第9話 起動

 翌日の朝。

 ライニーカールとスレツは交代で夜間〈蒸気機関〉の管理をおこなっており、射出機に貯めた水が沸騰を開始していた。炎と熱水の重低音が地鳴りのように響いている。

 ライニーカールは「ハァ」と溜息をついた。どうして今、このタイミングで錬素局が来てしまったのだろう。あと半年……早くても一ヶ月後に来てくれれば、試験飛行まで取り組めていたかもしれないというのに。

〈蒸気機関〉の熱でサウナ状態となったガレージで、ライニーカールは汗を拭いて水分を補給した。熱々に加熱された射出機の胴体と、その上に佇む〈グライダー〉を眺めてみる。

 練素局がどの程度〈ユーリー効果〉を信じているのかわからない。しかしオカルト実証のための遊びならやめさせられるし、本物であれば持ち去っていく。いずれにせよ嫌がらせはウケる羽目になるのだ。自分はどうすればいいのだろうと、ライニーカールは悩んだ。

「おはよー。うわー、あつー……」

 深夜の交代から五時間ぶりにスレツがやってきた。真夏の熱さを超えるガレージに顔をしかめながら、ライニーカールの横に水滴のついた水筒を置いた。ライニーカールは暑さも含め気が滅入っていたから、特にスレツに向けて挨拶はせず、〈グライダー〉によじのぼり、折り畳まれていた翅の骨格を展開した。

 翅の骨格には、あとはマイマイマイから収穫した綿で織った膜を取り付けるだけだった。それだけならもう一週間のうちには作業を終えられるので、まもなくこの〈グライダー〉をとりあえずの完成品とすることができるだろう。

 今後は、今まで作ってきた小型模型よりもさらに精密なレプリカを使って、実際に飛行させ、改良を重ねていく。やはり一ヶ月から半年、もしかしたら一年以上もかかる作業だ。しかし錬素局の嫌がらせはもう間もないだろう――ライニーカールは頭を振って憂いを掻き消した。

「ねぇスレツ。折角来てもらった所悪いけど、ルダを呼んできて。ハンドルを試す準備が整ったって」

 不安は強く先も長いが、まずは目の前の事に集中しようと決めた。

 しばらくしてスレツがルダを連れてきた。ミトヒも一緒だ。

 ルダが暑さにヒーヒー言っている中、ミトヒはさも涼しげに聞いた。「これから行われるのはあのハンドルの試用試験ですか? あのハンドルにはどのような役割があるのです?」

「守秘義務だ、ミトヒ。あのなぁ、お前は練素局のくせに、ライニーカールがガレージに入れてくれただけでもありがたいと思えよ。お前はなにも聞くな。黙って試験結果を見守っていればいいんだ」

「あれからみなさん、とても冷たいです」

 言って、ミトヒはライニーカールの作業に注目した。左右に開かれた翅のつけ狙に軟質なゴム状の物体を取り付けている。〈モーター〉から繋がる赤と青のコードがそこへ伸びていることから、あれは伸縮性のある繊維状蛋白質だろうと想像してみる。それはエルラミド周辺に自生している蛋白性植物の茎から容易に入手できるものだ。そしてライニーカールは銅線が巻き付けられた機関からなぜかコードを抜き取り、そのまま〈グライダー〉に馬乗りになってハンドルを握る。

「スレツ、繋いで」

 合図を受けて、スレツは〈蒸気機関〉の弁を制御しギアを接続させる。ボイラーの上から突き出したピストンがしだいに上へと押し上げられ、シュッという弁の開放音と共に今度はそれが落下する。その上下運動の周期や蒸気の音が徐々にペースを早め、伴って〈グライダー〉の胴体もグイインと音を放ちながら〈モーター〉が回転しはじめた。

「――――――!」

 ライニーカールがなにか言ったが騒音で届かない。ライニーカールは〈グライダー〉のハンドルの両端にあるレバーをぐっと握りしめた。すると、バタバタと翅の骨格が眼に見えないほどの細かい振動をして反応した。レバーを離すと振動は止まり、僅かにレバーを握れば翅も僅かに振動する。ライニーカールは優しく握ってみたり強く握ってみたり緩急をつけてさまざまな力の加え方を試してみた。次いで右側、左側と交互に同じ力の調整を試みる。その命令すべてに応じる翅の動きをみて、ルダは腰を抜かしそうなほど驚き、自らが携わっているこの発明の次世代っぷりを身体全体で感じ取った。

 次いでライニーカールはハンドルを左右に振った。それに合わせて尾びれの端が頭の向きを変え、今度はハンドルを引っ張ると、翅の角度がそれに応じて変化した。ライニーカールはルダを見下ろし、グッと親指を立ててみる。それはあのライニーカールから飛び出した合格点であり、ルダはうれしくて泣き崩れそうになったが、ヤヤアの機能はもう一つあるハズだと次なる期待に胸を震わせていた。ハンドルの取っ手を捻れば、またもう一つの油圧チューブに変化を加えられる。ライニーカールはそれをなにに利用するのだろう。

 だが――ライニーカールはその機能を使わずに、スレツに〈蒸気機関〉解除の合図を送った。轟音が少しだけマシな音量になって水分のガスが勢い良く煙突へと送られる。ルダは少しだけ不完全燃焼さを感じたが、それでもこれはまだ初回テストだ。ヤヤアのもう一つの機能は今後も試験を繰り返す中でやがて使われることだろうと落胆しないよう自分を納得させた。

「ハンドルの調子は良好だね!」スレツが、降りてきたライニーカールに声をかける。

「そうみたいね。ただこっちの問題として、レバーを引いた時の〈グライダー〉の振動が少し気になるわ。片方ずつ稼働させた時なんかは特にね。このままだと〈グライダー〉の構造部に深刻な影響を与えて故障の原因になり得るし、翅膜を取り付ければその振動はさらに強調されるでしょうから対策は必須だわ。なにか考えないと。あと最後に放出した水蒸気の向きが少し心配かも。今回は煙突に直結させてたからよかったけど、外で運用すると風向きによっては搭乗者が焼け死んじゃうから」

「水蒸気なんて少しくらい大丈夫じゃない?」

「私は少しでも火傷するのはイヤよ」

「僕もイヤだけどさ」

「ね。対策しましょ」

 ルダの横ではミトヒがパチパチと音の小さい拍手をしていた。「とても独創的で素晴らしい発明品だと思います。電気エネルギーによって線維性蛋白質が痙攣的な収縮反応を起こすなんてミトヒは今初めて知りました。水の中を泳ぐ魚からヒントを得ているであろう〈グライダー〉全体のフォルムも美しく思います。この〈グライダー〉はとにかく新しいアイデアに満ちていて、その試験の場に立ち会えてとても光栄です」

「なにか盗めそうなアイデアはあったか?」ルダは皮肉交じりに言う。

「いえ。ミトヒは発明家ではありませんし天才でもありません。そのため他人のアイデアを見てパッとなにか革新的発想を得るのは苦手です。どちらかと言えばミトヒは理詰めの人間なので、今回のことを科学的に検証し納得すれば、その時にようやく〝じゃあこういうこともできるのではないか?〟と新たな研究を見出すことができるのです」

「違いがわからねぇよ」

「それよりもミトヒは次の段階として、この〈グライダー〉が力学上本当に風を捉えられるのか――本当に有効な揚力を発生させられるか――という点に興味が湧きました。エルラミド滞在はもうしばらく延期し、ライニーカールさんの研究のゆくえを見守りたいと思います」

 滞在の延期。延期という言葉で、ルダは察した。「ジジジクは行くつもりなのか」

 ミトヒは頷く。

「思った以上に早い決断でした。彼は最後まで〈モーター〉開発……というかライニーカールさんの設計盗用を拒否し続けましたが、〈航空機〉について別の提案をしてくださいました。可燃性の液体を使用した〈エンジン〉の設計図、その製作に彼は取り組んでいるのです。しかしそれは非常に複雑で繊細な代物になりそうです。開発には高度な技術と年単位の時間が必要でしょう」

 翅を折りたたみ、ヤヤアの試用試験を終えたライニーカールは図面に修正の鉛筆をはしらせる。スレツは〈蒸気機関〉の冷却にとりかかった。その光景を眺めながら、ルダはなんとも言えないもどかしさを感じていた。

 どうかライニーカールとスレツには、このまま大人や世間といった奴らの都合とは全く関係のない場所に居続けてほしい。しかし情報はもう王都へ渡っているはずなのだ。

「帰るぞ」ルダのその言い草は、自分の思考を振り払うようだった。

「ミトヒはもう少し見ていたいです」

「好きにしろ」

「好きにします」

 ルダは踵を返してガレージを出た。その後を、なんだかんだ言ってミトヒが追いかけてくる。ルダはタバコに火を付けて、空を見上げた。《惑星ジー》のない空は広い。マイマイマイたちが午前の散歩浮遊をしている。

「早くジジジクを王都に連れてってやれよ。きっとあいつはウズウズしてる」

「思案はこの街でも可能です」

 ルダは煙の息を吐いた。ミトヒめ、悪気もなくジジジクを振り回しやがって。肺から供給される快楽成分の助けがあっても、ルダは苛立ちを感じていた。なにより事態をただ静観している自分に嫌気がさす。これじゃ〝あの時〟と同じだ。ミトヒはルダの様子を観察し、そして言った。

「過去を思い出しているのですか?」

 ミトヒの言葉にルダは特に驚く様子を見せず、またタバコを口に添える。ミトヒのセリフはおそらく当てずっぽうや万人向けの抽象的な問いかけではない。

 錬素局は自分の過去をも調べあげているのだ。だがジジジクやライニーカールとは違い、錬素局はルダに対して無関心を貫いている。

 ルダは平気なフリをしていたが、実のところこれこそがなにより一番悔しいことだった。苦しい思いをして様々な技巧術を獲得し、様々な困難を乗り越えて自らの工房を持つに至った経験は、自分の中で輝く結晶となって自分自身の価値を高めているハズだ。それなのに錬素局は、その結晶を作り上げるまでのプロセスを知りながらも自分を誘わない。それは〝そんな結晶には価値がない〟と宣言されてしまっているようにルダは感じていた。

 おれじゃあもうダメなんだろうな。

 悔しさを諦めで紛らわす術を身につけたのはいつからだろう。ルダは自虐的に笑ってみた。自分はもう旬を過ぎた人間だと思えば話は容易い。歳を言い訳にできなかった頃の自分なら、こういったときはあからさまに反抗心を燃やして自分以外のすべてを敵と見なし、傷だらけで何かと戦っていたハズなのに。

「あの頃のおれが今のおれを見てしまったら、その時そいつはおれになんて言うかな」

 ふとぼやいてみたら、思惑通りミトヒにも聞こえたようだ。

「今のあなたならなんと言いますか?」

「そんなもんだろうなって言ってやるよ」

「では、昔のあなたもそう言うのではないですか?」

「そうじゃないんだよ。男の成長ってのはな」

 咥えタバコの煙が空に立ち昇る。それを追って再び空を見上げたルダは、ふと一匹のマイマイマイが、なにか透明な瓶のようなものを鷲掴みにしていることに気づいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る