第7話 伝達
肩を上下させ荒く息を繰り返すスレツ。手には三脚が取り付けられたままの望遠鏡を抱えている。
「《ジェヌ》が……大変なんだ!」
「大変?」
「そうなんだ! 今日、望遠鏡を覗いたら――」
「スレツ、待った」ジジジクはスレツの言葉を遮りミトヒを意識した。ミトヒはコーヒーカップを両手で大切そうに包んでおり、話に関心はなさそうなものの耳はしっかりスレツの方へ向けている。
「とりあえず二階に行こう」
「え? なんで? おれは別にここでも」
ジジジクは親指でミトヒの存在を指摘する。「彼女は錬素局だ」
「錬素局……統治王国の? なんでそんな」
ミトヒは自分の名前が小声で囁かれたことに気づいて、スレツと視線を合わせた。
「錬素局のミトヒです。その望遠鏡は《惑星ジー》を観察するものですか? 先ほどおっしゃっていた固有名詞《ジェヌ》とは一体なんなのか少しだけ興味があります。どうぞお話を続けてください」
「あ、スレツです。どうぞよろしく――」
言いかけたところでジジジクはスレツの手を引いて二階にあがった。スレツは辛うじて望遠鏡をその辺に立てかけ、バランスを崩しながら階段をのぼる。最近ジジジクが居候している部屋に入るとジジジクは階段の下を覗き込み、誰もついてきていないことを確かめてドアを閉めた。
「《ジェヌ》の話は彼女の前では無しだ」ジジジクは小声で言う。「彼女は酔狂な科学者なんだよ。おそらくスレツが《惑星ジー》の住人と相互観察している事実を知れば間違いなく興味を示す――惑星間での交信なんて前代未聞だからね。今の《ジェヌ》との関係が実験対象になってしまったら、スレツは嫌だろう?」
ジジジクはスレツの同意を期待したが、当の本人は同意する前に自分が騒いでいた理由を思い出したようだった。
「そうだ、《ジェヌ》が――」
大きな声だったのでジジジクは口に手を当ててスレツを諌める。スレツはなんとか堪えて、小声で言い直した。
「《ジェヌ》が大変なんだ」
「それは何度も聞いたよ。だけどなにが大変なんだ。ついにいなくなってしまったのか?」
「そうじゃないけど……。望遠鏡を覗いてびっくりしたよ。彼女、……今日に限って、なんだか……いつもより可愛かったんだ」
スレツは言いにくそうに言った。そしてそのまま口を閉ざしてしまったので、「うん、それで?」とジジジクが続きを促す。だが、スレツは意外そうに「え?」と聞き返した。
「大変なことが起こったんだろう?」
「いや、だから、いつもより可愛かったんだよ」
「《ジェヌ》が?」
「《ジェヌ》が」
少しだけ考えてから、ジジジクは手早く話を打ち切ることにした。「そうか、可愛かったのか。よかったじゃないか」そう淡白に言い捨てて、部屋から出ようとドアに手をかける。大変だと言って慌てているから何事かと思ったが、聞いてみれば至極平和ボケした悩みだった。そうだな、確かに大変なことかもしれない……スレツにとっては。しかしこっちはさっきまで戦争やなんやと真剣な話をしていたのだ。苛立つジジジクにスレツは縋った。
「待って、聞いてくれよジジジク! 今日の《ジェヌ》なんだけどさ、髪の毛を編みこんで、ドレスのような服を来て、化粧までして。それで手を振ってくれてとても可愛かったんだけど、それに対しておれはどうすればよかったんだろう?」
「どうすればって? 自分も格好を付けないとって意味かい?」
「違うよ。僕はどうやって《ジェヌ》に〝今日はかわいいね〟って伝えればよかったんだろうって。思いつかなかったんだ……。たくさんの形容詞はすぐ頭のなかに浮かんだのに、やったことといえばただ望遠鏡を覗いて空を見上げて、いつもみたいに手を振るだけだった。それ以上、おれはなにもできなかったんだよ」
少しだけ、ジジジクはハッとした。その思いには確かに同情できる。
《惑星ジー》は、宇宙空間を隔てた、文明も言語も、そしておそらく思想も価値観も違う世界だ。その中で手を振ることだけが唯一の交信手段であるスレツと《ジェヌ》にとって、自分や相手の意志や感情を正確に伝えるのは難しい。ジジジクは少し反省したテンションで部屋を出て、階段を下った。と、ルダが出かける準備をしている。
「おぉジジジク、ちょっくらライニーカールの所に行ってくるぜ。できたばかりのヤヤアを確認してもらいにな。本当はアイツの方からこっちに来て欲しいんだが、お前たちの前で〈ユーリー効果〉について話すわけにはいかねぇ。あっ!」
「〈ユーリー効果〉?」
ジジジクが反復して聞き返したとき、ルダは取り乱して手に持った布包みを落としそうになった。「なにも聞かなかったことにしてくれ! じゃあ留守番頼んだぜ!」そして逃げるように外へと飛び出していった。
「〈ユーリー効果〉」ミトヒが物知り顔で呟いた。「六年前、リートデッヒ統治王国の王都に住む哲学者ユーリーが提唱した理論です。現在彼はその主張から宗教団体の反感を買い辺境の村に身を寄せていますが……、詳しく知りたいですか?」
「隠さずに教えてくれるの?」
「隠す意味がありません。学者の戯言です」
「科学者や発明家でなく哲学者って所が面白そうだね」
「さすがジジジクさん、察しのよさがハンパないです」
「じゃあ概要だけ」
「反重力現象を起こすとされています。必要なものは巨大な磁力と莫大な電力。〈ユーリー効果〉によって副次的に生み出されるエネルギーは今の時代の人間にはとても扱いきれる代物ではなく、下手をするとエルラミド街の崩壊を招く恐れがあります」
確かにそれだけ聞くとオカルトだ。「崩壊? 具体的には?」
ミトヒは「あくまでユーリーの妄言の引用ですが」とした上で続けた。「無重力現象、物体の液状化と融解、融合、自然発火、固形化……。これらはミトヒたちの世界を作る小さな物体にもあるとされる引力がすべて無効になるために起こるのだとユーリーは語っています。すると物理の現象が全くのあべこべ状態になってしまうとのことです」
そして言い終わるが早いかミトヒはガタッと立ち上がり、拳を握りしめる。
「ライニーカールさんはすでに〈モーター〉を開発しています。それは磁力と電力で操るものだと耳にしました。材料は揃っています。そしてなにより無視できない決定的要素がもう一つ……」
「もう一つ?」
「それは秘密です」ミトヒはぴしゃりと言った。持っていたカップをテーブルに置き、立ち上がる。「もし本当にライニーカールさんが〈ユーリー効果〉を用いた発明品を作ろうとしているのであれば、錬素局の名において、ミトヒは彼女に警告をしなければなりません!」
そう言って子供の素早さで外に飛び出していってしまった。スレツも二階から降りてくる。おもむろに取り残され、二人は顔を見合わせた。
「なんか錬素局の人って変わってるね……」と、スレツはあっけに取られた声で言う。
「君がそれを言う? まぁいいや。それよりスレツ。ライニーカールの奴、本当に〈ユーリー効果〉なんてものを使った発明を考えているのかい?」
「でもライニーカールからそんなような単語を聞いたことがあるような……」
「じゃあ君も彼女の後を追った方がいいよ」
「そのつもりだけど、ジジジクも一緒に行こうよ」
だがジジジクは頭を振った。「それはおれの役割じゃないよ」
「そんなことないと思うけど」
しかしジジジクは首を振る。スレツはその意味を考えかけたが、ライニーカールを追いかける道を選び、ドアから飛び出していく。取り残されたジジジクは一人、ぽろっとひとりごちた。
「やっぱおれも、空を目指したいなあ……」
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