第6話 地面と空

 冷徹な物言いだった。

 外の風が強くなり、陽がかげってくる――それは《惑星ジー》接近の予兆だ。

 ジジジクは聞き返した。「こういったものじゃない? 今さっきまで〈蒸気機関〉はこれからの繁栄に貢献するとかなんとか言ってたじゃないか」

 ミトヒは悪びれる様子なく「あれはただの建前で、我々の思惑は別にあります」と白状した。そして、少しだけ首を傾げてみせる。「……ジジジクさんはどうして発明家になったのですか?」観察するような瞳だ。

 ジジジクは唐突な話題切り替えに戸惑ったが、この切り替えこそが本題――錬素局の思惑――への最短経路であることを信じ、会話の主導権を預け素直に答えることにした。

「そりゃ。――作りたいなって思ったものがまだこの世界に存在してないからだよ」

「何を目指しているんです?」

「目指す? ……さぁ、なにを目指してるんだろ。《惑星ジー》の人たちを驚かせたいとは思っているけど」

「そうですか」ミトヒは同調もせず落胆もせず、視線を移動させて図面を眺める。同調してくれればこれからの数日間、少しは楽しくなったかもしれないのに――とジジジクは落ち込みそうになった。でもそれならミトヒは一体なにに喜びを感じ〝科学者〟として生きているのだろうか。ジジジクは待ってみたが、ミトヒは口を開かない。痺れを切らして問い返してみた。

「ミトヒさん。あなたはどうして」

「ぶっ殺すためです」

 小さな口から飛び出した単語はジジジクの言葉を遮った。〈蒸気機関車〉の図面の上に自分の膨らんだ肩下げカバンを置いて、その中から別の図面を取り出して拡げた。図面はまだ描きかけのようだ。ミトヒはジジジクを見上げた。

「ミトヒは、ミトヒのお父さんとお母さんを奪った敵をぶっ殺すために、今ここにいます」

 外からほんのりと雷の光が差し込み、数十秒の間をおいてから遠くでゴロゴロと音が鳴る。窓から差し込む灰色の明かりがより重さを増してきて、星間磁波によって生じた雲が厚くなってきた。ルダがランプに火を灯す。

 言葉を失っているジジジクに、ルダは言った。

「どうした、ジジジク。驚いてんのか? こいつは錬素局だ」

 そこまで言って、黄色い灯火の下で再び作業に戻る。ミトヒはルダの言葉になんの感情も持たない様子で言った。

「今回ジジジクさんに声をかけたのは、エルラミド街の発明祭で最優秀賞を獲得したことが決め手ではありません。むしろ本来であれば〈モーター〉を開発したライニーカールさんの方が適任でした。しかしミトヒは錬素局です。彼女のことを簡単に調べてみたところ、彼女は我々に決して協力しないだろう決定的な事情があることがわかり、我々は彼女との接触を諦め、代わりにあなたを選びました。私と同じくご家族を戦争で失ったジジジクさんならきっと我々の考えに――ミトヒの想いに――賛同してもらえるだろうと評価されたのです。どうでしょう、ジジジクさん。〈蒸気機関〉を活用した製品などは他の発明家に任せ、ジジジクさんは錬素局で最先端の発明品を生み出す研究に取り組みませんか?」

「おれが錬素局で……?」

 声かけだった。それはとても名誉なことだが、言いようのない不安があるのはなぜだろう。ジジジクは即答できず、答える代わりにミトヒが持ってきた図面を確認してみた。そこには円柱状の黒塗りの構造体ブラックボックスに風受け羽が取り付けられた十字状の機械が描かれていた。

「これは……」

「お返事をもらってから見せる予定でした。本来は機密事項ですが、誠意と説得と意識の共有のため特別にお答えしましょう。これは敵国との戦争でより有利に戦うための新たな兵器――航空兵器です。これは未完成のラフですが、今後はこのブラックボックスに〈モーター〉が組み込まれることを想定しています。ジジジクさんは〈モーター〉の仕組みを?」

「いや――」あれは自分では到底作り出せない代物であることをジジジクは認める。

「でしたら、発明祭で彼女が発表した〈モーター〉の図面は手に入りますか?」

「なんだって?」

 発明祭で発表された発明品の概要は、大まかものは委員会に預けられている。しかしライニーカールの〈モーター〉やジジジクの〈蒸気機関〉のような発明の心臓部については発明祭でも公開していない。なにせそれこそが発明家の財産なのだから。ジジジクは図面に描かれたブラックボックスを指でなぞって睨みつけた。確固たる嫌悪感が自分の中で渦を巻きはじめたのがわかった。

「おれにライニーカールの作った図面を盗んでこいっていうのか?」

「この発明品を完成させるために必要不可欠なものです」

 ジジジクはゆっくりと怒りを実感した。「だから盗むだなんて……、大きな過ちだ」

「お察しします。ですが我々は焦っているのです。戦争はリートデッヒ統治王国が国境付近の領土――ジジジクさんの故郷も含みます――を失った劣勢状態で停滞しています。事態を好転させるためには新たな戦力が必要です」

「それならおれじゃなく、直接ライニーカールに訴えればいいじゃないか!」

 ミトヒは感情を見せずに答えた。「我々はあなたを選んだのです。ライニーカールさんは我々と同一の意識を持つことが難しい方であると把握しています」

「おれなら大丈夫だと? だとしたらアテが外れたね。どうやらおれも錬素局との意識の共有とやらは難しそうだ。せっかくだけどお誘いはお断りするよ」

「事態は急を要するのです。なぜなら〈気球〉という乗り物の図面がこの街から拡散されており――」

 ミトヒの言葉を無言で笑い飛ばすジジジク。〈気球〉もライニーカールの発明だ。〈気球〉は重力に対する大気の性質について無知だったために失敗した実験だったが、浮遊という最低限の成果は獲得している。正しい改良を施したのちに正しい環境の元で実験を行えば、人類は今度こそ空を手に入れるはずだ。ライニーカールのことだ、次の発明予算に当てるためにアイデアを売り飛ばしてしまったのだろう。

 ミトヒは相変わらずの表情で淡々と続ける。「――伴って、世界各地で空を飛ぶ乗り物の研究に火が点いています。現時点で誰がその技術を真っ先に確立するかはまだわかりません。しかしジジジクさん。もしそれが敵国であったら? あるいは敵が〈気球〉をヒントに新たな兵器を生み出し勢いが増せば、やがてここエルラミドの鉱山も狙われることになるでしょう。そんな中、あなたはそれでいいのですか? 世界中が空に目を向ける中で――なによりライニーカールさんが一歩リードしている状況で――あなたは未だ〈蒸気機関〉というアイデアに固執し、地を這うことばかりに熱心で、それであなたの〝新しいものを生み出す〟という自己実現欲は満たされるのですか? 空を飛ぶ乗り物に驚く《惑星ジー》の人々の誰が、ジジジクさんの地べたの発明に気付きますか?」

 ジジジクは黙り込んだ。雷鳴の光と音の差が限りなく短くなっていることに気づく。耳をすませばその隙間に雨の音が聞こえる。それもやがて大粒のものとなり、窓から見えるエルラミド街の屋根や壁はあっという間に濡れはじめた。ルダは黙って背を向けて作業を続けている。その背中の印象は故意だ――聞こえているハズなのに無関係を貫いている。ミトヒはジジジクに一歩詰め寄って言った。

「ミトヒを見てくださいジジジクさん。そしてミトヒの話をしっかりと聞いてください。ジジジクさんは確かに画期的な発明をしました。しかしだからこそこのままでは、ジジジクさんは時代から取り残されてしまいます」

「話が逸れているよ。戦争に負けたくない、だから友達のアイデアを盗んでこい。錬素局の要請はこうだろう? バカげた企画だって思わないのかい」

「どの国でもこんな感じです」

「狂ってるね」

「それはそうかもしれません。この世界全体がなにかの伝染病にでも侵されているかのようにがむしゃらです。一度巻き込まれてしまったらもう抜けることができない連鎖の世界です。ですが、逆に伺います。ジジジクさんはミトヒと同じ目にあっていながらも、どうして狂わずにすべてを受け入れて、今までどおりの平和な生活を送れるほどにまで冷酷になれるのですか?」

「冷酷?」

「失った故郷と死んだご家族に対して。ミトヒは許せません。ミトヒのお父さんは生きたまま内臓とか取り出される拷問を受けて死にました。敵は笑っていました。ジジジクさんは許せるのですか? 自分の身に起こったことならまだしも、大切な人に振るわれた暴力です。もしこれをミトヒが許すとして、ジジジクさんみたいな生活を送らなければならないとしたら、ミトヒは相当冷酷に感情を殺さなければそうはなれないと思います」

 ジジジクは突然笑い出した。「おれが感情に任せて生きるとしたら世界を滅ぼしかねないよ!」そしてミトヒに詰め寄って続ける。「言っておくけど、おれがどうして発明を続けているかっていうと、なにか少しでも新しいものを生み出して世界を変えたいと思っているからだからね。これがどういうことか錬素局にはわからないかもしれないけどさ。おれはこの世界が嫌いなんだよ。というより人間が大っ嫌いなんだ」

「おい、ジジジク」ルダの静かな言葉にハッとしたジジジク。いつの間にかミトヒを壁際に追い詰めていた。ジジジクは謝ろうと思ったが一方でミトヒは目を見開き興味深げにジジジクを見つめている。

「続けてください」とミトヒは言った。

 ジジジクは自分にため息を吐いて踵を返し、今度は落ち着いた口調で、「人は好きだよ。この世界に良い人や優秀な人はたくさんいる。だけどどんな人格者であっても、人間って生き物は群れてしまうと途端に愚かになってしまうんだよ。例えば、おれが戦争に向かう父親を引き留めたところで〝国を守る英雄たち〟に何を言っても無駄だった。母親と姉は他の住人と同じように英雄たちの帰還を待つため故郷に残って念のためおれを疎開させた――その時点ではもうすべてわかっていたくせにね。もっと身近な例なら、エルラミドの住人はおれたちの挑戦を冷かして、失敗すると嘲笑い、成功すると媚びるように褒め称える。おれが嫌っているのはそういうものなんだ。集団心理っていうのかな。現時点で、これは人間にとって明らかな毒だとおれは思ってる。人格者たちから正常な判断を奪い、下らない人間に変貌させてしまう、とても強力な毒だ。だからおれは諦めたんだよ。おれがどんな感情でいようと集団はより強い圧力で自分たちの感情を発散しようとするだけだ。それならそんなのに付き合っていても仕方ないってね。だけど見出したこともあった」

「この街で一人のバカと出会ったんだよな」ルダが補足した。「本来発明家同士はあんまり協力しねぇ。だがある時、ライニーカールの発案をジジジクが設計するっていう異例の共同製作があったんだ」

 ジジジクはスレツの顔を思い浮かべて少しだけ笑った。「ほんの少し。ちょっとだけ何かが変われば、きっと良い世の中になるんじゃないかなって思ったんだ。そしたら不思議と、世界は今まで通り嫌いにせよ、それと同じだけ一人ひとりのことが愛おしくなってさ――身の回りの個人だけじゃなくてどこか見知らぬ他人のことまでもね。おれはその人達のために、その人達を幸せにしたり驚かせたりして、〝どうだ〟って言ってやりたいんだ。きっとみんな笑顔になると思うよ。素晴らしいだろ? だからおれも君と同じ立場だったら、もしかしたら喜んで錬素局の誘いに頷いたかもしれない。だけどちょっとだけ、おれは運よく面白いことに気付くことができたんだ」

「そうですか」ミトヒは少しだけ落ち込んだ様子を見せた。「ちなみにご家族の死因はご存知ですか?」

「幸か不幸か、知らないね。統治王国からただ報告を受けただけでさ。〝戦禍によりご家族は亡くなりました〟ってね」

 それはそれで辛く乗り越えなければならないものではあったが。

 ジジジクの返答を受け、ミトヒは重く口を開いた。小さな口が動き、トーンの低い声が発せられる。「知りたいですか? ミトヒは知っています。今日のために調べてきました。ジジジクさんのお父さん、お母さん、お姉さんの最期を」

 しかしジジジクは即答した。「いや、いい」

 真実から目を背けるためではなく、純粋に知る必要はないと信じていた。知ってしまえばまた今の状態に戻るために苦しみが再燃焼するだろうが、自分がその苦痛を再び乗り越えた所で、それによって雲の形が変わるわけでもない。目指すべきゴールは今と同じなのだ。すべては自分の中で処理すべき事柄でしかない。

「興味はないのですか? 知ることで世界は広がります」ミトヒが言う。あまりに純科学者らしい哲学だった。

「もう過ぎたことなんだ、死んだら死んだで、それでいい」

「そうですか。ではやはり錬素局からの誘いは」

「折角だけどお断りさせてもらうよ」

 ミトヒはしょんぼりと頭を垂らした。

 ジジジクは灯りを寄せて、ミトヒが開いた図面をより詳しく確認させてもらった。誘いを断ったから見せてもらえないかとも思ったが、ミトヒは止めなかった。

 図面に描かれている機械は胴体と思われる部分から左右に開かれた板が奇妙な造形を演出している不思議な乗り物だ。マイマイマイのような綿もなければ〈気球〉のような空気を温める機関もない。風を受け回るプロペラを回せばそれだけで推進力となり得る風圧を生み出せるのだろうか? 机上の論理によって創造された産物のようにも感じるが、やはり気になるのは黒塗りで描かれたブラックボックスだ。ミトヒはここに〈モーター〉の搭載を想定しているようだが――、発明祭で公開された〈モーター〉の情報によると、それは〈電気〉を利用して磁石を回転させることで動力を生み出す機関だという。〈電気〉の仕組みはその時に興味があったので調べてみたが、それをどうやって磁石に作用させるのか、またどういった原理で回転エネルギーが生じるのかはわからない。しかし〈モーター〉が生み出すエネルギーは〈蒸気機関〉とは比べ物にならないほど小さいため、果たしてその程度の出力でこの機体を上空に運ぶことができるのか疑問だ。もっとも、だとしたらより強力な機関をこの部分にあてがえばいいのだが。

 ……まずい、うずうずしてきたとジジジクは思った。この未完成状態の図面を完成させたい誘惑に駆られる。そんな図面を眺めるジジジクの視線に唐突にミトヒが割り込んで、子供のように心配そうに聞いた。

「どうしても錬素局には来てくれませんか?」

 嵐が通り過ぎ、エルラミドの空が晴れてきた。ジジジクは無言で肯定する。

 ミトヒはさらに心配そうにした。「やっぱり戦争用のものなんて作りたくありませんか?」

 もはや言葉は説得の口調はなく――用意していたカードをすべて切ってしまったのだろう――その表情は嘆願に近い。

 ジジジクはミトヒの様子を察して言う。「その言い方はよくないよ。おれたち発明家の発明品は結局は戦争用として使われているし〈蒸気機関〉だって今後なんらかの形で兵器に転用されるだろう? 要は使い手の問題なんだ」

 ミトヒは任務の失敗に落ち込んで、近くの椅子に着席した。


***


 惑星接近に伴う星間磁波から生まれた嵐が過ぎ去ると、マイマイマイの群れが一斉に背中から綿を露出させた。ぼーっとした図体が風にさらわれて、濡れた草原の中から雨上がりの洗い流された空へと浮上していく。風の性格が、嵐とは別の柔らかいものに変わってきた。スレツはいつもの場所で、いつものように望遠鏡の設置を急いでいた。《惑星ジー》が近づいてくる。

 街の方から低重力現象の頂点を知らせる鐘が聞こえた。〈定刻〉まであとⅠメモリ。望遠鏡が上を向く。今日も《ジェヌ》は居るだろうか。不安と期待を胸に懐中時計を眺め、そして、〈定刻〉がやってきた。


***


「ジジジク! 大変だ!」

 ルダの工房の扉がバンと開く。スレツが肩で息をしながら入ってきた。ジジジクはちょうど図面を丸めている所で、何事かと作業を止めた。ルダもタバコを吸いながらスレツの剣幕に手作業を中断する。ミトヒが熱いコーヒーをズズズと啜った。

「《ジェヌ》が……大変なんだ!」

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