第18話 描く力と、読む力

「いやぁ~結構買ったなぁ」

 琴音が、自らの傍らに有る鞄をポンポンと叩きながらからからと笑う。隣に座った久遠は呆れ顔で、

「ホントに一杯買うわよね……いっその事ネットで買った方がいいんじゃないの?」

 対面に座る遥は、

「あはは……」

 何とも言えず苦笑する。

 午後三時。昼食を取った後秋葉原を歩き回っていた三人は今、大通りから少し離れた所にある喫茶店に来ていた。

「そういえば、琴音さんも漫画描くんですね」

遥は、取り合えずコメント出来る所を掘り下げてみる。

「ん?まあ、一応な」

 嘘だ。遥も全部見たわけではないが、どう見ても「ちょっと絵を描く」人間の買い物では無かったと思う。替え芯を購入するという事はつまり、ペンタブも持っているという事だ。

久遠はえぐるような目線で琴音を見つめ、

「一応じゃないでしょ。部長なんだから」

「あー……まあそうだけど」

「部長……?」

 何だか気になるワードが出てきた。久遠ははっとなり、

「あ、ごめんごめん。えっとね、琴音は学校で漫研の部長をしてるのよ」

「まー厳密には『研究会』だから、会長だけどな。それに、研究会とか言ってるけど、所属してるのアタシだけだし」

 沈黙。

 琴音はぶんぶんと両手でその場の空気を断ち切り、

「あー、この話やめやめ!それよりも、ひ……刹那。見せるモンあるんだろ?」

 久遠はぴくっとして、

「そ、それは」

「あるんだろ?」

「う、それは、でも」

 何だろう。「久遠」が「このタイミング」で「見せる物」という事は、その対象は遥しか有り得ない。

 久遠と琴音は何度か押し問答をする。やがて久遠は観念したのか、

「分かった!分かったから!」

 と琴音をなだめて自らのバッグを取り出して中を探り、

「えっと……遥さん」

「は、はい」

「これ、何だけど」

 そう言って久遠が取り出したのは……大きな茶封筒。それも結構厚みがある。

「えっと……それは、何?」

「これはね、私が書いた、漫画なの」

「漫画……ですか」

 琴音が楽しそうに、

「遥」

「は、はい」

 いつの間にか「遥」呼びになっていた。

「遥は、刹那が同人漫画を描くのは知ってるよな」

「えっと、はい」

 遥は以前貰った同人誌を思い浮かべる。

「その刹那が描いたオリジナルの漫画。それが、」

 茶封筒を指し示し、

「これなんだ」

「これ……なんですか」

 久遠が描いた、オリジナルの漫画。一体どんなものなのだろう。

「そう。それをだな、」

 琴音はそこまで行って久遠に目で訴える。ここから先は自分で説明しろみたいな感じだろうか。

 それでも暫く戸惑っていた久遠だったが、やがて意を決する様に一度深呼吸し、

「あの!」

「はい!」

 何だろう、こっちまで緊張する。

「これを読んで、その、感想を、もらえませんか?」

「――か、感想ですか?」

「は、はい」

 そんな単純な事でいいのだろうか。いや、もっと複雑な、例えば絵の指摘をするなんて事は求められても出来ないけど。

 琴音がにやっとして、

「ひ……刹那はさ、遥さんの審美眼に期待してるんだよ」

 久遠は琴音の肩をガッと掴み、

「ちょっと、琴ちゃん!?」

「いいじゃん。それに、ここまで話さないと、求めてるものは手に入らないと思うよ?」

 肩から手が離れ、

「それ、は……そうだけど」

「だろ?」

 琴音は遥の方に向き直り、

「えっと、どこまで話したんだっけ……そうだ、審美眼。遥さんさ、この間久遠と会ったときに色んな作品の感想をこの子に聞かれたでしょ?」

「えっと……はい」

「この子は……っていうかまあ、アタシもなんだけど、作品を批評するみたいな事が苦手でさ」

「は、はぁ」

「モチロン、『あ、これ面白い』とか『何か微妙だなぁ』位の事は分かるよ?でも、ホントそれくらいで。それに比べて遥さんは細かいところまでよく見てるんだって言うんだよね」

 遥は思わず久遠に、

「そう、なんですか?」

 久遠はすっかり俯いて、

「…………はい」

「んで、この子がそんな事をアタシに話すもんだから、『それじゃあ、今描いてるやつも読んでもらって感想聞いたら?』って提案したって訳」

「な、なるほど……」

 久遠は恥ずかしそうに、

「えっと……そういう訳なんだけど、見て貰っていい、かな?」

「それは、勿論」

それくらいの事なら、お安い御用だ。でも、

「……本当に私でいいんですか?」

 久遠は小さく頷き、

「遥さんに見て貰いたいの。私、余りこういう趣味の知り合いって居なくって。だから、」

 琴音はもどかしくなったのか、

「ああ、もう」

「あっ」

久遠から茶封筒をひったくり、

「ほい、遥」

「ど、どうも」

 遥に渡す。こういう時、身長差っていうのは絶対である。リーチが違いすぎる。久遠も観念したのか、

「よ、よろしくお願いします」

 そう言って縮こまる。

「は、はい」

 遥にもその緊張が伝染する。

 さて。取り敢えず出してみなければ始まらない。遥は茶封筒を開封して、中から原稿と思われる紙束を取り出す。流石に完成済みでは無い。遥は余り漫画の肯定に詳しくないが、恐らく全行程の半分は超えているかどうかと言った按配。そして、

「わぁ……」

 そんな状態でもはっきりと分かる絵の上手さ。遥は思わず感嘆の声を上げる。琴音がどうだと腕を組み、

「へへ、凄いだろ?」

「何で琴ちゃんが偉そうにするのよ……」

「はは……」

 何とも仲がよさそうだなと思う。そして、そんな二人をよそに遥は手元の漫画を読み進めていく。絵が上手い事は同人誌でも証明済みだし、手元の原稿をぱっと見ただけで分かる事だ。そこは問題無く褒めることが出来るだろう。

 問題は内容だ。いや、同人誌の方もきちんと話にはなっていたし、そもそもあれは二次創作で、こっちは一次創作だ。そこが変われば話の作りだって変わるだろう。あの時何となく感じた“薄い”という感想は、もしかしたら二次創作だけのものかもしれない。そう結論付けて読み進めて行く。

「…………」

 そして、その結論は斜め上の形で棄却される事となった。久遠は、以前述べたような批評を期待しているらしい。だから遥もそのつもりで読み進めていたのだ。しかし遥は、最初は絵の上手さに感心し喜色満面だったのに、いつの間にかひきつった笑顔になっていた。それでも何とか口角を下げる事だけはしない様にしているが、後々述べる感想の事を考えるとその必要があるのかも疑問な所だ。つまり、

(――どうしてこうなった……っ!)

 酷い。一次創作なら或いはなどという淡い期待を描いた自分が馬鹿だった。あの同人誌は「二次創作だから“薄い”程度で済んでいた」という事実を容赦なく突きつけられた。

 いや、いい所は有るのだ。例えば、絵。これは終始一貫してレベルが高かった。これをそのまま漫画の形にすれば相当高いレベルになるだろう。

 加えて、台詞回しだって変じゃない。有りがちな「キャラクター皆同じ喋り方」という事もないし、絵が上手い事も幸いして、見分けは非常につききやすい。そして、覚えやすい。

 内容だって、意外にも(と言ったら失礼かもしれないが)起承転結はしっかりしていた。話が完璧に完結するわけでは無いのだが、読み切りとしてはこれでいいだろう。話が投げっぱなしになっていたり、張ってもいない伏線が回収されたりはしていない。そういう意味では非常に纏まった話だ。問題はそこではない。

「えっと、刹那さん」

「な、なに?」

 さて、どうしようか。出し渋ったとはいえ彼女が求めているのは以前遥が述べたような言葉だ。つまるところ、良いところは褒め、悪いところは「こうしたほうがいい」という改善点を述べる、という物だ。

 良いところはまあいいだろう。幾らでも褒める所はある。変な話だが、どんなに酷い話でも「うわぁ凄い、ちゃんと漫画になってますね」という褒め言葉をオブラートに包んで伝えることは可能だ。

 しかし、悪いところとなると、これが難しい。正直改善点という形での短いコメントが思いつかない。長々とコメントする事は出来るが、それよりも大筋の流れだけ保った上で遥が作り直したほうが早いかもしれない。そういうレベル。

 そんな遥の悩みを知ってか知らずか琴音が、

「この子はこんな感じだけど、ばさっと言っちゃっていいよ。良い所も、悪い所も」

 背中を押す。

「えっと、ですね」

 久遠は背筋をピンと張り、

「は、は、はい」

「良い所と悪い所、どっちから行きます?」

 久遠は相当悩んだ上で、

「――――悪い、所で」

 そう答える。どっちを先にしても結果が変わらないなら、先にダメージを受ける方をという事の様だ。遥は「じゃあ」と前置いて、

「キャラクターの行動が全体的に不自然だと思います」

 ざくっ。久遠は一瞬ふらっとする。

「……具体的には?」

「具体的には、そうですね……取り敢えずキャラクターの性格が被りすぎてるかなぁと……」

 ざくざくっ。久遠は背もたれに寄りかかる。その笑顔はひくついている、

「そ、そう?」

「はい。あ、主人公だけは違うんで、そこは良いと思います。でも、それ以外のヒロインの性格が全員近すぎるかと」

 ざくざくざくっ。久遠はがっくりとうなだれる。それを見るとちょっと心が痛いのだが、求めたのは彼女なのだから仕方が無い。

 KOされた久遠に変わって琴音が、

「そんなに似てるの?実はアタシそれ読んでないんだよね」

「そうなの?」

「そう。んで、どういう話なの?」

「えっと、ね」

 遥はうなだれた久遠をちらりと見る。まだ回復しないらしい。

「主人公の子……あ、この子は女の子なんですけど、この子が女子校の高校に入った途端複数のヒロインから告白されるんですね」

「いきなりだね」

「はい、いきなりです。それで、そのヒロインの性格が全員、殆ど一緒なんだ」

「うわぁ」

 流石の琴音も苦い顔をする。

「当然アプローチ方法は皆一緒だし、しかもヒロインは皆素敵で選べない!みたいな事を言うんですよ」

「まあ、選べないだろうね。皆一緒じゃ」

「そういう事」

 久遠がやっと顔を上げ、

「だって仕方ないじゃない!言い寄られたいヒロインを考えたらそうなっちゃったんだもん!」

 反論、というか逆切れをする。

「えっと、ちなみにアプロ―チ方法は……?」

 久遠は「何を聞いているんだ」という顔で、

「私がされたら嬉しい事をそのまま描いてるわ」

 そりゃワンパターンにもなるだろう。ヒロインの性格に変化があるのならともかく、皆名前と立場と口調以外は全て同じなのだから。

 遥は思わず琴音に、

「えっと……琴音さん」

 琴音は手で制して、

「言いたい事は分かる。要するにアタシは何で指摘をしなかったのかって事を聞きたいんでしょ?」

 肯定。

「そりゃアタシだって読めば感想位は言うよ。今回のそれはまだだけど、いつもは読んでるよ」

「それじゃあ、何で」

 琴音はばつが悪そうに、

「苦手なんだ、感想言うの」

「苦手?」

「そう。『いいんじゃない?』とか『うーん、どうだろう』位は言えるんだけど、それ以上となると、ね」

「でも、キャラクターの性格が殆ど一緒って言うのは流石に詠めば分かる気がしますよ?」

「それくらいならね。でも、遥さんのさっきの反応を見てると、まずい部分はそれだけじゃない気がするけど」

 久遠がびくびくしながら、

「ま、まだあるの?」

「えっと…………はい」

 久遠、再び撃沈。

「でしょ?それはアタシだったら指摘出来ない所かもしれない。後は改善方法かな」

「改善方法?」

「そ。多分だけど、遥さんはどうしたら良くなるかっていうビジョンも持ってるよね?」

 改善方法。自分で作り直した方が早いのはさておいて、ここから修正をかけるというやり方も可能だ。キャラクターの性格は変えればいいし、言い寄られるにしても理由が欲しい。主人公が言い寄られるならば、いっそのこともっと沢山のヒロインを出してしまった方が受けるかもしれない。そもそも、この手の作品ならば、男の主人公で、ハーレムにして、ちょっとお色気要素を、

「ね?」

「――あ」

 琴音から声を掛けられて我に返る。確かに幾らでも思いつく。

「そういうのって私だと出来ないからさ。せいぜい『取り敢えずここは駄目だよー』位で。だから久遠も遥に見せたいと思ったんじゃないかな。死んでるけど」

 そう言って隣で突っ伏したままの久遠に視線をやる。視線に気が付いたのか久遠は生き返り、

「どうしたら……いいかな?」

 何とも心細い感じの声。遥は出来る限り傷つけないように、

「えっと……何て言うんでしょう……似通ってはいますけど、このキャラクター自体は良いと思うんです」

 琴音が横から、

「そうなのか?」

「はい。だから、問題になってくるのはキャラクター、それに加えて恋愛的なアプローチの引き出しが少ない事じゃないかと思うんだ」

「引き出しねえ……」

「はい」

 琴音は腕を組み、どっかと背もたれによっかかる。そして、暫く天井を見上げて、

「そうだ!」

「何か思いついた?」

 遥の問いかけに琴音は、

「ああ。要は刹那が言い寄られたら嬉しい女の子とか、アプローチ方法が思いつかないって事だよな?だったら、」

 悪だくみをする小学生の様な笑顔で、

「刹那と遥で、デートすればいいんじゃないか?」

 そんな事を言ってのけたのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る