第20話 上陸

 救助されてから二十九日目の夕方。「カーンカーン」と船の鐘が鳴った。

 スレツは一瞬、また《スィー》が来たのかと思ったが、どうやらそれは港町、大丹市オオニシに到着した合図のようだった。

 大丹市の港は山と山に挟まれた入江状になっていて、左右の山から伸びた高架橋のゲートが独特だった。高架橋からは太いロープが垂れ下がっており、寄港した船はみなそのロープを船に固定する。幾重にも張り巡らされた防波堤は中央の山の上に築かれた大丹市中心街を囲むように作られていて、それを城のような外観として壮大に飾っている。

 スレツたちが乗っていた商船――竜宮丸リュウグウマルは、どこからか現れた小船の先導によって橋状の係船岸の一つに誘導された。船から投げ下ろされたロープが岸に固定される。スレツとライニーカールはその様子をずっと観察し眺めていたが、そこへ宏一コウイチがやってきた。『船長が呼んでるぜ』

 スレツとライニーカールが船長室を訪れると、友良トモヨシは二枚の証書を二人に見せつけた。

『これは推薦状だ』友良は言う。『本当はお前たちを養子にでもして船乗りとしての技術を叩きこんでやりたいところなんだがな。お前たちにその気がないことは知っている。とはいえ、お前たちをこの街に放り出したところで職に就けないのは目に見えてるからな。だから、おれは特別にこれを書いてやったわけだ』

 スレツはまだ十分、文字は読めない。友良は証書読み上げる。

『〝こいつらは優秀な人材だ。寛大な対応を頼む。竜宮丸船長、友良〟』

「なんて言ってるの?」ライニーカールがスレツに通訳を求める。

「推薦状みたいなのをくれるってさ。これを持ってると船長の名前でいろいろ便宜をはかってもらえるらしい」

「便宜?」

「船長って地位がこの世界で社会的にできるだけ高い所にあるといいね」

 甲板に出ると、竜宮丸の船員たちがすでに積荷をおろす作業をはじめている。その中に紘詩ヒロシの姿があった。

『紘詩!』スレツは手を振った。『短い間だったけど世話になったな! お前がいてくれていろいろ助かったよ。本当にありがとう!』

 紘詩は、荷物をリレーする間に小さく手を振って応える。宏一が目ざとくそれに気づいて紘詩を蹴飛ばした。

『テメェ仕事中によそ見してんじゃねぇ、邪魔だあっちいけ』と、宏一は紘詩の首根っこを掴んで交代する。

 スレツは駆け寄った。『絶対アイツいい奴だ』と宏一の背中を見ながら紘詩に笑いかける。

『だね。でもスレツはやっぱりこの船には乗らないのか』

『おれには夢があるから。〝《ジェヌ》って女の子に会う〟っていう夢がさ』

『絶対叶えろよ。だけどその夢を叶えたらそれからどうするんだ?』

『まだ決めてないけど、たぶん次は〝〈異陸イリク〉に帰る〟ことが夢になると思う』

 紘詩は負け惜しみのように頭を掻きながら言った。『君の夢には職業が絡まないんだな。うらやましいよ』

『紘詩の夢は?』

『鳥になれるような乗り物を作る職業に就きたいとかな。おれも君と同じように、昔はやっぱり空を見てた』そう言って紘詩は、記憶が空の果てにでもあるかのように上を向く。

『じゃあ今は?』

 空を見ていた紘詩に、スレツは問いかけた。


「ポアポア」と大量の海鳥たちが飛び交っている。

 スレツとライニーカールは、竜宮丸の船員たちと手を振って別れた。

「久しぶりの地面ね。揺れ動くことのない確固たる地盤を感じるわ」

「なんか逆に揺れてるみたいだね。酔う……」

「それにしてもケチな船長よね」ライニーカールがぶつくさと不満を口にする。「旅立つ私たちを無一文で放り出すなんて」

「でも推薦状をくれたじゃないか」

「なんの役に立つのよそんなもの。私たちはこれから《ジェヌ》を探すために、計算で割り出した土地を巡る旅をしなければならないのよ? 運が悪ければ三千キロを越える長旅よ? そもそもそれ以上に私たちは二つの惑星の歴史上初めて惑星移動に成功した架橋者なんだから街をあげて出迎えがあってもいいくらいなのに、なに? 今のこのみすぼらしさときたら。あの筋肉男たちには理解できないのね、私たちの偉業が」

「かといってそれを主張する根拠はもう海に沈んじゃったけどね。もしうまくこの街に着陸できてたらそうなったかもしれないけど。それより三千キロって歩いて何日くらいかかるかな」

「一日五十キロ歩いたとして二ヶ月くらいかしら。でも道は直線でも平坦でもないし、プラス一、二ヶ月は見ておいたほうがいいんじゃない?」

「毎日そんなに歩いてもそんなにかかるのか……」

 《ジェヌ》の座標候補を示す直線がここからすぐ近くにあることは幸運だった――おそらく《ジェヌ》と交信できる惑星接近の日に空を渡れたことが大きい。しかしそれでも要する三ヶ月という重い現実はスレツに《ジェヌ》までの果てない距離を感じさせ、船上で堪えた一ヶ月という努力の上に容易にのしかかった。――気持ちが潰されそうだ。

 それから逃れるには、少し《ジェヌ》への想いを自分の中から遠ざける必要があるかもしれない。

「じゃあさ、ライニーカール。とりあえずは大丹市に慣れるところからはじめない? もし短期間のバイトとかを見つけられたら旅の資金も貯められるし」

「あなたがそれでいいなら、私は別に構わないけど」

 二人は港から繋がる大通りを歩き、城壁のような防波堤の階段をのぼりはじめた。石垣に手を触れてみると、少しだけ湿った苔が肌に馴染んだ。

「大波が来ると、ここは沈むのね」ライニーカールは分析しながら周囲を見回す。

 スレツも振り返って港を一望した。大丹市を囲む左右の山から伸びる高架橋も、そこから垂れ下がり船をつなぎとめるロープも、あるいはこの街の構造そのものが、みな《スィー》を乗り越えるための知恵であり文化であることがわかる。岸壁周囲で群れている鳥の影が蛇行して海へと向かっていく。

 目算で約二十階相当の階段をのぼりきってからようやく、二人はにぎやかな街の中心部に到着した。人通りはエルラミドよりやや少ない程度だが、街の規模が大きいので単にそう見えるだけなのかもしれない。

「こんなに人口が多そうな街で簡単にバイトなんて見つかるかしら」

「見つかったよ」スレツは通りに設置された張り紙だらけの掲示板を指さす。「全部バイト募集みたい。推薦状がなくても職には困らなそうだ」

「いつの間に字まで読めるようになったのよ」

 ライニーカールが漏らしながら二人は掲示板に近づいた。掲示板の上にとまっていた二羽の小鳥が「ピイピイ」と呟いて逃げていく。

「別に全部は読めないけど、ライニーカールも数字ならわかるでしょ。で、たぶんこれがお金の単位」

 指をさしたスレツにライニーカールもつられて文字の分析をする。

「あ、これは確か時間を現す記号よ。紘詩が計算式に使ってたからわかるわ」

「じゃあここは時給九〇〇レータか」

「あとはLの価値がどのくらいかだけど」

 ちょうど、一人の女性が掲示板の前にやってきた。女性は黒い髪をまとめてポニーテールにしており、服はきっちりとしたレディーススーツだ。厚いチラシを両手で抱えており、〝時給八七〇L〟の文字が見える。

『ちょっと教えてほしいんですけど』と、スレツは声をかけた。『この街でパンってなんLで買えるの?』

 女性は突然声をかけられたことに少し驚きながら、上目づかいで答えた。『だ、だいたい三〇〇Lくらいで買えると思います……』

『そっか、ありがとう』

「なんだって?」とライニーカール。

「パンなら三〇〇Lくらいで買えるってさ」

「じゃあ時給九〇〇ならそこまで悪い待遇じゃないわね。でも、本当にいいわけ?」

「なにが?」

「旅を急がなくて」

「ライニーカールはどう思う?」

「さっき言った通りよ。スレツがそれでいいならいいと思うわ。拠点を作って徐々に調べていくのも手だしね――もっとも、そんなバイト生活が気に入って目的を忘れて平穏な日々を過ごすなんてゴメンだから、それだけは覚えておいて」

 こういった忠告をする際のライニーカールの口調や目つきは鋭い。スレツはそれをしっかりと受け止めて、頷いた。

『あの、お取込み中すみません!』先ほどの女性が、今度はあちらからスレツに声をかけてきた。しどろもどろだが、勇気を振り絞った風にして言う。『私、大丹市市民生活課の翔子という者です! もしかして、アルバイトをお探しですか?』

 首から下げられたネームプレートには彼女の顔写真と、おそらく身分や名前を意味する文字が描かれている。

『そうだけど……』

『でしたらこんなお仕事はいかがですか?』翔子は抱えたチラシをスレツとライニーカールに手渡す。『〈異陸〉観察者募集のチラシです。時給は八六〇Lと平均的ですが……』

 スレツは目を輝かせた。

「ライニーカール! この人が誘ってくれてるバイトの話を少し聞いてみよう! もしかしたらこれ、僕たちにピッタリなバイトかもしれないよ!」

「でも八六〇Lでしょ? そこの九〇〇Lの方が少しだけ待遇いいじゃない」

「〈惑星エフ〉の観察者を募集する内容なんだ!」続けて、『〈異陸〉観察って、具体的な内容は?』スレツは興奮気味に翔子に聞いた。

『望遠鏡で〈異陸〉の特定座標にいる特定の人たちの動きを観察してもらいます。どうやらあちらの一部の地域で面白い動きがあったようなので』

 スレツの翻訳を受けたライニーカールは、「面白い動き? 《惑星ジー》の人たちは〈惑星エフ〉のローカルななんらかの環境変動を把握しているの?」

『はい』スレツを挟んで翔子が答える。『大丹市には〈異陸〉観察研究課が設置されていて、〈異陸〉の主要都市の継続的な観察と新発明の解析に力を入れています。こちらの世界では幸いにも惑星接近の日に任意の座標を観察する技術が早くに確立されましたので、それを活用し、ここ《地球チキュウ》での新たな文明開発の参考にしています。今回のバイト募集は、とある鉱山都市において不思議な動きがあるという報告を受け、その詳細を観察し把握するために行いました。初期段階の報告によりますと、なんでも都市から鉱山にかけて鉄の板を二本並行に並べ、ひたすらその線を伸ばしているそうなんです。現時点の私たちの知識ではこれがなんのためのものであるか予測できません』

「面白そう!」ライニーカールは態度を一変させ、ウキウキして言った。「スレツ、このアルバイト受けましょう!」

「もちろん!」

『ちょうど次の惑星接近が明日にあるので、今回の事象の初期報告者が〈異陸〉観察研究課に訪れています。もしこれから時間があれば、さっそく打ち合わせをさせてもらいたいのですが』

 スレツとライニーカールはそれぞれ言葉を認識した順に強く頷いた。

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