第5話 練素局
まるで湖底深くに沈んでいるようだった。
石造りの街並みが重い緑色の光に照らされており、その中で何人かの影がスローモーションで蠢いている。
〝やめて! 行かないで!〟
しかし亡霊たちは、幼少のジジジクの手から離れていった。
炉が熱く稼働する重低音の上に「カーン、カーン」とルダのハンマーの音が響いている。ジジジクはルダの工房で目を覚ました。一晩中図面にむかっていて、いつの間にか寝てしまっていたらしい。時計を見ると朝の八時半を指している。
ジジジクは図面の上に置かれた封書に気付いた。表に『エルラミド街 ジジジク様』とタイプ打ちされており、封は切られている。記憶を探りながら手紙を取り出してみると、カチッと情報が一致した。慌てて図面を見なおして、最後まで書ききってあることにホッとする。完成とまではまだまだいかないが試作図としては十分すぎるものだった。
手紙の送り主はミトヒという者からだった。聞き覚えのない名前だが、封筒の封蠟にあるシンボルには〝
『Dr.ジジジクの発明されました〈蒸気機関〉はまさしく世界を牽引する新世代の発明です。この歴史的成果を受け、弊局はリートデッヒ統治王国国王よりDr.ジジジクの研究に惜しみない協力をとのご命を授かりました。つきましては研究活動の内容を詳細に把握させていただくため是非一度Dr.ジジジクと直接話し合いの場を――』
つまり、今後の発明の支援をしてやるからその内容を詳しく教えろという旨の手紙だった。通常、自らの発明品の詳細を外部へ漏らすことは例えそれが国家機関であったとしても避けたいところだ。支援を建前に技術が盗まれたところでその被害を補償してくれる人はおらず、すべては自己責任となる。だがジジジクは錬素局のこれを歓迎し、手紙が到着してから指定の日時まで二日という短い期間でミトヒに見せるための新たな発明品の試作図を完成させていた。
ジジジクは椅子から立ち上がり、寝起き特有の偏頭痛を感じた。窓から差し込む継続的な光が目を刺激する。早起きは苦手だった。階段を下るとルダの放つ音が一層大きく耳に入ってきた。丸めた図面をルダの作業テーブルの上に広げ、その横で一心不乱に鉄を叩くルダに声をかけた。
「いよいよ今日だよ。図面も間に合った」
「まぁ待てジジジク。今おれは忙しい」
ルダは作業をしながら背中で答えた。
「なにせ早くこのヤヤアを形にしてやらなきゃいけないからな……。なぁヤヤア、お前は最高に可愛いやつだ」
ルダは、呼びかけたヤヤアという機械にハンマーを下ろす。ジジジクの用事など全く無関心といった風だ。しかしジジジクも、ルダが何かに打ち込んでいることについては無関心だった。
「ミトヒって人は〈蒸気機関〉にすごく興味を持っているみたいなんだ。だから今日はこの図面を見せて一つ提案をしてみたいと思う。どうだろう、もしこれが完成したら《惑星ジー》の人たちもきっと驚くと思うんだ」
バサリと広げた方眼紙をルダに向けて持ち上げた。しかしルダはカーンカーンとハンマーをおろしブツブツとなにか呟きながら〝ヤヤア〟とやらに夢中だ。しばらくしてジジジクは方眼紙を下ろし、「ヤヤアって?」と妥協気味に聞いた。
「いま作ってる機械だ。〈蒸気機関〉の出力を手元で制御できるハンドルみたいなヤツさ。叩いてるうちに名前を聞いたらそう答えた」ルダは気さくに答える。どうやら自分の好きな話題にだけは反応するようだ。ルダはもう一言、「ライニーカールからの依頼だよ」と付け加えた。
ジジジクは少し興味を引かれた。「へぇ。彼女、また新しい実験をするのか。〈蒸気機関〉を使うだなんて、なにをする気なんだろう?」
「残念だったなジジジク。おれには守秘義務がある。クライエントの情報は漏らせない」
得意気に言ったルダだったが〝〈蒸気機関〉の出力を手元で制御できるハンドルみたいなヤツ〟とは今まさに漏らした情報だ。「ヤヤアがどういった物か、話してしまったじゃないか……」ジジジクは呆れて言った。
「バカ言え」ルダはハンマーを止め、ヤヤアを両手で持ち上げ振り向いた。声はジジジクに対する異論口調であるものの、視線と愛情は手に持ったヤヤア――左右のグリップそれぞれに握るためのレバーが取り付けられた六十センチ程のハンドル――に向けられている。「おれはこの街で唯一、自分が技師であるということに誇りを持っている技師だぞ。スレツからのあの依頼を断らなかったのは知ってるだろ。ましてや発明家から受け取った図面をどこかに売りさばくこともしないし、試作品完成間近で報酬の追加請求もしない」
金色の合金色を放つヤヤアを丁寧にテーブルに置いたルダは、満足そうにそれを眺めたあと、表情を引き締めて、ジジジクに視線を移した。
「だがな。〝娘〟の自慢話くらい、少しはさせろ」
ルダはマジメな顔をしていたが、少しの間を置いて我慢できずに笑みを漏らし歯をみせた。ヤヤアに詰め込んだ自分の愛情を説明したくてしたくて仕方がないようだ。ジジジクは自分の図面に一度目をやったが「君は技師の鏡だよ」と頷いて彼の姿勢を肯定してやり、話を聞く覚悟をした。
本人が言うように、ルダは確かに信頼をおける技師の一人だ。この街ではちょっとしたアイデアでも財産になる。そのアイデアが横に流れてしまうことは発明家にとって致命的な痛手となるのだ。技師の中にはその弱みにつけこんで金儲けを企む輩もいる。発明家からの依頼を受け、図面を受け取った所でそれを密かに売りさばいてしまうのだ。無名発明家の優秀なアイデアを求める有名発明家は多い。
ルダのヤヤアの話を聞いたジジジクは、顎に手を当ててその話をまとめた。
「つまり、ハンドルを捻ることで〈蒸気機関〉の出力を調整して回転エネルギーを制御、またレバーを引くことでその先につけた細い管の中の油圧を操作してブレーキかなにかを操る仕組みってことだね」
ジジジクは自分が開発した〈蒸気機関〉を使った〈自動車〉を思い出した。あの乗り物も、運転席にある杖を操作することにより似たような制御をおこなうことができる。
「形状的にこのハンドルの直線下に車輪を取り付けてそれを左右に振ることで直接乗り物を操ろうってことかな?」
「おれもそう思った。ところが、だ――」ルダはもったいぶるようにタバコを口に咥えマッチで火をつけた。
「ライニーカールのやつ、このハンドルの直下に接続部は作らなくていいって言うんだ。これがどういうことかわかるか? これは車輪に繋がる導線の接続を想定したシロモノじゃないってことだぜ」
「もしかしたら乗り物じゃないのかな」
「あるいは空を飛ぶものかもな」
「それはないよ。〈蒸気機関〉は重過ぎる。低重力現象の力を借りたとしても空を飛ぶ事なんて不可能さ」
そうだ。自分が〈蒸気機関〉の重量を支えるためにどれだけ〈自動車〉のフレーム機構を試行錯誤したか。その時の苦労を思い出したジジジクからすれば、ルダの気さくな発想は実現不可能と断言できた。そもそも飛行を目的とするならばその動力として〈蒸気機関〉を選択することは間違いであるハズなのだ。しかしジジジクは、ルダがフフンと笑ったことに気付いた。ルダと目が合い、直感的になにかを知っているなとわかる。
「おっと、そんな目をしても言えないぜ? もうおれになにも言わすな。守秘義務だ」
ルダはタバコをくわえ直してヤヤアと紙ヤスリを手に持った。赤ん坊を撫でるようにルダの手はヤヤアを擦り、見事な光沢を生み出していく。
「で、なんの用だ」
ジジジクは不機嫌になりかけていたが、ルダから発せられた待ちに待ったこの一言には飛びつく勢いだった。
「この図面を見て欲しいんだ! ついに形になったんだよ!」
「あー、錬素局のミトヒってやつに見せるものか」
「返事の手紙には今日の十時に街の門を指定したから、もうそろそろ向かわないと――」
言いながらジジジクは自分の時計を確認する。時刻は十三時を回っていた。
「あれ……っ」
はじめは長針と短針を見間違えたのかと思い、頭を使って時計を凝視して、次に時計が壊れたのかとも思ったが、ジジジクはフリーズし、時間経過を頭の中で思い出してみた。朝、図面の上で目を覚ました時、時計は確か八時半を指していた。それから封を切った手紙を確認して、図面を持ってルダと話したらヤヤアの話を聞かされ、自分もその話題に乗った。気付けばお腹も空いている。この記憶が正しいとすれば、もう三時間以上もルダとやり取りをしていたことになる。
「今日の十時ってお前、もう十一時くらいになるんじゃねぇか?」あっけらかんとルダが言う。
ジジジクは頭を抱えた。「まずいよ! もう十三時を回ってる!」
悪い癖だと思った。熱中すると何時間でも時間を忘れてしまう。そして熱中した相手が同じ属性を持つルダだった事も不幸のうちの一つだ。ジジジクは慌てて図面を丸め、財布はどこだ先日の手紙は持っていこうかなどとふためいていると、その折に工房のチャイムが「リリン」と鳴った。外から声が聞こえる。
「こんにちわ。 ジジジクさんって人はここにいますか?」そしてドアが開く。「リートデッヒ統治王国、錬素局のミトヒと申します」
そこにいたのはジジジクよりも遥かに年下と思われる背の低い女の子だった。女の子はグッと目に力をこめて工房の中からルダとジジジクを見つけ出す。ルダは短くなったタバコを灰皿に捻った。
「ああ……、ジジジクってのはこいつだが……」
ルダがとりあえずジジジクをアゴで指す。確かにジジジクはこいつだが……お前はマジか? と、黙して訝しみながら。
ミトヒはジジジクがジジジクだとわかるとひどく悲しそうな顔をした。「ミトヒは十時に街の門で待っていました。でも、誰も来ませんでした。だからここを探し当ててようやく辿り着きました。約束は今日の十時で間違いなかったですよね?」
本当にこの子供がミトヒ? 王国の?
ジジジクも戸惑っていたが、ルダは努力して切り替えはじめていた。
「あー……、確かにこいつは今日の十時って言ってたぜ。あぁ、十時で間違いないハズだ。だから……、ほらジジジクお前、……謝れよ」
「謝るけど……でもちょっと待ってくれ、誰の話を聞いててこんな時間になったと――」
ジジジクはまずルダに文句をぶつけようとしたが、黙って自分を見ているミトヒに気付いてそれをやめた。
ミトヒの目はまるで観察対象の生物を興味深げに見つめているかのような色をしている。特定の刺激を与えられた時この個体はどのような反応を示すのだろうといったような、自分がミトヒにとってある種の愚かな生き物や人形劇のぬいぐるみであるかのような感覚をジジジクは受けた。歳相応の女の子の観察眼に近い気もするが、少し鋭さがあり、少し病的だ。ジジジクがミトヒのその様子を察した時、パッとミトヒからその妖しい色が掻き消える。ミトヒは淡白な高い声で言った。
「過ぎた事はいいです。それよりもミトヒはジジジクさんと話をしたいです」
「時間の事は本当、申し訳なかったよ」
「もういいです」
ミトヒはピシャリと言って「入っても?」と許可を得てから工房に足を踏み入れた。ドアを閉めてルダに座るよう促される。その間ミトヒは、「〈蒸気機関〉の発明、とても見事です。この動力は間違いなくリートデッヒの多大な繁栄に直結するでしょう」と前置いて、手紙と同様の内容をしゃべりはじめた。踏まえて、ミトヒは数日間エルラミドに滞在し、ジジジクに付きっきりで〈蒸気機関〉の仕組みを熟勉したいという。
ルダが話に飽きてヤヤアの調整をはじめたところで、ジジジクは徹夜で書き上げた図面をミトヒに見せてみた。ミトヒは方眼紙に描かれた線図の意味を瞬時に解読した。
「〈蒸気機関〉を利用した巨大な牽引車……。これがレールの上を?」
「そう。この〈蒸気機関車〉があれば、採掘された金属の輸送もかなり便利になると思うんだ。以前に試作した自動車を参考に出力を試算してみたんだけど、作り方によっては馬よりも早く走る事ができそうだよ。レールさえあれば王都にだってすばやく大量の鉄を届けられる」
「革命的です」
ミトヒは小さな手のひらで小さくパチパチと拍手を鳴らした。しかしその表情は特に言葉に関連する感情を現していない。案の定ミトヒは無感情気味の口調をそのまま「ですが、」と拍手していた動きを止めた。
「まさかジジジクさんがすでにここまで構想を練っているとは思いませんでした。本当ならこのことはジジジクさんにもっと近づいてから伝える予定でしたが……、事情が変わったので今伝えます。我々が求めているのはこういったものではありません」
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