第12話 差し押さえ

 霧が漂う早朝、街の煉瓦の道路にかっぽかっぽと馬の蹄の音が響いた。その音はルダの工房の前で止まり、「リリン」とチャイムが鳴る。ルダは半睡半醒状態で徹夜作業を続けていたため驚いて目を開き、血液が脳に回りきらない状態で「こんな時間になんだよ」と、突然の来訪者に怪訝な顔で対応した。

「錬素局です」

 ややかすれ気味の、落ち着いた男性の声だった。白衣を背広に改造したような真っ白い服を着て、襟元にはルビー色のバッジが飾られている。白髪はやや後退したものを短く切りそろえており、色は加齢によるものだろうが清潔感があった。おおよそ五十歳といったところだろうか――男には年齢以外にもそれなりの風格があることから、錬素局のなんらかの役職を持っていそうな人物だと推察できる。

 男はにこっと愛想笑いをして言った。「ミトヒはいますか?」

「います」いつの間にかルダの足元にいたミトヒが答える。「手紙を受け取りましたか?」

「受け取って、対応を検討し、そして今日にでもそれを実行するつもりで我々はエルラミドを訪問したのだ」

 男の口調は、ミトヒに対しては威圧的だった。

「我々?」ルダは外を覗き込んでみる。何人かで来たようには感じていなかったが、外の狭い通りには、錬素局はおろか王国の重装騎馬隊を含む隊列が静かに整列しており、ルダの眠気は一気に消し飛んだ。

「何事だよ、こりゃ……」

「お邪魔しても?」

「全員はちょっと自信ねぇな……」

「なるほど。確かにこの家は少し窮屈ですね。これでは重装騎馬兵は入れない」

 室内を見渡す男。彼なりのユーモアかもしれないが、ルダはイライラした。

 男は再び愛想笑いをする。

「では私だけで結構ですよ。他の者は外で待たせることにします。嵐が来るまでまだもう少し時間がありますし」

 それを聞いて、ルダは今日が惑星接近の日であったことを思い出す。夕方にかかる惑星接近――。男は、外の集団に指でなにか合図をしてから、ルダの工房に足を踏み入れた。

「あなたはルダさんかな。その顎下のヒゲがなによりの証拠です。タバコが好きという点もミトヒの報告と一致している。あなたはルダさんだ、そうでしょう? 私はバックス。錬素局でコーディネーターをしています」

「コーディネーター?」訝しげにルダは聞く。

「リートデッヒ統治王国内で生み出された発明品をあらゆる場面に転用することを仕事にしています」

「ストレス抱えそうな仕事だな」

 ルダは自分のイスに座り、ミトヒもミトヒが勝手に自分の席と決めた自分の椅子に座る。ルダはバックスを特に席に促さなかった。第一印象が気に食わないということもあるが、なにより彼の訪問には黒い影がある。歓迎はできない。

 バックスはミトヒに向かって口を開こうとしたが、改めてルダに気づき言った。

「ミトヒと二人で話したいのですが。席をはずしてもらえませんか?」

「テメーここはおれの工房だぞ。二人で話したきゃ外に出な」

 ルダのイラついた即答にバックスはやむを得ないとった調子で従った。その仕草がまた癇に障る。

 二人が外に出てからしばらくして、ミトヒだけが工房に戻ってきた。バックスはドアを開けたまま外で待機しており、ミトヒはルダに寄ってきた。

「これからライニーカールさんの所に行ってきます」

「そうか」ルダは極力興味なさそうに呟いてみせて、タバコを咥えて自分の作業に取りかかった。ジジジクから要請を受けた部品製作はあまりはかどっていない。今だってこんな調子じゃ集中もできない。

 ミトヒは、言葉を聞き取れなかった人に言い直すようにゆっくり言い直した。

「これから、ミトヒたちは、ライニーカールさんの所に行ってきます。そしてそこで彼女に錬素局への技術提供などの協力要請をします」

「そうか」

「します」

「そうか」

「するんです」

「そうだな」

「するんです!!」ミトヒは両手に力を込めて、珍しく感情を込めた声を出す。

 ルダは作業を止めた。

 ミトヒは一語一語丁寧に言った。「ライニーカールさんに技術提供の要請をするんです――ミトヒたち錬素局がです。これがどういうことか、ルダにはもうお話してありますね。ミトヒはあんなに楽しそうに発明を――それも高レベルの領域で――取り組んでいる人たちを初めて見ました。また真剣に発明に取り組む彼女やスレツさんたちを取り巻く環境やモチベーションも理想的です。でも……。でももしライニーカールさんがミトヒたち錬素局の意向に従わない場合、彼女の発明やアイデアは錬素局に没収され、また今後、統治王国の意志に反した発明に取り組む恐れがあると判断されたとき、彼女はきっと統治王国から迫害を受けるでしょう。ルダはそれでもいいというのですか?」

「いいとは思わねぇさ。ムカついてしょうがねぇよ。お前らはオカルトを根拠にライニーカールを潰そうとしてるんだからな」

「それは誤解ですよ」扉にもたれながらバックスが口を挟む。「私たちは万が一ライニーカールさんが抵抗し、〈ユーリー効果〉を武器として利用した場合のことを想定しているだけです」

「利用するかボケ! 〈ユーリー効果〉はまだ確立されていない超技術だろうが! それをおいそれと個人の発明家が兵器として活用するなんてできるわけねーだろ!」

「お気持ちはわかりますが、可能性はゼロではありません」

「いいやゼロだね」

「それは極めて技師らしくない意見ですね」バックスはおかしそうにして言う。「〈グライダー〉に搭載された〈ユーリー効果〉の発動機関が完成している場合は言わずもがな、完成していない場合であっても暴走しないという確証はありません。あれはそれだけで脅威と――ひいては武器と――なり得る代物です。その可能性がわずかでもある以上、我々には彼女を管理する権限があるのです。しかし誤解しないでいただきたいのは、ミトヒの言う〝迫害〟とは悪質な言い回しだという点です。我々は平和と安全のために――やや手荒い手段を用いることは認めますが――やむを得ず彼女の行動を管理する場合があるということです」

 バックスの口調にルダは激昂しそうになったが、言葉を発しないまま少し間があってから唐突に「……そうか」と、ストンと一転してあきらめた口調となった。

 錬素局にも錬素局の立場がある。なんだかんだバックスの言っていることは至極もっともで、つまりライニーカールが強情な態度をとった時はそれ相応の報いがあるということだ。そんなもの、どんな世の中でも当然のことじゃないか。世界はそれなりに厳しくて残酷なんだから。

 バックスはルダの姿勢に拍手を送った。「正しい判断です。あなたが私たちになんと言おうと、それは無駄な時間でしかありません。あなたにはまだ未来がありますが、何度も失敗できる年齢でもないでしょう。あなたにとっての貴重な時間の過ごし方とは、私たちと関わることではありません」

 続いてミトヒが口を開いた。「もし彼女が我々の警告を無視して実験を強行しようとした場合、我々は彼女が二度と発明できないような措置をとるでしょう。その具体的な内容は、彼女の身体的拘束とガレージの破壊です」

「そうか……」ルダは半分耳に入っていないかのようにして答える。

 バックスはルダのその反応を確認すると満足そうにドアの前から消えた。その隙にミトヒはやや小声で――しかし挑戦的に――「それだけですか?」とルダに聞く。

 ルダは張り合わずに頷くだけだ。

 ミトヒはまた聞いた。「止めようとか思わないんですか?」

「なんで錬素局の立場のお前がそれを聞く」

「知りたいからです。答えてください。ルダはミトヒたちを止めないのですか?」

「そんな力と時間が、おれのどこにあるってんだ」ルダは逃げるように作業にもどる。

「それでも、止めようと思わないんですか?」

 ルダは手遊びのような作業で気をそらし、ミトヒの問いかけに答えようとしない。外からバックスがミトヒを促す。ミトヒは去り際に言った。

「失望しました。あなたはこの街で唯一、なににも侵されていない良識のある普通の技師であると思っていたのに」

 そして扉は閉まり、ルダは取り残された。

 静寂の中でしばらく作業をしていると、ルダの頭の中でミトヒの言葉がリフレインして増幅し、〝なににも侵されていない良識ある普通の技師〟だって? と、ルダは一人、おかしくて肩を揺らした。ミトヒがその言葉を言い放った真意はわからない。あいつはよくわからない奴だからだ。しかしもしミトヒのその言葉が、ルダの持つ価値観によって正しく翻訳することができるとした場合、それはルダにとってあまりにうれしい期待が込められた言葉だった。

 通常、職人は職人色に染まる。それはその道を選んだ人が、自分の人生をその職業一点に集中させ、より高みを目指してその領域を極めんと切磋琢磨するためだ。これは技師にも同じことが言え、それは多くの場合、周りが見えなくなるほどにまでその人間を技師色に染め上げることになる。だがルダは、所詮そんな色は自分自身の色などではないと信じていた。

 確かに経験を積むことで――自らを既成品の色に染めあげることで――人はより効率のいい選択をすることができるようになる。それはつまり物事――ただしそれはその分野に限定された物事――の呼吸を悟るということであり、より職人色に染まることで人はその分野において新たな次元に到達することができる。しかしルダは、なにより初心を失いたくないと思っていた。

 職業を極めれば、人はその職業に心を奪われる。なにかを極めようとそれを受け入れることは大切なことなのかもしれない。反面、そのある種の侵食は、初心や希望的観測といった、経験則とは反対の場面にある真っ白な異質を奪い去ってしまう危険をはらんでいた。少なくともルダは、もし仮に自分がそういった経験値による侵食を受けたとき、自分自身が、技師という分野外の世界にある多くの〝価値ある無駄知恵〟を拒絶してしまいそうな予感を持っていた。

 つまり職人は自らが職人色に染まることで職人としての評価ばかりを求めるようになり、二重螺旋状に高みへと連なる中に一瞬だけ現れる素人目線との奇跡的なクロスポイントを見出すという使命を忘れてしまうのだ。そんな職人が生み出したモノなど、所詮は芸術作品止まりでしかない。

 それはいわば成熟に対する反骨心とも言える。ルダは今まで達観者を自負する大人たちを散々見てきたが、自分もいずれはああなってしまうのだろうかと子供の頃から憂い続けていた。もしそれがイヤというのであれば、職に一筋でありつつも、心は常に遥か外部を見極めていなければいけない。そうでないとすぐに人は――どんなに強く心を持っていたとしても――余計な色で染め上げられてしまうのだ。

 だが、今のおれはどうだ。

 ルダは自分を見つめてみた。肩を狭めて頭をしおらせ、卑屈に無様に、目の前の作業に取り組む男がいる。これをこれからもコツコツと真面目に続けていけば、これからの未来、おそらくいいことが起こるだろう。努力はきっといつか報われるからだ。だが、ルダは不意におかしくなった。

「努力? これが?」

 こんな選択を努力と思い込むなんて、自分はなんて間抜けな人間だろう――。

「ルダさん。どういうおつもりで?」

 気づけばルダは、バックスとミトヒとその背後に控える重装騎馬隊の前に立ちふさがっていた。ハァハァと息が上がっていることから、自分は無意識のうちに走って追いついて、そしてこの二人の前で振り返ったのだろう。馬たちが突然の停止に文句を飛ばしている。その奥に見える空をルダは確認した。嵐の予兆が遠い場所に確認できる。その黒い雲の先に、わずかに《惑星ジー》の姿があった。嵐まで時間を稼げばこいつらは一度、街で待機するしかない。

 ルダは説得を試みた。「まずはおれからスレツとライニーカールに話をさせてくれ。お前たちが知っている通り、ライニーカールは錬素局に対して恐らく非協力的だ。そして性格上、言うことを聞かせようとすればするほど、あいつの拒絶は強くなる。だからはじめはおれに任せてくれないか」

 バックスは間を置かず首を横に振った。「あなたは信用できません。あなたが二人を逃がしてしまう可能性がある以上」

 ルダはミトヒに助けの目線を流した。しかしミトヒは目を伏せて直立しているだけで、その雰囲気はバックスに従順だ。

 ルダは言葉を探した。「そしたらお前たちは、お前たちにとって――あるいはこの国・この惑星にとって――価値のある知的財産を失う選択をしようってのか? そんなくらいなら、あの二人を好きにさせてそのおこぼれを頂戴していたほうが有益だろう」

「万が一その財産が敵に渡れば大変な脅威です。例え惑星規模の文明発展に影響があるにせよ、それだけは避けなければなりません」

「なんだそれ。なんでお前らそんな必死なんだよ」

「話は以上ですか? できれば嵐の前にライニーカールさんと話をつけたい」

「おい、待て――」

 自分の横を通り過ぎようとしたバックスをルダが静止しようとしたとき、バックスはルダの手を掴んで捻り、年齢を感じさせない力とスピードで後ろに回り込んで関節技をきめた。そしてルダの喉元に冷たい鉄の筒があてがわれる。

「抵抗しないほうがいい。〈鉄砲〉はご存知でしょう?」

 ルダは〈鉄砲〉について記憶の中から知っている情報を引き出した。それは最近どこかの街で生み出された発明品で、小さな弾丸を火薬の力で打ち飛ばす兵器だった。その性能は剣よりも簡単に扱える一方、人の頭蓋骨などを簡単に打ち抜いてしまう非情な威力がある。科学が生み出した現代最強の殺戮兵器。

「あなたがなにをしようと無意味です、ルダさん。私たちはあなたの説得には応じないし、おそらくライニーカールさんもあなたの説得には応じない。外野にいるあなたは、ただ私たちが引き起こす自然現象のようなできごとを眺めていればいいんです」

 ルダは膝裏を蹴られて地面に手と膝をついた。自分の力不足を嘆き、手を砂ごと握りしめ、無言で地面を叩く。

 ミトヒとバックスがルダを置いて歩みを進める。パッカパッカと馬の足音が左右に逸れて通り過ぎて行く。その音の中で、疑問がわいた。じゃあおれはいったい何をすればいいんだ? 

 命を懸けてあいつらに立ち向かってみるか? だが、おそらくそれは無駄だろう。重装騎馬兵に一人では立ち向かえない。そうでないにしてもバックスは〈鉄砲〉を持っている。彼は容赦しないはずだ。だが、そうじゃない。視点を変えれば、きっとまだなにか――。

「なにをしてるんだルダ! さぁ、早くこれに乗って!」ジジジクの声がする。

 ルダが振り向くと、ジジジクが自分に手を伸ばしていた。自動車が黒煙をあげ、〈蒸気機関〉は轟々と唸りをあげている。引っ張られて、ルダは自動車に乗り込んだ。

「飛ばすから気を付けてくれ!」言うが早いか、ジジジクは杖を操作して自動車を加速させる。そして「どいたどいた!」と、あっという間に重装騎馬兵の隊列を荒らしミトヒとバックスを追い抜かした。

 ジジジクは錬素局の動きを確認しつつ言った。「はじめは寝てたんだけどあの騒ぎだ、途中から話は聞こえてたよ。錬素局の動きを早くライニーカールに教えてあげないと!」

「教えてやる? 奴らを止めなくていいのか?」

「選択をするのはライニーカールとスレツだ。彼らには錬素局に協力するって道もあるんだから、今ここでおれたちが錬素局を止めたら彼らの選択肢を奪うことになる。とはいえだ。このまま傍観してたらあの二人が選べる道は少なくなる一方だ」

 自動車が石を踏みつけて、一度だけ車体は大きくバランスを崩した。

 ルダはフレームにしがみつきながら、「お前はいいのか!? そんなことしたら今後、錬素局に属するお前のキャリアに響くことになるんだぞ」

「これはおれの選択なんだ。おれのことなんてあとで考えればいい!」

 ジジジクはさらに自動車を加速させた。

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