第21話 月夜

『〈異陸〉から来たって本当ですかぁ!?』

 出身を聞かれ素直に答えたスレツの言葉に、翔子は飛び上がって驚いた。

『どうりでお二人とも背が高くて肌が白くて、ライイーカウさんなんかは足も長くて素敵な瞳の色で……。そしたらもしかしてその髪の毛も脱色ではなくて天然の色なんですか?』翔子はライニーカールへ羨望の目を向ける。

「ねぇスレツ、この子絶対今関係ない話してるでしょ」

「ライニーカールを褒めてるんだよ」しかしスレツはそれよりも進めたい話題があったので、軌道修正をはかった。『悪いけど、おれたちはこの望遠鏡の操作方法を知りたいんだ』

 スレツとライニーカールは、翔子に案内された大丹市にある観測所の一室で、〈惑星エフ〉にあるスレツの望遠鏡に似た望遠鏡を囲んで、解読不能な模様が走る説明書を片手に操作方法を勉強していた。

 望遠鏡の構造そのものは〈惑星エフ〉のものとほとんど同じだった。おそらく直感的に操ってみればすぐ扱い慣れるだろうが、だからこそ同じように、惑星の公転に合わせた操作作業は少しでもミスをすると一瞬でその座標を見失ってしまうことが予測できる。観察時には繊細な望遠鏡操作技術が求められるハズだ。望遠鏡を扱いこなし、正確に〈惑星エフ〉を観察するためにも、しっかりとその扱い方や仕組みは理解しておきたい。

『す、すみません』翔子はわざとらしく自分の頭を叩き、『でも私もこの望遠鏡の扱い方は専門じゃないんです』と続けた。『今日はそのあたりも、初回報告者である龍介さんに確認しましょう。もうすぐ来ると思うのでしばらくお待ちください』

 観測所の窓からは、大丹市の港が一望できる。スレツとライニーカールは待たされている間、そこから大丹市の風景を眺めて過ごすことにした。一番目立つ高架橋が今いる場所と同じ高さに見えている。そこから垂れ下がったロープは複雑な経路で港の小さく見える船へと至っており、それが風に靡いていて、まるで何かの新種の生物のように蠢いていた。

 遠くで鱗を光らせる海には何隻もの船が点在していて、風力を利用してそれぞれの目的地へ航行していく。恒星は徐々に傾きはじめていて、瞬間、スレツはここが〈惑星エフ〉から遠く離れた別の世界であることを今更ながら実感した。

《惑星ジー》

 はじめて望遠鏡を買ってもらってから夢中になった世界。《ジェヌ》と出会うことで星間移動の夢を本気で抱き、そして今、偶然にも自分がここにいるという事実。

 そう、今この瞬間とは偶然の連続が作り出した奇跡的な産物で、なにか一つの偶然が欠落でもしていたらありえない場面であっただろう。しかし逆に、なにか一つの偶然が欠落していたとしても、また別の偶然によって必然的にここに辿り着いていたような気もする。

 要は、なんだっていいわけだ。

 偶然にも自分がここに居る事実――それは特別な瞬間に限らず、いつだって言える。

《惑星ジー》

「ついに来たんだね。《惑星ジー》に」

「え? 今さら?」ライニーカールは呆れた口調だったが、すぐにスレツの心中を察し、「そうよ。ここは、《惑星ジー》」と笑ってみせる。二人はハイタッチをした。

 ドアが開いた。

『やぁ、お待たせしちゃったね』

落ち着いた男性の声が響く。部屋に入ってきたのは、着古した布の服とジーパンを身に着けた四十代前後の中肉中背の男性だ。垂れた厚めの眉毛が特徴的で、おそらく彼の性格を反映しているはにかみ笑顔がよく似合っていた。

「あれ……?」

 スレツは一瞬、原因不明のもどかしさを感じた。なにか大切なことを思い出さなければならない強迫観念や焦りが込み上げる――痒い部分を掻いているハズなのに痒みが治まらない感覚に近かった。どこが痒いのか原因特定ができないから、より一層辛いのだ。

『どうもどうも、龍介です、はじめまして』

 龍介はスレツとライニーカールに握手を求めた。

『二人は〈異陸〉から来た人たちなんです』

 翔子が横から嬉しそうに言うと、龍介は『ああ!』と納得する。

『なるほど、〈異陸〉! 言われてみれば骨格からして《地球》の人たちとは人種的特徴が少し異なっているようだ。そうか、だからなんだか僕たちとちょっぴり違うのかぁ!』

 龍介はニコニコと再びスレツに握手を求めライニーカールにもまた握手を求め、背の高いお嬢さんだとか、目つきが怖いとかを笑顔で言ってのけた。

 スレツは敢えてそれを訳さなかったが、ライニーカールは相変わらずなんとなく言葉の意味を雰囲気で感じ取ったようで、表情が不機嫌になった。

 龍介はニコニコ顔を崩さずに三人を見回して『さて、それじゃあ明日の惑星接近に備えて打ち合わせをしようか。望遠鏡の操作の仕方は?』

『私じゃわからないので龍介さんに教えてもらおうと思っていました』翔子が可愛らしく首を傾げて言う。

 龍介は頭を掻いて困りながらも笑いながら、『そっかー、時間がないから先に教えておいてほしかったけど、でも仕方ないね』と、スレツとライニーカールを引き寄せて望遠鏡操作の解説をはじめた。

 手短ながら的確な説明とスレツやライニーカールの物覚えの良さがうまくかみ合って、話はすらすらと進んでいく。

 恒星が山の向こうへと隠れ、港には朱色の灯りが光りだす。その頃には四人は会議室に移動しており、〈異陸〉観察研究課職員や他のアルバイトが一堂に会する会議に参加し、翌日の計画を全員で確認した。

 内容としては、できるだけ長い時間〈異陸〉の同座標を観察するために全国各地に配置されている観察者のネットワーク――大丹市だけでも観察者が総勢で十名以上になる――を使い一斉観察を試みる、わりと大規模な取り組みプロジェクトだった。

 スレツとライニーカールにも当日の流れを記した資料や観察対象地区の地図が配布される。二人の仕事は〈異陸〉が姿を見せてから恒星の影に隠れるまでひたすら該当地区の観察を続け、なにか変化があればその内容を報告書にまとめ提出することだった。二人の観察場所は、高架橋上の見晴しのいい場所が割り当てられている。

「ねぇスレツ、今日ってバイト初日って言っていいのよね。だいぶ拘束されてるけど」

「僕なんて半分以上もわからない単語が出てくる会話を君のために翻訳し続けてるんだからね。もう頭が痛いよ……」

「ほら、またなんかあのはにかみオヤジがしゃべってるわよ。なんだって?」

「……当日のご飯は支給されますって」

 そして会議はスレツのシナプスが限界に達した頃にようやく終わり、海鮮弁当が配られてから解散となった。

「あー疲れた」

 会議と食事を終え外で両手を伸ばしたスレツは、港へ続く階段に腰をおろし、仰向けに寝転んだ。青色の夜空には光る星が点々と輝いていて、スレツが認識できるすべての星座が〈惑星エフ〉で見たものと同様の配置だった。

「《惑星ジー》にも僕たちの世界と同じ夜空の物語があるのかな」

 後から来たライニーカールがスレツの横に座った。

「同じ物語じゃないかもしれないけど、星同士を結び付けた伝説はきっとあるはずよ。なんだかんだ人間が考えることってのはみんな同じだから」

 星を眺めながらスレツは「でも龍介さんってなんか不思議な人だよね。〈惑星エフ〉の研究には余念がなさそうなのに、かといって僕たちがそこから来たって言っても大して興味なさそうだったし」

「私だって逆の立場だったらそんな感じかもしれないわ。たぶん知りたいのは〝向こうの惑星に暮らす人たちの大衆心理〟のようなものであって、個人の考えとか行動様式、パーソナリティじゃないのよ。私たちは今は群れから離れた個人でしかないからね。私たちがここで起こす行動は彼らにとって特に重要でも奇特でもない普通のことなのよ」

「なんかそれ、ちょっと僕には難しい考えだ。だって例えば僕たちは〈惑星エフ〉の情報を持ってるじゃん。観察してるだけじゃわからない文化の情報や言語、僕たちがどうやってここまできたのかっていう情報をさ」

「今はそれよりも明日の観察の方が大切ってことなんでしょ。あるいはクイズゲームを楽しんでいる感覚なのかしら。まぁそんなことどうだっていいわ。それより私も興味があるのよ。この星の人たちはなににそんなに夢中なのか。そして、あっちの人たちがこれから一体どんな取り組みをする気なのか……。低重力現象に合わせて行うようなものならちょうど観察可能だし、すごく楽しみ」

「うん、ていうか〈惑星エフ〉を観察するだなんてなんかそれだけで新鮮な気がするしね、僕も楽しみだよ。……ところで今日はどうやって一夜を明かそう?」

「寝る場所くらい工面してほしかったわよね。お金もまだないわけだし。……ま、ベンチがあれば寝られるでしょ。散歩でもして探しましょう」

 そして二人は落ち着いた夜の明かりが包む大丹市を歩き、大丹市中心部から少し離れた海沿いの山際にある公園の屋根付きベンチを発見した。夜空が少し明るくなり、海の向こうから小さめの〈惑星エフ〉が昇りはじめた。

「そっか、こっちではこの時間に見えるんだ。船に居たときはこの時間は眠ってたから、初めて見るね。確か紘詩は、こういう夜の事を《月夜》っていうんだって言ってたよ。すごく青くて眩しいね」スレツはベンチに腰掛ける。

 まだ手の平に収まるサイズの〈惑星エフ〉は恒星の光をほんのりと反射させて、夜の海を幻想的に照らしている。隣にライニーカールが座った。

 二人はその光景を静かに眺め、しばらくしてスレツが、自分の頭の中に意識を潜り込ませながら問いかけた。「ねぇ。僕たち、これからどうやって生きていけばいいんだろう?」

 《惑星ジー》にたどり着いて早くも一ヶ月。スレツは、歳月がこのままのペースで進んでいってしまったら、自分の《ジェヌ》への想いもあっという間に風化してしまうような気がしていた。目の前に穏やかな海の景色が広がっているからだろうか――それは魔法のようにスレツの不安感をかきたてた。

 果たして自分は、これからも《ジェヌ》を追いかけて旅を続けられるのだろうか。続けられたとしても、いつまでも彼女に会えなかった場合、自分の心はどこまで耐えられるのか……。

 ライニーカールは靴を脱いであぐらをかいた。羽織っていた薄いパーカーをめくって、お馴染みのタンクトップ姿になる。

「私はね、スレツ。こう見えても意外とロマンチストなの」

「突然何の話?」

「あなたがはじめた話の話よ。これからどうやって生きていくか。それは、今となってはもうわからないわ。このままこっちの惑星で暮らすかもしれないし、あっちの惑星に戻るかもしれない」

「ライニーカールはどっちがいい?」

「どっちでも後悔しないわよ。だってきっと、どっちでもハッピーエンドだもの。ね」

 スレツは恥ずかしくなってライニーカールに背中を向けた。「誰が言ったんだっけなぁ、そんなこと」

「私は覚えてるわよ。おかげで私はあれから、ある程度のことは運命に身を任せようって思うようになったのよ。もちろん自分で道を切り開く努力もするわ。でもそれだけじゃなくて、何かを成し得ようって時こそ、運命から生じる不確定要素も考慮するようになったの。自分の力である程度の道筋を立てた後は、自分の力の及ばない外部を信頼して、一切の身を任せちゃうのよ。なにか自分の想像以上の楽しいことが起こりますようにって祈りながらね」

「まるで僕の言葉が君をそう変えたように言ってるけど、ライニーカールは昔からそうだからね。人は君のそれを〝無茶〟って呼んでる」

 ライニーカールは異論口調で言った。「無茶とは違うわよ。私が賭けているのは運命があるかないか、ただそれだけだもの。なければそこで自らの行動による結果以上の反応が起こらなくなるだけで、マイナスはないわ。無茶っていうのはあなたみたいな人がする行為で、そこに賭けられているのは運命の有無じゃなくて自分の命なのよ」

「命を落としたらそれが運命ってことでしょ。同じだよ」

「別物よ」

 ライニーカールは譲りそうになかったのでスレツはそれ以上言い返さなかった。〈惑星エフ〉が時間をかけて海を渡っていく。

「また明日」

 スレツはライニーカールと〈惑星エフ〉にそう言って、ベンチに横になった。

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