装しての生活こそまあまあ慣れてはいたが、遠出をする機会は少なかったような気がする。オンリーイベントで秋葉原には行ったが、あそこは特別だ。金髪碧眼だろうとそんなに注目はされない。そういう街なのだ。

 でも、ここは違う。電車で言えば数駅程度しか離れていないにも関わらず、である。

そう思うと何だか緊張してきた。男性だと思われた事は一度も無いが、もしかしたら人によっては簡単に見分けられてしまうかもしれない。

「ごめんなさい……待ちましたか?」

 そんな事を考えていると、声を掛けられる。思わずびくっとなるが何とか声は出さずに済んだ。遥は振り向いて、

「全然、さっき来たところですよ」

 大嘘だった。でも、流石にこんな場面で「30分前にはもう来てましたよ」なんて事を言う奴は男じゃない。あ、今は女だった。

「それなら、よかった……」

 改めて久遠を見る。前回とは違うその服に遥は見覚えが有った。ぱっと見える限りだが、どれもこの春出たばかりの服だと思う。そして、普段なら分かるはずもないそんな事をぱっと読み取れるのには理由が有った。

 調である。彼女から新しい服とファッション誌が送られてきたのだ。なお、ファッション誌には全て付箋が付いており、メモも付随していた。彼女なりの応援という事なのだろう。

 結局、その服はタンスにしまったままになっている。調には悪いが、服やブランド等の話になってしまったら遥は全く分からない。家族に買ってもらったという事にしてもいいのだが、余り嘘を増やすのは良くない。そう考え、普段着ている服の中から選んできたのだが、結果としては正解だったようだ。何を隠そう、久遠の着ているトップスは、箱の中に入っていたのと同じ種類の物だ。

 久遠は深呼吸して息を整える。遥は不思議になって、

「あの」

「は、はい!」

「えっと……急いで来ました?」

 久遠は一瞬固まるが、誤魔化しが利かないと思ったのか、

「……はい。ちょっと急ぎました」

「でも、待ち合わせの時間ってまだですよね?」

 遥は一応、腕時計を確認する。9時35分。待ち合わせの時間までまだ暫くある。

「それは、えっと……そうなんですけど」

「それじゃあなんで」

 久遠は視線を泳がせながら、

「……ホントは8時には着いていたんです」

「8時……ですか」

 驚愕。待ち合わせ時間の二時間前。

「え、って事はこの辺りに居たんですか?」

 否定。

「流石にそんな事は無いです」

「それじゃあ一体どこに」

「近くの喫茶店に居たんです。そこでずっとこれを読んでいて」

 そう言って久遠はバッグの中から一冊の本を、

「あ……」

 取り出したそれに遥は見覚えが有った。月曜日、教室で久遠が読んでいた本。より正確にはそれに着いていたのと同じブックカバーである。遠くからだったので、中身が同じかまでは分からないが。

「えっと……どうかしましたか?」

 久遠が首を傾げる。

「あ、何でもないです。それで、その本を読んでいたんですよね」

「ええ。そうなんですけど……」

「?」

 久遠はちょっと目をそらして、

「ホントは、9時にここに戻ってくるつもりだったんです。なんですけど、えっと……」

 ここまで来ると、遥にも何となく言いたい事が分かってきた。

「もしかして、読みふけってて、気が付いたら9時を回っていた……って事ですか」

「……はい」

 無言で頷く。その顔は恥ずかしさと申し訳なさを一緒くたにしたような按配。

 なんだ、それは。ようするに久遠は「遥との待ち合わせに二時間も早く来た上に、時間を潰す為に喫茶店に入った。そして、本に夢中になる余り、自ら設定した待ち合わせ一時間前に出るという予定を守れず焦り、急いでここまで来た」という事だ。

 それは、反則だろう。なんだその可愛いすぎる理由は。待ち合わせ時間には遅れていない時点で怒るも糞もないのだが、きっと遅れていたとしても、何にも言わないだろう。

「あの……」

 久遠が不安そうに伺いを立ててくる。一体何故そんなに不安そうにするのか。申し合わせた待ち合わせ時間までにはまだ30分近くある。喫茶店がどこにあるのかは知らないが、普通に歩いてくればいいだろうに。

 とはいえ、これ以上黙っていると、どんどんドツボにはまっていきそうだ。かといって「全然待ってないですから」と言っても駄目だろう。それを証明するものが無い以上彼女は「待たせた」という事実が気になってしまう。だから、

「ちなみに、何読んでたんですか?」

話題を変えてしまう。久遠はきょとんとして、

「……はい?」

「いや、それだけ面白い物だったら知りたいなぁって」

「あ、そ、そうですね。えっと……」

 久遠はブックカバーを外して、

「これ、何ですけど、知ってますか?」

 見せられた表紙は何となく見覚えが有った。しかし、それだけである。恐らく書店で見かけたりしたのだろう。

「えっと、ごめんなさい。知らないです」

 久遠はやや回復して、

「良いんです。実はですね……これを書いてるのはミュジカの作者・おう天人てんにんなんですよ」

 そう言われて遥は作者を確認する。

公太郎こうたろうって書いてありますけど……?」

 久遠はふっと不敵に笑い、

「そう、名前は違うの。でもね、これって王天人の小説家としてのPNなのよ」

「そ、そうなんですか?」

 これはびっくり。確かに作家の中には媒体等によって名前を変えている人が居るのは確かだ。しかし、これに関しては一切知らなかった。

「……本当なんですか?」

「ええ。だって、絵柄がそっくりでしょう?」

 遥は言われて初めて気が付く。既視感の正体はそれだ。確かに王天人と非常に絵柄が似ている。

「絵が似ているだけ……とか?」

「違うの。その証拠に、ほら」

 久遠は表紙を指さす。そこには一行「作者・公太郎」とだけ、

「あ、イラストレ―ターの名前が無い……?」

「そう。流石に似た絵と物語を書ける別人は用意しにくいでしょう?」

「それは、そうですね」

 王天人と近い作風で、画風の人間を連れてきて、書かせる。絶対にないとは言えないが、現実味は無くなった。恐らく久遠の言う通り、王天人=公太郎なのだろう。と、いうか、

「よく知ってますね……」

「う」

 そう。この事実は恐らくネット上の百科事典なんかには載っていない。間違いない。遥自身も、一度その記事を読んだ事がある。見落としは、多分無いはずだ。

「えっと……パ、父が出版関係の仕事をしてて、その関係で知ったのよ」

 何だか苦し紛れだった。どこまで本当の事なのか怪しい。ただ、追求しても真実が得られるような気はしなかったので、

「そ、そうなんですか」

 と、納得し。

「あ、それで、映画は何を見ましょうか?」

 更に話題を変える。

「あ、え、えっと、ちょっと待ってね?」

 久遠は、遥に断りを入れてバックの中を探り、

「えっと……これ、なんだけど」

 チケットの様な物を取り出した。こまごまと規定が書いてあるが、取り敢えず「株主優待券」という文字は確認できた。

「これって……どこで使えるんですか?」

「私もそんなに詳しくは無いんだけど、この系列の映画館全部で使える……みたいなの」

「全部……って事はその映画館でやってる映画全部ですか」

 肯定。

「凄いなぁ……」

 思わず感想が口を突いて出る。何だか魔法の券に見えてきた。だから、

「取り敢えず、行ってみましょうか?」

 そんな久遠からの提案に、

「はい!」

 二つ返事で同意した。

 



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