第10話 技師

 早朝、エルラミド街から早馬が飛び出す瞬間をスレツは目撃していた。ミトヒが作成したライニーカールについての報告書を持った早馬だろう。それは一日二日であっという間に王都に辿り着き、それを読んだ錬素局は彼女を期待値の高い危険因子としてその動向を制限するためにエルラミドにやってくるハズだ。だが当の本人はミトヒと顔を合わせて以降、錬素局の話題を一切口にしていない――ここ最近のライニーカールは、スレツに喧嘩をふっかけながらも毎日コツコツと〈グライダー〉のネジを回している。スレツからすれば〈グライダー〉の外見はハンドル試験の時と大差ないように思えるが、開発は本当に進んでいるのだろうか。

 スレツは〈グライダー〉の模型を組み立てつつ、およそうわの空でライニーカールを眺めていた。それに気づいたライニーカールが肩を竦ませる。

「《ジェヌ》の地域が面さない日は、あなたは本当に《惑星ジー》に興味がないのね」

 皮肉を受けたスレツは、今日もまた惑星接近の一日であることを思い出す。

 スレツは同じように肩を竦ませて「そんなことないよ。本当は見に行きたいさ。ただちょっと《ジェヌ》の日よりは優先順位が低いだけで」と答え、試験機の製作に戻った。

 試験機の素材は合金骨格である本体の構造に近づけてある。翅も実際に電力で動く仕様だ。この模型での試験飛行でなにより重要なのは、翅を動かした状態で、より長く滞空するための法則を見つけ出すことだった。

 スレツは模型の胴体を持ち上げ、それを空に向け放つ動作を何回か繰り返してみた。ガレージから見える空の雲が減りはじめ、いよいよ低重力が体感できるほどになってくる。

 遠くでは点々とマイマイマイの群れが浮遊をはじめていた。それを見て、スレツは前にジジジクから聞いたライニーカールの過去の研究のことを思い出した。

「そういえば、マイマイマイの研究はまだ続けているの?」

「何言ってるのよ。今はそんなことしてるヒマなんてないでしょ」ライニーカールは作業を止めずに答える。「まぁ、まだまだ続けたいってのが本音だけどね。彼ら、調べれば調べるほど面白い生き物なのよ。なによりこの世界で唯一、双子惑星を行き来することができるしね。マイマイマイの生態はそのために謎に包まれているんだけど、私の十年間の研究によれば、もしかしたら彼らは前に自分が着地した土地の座標を記憶しているかもしれないの」

「十年の研究!?」

 ライニーカールはどんな幼少を送っていたのだろうと、スレツは年齢一桁時代のライニーカールを想像してみた。アリの行進をずっと眺めている小さな女の子――容易にその姿が思い浮かび、思わず笑ってしまいそうになる。

 そこから立派な変人に育った女の子が言った。「ねぇスレツ。マイマイマイがもし土地の座標を記憶していて、惑星の往復を経てまた同じ場所に戻ってくることが可能だった場合、その一匹に手紙を持たせたら《惑星ジー》の人たちと交流ができるかもしれないと思わない?」

「確かに」スレツは頷いた。

 ライニーカールのいうように仮定を組み立てていけば、確かになんだかできそうなことではある。ジジジクはこの実験のことをトンチンカンな実験と評したが、どうやらそれはマイマイマイの生態を正しく認識していなかったためのようだ。

「でも〝もし〟とか〝かもしれない〟が多くない?」とスレツは指摘した。

「物事は何でも仮定からはじまるのよ」

「そしたらマイマイマイはどうやって土地を記憶しているんだろう?」

「そんなこと知らないわよ。でもまだ知る必要のないこととも言えるわね。今の時点において〝証明〟を〝答え〟以上に重要視する意味を私はあまり感じていないから。重要なのは仮説に対する答えであって既成事実よ。もし私の根拠のない直感通りマイマイマイが土地を記憶している事実が観測できたとしたら、その時に改めてその事実に繋がる謎解きをはじめればいいと思うわけ。なにより実際にマイマイマイを介した文通が成功する見込みなんて正直ないも同然とはわかってたけど、だけど万が一できる可能性があって且つまだ誰も挑戦していないことだったから、馬鹿げてると思いつつそれでも私は挑戦してみたかったの」

 スレツはライニーカールの笑顔を見て、「やっぱり引退を選ばなくてよかったね」と、本音を冗談ぽく呟いた。

 それでもライニーカールは「はぁ?」と睨みに若干本気の影を含ませたので、スレツは取り繕うようにわざとらしく模型を持ち上げ、ふっと金属の粉を吹き飛ばした。

「模型完成! ちょうど低重力になってるし、飛ばしに行こっか!」


 ルダが二十歳を越えて技巧の修練も落ち着きはじめた頃、ルダには特に固定されていない何人目かの恋人がいた。ルダは自分の部屋に過去のトロフィーや盾を飾っていて、今はもう名前も忘れてしまったその恋人とベッドを共にするたびにそれを眺め、思い出に浸っていた。

「あれはなんのトロフィーなの?」恋人が言う。

 ルダは腕枕をしながら「ドリル技術の学生選手権で最優秀賞を取った時のモノ」

「あれは?」

「ヤスリ技術の最優秀賞」

「あれは?」

「合金製作技術」

「最優秀賞?」

「当然」

「すごいね!」ベッドの中、恋人ははしゃいでルダに抱き付いた。直接触れている温かい肌は安堵と幸福を感じさせてくれる。

 自分が獲得した技巧の才能は、傍からみれば完全に恵まれたものであっただろう――しかしルダとしては、自分があらかじめ誰よりも秀でていたとは思っていなかった。それなりに目標を持って、それなりに努力をして、そしてそれなりに見つけ出したほんの細やかなインスピレーションを大切にして、その集大成をうまく選手権で発揮することができた。だからこそ手に入れることができた評価であると自負していた。

 次の年もその次の年も、ルダはたまに変わる恋人と一緒にそのトロフィーや盾を眺めて満足し、恋人ごとに異なる肌の感触に安らぎを感じていた。

 ある時、ルダは独りで部屋にいた。

 金色に輝く栄光の証たちを眺めていて、ふと、その中に紛れ込んでいる一枚の盾に目を止めた。今までの中で唯一の優秀賞シルバー。この大会では自分の力をうまく出し切ることができなくて、積み上げてきたものが総崩れになったような気がして、二番手という好成績であるにもかかわらず泣いて悔しがったことを覚えている。ルダはその銀面に映った歪んだ自分を見つめてみた。

 なんて気の抜けた表情の男だろう。肌は垂れ、目に力はなく、隙だらけだ。

 思えば棚に飾られているモノはその銀色を最後に、増えることをやめていた。振り返って部屋を見回してみると、そこに広がっているのは長い間恋人がいない状態で一人暮らしを続けている青黒いボロボロの空間があるだけだった。

 その中で辛うじて光っているモノといえば、過去のトロフィーや盾ばかり。両手を持ち上げて開いてみると、血豆や煤汚れなど一切ない、極めてシンプルな手のひらがそこにあった。

 ルダは慌てて外に飛び出し、近くの工具店で板金を手に入れ、加工を試みた。ハンマーを振り下ろす際、操作を誤って指を強打した。ルダは震えて涙を流したが、それが痛みだけのものでないことはわかっていた。


「あの野郎、いつまで漂ってるつもりだよ」

 透明のビンを持ったマイマイマイを発見してから、もう二十四時間以上経っていた。ルダとミトヒはその個体を見失わないよう、あれからずっと追跡を続けている。

 二人はエルラミドの中心街を抜け、スレツのいつもの観測地点を抜け、鉱山跡の荒れた土地を抜けて川を越え、森を抜けてまた川を越え、そしてようやく見晴らしのいい土地に到達していた。道中、夜を挟んだり嵐を食らったりしたが、それでも二人は辛うじてマイマイマイを見失わず追跡を続けていた。おかげで体は汗だく、服はびしょびしょで、ミトヒなんかはくしゃみを繰り返している状態だ。

「風邪ひくからお前は帰れ。あとはおれが追いかけるから」

 だがミトヒは応じなかった。「風受け用の綿に嵐で受けた大量の水分が含まれているはずなので、低重力現象が終わればあの個体はその重さで地面へと降りてくるでしょう。もう少しの辛抱です」

「嵐の前もお前〝嵐になればマイマイマイは地面に身をおろして休息するハズです〟とかなんとか言ってたじゃねぇか。なのにあの野郎はずっと浮遊中だ。あわよくばまた《惑星ジー》行きの乱気流を待ってるのかもしれない。つまりだな、お前の推測はアテにならねぇんだよ。だからさっさとおれの工房に帰ってひとっ風呂でも浴びて、そんでおれの帰りに備えて温かいコーヒーでも淹れておけ」

 ルダですら、気力も体力もすでに疲弊し尽くしていた。体が芯から冷え切っており、なんでもいいから温かいものを体の中に入れたい気分だ。頼みの綱の恒星も今は空を半分ほど覆い尽くす《惑星ジー》の背面に隠れており、辺りは暖かさとは程遠い夜明け前や夕暮れ後のわずかな明るさほどしか保たれていない。「ハクション!」とルダも大きなくしゃみをした。

 マイマイマイは相変わらずとぼけた表情でふわふわと空を漂っている。だが確かにミトヒが言うように風受け用の綿は重たくなっているはずだから、低重力現象が収束すれば地面に降りてくる可能性は十分にあった。

 頭上の《惑星ジー》は、もう少しで空の上を通り過ぎる。あと数時間の辛抱だ。

 ルダは自分の両頬をパンパンと叩いて気合を入れなおした。その後ろでミトヒがパンパンとルダの真似をする。と、《惑星ジー》に向けて最後の上昇気流が立ち昇った。周囲に漂うマイマイマイたちが一斉に風を捉え、二人が追っていたその個体も風に乗って遥か上空へと巻き上げられていった。

 取り残されたルダとミトヒはポカンと空を見上げ、そして風が刺激する服の水分に我を思い出し、共に踵を返すことにした。

「もう歩けません」

 ミトヒがそう訴えたので、ルダはミトヒをおんぶしてやった。すぐに静かな寝息が聞こえてくる。

 来た道を引き返す作業は単調であり孤独だった。疲れに心は無となり、どこからか滑り込んできた過去の映像がただただ繰り返し再生される。森を抜けたあたりで、ルダはその映像の感想として、わずかに思考した。

 ジジジクやライニーカールやスレツはこれからも順調にやっていけるのだろうか。心の中で背中の小さな女の子に向け、頼むから変な騒動はおこさないでくれよとささやきかける。ルダはまた無心でエルラミドを目指した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る