第一章
第2話 誰だって好きな作品に対しては饒舌だ
「え、えっと……」
目の前で久遠がおろおろする。その姿は学校では見ないものだ。生徒会での彼女は何事においても完璧だった。二年生にして生徒会長を務めているのだから、当然と言えば当然ではあるのだが。
「あ!私、ペンネーム間違えてましたか?ごめんなさい!おっかしいなぁ……ちゃんと確認したのに」
遥が固まっている理由を勝手に勘違いし、慌てる久遠。その様子はとてもあの生徒会長には見えなかった。
「ご、ごめんなさい、合ってます。すぐに返事しなくてごめんなさい」
このまま放っておくとどんどんドツボにはまっていきそうな気がする。それはそれで見てみたい気もするが、取り敢えず誤解を解こうと話しかける。出来る限り高めの声を意識しながら。
「い、いいえ。私こそ早とちりしてごめんなさい」
久遠は一つお辞儀をして、
「それじゃ、改めて。私のペンネームは刹那って言います。今日はお隣……ですよね?」
「そう、みたいですね」
「良かった。今日はよろしくお願いしますね」
再び頭を下げる。生徒会では滅多に頭を下げない事で評判なのに。もしかしたら凄くレアな光景を見ているのかもしれない。
「えっと、こちらこそよろしくお願いします」
遥は倣って頭を下げる。やがてお互いに顔を上げ、
「ふふっ……」
「あははっ……」
思わず笑みが漏れる。どうやら久遠は遥=黎とは認識していないようである。それもそうだ。まさか同じ生徒会の男子が、女装して、オンリーイベントに参加しているとは思うまい。しかもその見た目は金髪碧眼。気が付け、という方が無理な相談だろう。
「そうだ」
久遠はバッグの中を漁り、
「これ、どうぞ」
取り出す。
「これは……刹那さんの本、ですか?」
遥は思わず見入ってしまう。上手い。もしかしたら、表紙だから特に気合を入れているのかもしれない。しかし、幾ら気合を入れてもど素人が綺麗な絵は描けない。遥も表紙と挿絵は自分で描いているが、到底及ばない。
「えっと見せてもらっても?」
久遠はクスッとして、
「ええ。と、いうか貰ってください。折角ですから」
「ありがとうございます」
遥は丁重に受け取って、中身に目を通す。やはり上手い。表紙だけではない。中の絵も上手い。書き込みが凄いという訳では無い。にも関わらず人物から背景まで全てに渡って綺麗だ。後、これは偶然なのかもしれないが原作の絵と非常に良く似ている。似せて描いているのなら大したものだと思う。
「凄く上手ですね……」
「ありがとう」
遥ははっとなり、
「そ、そうだ。お返し……になるかは分かりませんけど、これ、どうぞっ」
机の上に積んであった、自らの同人誌を一部取って久遠に差し出す。
「え、いいんですか?」
久遠はきょとんとする。
「どうぞどうぞ」
この同人誌から自分にたどり着ける人間なんて居な……いや、一人居る。でもあの人位だろう。もし、久遠にバレるような事があれば全て白状してしまえばいい。
「ありがとうございます!えっと、読んでみて良いですか?」
「良いですけど……えっと、小説なんで簡単には読み終わらないかと」
そんな遥の忠告には耳も貸さず、早速椅子に座って読み始める。と、いうか自分の作品を誉められた時よりも嬉しそうにしていたのだが、何故だ。まさかファンなのだろうか。いや、ファンだったら反応が無かっただけで「名前を間違えたかも」などとは思わないはずだ。だとすれば本当に、純粋に、遥の同人誌を読みたかっただけ、なのだろうか。
「あ、先に準備しなきゃ!」
久遠は遥の本を大事そうにバッグの中へとしまい込み、代わりに先ほど渡されたものと同じ同人誌や値札などを取り出して、机の上に並べていく。その途中、何度かバッグの中を覗くのだが、その度に嬉しそうにするのだった。
◇ ◇ ◇
「んー……終わったねー」
そう言って久遠は思いっきり伸びをする。
「そう、ですね」
そんな姿を見ながら遥は手元のオレンジジュースに口を付ける。
オンリーイベント終了後、遥は何故か久遠に気に入られたらしく、「一緒に喫茶店行かない?」と誘われた。正直な所、明かすタイミングを逃した女装がバレるのが何となく怖くて、一度は断った。しかし、久遠が何度も何度も頼み込まれて心が揺らぎ、「ケーキとか奢ってあげるから」というフレーズによって陥落した。我ながら現金である。
「そういえば刹那さん」
「ん?何?」
「本、完売おめでとうございます」
そう。何を隠そうこの久遠が書いた同人誌はあっさりと完売したのだ。正確な部数は確認していないが、取り敢えず遥よりも多かった事だけは確かである。積みあがった時の高さが違った上に、一度追加で積み上げていた。三桁あったかもしれない。そして、それだけの数を売ることがいかに大変な事であるかを遥は知っている。だから、心から祝った。
「えっと……ありがと」
にも関わらず、余り反応が芳しくない。
「あの、結構数有りましたよね?」
「ええ。全部で150部あったわ」
150部。その数を売り切った事もそうだけど、良く一人で持ってきたなと感心する。
「それだけを完売したってのは、えっと……凄い事……ですよね?」
余りの温度差に遥は自分の認識を疑い出す。よくよく考えたら自分がこうやって同人誌即売会に参加するのも二回目だ。だから、部数に対する感想も八割がた自分の、乏しすぎる体感から来ている。ちなみに残りの二割はネットの噂。だから間違っている可能性は高い。
しかし久遠は、
「そう、だと思う。今回はオンリーで、作品自体がまだ知名度の低い物だから、多分余計に」
そう語る。その顔は苦みを帯びている。恐らく、純粋に、喜ぶことが出来ない何らかの理由を抱えているのだろう。元々の志が高いか、前回はもっと売れていたか、その詳しい内容は分からない。いずれにしても遥には知り得ない部分が関係しているのは間違いない。
そして、その理由は、きっと聞いても語ってはくれないだろう。幾ら気に入られているとはいえ、遥はついさっき会っただけの、言うならば「赤の他人」でしかない。だから、踏み込んでも仕方が無い。少なくとも“黎”ならばそう考えただろう。
しかし、
「それだったら、もっと喜びましょうよ」
「……え?」
「だって、自分で描いた本を多くの人が欲しいと思ったんですよ。良い事じゃないですか。私だったら大はしゃぎしちゃいますよ。それに、私だって、会場で刹那さんの本を見かけたら、きっと買ったと思いますよ」
今は“遥”なのだ。だったら踏み込んでみよう。その先に何が有るのかは分からない。でも、折角の機会だ。遥には久遠が「素直に喜べない理由」は分からない。しかし、少なくとも自分の作品を誉められて、不愉快になる人は居ないはずだ。
「えっと……ありがとう」
そんな言葉が響いたのか、久遠は戸惑いながら遥に礼を言って、
「それと、ごめんなさい。なんか、気を使わせちゃって」
謝る。
「そ、そんな事ないですよ!」
「それでも、ごめんなさい」
平謝り。流石に遥も食い下がりにくくなる。
沈黙。これはいけない。割と良い雰囲気だったはずなのに、いつの間にかお通夜状態である。久遠も何となく切り出しにくいのか、せわしなく店内を眺めている。きっと何か話題を捜しているのだろう、だったら、
「えっと……刹那さんもミュジカ好きなんですよね?」
「大好き!」
「そ、そうですよね」
突然食いついてくる。今までの沈黙はどこへ行ったのだろう。久遠は立ち上がりこそしなかったものの、ぐぐっと身を乗り出している。ちなみに「ミュジカ」というのは『MUSIC-A-LIVE』という漫画タイトルの略称だ。遥たちが今回参加したのはミュジカのオンリーなので、当然作品はある程度好きだろうし、食いついてくれるだろうと思ってこの話題を振ったのだが、食いつきが良すぎる。心なしか鼻息が荒い気がする。
「ホントいいよねーああいうの。青春!っていう感じがさ。何でだろうね~。やっぱり音楽っていうのはいつも人の心に語り掛けてくるものなのかも知れないね~。あ、遥さんは好きなキャラ、誰?」
次から次へと堰を切るようにあふれ出てくるマシンガントーク。そして、余りに唐突な質問。遥は戸惑いながら、
「えっと、私は」
「私はねー、やっぱり
聞けよ人の話。
「いや、最初はね、「うわ、この子お高く留まってんなぁ」とか思ってたのよ?でも、デレてからはホント可愛いの。いやーああいう子良いなぁ」
最早遥の事など見えてはいなかった。完全に自分の世界。トリップしちゃってる。沈黙よりはずっといいけど、これはこれでどうかと思う。
「えーっと……大好きなんですね」
「あ」
遥に指摘され、漸く久遠は我に返る。我に返ると恥ずかしくなったらしく、両膝に手を乗せて縮こまり、
「えっと……ごめんなさい。私、趣味の事になると、時々歯止めが利かなくって」
そう言って俯く。遥からは見えないが、その顔は真っ赤に違いない。
「全然気にしてないですよ。凄いなーとは思いましたけど」
久遠はちょっと顔を上げて遥の方をうかがい、
「ホントですか……?」
うわ。
「も、勿論です!」
やや声が上ずる。だって、これは反則だろう。普段は表情一つ変えずに、三年生の役員にも全く物怖じせずに生徒会長の責務をこなしている久遠が、恥ずかしがって、上目使いである。破壊力抜群。これで動揺しない方がおかしいと遥は思う。
「……良かった」
久遠はほっとする。そんな何気ない表情も、生徒会長としては見せた事の無い物である。それを見せる主な理由は、生徒会長という肩書が取れているから、という物だろう。しかし遥は久遠にそれだけではない「何か」を感じずには居られなかった。
「でも、何でそこまで好きなんですか?」
だから、疑問をぶつける。
「え?」
「私もミュジカは好きです。でも、刹那さんは私よりずっとこう……情熱を感じたから。何かあるのかなーって思って」
「あー……」
久遠は歯切れ悪く、
「えっと……私の、憧れの人、だから?」
「憧れ……って、もしかして作者が、ですか?」
「う、うん」
「え、という事はもしかして面識がある、とかですか?」
「うーん……会った事はあるんだけど、」
びっくり。遥は思わず身を乗り出し、
「ホントですか!」
「え、ええ。でも今は連絡も取ってないわ」
「そう、ですか」
残念。もし今でも面識があるならばサインを貰いたいと思ったのだが。
「あ、でも、もしかしたら会う機会がある……かも?」
「マジですか」
「うん。マジ」
マジなんて言葉を使う所も初めて聞いた。というか、
「えっと、もしかして……サイン……とか貰えたりしませんかね?」
駄目元で聞いてみる。久遠は少し逡巡した後、
「ええっと……うん、大丈夫だと思うわよ」
快諾。そして、
「だから、えっと……連絡先、交換しない?」
連絡先の交換を提案してくる。
「連絡先……ですか」
悩む。正直な所久遠の連絡先は生徒会役員として一応把握している。だから連絡自体は何時でも取れる。しかし、それは“黎”として、である。今日話してみて分かったが、久遠は生徒会長の時とそれ以外で大分印象が違う。そして、恐らくはこちらの、刹那としての顔が素に近いのではないだろうか。それならば、遥として連絡を取れるようにしておいた方が良い気がする。幸い、生徒会のメーリングリストにはスマフォのアドレスしか登録していないし、調との連絡に使っているフリーのアドレスは本名とは全く結びつかない物となっている。こっちならば教えても大丈夫なのではないだろうか。うん、それでいこう。
「えっと駄目……かな?」
不安そうにする久遠に遥は、
「全然!えっと、ちょっと待ってくださいね……」
鞄の中から手帳と筆記用具を取り出し、メモ帳部分を一枚切り取り、メールアドレスを書いて、
「はい」
久遠に差し出す。
「あ、どうも。えっと、それじゃあ私も……」
そう言ってバッグの中から名刺入れを取り出して、
「さっき渡しそびれちゃったやつだけど、はい」
遥は苦笑して、
「そういえばそうでしたね」
「私もすっかり忘れてたよ。テンパっちゃうと駄目なんだ」
「そうなんですか?」
「そう。もう、うわー!ってなっちゃうんだ。お恥ずかしい限りです」
「うわー!ですか」
「そうそう」
今度は二人して笑った。
「それじゃ、帰ったらこのアドレスにメールするから、返事してね」
本当はこんな事をするべきではないのかもしれない。別に嘘をついている訳ではないが、遥は生物学上には男であり、久遠と同級生なのだ。今ならばまだ間に合う。両面から付き合いを持つようになればやがて何らかの問題に発展するかもしれない。そんな事は分かっている。
しかし、それでも、
「はい、必ず」
遥は久遠の言葉に快諾する。普段は決して見せない、生徒会長雨ノ森久遠の素顔。その魅力に遥はどうしても勝てなかった。
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