第4話 涙と幸せ

「やりたいことをすればいいさ」

 〈気球〉を見上げながら、ジジジクはスレツに言った。ジジジクの横顔は遠くの松明が輝く朱色に照らされていて、くりんとした大きく純粋な瞳を光らせているが、一方で常に何かを考えているかのような目つきをしているのも特徴だ。今この瞬間も、ジジジクはきっと目の奥にある自分自身の突飛な閃きを求めている。

 ゴウと炎の音が響いたことでスレツの意識も〈気球〉に移った。噂を聞きつけて集まった物好きたちが「おお」と声を漏らす。〈気球〉とやらに乗っているのは、髪の毛を編み込んだ金髪のライニーカール。厚い布で作られた巨大なバルーンがぐわんと波打って空に向かって膨らみを増す。ライニーカールはそのバルーンにロープで吊られている農作業用のカゴに入り、その中央で炎をあげる機械の調整をしている。ジジジクは素早く四輪車から降りて走り、スレツもあとを追った。二人はライニーカールに声が届く所まで移動した。

「やぁライニーカール! 重力が最大になるまであと数分だ! 間に合いそうかい!!」

 ジジジクは時計を気にしながら炎の音に負けないように言う。ライニーカールはカゴから顔を出した。そして「あらジジジク」と、まるでスレツなど視界に入っていないかのように作業を続けながら言った。「アタシの実験が失敗する瞬間を見物に?」

 ライニーカールは、自らが〈発明祭〉で敗れた発明家を前にして皮肉を言い放った。だがジジジクは両手を広げて愛想よくそれを否定する。

「そうじゃないさ! 〈惑星エフ〉の人間が《惑星ジー》よりも先に空を飛ぶんだろ! この歴史的瞬間を見過ごすわけにはいかないよ! って、そんなことより、時間が迫ってるよ!」

「準備は順調よ! ま、見てなさい!」

 ライニーカールは首を引っ込め、カゴの中央の灯火の強さをさらに大きくした。その様子をジジジクが「火に燃料と空気を追加したんだね」とスレツへ向け解説する。「あとであの装置も見せてほしいなぁ」

 〈気球〉のバルーンがパンパンに張り、乗り物全体の意識が空に向く。

「〈モーター〉の開発から二ヶ月も経ってないのに、もうこんなアイデアを実現させるなんて。なぁスレツ、ライニーカールってすごいよな」

 ジジジクは心底感動している面持ちだったが、スレツは言った。

「君の方がすごいよ」

「え? なに?」

 ジジジクがスレツの言葉をうまく聞き取れなかったのは、灯火がさらに大きくゴウと唸ったからだ。重力の影響が最大となり、〈気球〉を固定していた固定縄アンカーが切り離された。カゴがわずかに地面から持ちあがる。

「浮いた!」

 ジジジクが、人ひとり潜り込めるかどうかの隙間を指さして言った。観衆が歓声をあげ、スレツも驚きを隠せない。

「もっともっと、もっと高く飛ぶハズだ! がんばれ!!」

 ジジジクの応援に炎の燃え盛る音はライニーカールの意志からくる叫び声のようだった。

 しかしスレツは、なぜ自分は驚いたのだろうと自問してみたとき、自分は心のどこかでライニーカールの実験が失敗するよう期待していたのだと気づいた。空を目指す〈気球〉とは対照的に、心は地中深くにまで沈み込む。自分はなんて性根の腐った人間だ。罪悪感がズキズキと自分を責めた。

(お前は努力なんて無駄であると、ライニーカールの失敗をもって確認したかったんだろう? 自分の〝諦める〟という選択は正しかったと思いたいがために、ライニーカールを犠牲にしようとしていたんだ)

 小悪魔の姿をした自問の囁きを否定することができなかったから、スレツはただ、両拳を強く握った。だがその時スレツは、自分のその怨念が影となって〈気球〉に手を伸ばし、空に浮かばないようカゴを押さえつけたように感じた。やめろ、ライニーカールの邪魔をするなと振り払うが、影は意地悪だった。

 〈気球〉はわずか三十センチ浮いた所で上昇をやめた。どんなに炎が叫んでも〈気球〉は不安定に上下運動を繰り返すだけで、それ以上、空に近づこうとはしなかった。

 飛行実験はスレツたちが到着してから二十分程で終了となった。〈気球〉は力尽き、ドスンと地面に着地する。形としては成功と言える結果だった。わずかな高さであれ、離陸という目的を成し遂げたのだから。けれどジジジクは、スレツの隣でなにやらぶつぶつと呟いていた。

「重力が強くなると大気の一部は地面の方に下ってきて、水が満ちた水槽のように密度が増すはずだ。そして本来空気が占めるハズの上層部に空気のないスペースができる。水の中に軽い物を沈めると勢いよくなにもないスペースに向かって上昇するように、〈気球〉も一気に上昇するはずだった。それなのに〈気球〉はどんなに空気を熱しても、ある一定の高さ以上の浮遊を実現することはできなかった……。重力が邪魔になったこと、バルーンの大きさが足りなかったこと、火の出力が足りなかったこと……。検証すべきはこの三点で間違いないけど、本当にこれだけなんだろうか……。なにか空気の性質を理解する面で大きな落とし穴にはまってしまっている気がする……」

 カゴの中央の火が消された。バルーンが徐々に凹んで、横向きにゆっくりとバランスを崩し始めた。

「ライニーカール、成功おめでとう。でももっといけそうだったね。次は重力が弱い時にやってほしいな」

 ライニーカールはキッとジジジクを睨みつけた。あからさまに結果に満足いっていない表情だ。

「あらジジジク。あなた、最初から気付いていたんじゃないの?」

 ライニーカールはある種の笑顔だったが、無理やりといったふうだった。ジジジクは手を広げて首を振る。

「まさかそんな!」

 ライニーカールは笑った。

「常識的に考えてそうだものね。高重力状態で空を飛ぼうなんて実験、バカげてるわ。マイマイマイに手紙をくくりつけた実験もそう。ジジジク、あなたから見て、私はさぞかし滑稽でしょうね」

 ライニーカールの目尻は赤かった。バルーンがバサリと地面に横たわり、観衆はそれぞれ隣り合った人と自分なりの考察を討論していたが、しだいに一人、また一人と立ち去りはじめた。色々な言葉を探しながら、ジジジクが言った。

「やってみなきゃ気付けないこともある。そうだろう? おれたちは時に周りに笑われながら、それでも愚直に繰り返すしかないんだ!」

「優しい言葉なんていらないわ! 私はまた次の実験の準備で忙しくなるからジジジクも次の実験の予定があるなら見に行くことはできないけど良い結果が出るといいわね応援しているわ。それじゃ、もうあっちへ行ってちょうだい!」

 そしてライニーカールはカゴの中に体を隠してしまった。ジジジクは踵を返し、力なく機械の椅子に座った。

「スレツ。君はどうする? おれの隣に座るか、それともあのカゴの中を覗いてみるか……。きっと今、彼女に声をかけられるのはスレツだけだ」

「僕が? 冗談だろ?」

 スレツはジジジクの隣に座った。エンジンが上下し、〈蒸気機関〉が唸りをあげる。ジジジクは無言で四輪車の杖を握った。ギシギシとフレームが軋み、車輪が動き始める。

 夜は深くなっていた。四輪車が走る小高い丘の道からは街の灯りを一望することができ、夜空は町の元気な灯りに霞んで無数の小さな儚い星を見えなくしていた。しばらく無言だったジジジクが、唐突に言った。

「いいのかい?」

 ジジジクの言葉が引き金となって、スレツはライニーカールの今の気持ちを精巧に想像することができた。本当は叫び声をあげたいだろうに、肩に爪を食い込ませて膝を抱えて、カゴの中で小さくなっている彼女は、きっと泣いているんだ。

『私はまた次の実験の準備で忙しくなるから――』

 ライニーカールはそう言っていた。彼女はこのまま孤独の上塗りを続けていくのだろうか。独りで黙々と研究を続け、独りで実験に挑戦し、失敗したら独りで泣いて、そして独りで成功の夢をみる。やがてその夢を、人知れず諦める日がくるまで?

「……わかんないけどさ」

 スレツは走行中の四輪車から飛び降りた。ランニング程度の速度が出ていたから着地が少しうまくいかなかったが、転ぶことはなかった。

「ありがとうジジジク。ちょっと行ってくる」

 スレツは砂利道を走った。走りながら、スレツはこの星のことについて少しだけ考えた。

 〈惑星エフ〉の成長は早い。日々、新しい発明品が生まれて、日々、新しい歴史が記録されて、日常がめくるめく勢いで新しいものへと変貌していく。人々が創りあげる文明の進展は早く、少し休んだらあっという間に歴史の中に取り残されてしまう。ここは寝る間もない、忙しい世界なんだ――。

 だけどスレツは、なんだか今この瞬間だけは〈惑星エフ〉がとてもゆっくり動いているように感じていた。せわしない出来事に振り回されて疲れきった日の夜に似ている。高重力現象の影響で体重が増加して、少しだけ肩がこりやすい体。頭を垂らし風に揺れにくくなった草の葉の群れ。質量のある空気。静止とも思える速度でわずかに夜空を移動する、きらきらと瞬く光点たち。こんな日にはきっと、時計の秒針もスローモーションだ。

(ライニーカールだって、今日くらい)

 彼女は、横たわった厚いバルーンの重い布を畳む作業をしていた。淡々と布を引き寄せて、正方形型に丁寧に折りたたんでいる。スレツの足音には気づかず、ときどき星空を見上げながら手を動かしていた。

 スレツは無言で、バルーンの布の端を持って、ライニーカールに手渡した。不意をつかれたライニーカールは、素の驚きの表情から不機嫌な表情を導き出す。

「なによ」

 荒々しく布の端を掴み、ライニーカールの畳み方が荒くなる。「〝お疲れ様。今日は残念だったね〟」ライニーカールは意地の悪い口調で続けた。「〝僕も諦めたんだから、そろそろ君も諦めたらどうだい?〟――それともこうかしら。〝やあライニーカール。次はどんな実験をするつもりなんだい? また君の失敗を見るのが楽しみで仕方ないよ〟」

「ライニーカール!」

 スレツは久々にお腹から声を出した。こうでもしないと話を聞いてもらえそうになかったからだ。ライニーカールはスレツに怒られたと思ったらしく、大人に怒られた時と同様、ふてくされて下を向いた。

「君はまだ、実験を続けるの?」

 厚みのある温かい風が流れた。ライニーカールはまだ下を向いている。足元に小さな石を見つけ、都合のいい相棒としたようだ。つま先でコロコロと弄っている。

「そうね……。そろそろいいかげん、普通の可愛らしい女学生に成り下がろうかしら」

 ライニーカールは頭をあげて、後ろで手を組んで、可愛らしく微笑んだ。

「私ももう諦めて、あなたと同じ凡人になって、小さな世界から小さな幸せを見つけてね、この広い宇宙の片隅のプライベートなマイクロスペースの中で、自分だけの安息を感じるの。私が大人しくしていれば、ボーイフレンドなんてすぐに出来そうじゃない? 発明から引退しても、素敵な彼に愛されてね、普通の幸せな生活を送って……それでね、人生を〝ハッピーエンド〟にするの」

 風に髪をさらわれるライニーカールの笑顔は、女学生たちが見せる、優しく思いやりがあって、相手を信じ、幸せを夢見ている、そんな普通の笑顔だった。その顔をみて、スレツは何度かにわけて細かく頷いた。

「そっか……」

 スレツの中に、なにか零れ落ちた感情があった。

 バルーンの布が手から滑り落ち、すると一転、握った拳に力が入る。今のライニーカールが言い放った将来の彼女の姿を想像すると、なぜだかとても悔しくて、とても悲しい。

「ライニーカール」

 〝諦めて、ハッピーエンド〟。

 こんなものが一体、どれほどの幸せだというのだろう。だけど果たして自分などが彼女に向かって〝諦めないで〟なんて言えるだろうか。ここで諦めないということは、ライニーカールはまたこれからも苦悩や苦痛を背負っていくことになる。でも、かと言って諦めてしまえば――ライニーカールのことだ――それはそれでどこか煮え切らない物足りない毎日に葛藤を覚えるはずだ。どちらにしても、ハッピーエンドはそれを乗り越えた先にある。

「人はどうすれば、幸せになれると思う?」

「妥協」ライニーカールは即答した。「挑戦なんてしないで、現状を受け入れて、それが一番なんだって精一杯思い込んで、そして満足すること。それが幸せの方程式よ」

 衝動的に、スレツはライニーカールを抱きしめた。スレツはその行為に自分で驚き、ライニーカールに突き飛ばされるかとも思ったが、ライニーカールの全身にそういった強張りはなく、むしろどこか望んでいた風さえあり、彼女もスレツの背中に手を回した。そして、

「それが幸せの方程式なの」と、らしくない声色で繰り返し、スレツの胸に顔をうずめた。腕の中に入ったライニーカールの体は細くて柔らかい。大きな世界にありふれる、小さな女子学生の肩に他ならなかった。髪の毛から女の子の匂いが漂う。

 スレツがギュッとさらに力を込めると、途端に、なにか言い様のない憂いが込み上げてきた。原因はわからないが、それでもしきりに感情が相反している。(このままでいいじゃないか)と心の一面が訴えかけるが(それじゃだめだろう)との声も聞こえてくる。もしこれが本音と理性の衝突であるとしたら自分はまた自己嫌悪に陥るだろう。だが幸いにもそういった類の感情とは違っていた。それに気付かせてくれたのは、ふと見上げた時に広がっていた夜空の星々だ。

「もう研究はやめるの?」

「やめるかもしれないわ」

「本当に?」

「その代わり、幸せになれるならね」

 スレツは、ライニーカールがその道を選択するのであれば、それはそれでいいのかもしれないと思った。この世界に不幸は沢山あるけれども、幸せも沢山ある。すべては視点の問題なのだ。

「星がきれいだよ」

 スレツはライニーカールの両肩を握って、少しだけ体を離してみた。この言葉をライニーカールガどう捉えるかで、スレツはライニーカールの根源的な想いを見出だせると思った。もし彼女が自分と一緒に空を見上げたのなら、彼女は本当に諦めることを選ぶだろう。

 ライニーカールは、上を向こうとはしなかった。むしろ意識して、空を望むまいと顔を胸に埋める。スレツは言い換えた。

「研究は、やめないでほしい」

「……私には無理よ。もう私は、どこにでもいるか弱い女の子になってやるの」

 ここにきてライニーカールはスレツに対する反抗心を原動力にして、研究をやめてやると決心したようだった。彼女は時としてあまのじゃくになることがある。

「それで幸せに……」

「なれるわよ!」

「じゃあどうして君は未だに強がっているの?」

 ライニーカールは息を吸って止まった。言葉を失って、その迷いが頭を持ち上げさせた時、ライニーカールの目にも星空が入り込む。射抜かれたような表情のライニーカールは、なにか重要なことに気付いたように――気付いてしまったように――静止した表情のまま、スレツに向け、かぶりを振った。

「……違う」

 囁きは、か細かった。しかしそのか細さこそが、強がり故の、無意識的な虚構なのだ。スレツも頭を振る。

「違わないと思うけど」

「違うわよ。私は、全然……、強がってなんかいない……」

 そうは言うものの、ライニーカールの言葉は宙に漂っているように、ひどくふわふわと迷いに満ちていた。

「捨てても捨てきれない意地が、君の持ち味なんだから」

 ライニーカールは、このスレツの言葉にカチンときたようだった。若干ムキになって、スレツの両手を振りほどく。

「違うって言ってるでしょ? なによ、知った風な口聞いて」

 そして、周囲のまだ片付いていない気球の残骸を見渡して、呆れたようにため息をついた。両手を大きく広げて、イラ立ちをスレツにぶつける。

「状況を見てご覧なさい! そしてしっかり考察して! 今私が抱えているのは、とても強い挫折感よ! 自尊心はボロボロ! 体は汗だく! もうこれ以上何もできやしないわ! だから私は、もう私は普通の人間ですって認めたの! 身の丈にあった普通の幸せに妥協するのよ――これのどこが強がってるっていうの!? こんな私の一体どこに〝捨てきれない意地〟があるっていうのよ! 私の今のこの気持ちなんて、至極一般的な思考回路でしょう!? 夢を諦めた誰もが同じように歩む道じゃない! ねぇスレツ!」

 これにはスレツも言い返した。

「じゃあ君はそれで満足できるっていうのかよ!」

「満足なんてできるわけないじゃない! 本当はイヤよ! 研究は続けたいわ! 諦めたくなんてない! 死んだように生きて〝ハッピーエンド〟なんてクソ喰らえよ! でも、だけど到底うまくなんてできないもの! 嫌なのよ! こんな自分への失望感が一生続くなんて! とてもじゃないけど耐えられないわ! だから逃げるの! 悪い!? それが〝諦める〟ってことでしょ!!」

 ライニーカールの涙が散ったのを合図に、辺りは静寂と化した。というよりも、二人はほぼ同時に辺りの静寂に気づいた。風の声と虫の声と星の声さえもハッキリと聞こえてくる。すると世界は一瞬で賑やかで綺羅びやかなものであるとスレツは認識を改めたが、だけども木々と重力は鬱蒼としていて、やはり世界は静寂に包まれている。そこには不思議な調和が存在しているようだった。ライニーカールが抱える選択の葛藤と同様、これは視点の問題なのかもしれない。

 ライニーカールは涙を拭いながら、懸命に堪えながら「それが諦めるってことでしょ」と繰り返し、再びスレツに抱きついた。スレツは受け止めつつ、バカだな、と、口には出さないでライニーカールの金髪をぽんぽんと叩いてやる。

「ライニーカール。そんなもの、僕はどうせどっちも同じだと思うよ」

「なにが同じっていうのよ……」

「……諦めようと諦めまいと、人はなんだかんだで、幸せになるんじゃないかな」スレツは続ける。「結局さ、僕たちなんてものはどこにいても〝そこ〟から幸せを見出そうと必死になるんだよ。苦悩して、後悔を引きずって、なにかを探して。そうやって、いつもいつも彷徨って。……でも、所詮そんなものじゃないのかな。研究をやめてもやめなくても。君はきっと、同じように苦しんで、同じように笑う人生を歩むと思うよ。どっちを選んでも、人生はどうせきっと〝ハッピーエンド〟なんだ。それなら、諦めて苦労するよりも、諦めないで苦労したほうがさ。なんか、いいと思わない?」

 ライニーカールは黙ってスレツの言葉を受けて、負け惜しみのように呟いた。

「あなたみたいな人の事をね。脳天気っていうのよ」

 スレツを見上げたライニーカールの目に、また新しい光が宿ったかのように見えた。ライニーカールは自力でスレツから離れ、地面に横たわるバルーンの上に倒れこんで大の字になる。

「宇宙には沢山の星があるけれど、私達みたいに空を目指す文明がこの星のなかにどれくらいあるのかしら」

「そういうことは君の方が詳しいでしょ」

「……それでも素人なりの希望的観測を言ってみてよ。ハナから〝ゼロかもしれないし無限かもしれない〟なんて、自分で言っても虚しいだけだわ」

「もし研究を続けるとしたら、次はなにをするつもり?」

 この言葉にライニーカールがムッとしたのがわかったから、スレツは取り繕った。

「仮だよ、仮に。発明家ってのは得てして、一つの実験中にはもう次のやりたいことが見えてきたりするんでしょ?」

 ライニーカールは少しだけ間を置いた後、口を開いた。

「翅を使った空を飛ぶ乗り物の開発」

「翅? 翅って、虫が音を出すために震わせてる、あの?」

「そうよ」

「翅を高速で上下に運動させれば、たぶんだけど、物を浮かせることができると思うの」

「え、ちょっと、〈気球〉は? 〈気球〉を改良した実験をするんじゃないの? 唐突に翅なんて言われても、想像がつかないんだけど……」

「ええ、また世間から笑われるアイデアよ。でも〈気球〉なんてそのうち別の誰かが改良するわ。それなら設計図やなんかを売って資金にしてしまった方がいい。それよりも、私達は《惑星ジー》に行かなきゃいけないの。そのためには、星間気流を乗りこなす必要があるでしょ。〈気球〉なんかじゃ捻られてバラバラにされちゃうけど……、翅を使った〈飛行機〉なら、きっと川を泳ぐ魚みたいにスイスイ行けるわ。それに着地も、翅の振動で機体を安定させればきっとスムーズに行えるハズ。一人乗りの機体を全部金属で作るとしたとき、翅の大きさは……そうね、だいたい二メートルの翅を左右二枚ずつ、といったところかしら。翅の出力も合わせて正確に計算しないといけないけど」

「アハハッ」

 ついついスレツは笑ってしまった。ライニーカールの表情が先ほどとは一片、あまりに楽しそうにしているからだ。ライニーカールも、自分のそれに気付いたようだった。

「なによ。……諦めた人間のくせして」ライニーカールは体を起こして立ち上がり、「いい加減片付けなきゃ」と見回した。「手伝いなさいよね。あなたのせいで、とんでもなく夜遅くなっちゃったんだから」

「いいけどさ」

 スレツは立ち上がり、パンパンとズボンを払った。

「僕は〝諦めた人間〟じゃないよ。《惑星ジー》に行く夢はまだ諦めてない。それで、絶対に僕は《ジェヌ》に会ってやるんだから」

 今後自分に何ができるのかはわからないが、それでも空に向けて決意を固める。その下で、ライニーカールが首を傾げた。

「《ジェヌ》って、だれ?」

 女の子と〝交信〟していることは話していない。スレツはしまったと思い、固まった。

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