第21話 踏み出された、一歩
夕方。結構なハイペースでアトラクションを消化した遥と久遠が最後に選んだのは観覧車だった。
「それじゃ、扉閉めますね~」
そんな係員の言葉と共に施錠され、ゴンドラはゆっくりと地上を離れていく。ゆったりとした動きに、かすかに響く鉄の音。
「これって一周どれくらいなんだろうね?」
遥の何となくの疑問に久遠は、
「確か10分位……だったはずよ」
「へぇ……良く知ってるね」
久遠は目線を外して、
「えっと……入口の所に書いてあったのよ」
「そう?全然気が付かなった……」
「も、文字が小さかったからね……」
沈黙。
おかしい。これに乗るまではそれなりに会話は弾んでいたはずだ。ところが、観覧車に乗った辺り……いや、観覧車に乗ると言い出した辺りから久遠の様子がおかしい。何というか落ち着きが無い。そわそわしている。
これではいけない。遥はそう思い、
「「あの」」
被った。こういう時にタイミングが被ると気まずい。やがて久遠が、
「えっと、遥さんから、どうぞ」
「い、いやいや。私は後で良いですよ」
実際、会話が続くのなら遥から話題を振る必要性は無い。その後、二回ほど譲り合いがあり、最終的には久遠が折れるような形で、
「じゃ、じゃあ」
こほんと咳ばらいをして、
「――今日は、ありがとうね」
唐突に礼を述べられる。
「え?」
久遠は遥が戸惑う様子に気が付いたのか、苦笑して、
「ごめんね。いきなりこんな事言っても分からないよね」
「えっと……はい」
「そうだよね。ごめん。順を追って話すね」
久遠はふっと窓の外に視線を移す。遥もつられて視線を、
「わぁ……」
綺麗。最初に出た感想はそれだった。傾いた日が、空を、大地を茜色に染め上げる。やがてその色はゴンドラの中にも差し込んでくる。そんな中久遠は、独り言のように語り出す。
「……琴ちゃんはね、『漫画の内容を良くする為』って言ってたけど、あれは多分半分位、嘘なの」
「嘘?」
肯定。
「そう。あの子がやりたかったのは私と遥さんを近づける事、だと思うんだ」
久遠は遥の方に向き直り、
「遥さんには言ったと思うんだけど、私、友達が少ないの。だからかな、遥さんの話をしたら琴ちゃんが凄くテンション上がっちゃって」
「それで、会いたいって?」
「そういう事。まあ、琴ちゃん自体が興味を持ったっていうのも有るとは思うんだけどね」
「まあ……確かに」
遥は琴音と最初に会った時の事を思い出す。あれはどう見ても「友達の少ない友人と仲良くなった人間がどんな人間か知りたい」という感じでは無かった。どっちかというと「可愛い子がたまたま友人の友人だった」って感じ。
「自分にとっても好みだったから、余計かもしれないわね……とにかく、琴ちゃんは、私と遥さんを仲良くしようと躍起だったの」
「だから、デートって訳?」
「そういう事」
それは、何とも強引な話だ。でも、
「あれ、でも刹那さんも最終的には否定してなかったような……」
そう。久遠は、最初こそ否定的だったが、琴音と二言、三言言葉を交わすと、その意思はすっかりと消え失せていた。
「それ、は」
久遠は視線を泳がせて、
「ほら、券もくれるって言ってたし、それに、遥さんと遊園地に行くのは楽しそうだったから、つい、ね」
「あ、ありがと」
再度沈黙。
これではいけない。何か話そう。遥はそう考え、
「そういえば、何だけど」
「ん?何?」
本当はここまで踏み込んで良いのかは分からない。でも、今の久遠なら、なんとなく大丈夫な気がして、
「最初に会った時、同人誌が完売したのに、あんまり嬉しそうじゃなかったよね?」
久遠は「突然何を言い出すんだろう」という顔で、
「え、ええ」
「あれって……何でだったの?」
久遠は目を瞑り、
「遥さん」
「は、はい」
「あの同人誌の感想……聞いてもいい?」
質問の答えでは無い。しかし、久遠の事だ、きっと何らかの意味が有るのだろう。
「えっと……絵は上手だったよ。表紙だけじゃなくって、最後まで全部」
久遠は無言で頷く。遥は続ける。
「内容も問題は無かったんだ。キャラもしっかり理解してたし、起承転結もはっきりしてた。でも、」
久遠がわずかに震える、
「何て言うんだろう……どこかで見た話というか、薄いというか、そういう内容だと思った。勿論、それでも問題は無いと思うけど」
「けど、私は買わないかもしれない。かな?」
そう聞いてくる。ここで嘘をついても仕方ない。遥は小さく肯定する。久遠は何かを噛みしめるかのように黙っていたが、やがて目を開けて、
「やっぱり、そうだったんだね」
「やっぱり……っていう事は」
久遠は何かを吹っ切ったような顔で、
「10冊」
「……はい?」
唐突過ぎて理解が遅れる。
「あの前に参加した即売会で、私の同人誌が売れた冊数よ」
「えっ……」
驚愕。だって、そうだろう。遥がどう感じようが、150冊売れたのは事実である。それは揺るがす事は出来ない。そんな彼女の本が10冊しか売れない、というのはちょっと想定しにくい。
「えっと……イベントの規模が違った……とか」
「違わないわ」
遥の思い付きは一瞬で否定される。
「で、でも、この間は150部売れたじゃない」
久遠は自嘲するような笑いを浮かべ、
「あれは、私の力じゃないわ」
「そんな事」
「有り得なくないわ」
「でも、どうしてそんな」
「お姉ちゃんよ」
「お姉さん……」
「そう。私とお姉ちゃんはずっと仲が良いの。お姉ちゃんも私の事を凄く可愛がってくれてるわ」
間。
「お姉ちゃんはね、凄く自由に育った人なの。勿論、パパとママは私にも愛情を注いでくれたわ。でも、お姉ちゃんはそれに加えて凄く甘やかされた。欲しい物は何でも買ってもらえたし、したい事は何でもさせて貰った。それが、私のお姉ちゃん」
間。
「そんな環境だったから、なのかは分からないけど、お姉ちゃんの愛は凄く過保護なの。だから、きっと、私の同人活動が上手く行かないのは納得が行かなかったんでしょうね」
間。
「ここからは私の想像でしかないわ。お姉ちゃんは私の同人活動が上手く行かないのを知っていた。だから、何とかしたかったんだと思うの。売れないで、自信を無くしてしまわないようにって」
「何とかって……どうやって」
「……自分の人脈を使えるだけ使って、私の本を買いに行かせたんだと思う」
「えっと……でも、買いに行かせたって証拠は……」
「証拠は残念だけど、無いわ。でも、スーツの人が、規則的な頻度で買いに来たら、流石におかしいでしょう?」
「そ、それは」
「多分、お姉ちゃんだけじゃ、数を用意できないから、パパにも頼んだんだと思う。パパの出版社はあの辺りだから」
「そこから、買いにこさせたって事?」
肯定。
「多分、そう。向こうは覚えてないみたいだけど、私も見たことの有る人も来たわ。パパの部下」
言葉が無い。妹が自信を無くさない様にしたいというのは良い事だと思う。遥も朱莉がくじけそうになっていたら、手を貸すだろう。
しかし、彼女の姉がやった事はどうだろうか。確かに、一回本が売れればその時は自信になるだろう。しかし、次はどうなる。一度150冊の本が売れたのなら、次に参加する時はその数を基準に刷るだろう。200部か?あるいは一気に売れた事で自信をもって300部か?その数には振れ幅があるにしても、今の久遠の実力では売り切れない数である事は間違いない。だって、前々回に彼女が売った冊数は10冊なのだから。もし彼女の姉が久遠を思ってやった事ならば、余りにも無責任だ。それとも、次もまた、同じことをするつもりだったのだろうか?
そんな疑問を知ってか知らずか久遠は、
「――お姉ちゃんは多分、次も同じことをするつもりだったんだと思うわ。完売したっていう話をした時に、『次はどれくらい刷るの?』って聞かれたから」
純粋な興味、といえばそれまでだ。しかし、久遠の話を聞く限りだと、次に向けて手を回すための探りにしか見えない。
「だから、私も『直ぐには決められないから』って言って数は教えてない。でも、教えなくても調べると思う」
「……そこまでして」
「するの」
断定。
「――お姉ちゃんはそういう人なのよ。多分、私が漫画家としてデビューしたいって言ったら、雑誌の編集に手を回してまで、その為の枠を無理矢理作ろうとするわ。それで押し出される人間の事なんか考えても……いいえ、同じ人間だとも思ってないかもしれないわ」
「…………」
それは、姉が妹に施す過保護としても、度を越えているのではないか。そんな事は当然口には出来ない。
久遠は仕切り直す様に、両手を膝の上に置いて、
「だからなのよ、私が素直に喜べなかったのは」
「それは……」
喜べるはずもない。幾ら売れたとはいえ、自分の実力ではないのだ。どころか、自分の実力が図れなくなってしまう。もしかしたら、そんな過保護が無くても150部を売り切れたかもしれないし、逆に、10部よりも売れなかったかもしれない。それを図る機会は永久的に失われたといっていい。そして、恐らく彼女の姉はこれからも同じことをするだろう。
「やめてほしいって言ったら、やめてくれないんですか?」
久遠は首を横に振り、
「駄目だと思う。お姉ちゃんは自分のやる事が私の為になってると確信しているから」
「でも、その妹からのお願いなら」
「証拠があれば、認めてくれると思うわ。でも、証拠の一つも無いんじゃ、そんな事はしてないって言われて終わりよ。むしろ決定的じゃない証拠なんて突きつけたら、その部分を修正されちゃうわ」
遥は次なる案が思いつかず、黙り込む。一体どうしたらいいのだろうか。お姉さんは久遠の為になると思って行動している。しかし、その行動はとても久遠の為になるとは思い難い。そして、その行為をやめさせるのは久遠ですら難しいという。そんな事の解決策を遥が思いつくはずもない。
「――だからね、遥さん」
「は、はい」
「遥さんが同人誌を見て、喜んでくれた時とか、私が描いた漫画について真剣に感想を考えてくれた時は、凄く嬉しかった――」
久遠が遥を正面から見つめ、
「――ありがとう」
「…………っ!」
夕日に照らされる中、相手に信頼を預けるようなその笑顔は、遥の心を掴んで放さない。鼓動が早くなる。
「ぇ、えっと……」
何か言わなくちゃ、でも何を言えば良い。「ありがとう」と言われたのだから、「どういたしまして」か?いや、それも形式的過ぎる。いっそのこと思いっきり抱きしめたら……ってそれは駄目だろう。だって僕、いや私は、
ゴトンッ!
「うわっ!」
「きゃっ」
ゴンドラが音を立てて止まる。一体何が起きたのかと思っていると、ブツンという音と共に放送が掛かる。
『ご乗車中のお客様にご案内いたします。ただいま地震発生の為観覧車の運転を一時停止させていただきます。安全が確認され次第運転を再開いたしますので、座ったまま今しばらくお待ちください。繰り返します――』
地震。まさかそんな事が有るとは思っても見なかった。放送を聞く限りだと、座って待っていればいいらしい。と、そこまで確認した所で遥は自分の体勢に気が付く。椅子からはずり落ち、前のめりに倒れてしまっている。この状態はいけない。運転が再開されたときにこの状態だと、今度こそどこかに頭をぶつけてしまいそうだ。そう思い手ごろな所に捕まって、
「あっ……!」
何だろう。随分と柔らかい。ゴンドラは基本鉄で出来ているから、後有り得るとすれば、椅子の部分だろうか。それなら掴んでも大丈夫なはずだ。そう結論付けて、掴んだまま立ち上がろうと、
「んっ……ちょっと……遥さんったら……」
頭上から久遠の声が聞こえてくる。その声はどこか色っぽく……え、色っぽい?
(もしかして……)
遥は恐る恐る頭を上げる。そして、視界には恥辱に耐えるような表情で顔を赤らめる久遠と、その胸を揉みしだく自分の右手が映る。
「ごごごごごごめんなさい!!」
遥は大慌てで立ち上がろうとするが、元々バランスを崩していたのだ、そう簡単に立ち上がれるはずもない。右手は駄目だ、久遠の胸を掴んで立ち上がるなんて事は出来ない。ならばと思い、左手を動かす。何度か空を切った後に手すりのようなものを掴み、
「それっ……」
一気に反動をつけて立ち上がり、元座っていた位置に戻る。
「で、できた」
そこまで戻ってはっとなり、
「ご、ごめんなさい!」
遥は両手を膝に着いて謝る。何しろ遥は彼女の胸を揉みしだいてしまったのだ。その柔らかさや、密着していた肌の感触なんかは殆ど頭に無かった。
暫くの後、聞こえてきたのは、
「……ふふっ、あははっ」
笑い声。遥が顔を上げると、久遠は腹を抱え込むようにして、笑いを抑えようとしている。やがて、笑いが止まってきたのか、遥の方を向き、
「ははっ……はぁ、ゴメンね、笑うつもりは無かったんだけど」
「は、はあ」
久遠は目元をぬぐって、
「でも、ダメ。だって遥さんは女の子でしょ?そりゃ、突然揉まれた時は何事かとは思ったけど、そんなにかしこまらなくてもいいじゃない」
「そ、そうかな?」
「そうよ。そりゃ、私だって、琴音みたいにいきなり揉んだら駄目だと思うよ。でも、今のは間違いなく故意。だからいいじゃない」
そう言いきる。その言外には「女性同士だから」という言葉が当然含まれている。遥は胸にちくりとした痛みを覚える。やっぱり性別を隠したままは良くないのではないか。そんな事を、
ブツッ
『ご乗車中のお客様にお知らせいたします。安全の確認が取れましたので、運転を再開いたします。座ったまま今しばらくお待ちください。繰り返します――』
「あ、運転再開するって」
「そ、そうですね」
暫くすると、ゴトンという重い音と共に、ゆっくりと動き出す。
「綺麗……」
「そう、だね」
遥達の乗っていたゴンドラは既に、頂上付近まで来ていたようで、直ぐに一番見晴らしのいいところまでたどり着く。残念ながら、雲の数が多い空は、それでも日の入りを表している。
「あ、あれ最初に乗ったやつじゃない?」
遥はぐいっと身を乗りだし、
「あ、ホントだ。凄いな……全部見えるね」
思わず見とれてしまう。今日一日に巡ったアトラクション、それに、久遠と弁当を食べた休憩所も、
「――遥さん」
「何?」
「こっち向いて」
「どうした、」
「えいっ」
「うわ」
え。
これは、どういう事だ。久遠の顔が直ぐ近くに、というか目の前にあって、目を瞑っている。これだけ近くで見てもその綺麗さは全く変わらない。そんな事実に感心する。
そして、その彼女が何をしているかというと、
「んっ……」
口を付けている。自分の口を遥の口に。つまりこれは、
(キキキキキキス!?)
漸く自体を理解する。でも、何で、だって久遠は遥の事を女性だと思って、その、
「……んっ……っはぁ」
遥がそんな事を考えていると、唇に何かが触れる、これは舌?
(って、舌を入れようとしてる!?)
驚愕。だって、舌を入れるっていう事はつまり、そういう事じゃないか、
「んんっ……」
久遠の手が遥の首筋に回る。これは舌を入れさせてくれないと逃がさないという事なのだろうか。あるいは普通に、なんとなくで回したのだろうか。
(……ああ、もう!)
分からない。でも、久遠が求めているのだ。断るのは良くない。こういう時に女性に恥をかかせては男では無い。あ、今は女だった。それでも、男なのだ。心までは女性では無い。だから、
「ふっ……」
迎え入れる。
「!……んっ……」
久遠は、始めこそ驚くが、やがて自ら舌を絡ませて来る。
体感時間にして10分、実際は一分も経っていないであろう後、
「……っはぁ」
久遠から離れ、
「えっと…………」
やってしまったという顔になり、
「…………ゴメンナサイ」
「いや、えっと、大丈夫です、よ?」
一体何が大丈夫なのか。言ってから心の中で突っ込んでしまう。それでも久遠は申し訳なさげに、
「ごめん……なんか、こう、突然……したくなっちゃって」
恥ずかしかったのか、一部聞き取れなかった。多分キスと言いたかったのだろう。
「ホント、ごめんね。これじゃ、琴ちゃんを怒れないよね」
「い、いや、それは大丈夫だと思うよ?」
「でも」
それでも久遠は気になるらしい、だったら、
「私だって、さっき刹那さんの胸、揉んじゃったし、お互いさまだよ」
「で、でも、それは、単なる事故で」
「それだったらさっきのキスだって、私は幾らでも拒否出来たよ。でもしなかった。それは、刹那さんの責任?」
「そ、それは……」
「だから、ほら、お互いさまって事で。ね?」
そこまで言われて漸く久遠は、
「――うん」
小さく頷く。ゴンドラがガタリと揺れる。終着点まではもう少しだった。
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