第8話 グライダー
ルダはライニーカールの家に到着するまでの間、自信作のヤヤアを彼女に見せてやった時の空想にふけっていた。ライニーカールのやつ、きっとヤヤアの完成度の高さに飛び上がるだろうな。抱きつかれて、ほっぺにキスをされるかもしれない。ニヤニヤと笑みが溢れてきた。
ライニーカールの家はエルラミドの住宅区域から少しだけ外れた坂の途中にあった。この辺りの区画整備はまだ終わっておらず、古くからこの土地に住んでいる地主たちが構える大きな一軒家が点在している場所だ。背が高く幹の太い一本の針葉樹がライニーカールの家の目印だった。
草に囲まれた広い砂路から立派な鉄柵の門を通り、ルダはライニーカールの家の敷地に入った。正面に見える、木造りに白の装飾と赤いレンガ屋根が目立つ平屋からはすでに「トーン、トーン」となにかの作業音が響いてきている。風に乗って漂う獣の香りは家の横に設置された馬小屋からのものだ。その小屋の周囲には使い古された馬具が横たわり、静かに、さらなる劣化を続けている。この馬具たちはまだ生きている――直して磨いてやりたいという衝動を抑えながらルダは正面玄関に向かい、鈴を鳴らした。しかし、しばらくしても家の中から反応はない。彫刻がなされた古い木の扉には小さな装飾窓があったが、覗いてみてもすりガラスのため中の様子はイマイチ確認できなかった。もう一度鈴を鳴らしたが、やはり何も動かない。どうしたものか迷ったところで、ルダは「トーン、トーン」という音が継続的に聞こえていることを思い出した。その音を頼りに家の裏に回ってみる。
「ごめんくださーい……」
自信なく呟きながら音のする方を目指した。無許可での他人の家の探検はドキドキする。家の影からレンガ造りのガレージが姿を現し、作業音が大きくなる。ガレージを覗いてみたルダは、すぐにライニーカールの背中を確認した。紺色のつなぎ服は上半身部分を腰でまとめており、下着のように薄いタンクトップ一枚だけを着てハンマーを振り下ろしている。髪の毛は例によって刈り上げの編みこみだったが、それ以外の部分はポニーテールとしてまとめられており、腕を振り上げた時に適度に肉づいた筋のハッキリとした脇が見て取れる。その横から、時折零れそうになるふくよかなものは――。ライニーカールが腕を振り上げる。ルダは生唾を飲み込んだ。
「ルダさん!」
背後からしたスレツの声にルダは体を飛び上がらせた。振り返ると、ミトヒをおんぶしたスレツが息をあげていた。
「ハァ、ハァ、なにしてるんですか? でも追いついてよかった」
「お、おう。お前らも来たのか」慌てて取り繕ってみる。
スレツは特にいつもどおりだが、スレツの背中から「うんしょ」とおりたミトヒの視線はじっとりとルダの動揺を観察し、ルダの行動を真似てガレージを覗きこんだ。
「トーン、トーン」とハンマーの音。リズミカルに跳ねるライニーカールの体。
ミトヒはルダを一瞥して呟いた。「この男、危険です。ミトヒもルダには警戒しなくては」
「おい待てよ、ルダさんだろ。年下のくせに呼び捨てにするな」
「無視します」
スレツがガレージに足を踏み入れた。「ライニーカール、ルダさんが来たよー」
音が止まる。
「ちょっと。作業中にいきなり話しかけないでっていつも言ってるでしょ」
そう言って振り向いたライニーカール。腰に手を当ててハァと溜息を吐き、工具をすぐ横のテーブルに無造作に置いて、近くに掛けてあったタオルで額と顔と首元の汗を拭い取った。そしてタオルを放り投げると、コップを手にとって水を一気に飲み干す。
ルダとミトヒもスレツに続いてガレージに足を踏み入れた。工房独特のいい匂いがして、ルダはガレージの中を見回し、少しだけ関心した。壁に書けられているあらゆるサイズのレンチ、ドリル、ハンマー、加工前の鉄塊、黒焦げの鍋、天井から吊るされた蝋燭台、ガレージいっぱいに散らばった大小さまざまなガラクタたち。その全てが精一杯の愛情を受けて使い込まれている。いい匂いのする工房からはいい発明品が生まれるものだ。
コップを置いたライニーカールは薄手のパーカーを羽織りながら「で、ルダが来たってことはお願いしていたものができたってことかしら」
両肩からの肌が覆われてしまい、しかしそれでもルダの視線はライニーカールの胸に向かいがちだったが、それを察してか知らずか、ライニーカールはパーカーのボタンを上まですべて閉じてしまった。ルダはミトヒがジッとキツい視線で自分を観察していることに気付き、取り繕った。
「あ、ああ。まさにできたてホヤホヤの注文品を持ってきてやったぜ。どうだ、これだ」
ルダは包んでいた布を引き剥がし、ヤヤアを見せつけてやった。ルダはこの瞬間が一番好きだった。顧客の顔が驚きと喜びで満たされる瞬間、自分もまるで同じ気分になれるような気がするからだ。
「このあと忙しいか? 注文通りの出来か確認してほしいんだ」
金色に光るハンドル状の部品であるヤヤアを手にとったライニーカールは、それを持ち上げたり傾げたりしながら「形状としては完璧よ、ありがとう」とルダに伝える。
ルダはそのライニーカールの淡白なその仕草にすら心をときめかせて感動しながら、自信満々の笑みをスレツとミトヒに送った。
「早速試してみましょう」
三人はライニーカールに導かれてガレージの奥へと足を踏み入れた。元は白色だったろう薄汚れた布が大きななにかを覆って隠しており、ライニーカールはそれを取り払う。ルダはさらに感動した。
そこに鎮座していたのは、ガラクタ部品の寄せ集めで作られたなんらかの構造体だ。長細い本体の下にどっしりとした台座が備え付けられている。台座の複雑なパイプの絡み合いは混沌としつつもしっかりと胴体として調和の様相を呈しており、これは〈蒸気機関〉だと見て取れる。その上部に設置されているもう一つの性質の違う構造体は一切のムダがない引き締まった流線型フォルムを描き、尾びれは反り返ったナイフのように鋭い――それはさながら魚の体を連想させた。ひれの代わりに左右に一つずつ装備されているのは鉤爪状の細い骨格で、今は触角のように高く上に向かって折りたたまれている。またその付け根部分には、銅線かなにか細い金属をぐるぐる巻きにした不思議な機関が搭載されていた。
「もうここまで作り上げていたのか」
ルダが関心して見上げる。その横で同じようにして見上げていたミトヒが聞いた。
「これは〈航空機〉ですか?」
ライニーカールは初見の子供に首を傾げつつも、思いもよらぬ優しい声で応えた。
「〈航空機〉? へー、とても包括的で面白い名前ね。でもよくわかったじゃない。そのとおり、これは空を飛行する機械よ。だけど厳密に言えば〈
「〈グライダー〉……。空気を捉えて風に乗るイメージでしょうか」
ライニーカールはミトヒの身長に合わせてしゃがみ、頭を撫でながら言った。
「想像力豊かね。正解よ」
スレツとルダは顔を見合わせる。スレツは黒髪ウィッグ装備の学校向けライニーカールを知っているが、その時の彼女といえば単に寡黙であるだけだ。口を開けばすぐにでも皮肉が飛び出すライニーカールだが、この優しさは新しい一面だった。
「ねぇスレツ、この子だれ?」
優しい口調そのまま話しかけられたので、スレツは逆にビクッと体をすくませた。ミトヒについては自分もよくわからない。スレツはライニーカールの視線をルダに誘導させる。振られたルダは返答に迷った――ライニーカールの足元でミトヒが口に指を当てて合図を送っているからだ。〝本当のことは秘密です〟と。代わりに、くるんと回ってミトヒが自分で答えた。
「ミトヒはミトヒと言います。種違いのルダの妹です」
ルダは吹き出した。スレツが驚いて「そうなんですかぁ!?」と驚きを隠さない。ライニーカールは目をぱちくりさせ、なにかとんでもないことを察したように「そうだったの」と、それでも優しい笑顔でミトヒの頭を撫でた。
ルダはタバコを取り出して火を付けた。――ったく、このミトヒという錬素局の科学者、油断できないな、と。
〈グライダー〉によじのぼって跨がったライニーカールは、ヤヤアを触角の横にガコンと取り付けた。「ぴったりね」
「注文通りだからな。しかしこれだけの機械をよく短期間で作ったな。大変だったろ」
「そうでもないわよ。射出機の役割を担う〈蒸気機関〉はは外注だしね。一番複雑なハンドル部分も外注であなたにお願いしたから、私はほとんど〈グライダー〉本体に集中できたし。そうでなくてもスレツや、ウチのいろんな人が手伝ってくれているから」
〈グライダー〉に馬乗りになっているライニーカールはそう雑談しながらも同時にヤヤアの接続作業を続けている。ポケットから五十センチほどの細いゴムチューブを取り出して片方を〈グライダー〉に取り付けた後、チューブを油で満たし、ヤヤアに取り付ける。
「スレツ、そろそろ火を準備してくれる? ハンドルの性能を試すから」
「ここでやるの?」
「飛ばすわけじゃないもの。ちょっとガレージが灼熱地獄になるかもしれないけど」
ルダはライニーカールが描いた図面を見つけ出し、手にとって眺めた。今ライニーカールが跨がっている構造体は二つのユニットからなっている。上部の〈グライダー〉部分が本体で、その下の四角くゴツイ部分が射出機だ。射出機に搭載された〈蒸気機関〉のエネルギーを使って〈グライダー〉を射出、飛行に必要なエネルギーを与え、さらに低重力と風の力を使って空の果てへ飛び出そうというシロモノのようだ。しかし肝心の〈ユーリー効果〉を作り出す部位がわからない。ミトヒが覗きこんできたので、ルダは反射的に図面を折りたたんでその内容を隠した。
「(〈ユーリー効果〉を利用したモノはどこに描かれているのですか)」
「こればっかりは錬素局には教えられねぇな」
ミトヒはしばらくジッとルダの目を見たが、ルダは〝譲らないものは譲らない〟とミトヒの瞳にメッセージを送った。ミトヒは諦めたように、ライニーカールとスレツのやりとりを観察しはじめた。
「ねぇ、これってあとどのくらいで完成するの?」スレツが射出機に石炭を詰め込みながら聞く。
「これから模型を使って飛行実験を繰り返して、その成果しだいよ。それによって一ヶ月から一年以上と全く読めないわ。もちろん、それ以外の部分も問題なく正常に動いたらの話だけどね。だから〝近々完成〟なんて期待はしないでちょうだい。どうせまたこれから何十回も失敗を繰り返すんだから」
〈グライダー〉から下りてきたライニーカールは射出機の側面から飛び出たバルブを調整し、〈蒸気機関〉の稼働に備える。ミトヒは首を傾げた。〈蒸気機関〉とはボイラーによって起こされた熱で水を蒸発させ、その圧力をピストンへ伝えることで上下運動を生み出すシステムだ。その生みの親であるジジジクは上下運動のエネルギーを回転エネルギーへと変換し〈自動車〉というアイデアを実現させた。仮に射出機から〈グライダー〉へそのエネルギーを伝えて空へ射出するにしても、プロペラを継続的に回すには本体が〈蒸気機関〉から離れてしまっては意味がないし、もっと原始的仕組みとしてゴム板を巻きとってその反発力で空へ打ち上げる方法を取るのであれば、これは人力でも可能なのだから〈蒸気機関〉を敢えて選択する必要はない。ミトヒはヒントを得ようと改めて〈グライダー〉を観察した。骨組みの胴体の中にシルバーの四角い箱が見える。そこから赤と青に着色されたゴムチューブが何本かずつ伸びており、その内一セットは〈グライダー〉胴体の中心部へと消え、もう一セットは銅線が巻き付けられた機関へつなげられており、残りの線は左右の触角の根本へと繋がっていた。
ミトヒはルダに問いかけてみた。「あの触角のようなものは可動式ですか? 構造上からミトヒが見立てるに、おそらく実用時には布のような物を貼り付け、翼のようにして左右に開き、細かく上下に振動させるものと思われますが」
ルダはタバコを吸いながらつれない言葉を返す。「本人に聞いてくれ」
確かにそれが一番早い。しかしミトヒはためらっていた。あまり食い込んだ質問をしてしまうと、ライニーカールは自分に興味を持つはずだ。そこで錬素局だと知られれば、彼女は間違いなく自分を追い出すだろう。
だがミトヒは、ライニーカールが取り組んでいる発明の全容を把握し、必要があれば忠告しなければならないという使命を改めて強く念じた。〈ユーリー効果〉はオカルトとはいえ、実現すると大変危険な科学技術だ。それを今、ライニーカールに伝えることができるのは自分だけだ。
「ライニーカールさん」ミトヒは決心した。疑われるくらいなら、いっそ包み隠さず話してしまえばいい。「この機械に〈ユーリー効果〉が使われていると聞きました。白状すると、ミトヒは錬素局です――ルダの種違いの妹とは大嘘です。もしあなたが〝かの人物〟をご存知であるなら、〈グライダー〉について詳しいお話を伺えないでしょうか。今あなたが行っていることは、エルラミド街の崩壊を招く恐れのある大変危険な取り組みです」
「錬素局?」
案の定、ライニーカールの眉がピクリと反応する。
「騙していたことは謝ります。ただ、〈ユーリー効果〉は本当に危険なのです。どうかまず、ミトヒの話を聞いてください」
ライニーカールは作業をやめ、少しだけ考えた。機械の後ろからスレツが「点火するよー」と〈蒸気機関〉の起動を開始する。水の張られたボイラーが使い物になるにはもうしばらく時間がかかる作業が必要だ。ミトヒの話を聞く時間は十分にあるハズだった。
「どこでその話を聞いたのかは知らないけど――」
ライニーカールの言葉の影でルダは気まずそうにタバコを吸う。
「話を聞けっていうなら聞いてあげるわ。ただ、私は〝かの人物〟のことをたぶんだけど知っている。知っている上で――いえ、知っているからこそ、今回の発明に至ったの。錬素局であるあなたが一体なんのためにこの街に来たのかは知らないけど、余計な心配は無用だと一応答えておくわ」
「心配は無用であるという根拠を提示できますか?」ミトヒが挑戦的に聞く。「それを確認しなければ、ミトヒは不安で不安で夜も眠れません」
「しばらくの間は不眠症で悩むことになりそうね」
「悩みたくありません。あなたをなんとか説得したいと思います」
「それでも応じなければ?」
ミトヒは頭を垂らして残念そうに言葉を漏らす。
「そしたら仕方ないです。錬素局へありのままを報告するまでです。この一連の出来事を知った練素局は、危険因子を実力で排除するでしょう」
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