第23話 声
青い恒星の青い夕日が《惑星ジー》に差し込みはじめた頃、スレツとライニーカールは龍介に招かれ、大丹市から五十キロほど離れた彼の自宅まで馬車で向かっていた。
〈惑星エフ〉では今まさに航空発明ブームが巻き起こり、科学者、数学者、哲学者、建築家、技師、その他あらゆる発明家があらゆる方法で空を目指していることをライニーカールが伝えると、龍介はその様子をぜひ望遠鏡で覗いてみたいと興奮した。
しかしライニーカールは、自分たちが《惑星ジー》の海上で救出された際に出会った船員が秘める学生時代に学んだ専門性や《反射望遠鏡》の存在など、一部〈惑星エフ〉よりも優れた才能と発明品に触れ、今からでも〈惑星エフ〉と対等に発明合戦を行える潜在性を主張した。航空発明ブームは望遠鏡で覗くのではなく、自らの目で、そして《惑星ジー》のこの空で確認することを目標とし実現すべきだと説得したのだ。〈惑星エフ〉にはジジジクやルダや錬素局やユーリーなど手ごわい発明家が多いが、《惑星ジー》にもおそらく天才はあらゆる場所に紛れ込んで暮らしているだろう。そういった人たちが大人だの子供だの気にすることなく、やりたいことに没頭できるよう社会を作り変えていくことをライニーカールは提案した。
『簡単なことじゃなさそうだけどね』と未だに
やがて散々の議論の後になると馬車の中は沈黙の時間が長くなり、スレツは震動に揺られながらウトウトうたた寝をはじめた。
『そういえば』という龍介の声で、スレツは何事もなかったかのように目を開ける。『最後、あのジジジクという発明家は我々にメッセージを送ったよね。君たちも見ただろ? あそこにはいったいなんて書いてあったんだい?』
『あれは僕たちへのメッセージでしたよ』スレツは丁寧な言葉を意識した。『彼とは、とある座標で望遠鏡越しにまた会おうって約束をしてあるんです。でも彼はまだそれができていないから、彼も早くこの惑星に来たいっていうのに僕たちが生きているかどうかが心配で〈異陸〉に縛り付けられているって嘆いていました。悪いことをしています』
『ロマンチックでいいじゃないか。ロマンチックと言えば私の娘もちょっと前まで面白い経験をしていたなぁ。なんでも――』龍介が言いかけたところで馬車が止まる。『ま、詳しいことはウチで話そう。わが家へようこそ』
龍介の先導でスレツとライニーカールは敷地内へと案内され、夕暮れ時の高い空の下、三人は緑色の葉を揺らす庭を歩いて龍介の家――木造りの趣のあるロッヂ――へと向かった。
広い敷地の中に、三脚を広げ星を見上げている望遠鏡がぽつんと取り残されていた。『またアイツは片付けないで』と龍介は参ったように呟いて、望遠鏡のもとへ歩み寄る。
スレツは足を止めた。
どうしてだろう、心臓が強く鳴りはじめ、なんらかの衝動により、体が飛び上がりそうになる。初めて龍介と会ったときに抱いた不思議な感覚の正体はこれだったのか――。スレツは思い出した。あの時、龍介はエルラミドの収穫祭を娘に見せたかったのだ。
スレツの横に実在しているその龍介が、望遠鏡を抱え、大きな声で自身の帰りを告げた。ロッヂの扉が開き、温かい朱色の光の中から、迎えの女の子が現れる。
女の子は栗毛のくせっ毛で、目は大きく鼻は小さい。大きな口の、イタズラっけのある八重歯がみえる。
スレツの周りから、音が消えた。
どこか確信していながらも、その女の子の姿は不意打ちのようなできごとだった。
ライニーカールが察して、龍介を掴んで足を止める。スレツは一人歩みをすすめ、ロッヂの前で立ち止まった。スレツを見つけた女の子はハッと息を吸い込んで口に手を当て、そのまま沢山の涙を流しはじめた。遠くの空に沈みかけている〈惑星エフ〉の光が涙で反射して、それはまるで彼女の頬を伝う流れ星だ。
玄関口に向かう四段の階段の上に、すぐに到達可能な距離に、彼女はいる。口を開こうとしたスレツは、途端に会話の切り口を見失った。話したいことは沢山あったはずなのに、いざその時になると言葉はなにも出てこない。やっぱり現実は意地悪で予測不能で、いつもこちらの準備不足を狙ってくる。
しかし、だからこそ自分が今ここに立つことができている事実にスレツは気付くことができた。万全の準備や完璧なタイミングを待っていても、どうだろう。〝今日はダメ、また明日〟と繰り返していく中で、果たして本当にこの場所に辿り着けただろうか。
いつの間にか俯いていたスレツは、不思議とまた顔を上げることができた。目の前の女の子も含め、周りすべての景色が今までの何倍も煌びやかに輝いて見える。それは堪えきれずに涙が溢れだしたからだった。
スレツは一歩一歩階段を昇る。
『はじめまして。僕はスレツ』
もう届かない距離ではなかった。
スレツの声も。
そして、《ジェヌ》の声も――。
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