第14話 嵐の空

 ガタガタと坂道を下るのは、〈グライダー〉を乗せた射出機だ。重い胴体をゆっくりと加速させながら、練素局に出会わないよう迂回した道の坂を滑走していた。後ろからジジジクの自動車が追いかけてくる。

「やっぱり馬はおれの自動車に驚いているようだった! それでかなり時間を稼げたから、このままいけば無事に射出地点まで向かえそうだ!」ジジジクの自動車は射出機を追い越して前に出る。

 目指しているのは模型〈グライダー〉を試験したあの丘だ。あそこなら遠くまで見晴らしがよく、〈グライダー〉も風を掴みやすい。ただそのためには、エルラミド街のど真ん中を突っ切る必要があった。射出機の大きさと現在のスピードから、街を越えるには大通りを抜けるしかない。

 射出機の操舵席に乗り込んだスレツとライニーカールは力を合わせて懸命に射出機の滑走を制御していた――とはいえ射出機はもともとここまでスピードを出すように設計していないので、継続的あるいは局所的に生じる激しい振動が機体に深刻な影響を与えうる非常に危うい状況といえた。

「ライニーカール、少しスピードを緩めよう! これじゃ機体がもたない!」スレツが警告する。

 ライニーカールは射出機の車輪の向きを操るハンドルを握りながら「機体が限界だなんてそんなわかりきってることを言わないで! 十分承知しているわよ! でもだからってどうやって緩めるのよ! 設計の段階で射出機のブレーキの重要性について少しでも言及してくれてればよかったのに!」とスレツに八つ当たりをする。

 それでも幸い坂が緩やかになってスピードが落ち着きはじめたが、伴って後方に重装騎馬隊の姿が確認できた。ジジジクが射出機の横に並んで叫んだ。

「だめだ、スピードを緩めると追いつかれる! これを機体に固定して!」

 ジジジクは縄を投げ渡しスレツがそれを射出機のフレームに固定すると、前方を走る自動車は限界まで出力を上げて重い射出機を牽引しはじめた。

 緩やかな坂を抜けてから、二台はエルラミド街へ突入する。

「どいてどいてー!」

 できるだけ速度を落としたくないジジジクは、精一杯、街に向けて叫んだ。しかし大通りにはあまりに人が多く、所々で荷馬車も障害になりそうだ。自分の声だけでは間に合わない、スピードを落とさないと――しかし後ろからは追跡が。

 ジジジクが難しい二択に直面した時、射出機から「ピーッ!」と大きな笛の音が響いた。スレツがボイラーの弁を操作しそれを大きな音で鳴らしたのだ。聞きなれない異常音にジジジクの自動車率いる謎の発明品が高速で接近していることに気づいた街の人々は、大慌てで道をあけた。

「またお前たちか、このお騒がせ共め! いい加減にしろ!」

「ジジジク、ライニーカール! 今度はどんな酷い発明をしたんだ!」

「新しい発明品、楽しみにしてるぞ!」

 時に罵倒、時に歓声があがる賑やかなギャラリーの中を二台の機械が通り過ぎていく。一歩遅れて重装騎馬隊も大通りに到着したが、人々はすでに通り過ぎた変人発明家たちの行方に夢中で道を塞いでいた。

 エルラミド街を通り抜け追手がついてこないことを確認したジジジクは、移動速度を可能な限り機体に影響のない速度――かといって容易に追手に追いつかれない程度の速度――に落とし、スレツは、放出してしまったボイラーの圧力の調整にはいった。またライニーカールは〈グライダー〉の操舵席に移動し、射出前の最終チェックをしようと風に流れる髪の束をかき上げる。射出機から一段高いその場所は眺めがよく、流れる景色を爽快に見渡すことができた。準備を終えたスレツも〈グライダー〉によじのぼり、ライニーカールの後ろに座った。

 スレツはほっとしつつも、未だに悩んでいた。「追手もしばらくこないし、あとはもう、いつもの丘に向かうだけだね。あぁ、僕はこれから《ジェヌ》にとんでもなく悲しい思いをさせちゃうんだ」

「いつまでウジウジしてんのよ。会いに行くんでしょ」

「そうだけど! だけどいつものように《ジェヌ》が望遠鏡を覗いても、僕はもういつもの場所にはいないんだよ! その時の彼女の気持ちを考えてみなよ! あー……、もしこれが逆の立場だったら絶対に起こって欲しくないことだ……」スレツは嵐直前の空を見上げてみる。「そうだ、もう嵐が来る! ねぇライニーカール、もう嵐の時間だからきっと追手はもうこれ以上追ってこないよ! だからあと少しだけ待ってもらえないかな。やっぱりどうしても、なんとか最後に《ジェヌ》の顔を見たいんだ。それにできるなら〝これから会いに行くよ〟とも伝えたい!」

 ライニーカールはスレツに肩を揺すられる中、雲に覆われた空を見上げた。雷が近くの雲の中で光り、少しして音と振動が届く。遠くから湿った大地が迫ってくる。振り返ると、確かに追手の姿は見えない。観測地点はもうすぐだった。嵐をやり過ごせば、少しくらいの時間なら。

「わかったわ、スレツ――」ライニーカールが言いかけた、その時だった。

「二人とも! 気を付けて!」ジジジクが前方で叫ぶ。

 何事かと思った瞬間、射出機の車輪が大きな石に引っかかってバウンドした。機体は大きく傾いて、スレツもライニーカールも〈グライダー〉から投げ出されそうになる。

 唐突に加速されたスレツの意識は、一つの最悪な結末を予感させた。

 ――機体が横転する。

 視界はそこまでの物理現象すべてをスローモーションに映しており――もはや《ジェヌ》と顔を合わせるどころじゃない。すべてが終わってしまう。瞼が視界を遮った。その暗闇の中。

「スレツ、掴まって」

 スレツの意識に光と音と風が戻った時、ライニーカールはハンドルを握った。そのフレームの中央には〝ヤヤア〟という謎の文字列が刻まれている。ライニーカールは〝ヤヤア〟の右手レバーを思いきり握りしめ、左グリップを手前に捻った。するとその命令は油圧チューブを通じて瞬時に射出機へと伝えられ、〈蒸気機関〉が上下動力を生み出し、ピストンの運動はそれを回転エネルギーに変換し、そして精密なギアのギミックを経て何倍にも膨れ上がった回転動力が〈モーター〉を勢いよく回す。それにより生成された電気エネルギーが翅の根元に取り付けられた線維性蛋白質に作用して、激しく痙攣のような振動を開始した。また生成された電気エネルギーは一部別経路を経て〈ユーリー効果〉を発動する〈ユーリー機関〉へも流れ込み、〈グライダー〉後翅の付け根が青色に光って、可視化された電流が四方八方にまきちらされた。

 スレツは、転倒寸前の横向きになった状態から唐突に重力が失われ上下のルールが消失した不思議な感覚を味わった。ブンと翅がより強力に振動する。

「切り離して!!」

 ライニーカールの咄嗟の合図だったが、スレツは無我夢中ですぐ後ろのレバーを引っ張った。

 ふっと、風になったようだった。

 しかしすぐに〈グライダー〉には遠心力やそれ以外の方向から得体のしれない力が加わり、無重力も相まって、スレツは方向感覚を失う。〈グライダー〉はどっち方向に上昇しているんだ? どこか近くでは射出機がばらばらと転がる音がひどく物理的に響き、もしかしたら自分たちも射出機の崩壊に巻き込まれてしまったのではないかと不安になってみる。だが――しばらくして上下感覚は安定した。

 ゴロゴロと雷が光る。

 スレツは忙しくなりそうな呼吸をなんとかゆっくりと繰り返して、座席から見える雲の天井と、体を乗り出して確認した大地に心を震わせた。〈グライダー〉は射出機が走行していた道に対してほぼ並行に滑空しており、向かい風に煽られたかと思えば翅はその風を掴んでふわりと一段上昇させた。高度は今のところ十メートルと少しくらいだ。機体は上昇気流を有効利用するために大きく円を描き、旋回しながらさらに上昇を続ける。横転した射出機とジジジクの自動車がちょうど真下にきた。

 ジジジクは自動車の上で大きく手を振って、「スレツー! ライニーカールー!」と、高揚した表情で〈グライダー〉を見上げている。

 パラパラと雨が降りはじめた中、スレツとライニーカールは顔を見合わせた。そして改めて現状を認識し受け入れた後、「ライニーカール!」「スレツ!」と互いの名を呼び合い、二人は同時にその喜びを口にした。

「「飛んでる!!」」

 翅の振動は試験時よりかなり抑えられていた。空は独特の薄暗さを演出しているが、幸いにもまだ冷たい空気の吹き下ろしはなく、気流は未だ〈グライダー〉を追い越してさらに上昇していくため、うまく風に乗ることができたと評価していいだろう。あとは翅と連動した〈ユーリー機関〉が演出する無重力現象を節約しながら要所でうまく活用し螺旋状に高度を上げていけば、嵐の前に雲を越えることができる。スレツとライニーカールは抱き合って成功を喜び、同時にスレツは複雑な心境を複雑な表情で口にした。

「あーどうしよう。《ジェヌ》が悲しむぞぉ……」

「それよりジジジクにお別れ言いいなさいよ」

「そっか、そうだね」

 スレツは頷いて〈グライダー〉から身を乗り出し、大きく手を振った。「ジジジク! ありがとう! 本当にありがとう! またすぐに戻ってくるよ!」

 だが、ハンドルを握るライニーカールが水を差す。「《惑星ジー》に行ったら当分は帰って来れないわよ。射出機を一から作らないといけないからね」

「ウソ!? でも言われてみれば……帰る手段ってなにも考えてなかったね……」

 下からジジジクの声が聞こえた。「おれも追いかける! スレツ、ライニーカール! 待ってろよ! やることやったら、絶対におれもそっちに行くからな!」

「もちろん待ってるよ! ジジジクなら絶対に大丈夫だ! 絶対また会おう!」

 スレツはありったけの感謝を込めて、地上に向かってそう叫んだ。そして今日使うはずだった《ジェヌ》の懐中時計をポケットから取り出す。スレツはそれを見つめて強く握りしめ、覚悟を決めてジジジクに投げ渡した。ジジジクがうまくキャッチする。

「《ジェヌ》を頼んだよジジジク! 僕の代わりに交信してやってくれ! 僕も向こうに行ったらすぐに《ジェヌ》を探すから、そしたら僕と《ジェヌ》とジジジクの三人で交信しよう!」

「確かに受け取った! 約束したぞスレツ! きっ……、また、望遠きょ…………!」

 最後にジジジクは何かを言ったが、迫る雷鳴の振動にかき消され、それ以降ジジジクの声は届かなくなった。

「私は仲間はずれ?」ライニーカールが呟く。

「うわ! ごめん!」

「まぁいいけど。街の方からなにか来たわね」

 見れば、エルラミド街からようやく重装騎馬隊がジジジクに追いついたところだった。彼らは唖然と自分たちが乗った〈グライダー〉を見上げながら馬を止めている。その中にバックスとミトヒとルダの姿もあった。

「ルダとジジジク、僕たちのせいでなにかされちゃわないかな」

「錬素局は合理的な集団よ。〈ユーリー機関〉の設計図は置いてきたから、彼らは勝手に押収するはず。そしたら彼らは、二人には下手なことをしないと……願いたいわね」

 それはライニーカールの希望的観測だったが、スレツはそれだけでも少し安心した。

 その間にも見渡せる光景はどんどんと広がりをみせ、もうすでに地上からの距離を目測することは難しくなっていた。空をふさぐ雲に近づくにつれて、エルラミド街はおろか、〈惑星エフ〉を形作っている弧を描く大地と、穹状ドーム型の広い低層大気帯を見渡すことができる。遠くでは来たる嵐の風が一足早く吹き荒れているようだった。

「気づいたわねスレツ。いつまでも感動に浸っていられないわよ。まだ成功なんて言える段階じゃないんだからね」

 ライニーカールの声がスレツを現実に引き戻した。「現時点でも深刻な状況に転じそうな要因がいくつかあるわ。下手をすると《惑星ジー》に行けないどころか、空中でバラバラに分解されて墜落する可能性もありそう」

 スレツはライニーカールの言葉を受けて気を引き締めようとしたが、それでも幻想的な光景は今も変わりなく目の前一面に広がっている。やはり最高の気分だった。

「まずは嵐だね」

 スレツはできるだけ深刻そうに言ってみたが、ライニーカールにはバレていた。

「なにニヤついてるのよ。本当に深刻なんだからね。雷が直撃したら一発で大破だし、もうすぐそこまで迫っている吹き下ろしの風や渦を巻く暴風に翅が耐えられないかもしれないし、そもそも低重力現象を完全にアテにして作った代物だから今の不十分な重力状態で果たしてどこまで昇れるかわからないし。加えて〈ユーリー効果〉を使った射出角度も理想的じゃなかったし、機関を再起動させようにも電力は無駄にできないし……あー、なんだか自分で言ってて怖くなってきたわ。とにかく本当に深刻な状況なの!」

「とりあえず翅の動きを止めない? これだけの上昇気流に乗ってればしばらくは大丈夫だと思うんだけど」

 スレツは〈グライダー〉のしっぽの途中から飛び出した回転装置を確認した。〈グライダー〉の動力は、簡単に言うと〝ねじ巻き式〟だ。翅が振動するごとに〈グライダー〉内のギアが回転し、〈蒸気機関〉によって強力に備蓄されたねじの回転エネルギーが〈モーター〉を経て開放されていく。

「消費を抑えたい気持ちは山々だけど」ライニーカールは油断のない口調で言う。「わずかに風が巻きはじめていて、ここからはバランス制御が必要だから……今はそれは無理そうね」

 しかし、現実的な分析をするライニーカールの表情もスレツと同じくらいどこか楽しそうで、目を輝かせていた。少しでも操作を誤れば死ぬかもしれない境地にありながら、ライニーカールは今この瞬間を満喫している。

〈グライダー〉の機体がガクンと揺れた。いよいよ嵐の不安定な大気に掴まったようだ。おもむろに雨粒が巨大化し、それだけでもボタボタと〈グライダー〉の上昇を妨げる。黒い嵐の雲はもう手が届きそうなほどの場所にあり、雷がすぐ真横で光るごとにその振動はバランス制御に大きな影響を与えた。

 それでも〈グライダー〉は何とか上昇を続けており、翅も今のところは雨粒をはじきながら問題なく機能している。スレツとライニーカールはこのまま何事もなく雲を抜けたいと祈ったが、上空一面が閃光した瞬間、紙一重の距離を雷の矢が通り過ぎ、同時に〈グライダー〉は強烈な乱気流に巻き込まれた。尾ひれが大きく揺れて機体の平行を保てない。〈グライダー〉は制御不能に陥った。

 機体が上昇から落下に転じる。恐れていた事態だった。

 ライニーカールは必死にハンドルを操作していたが、後方に座るスレツは投げ出されないよう掴まっているだけで精一杯だ。

「やっぱり、無理だったのかも……ッ!」

 食いしばるようなライニーカールの呟きが聞こえた。そんなことないとスレツは言ってやりたかったが、彼女と同じことを感じたからか言葉が出てこない。

 本当にもう〝無理〟なのだろうか。

 他に残された手段は? ライニーカールの腕を信じて祈る? あるいはこのまま機体が安定しなかったとして、その時は二人で抱き合って墜落の瞬間を迎えればいいのだろうか。死ぬときは一人じゃないよ、なんて気の利いた声をかけることができれば、同じデッドエンドでも少しは報われそうな気もする。

「〈ユーリー機関〉は!?」

「今は使えないわ! 機体が安定しないと何が起こるかわからない!」

 絶体絶命なのかもしれない。しかし、ライニーカールはまだハンドルを握りしめていた。「機体さえ安定すれば!」

「なんとかなる!?」

 頷いたライニーカールを見たとき、スレツは一つの打開策を思いついた。機体の回転は機体の重心である操舵席が中心になっているが、いっそ〈グライダー〉の頭を下に向ければいいのだ。落下速度はさらに増すこととなるが、機体が安定すれば次の手段も考えられる。

「ライニーカール! 空気抵抗を利用すれば態勢の立て直しもやりやすくなると思うんだ! 機体が安定したらあとは滑空しながら落下角度を緩やかに移行させていくだけだから、最悪でも墜落は避けられると思う。それでもしまた運よく上昇気流を掴めたら一から昇り直しができるし、うん、もうこれしか方法はないよ」

 ライニーカールはスレツの案に一瞬だけ表情を歪めたが、自分でもこの方法しかないと結論付けたようだった。暴れる〈グライダー〉を下に向ける操作に入る――しかし、そもそもが操縦不能状態なのだ。舵は重く言う事を聞かない。スレツは後部座席から手を伸ばし、ライニーカールと一緒に舵を切った。

「スレツ! なにしてるの!! ちゃんと掴まってて!」

 ライニーカールの心配はよくわかるものだった。今、2人の身体には強い遠心力や風圧が働いている。少し油断すれば、そのまま〈グライダー〉から引き剥がされてしまうだろう。

 後部座席から舵を掴む姿勢は非常に不安定だ。しかし、スレツはなにがなんでも〈グライダー〉を安定させたかった。だって、これは、ライニーカールの――。

「バカな真似は――」

 ライニーカールは言いかけるが、もう遅かった。

「《ジェヌ》に会えたら謝っといて」

 舵が少しだけ動いた感触があった。しかしそれがいけなかった。反動でスレツはバランスを崩し、体が〈グライダー〉から引き剥がされる。

「スレツ!!」ライに―カールは手を伸ばすが間に合わない。

 スレツは力強く叫んだ。

「機体を安定させて!」

 そしてその体は〈グライダー〉から離れ、重力につかまった。

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