第2話 発明家

 スレツは望遠鏡と三脚を担いで街に戻った。街の発明家が〈蒸気機関〉という仕組みを生み出してから、この街は賑やかになる一方だ。ガスランプが点々と灯る石畳の夜道は朱色の明かりで着色され、街灯とその下を行き来する人の数は日に日に増している。

 大通りに沿って立てられた店は恒星が沈んでからもまだ扉を閉めておらず、正装した大人や汚い作業着を着た大人が入り乱れて飲食店や酒場を出入りし、スレツと同年代くらいの若者もその中に混ざってざわめきを組み立てている。

 ここはスレツが生まれ育った街、エルラミド。

 スレツがよく足を運ぶ観測地点、その逆方向に位置する街のはずれには、大規模な鉄鉱山があった。そこでは長年、良質な鉄が採掘されている。そのためこの街にはたくさんの労働者が集まり、客を求めて商人が集まり、素材を求めて発明家がやってくる。大通りには特に人が多く賑やかさで溢れているが、人の少ない住宅街であってもトンテンカンと鉄を叩く迷惑な音は連日響いており、しかし街の住人はもう慣れっこであるため誰も苦情をいわず、夜遅くまでその音が鳴り止むことはない。

 スレツが家に帰る途中、シュポシュポと怪しい上下振動を繰り返す四輪車が、人々の目をひきながら大通りの片隅を進んでいた。細い金属合金で骨組みされた四輪車は〈蒸気機関〉の振動に骨をきしませており、若干の危うさがある。そのうち爆発してしまうのではないだろうかとスレツは案じ、あまり近寄りたい気分にはならなかった。しかし四輪車に乗っている男性が振り向いた時、スレツはそれが友人であると悟り観念した。

「スレツじゃないか! さぁ急げ! もうすぐライニーカールの実験がはじまるぞ!」

 エルラミドが誇る発明家、ジジジクはそう言ってスレツを四輪車へと招いた。四輪車の後ろ半分は〈蒸気機関〉のエンジンとパイプの構造体が占有しており、ボイラーと繋がる煙突から黒煙蒸気を上げている。スレツは手持ちの望遠鏡と三脚を四輪車のパイプの隙間に固定し、座席によじ登ってジジジクの隣に座った。

「マイマイマイに手紙を縛り付けて《惑星ジー》との交流を試みるんだっけ?」

 ジジジクは煤けた顔を嬉しそうにスレツに向け「それは前回の実験だよ」と続ける。「あれはいわばそうだな、手紙入りの瓶を海に投げ入れて特定の誰かと継続的に交流を図ろうとするかのような無謀な試みだったね。ライニーカールにしてはトンチンカンな実験をしたもんさ。だけど今日は名誉挽回とばかりにとんでもない発明の試験をするそうだ」

 ライニーカールとはスレツやジジジクの友人であり、またジジジクとは発明家としてのライバルでもあった。ジジジクはこれでもこの四輪車に搭載されている不器用な〈蒸気機関〉の初号機を制作した発明家で、ライニーカールは〈惑星エフ〉と《惑星ジー》の連転周期――二つの惑星がダンスのようにお互いの重力でお互いを引っ張り合って一周する周期――の計算式の原案製作に携わり、双子惑星学の進展に貢献している。さらにはその周期をⅩⅡ個に分割することで至極単純に任意の〝定刻〟を割り出せることを発見した。つまり、スレツの懐中時計にあるメカニズムはライニーカールの発案によるものなのだ。

 両名とも天才と言って間違いのない発明家だった。ただ、その突拍子もないアイデアは時に人を驚かせ、話題にこと欠かない。ジジジクもライニーカールも、いわゆる変人だった。その変人――ジジジクが言う。

「低重力現象の後には《惑星ジー》がこの星の裏側に行くから、高重力現象が起こるだろ? その時――おそらくだけど――大気は一時的に薄くなる。今回彼女はそれを狙って空への浮上を狙っている。なんでも温められた空気は上に向かう性質があるらしい。いや、そんなことはおれも知っているが、つまり彼女はその温かい空気を頭上で閉じ込めて、空気の少ない空に飛び出そうっていうんだな!」

 ジジジクは四輪車の手綱――長方形の皿が取り付けられた杖のようなもの――を片手で操り、途中の通りを右折した。道が徐々に雑になりはじめ、四輪車の中でも特に乗り心地の悪いこの馬なきジジジク号では、草や石が散乱している土道では特に乗車すべきでないとスレツは思った。なによりこのジジジク号自身が音を上げたがっているようにすら思えてくる。ジジジクは四輪車の悲鳴をよそに楽しげだった。

「本当に飛べるのかなぁ」

「空に向かうのに、なんでわざわざ高重力の時間帯を選ぶんだよ」

 ジジジクは目をまんまるくした。

「そりゃあ空気が少ないからだよ。空気が少ないということはその分だけ別のものが存在しててもいいスペースが生まれるってことだろ? つまり、空を飛びやすいんだ」

「マイマイマイを見てみなよ。気流に乗れなかった奴ら、みんな地面に突っ伏して寝てるんだぜ。適してないと思うけど」

「結果がわからない実験ってわくわくするよな」

 ジジジクの言葉が半分ほど耳に入ってきたところで、スレツは前方を指さした。

「なにか見えてきたね。うわぁ、あれを飛ばそうとしてるのか!」

 スレツの目に入ったのは、空に伸びる巨大な帽子だ。その下に紐でぶら下げられているカゴは、遠くまで風にのって旅をできる種子のよう。

「彼女は〈気球〉って言ってた」

「あれが成功すれば《惑星ジー》に行けるかな?」

 ジジジクはかぶりを振った。

「いや――あの乗り物だと、二つの大気が交わる時の気流にねじられてぐちゃぐちゃにされちゃうよ」

「そっか……」

「スレツ。やっぱ行きたいのか?」

「そりゃ行きたいよ。だって、たぶん奇跡だから」

 もちろん、ただ行きたいと思っているだけでは人生の貴重な時間を無駄にしてしまう。しかしかといってスレツにできることなんて、いつか開発される空を越える機械が登場するまでは、毎回欠かさず《ジェヌ》と観察し合う事以外になかった。

「なぁジジジク。おれはどうすればいいと思う? このまま定期的にジェヌと顔を合わせて、いつか起こりえる〝《ジェヌ》がその場にいなかった日〟に怯えて暮らすなんて耐えられないよ」

 自分も発明家になるという道をスレツは考えたことがある。しかしそれはすぐに心の中で却下されていた。自分がなにか新しいアイデアを生み出すなんて不可能だ。それを痛感する出来事が過去にあったのだ。


 今から二年前。まだ《ジェヌ》やジジジクやライニーカールと出会っていないスレツが十四歳になった時、父親から望遠鏡をもらった。双子惑星とはこの広大な宇宙の中でも珍しく、その上どちらの星にも同じ程度の文明が存在している。未だ交流を持てずにいる両惑星の人類だが、お互いにその存在を確認し、観察することは可能だった。スレツも望遠鏡をもらってからは、毎日、《惑星ジー》の様子を観察するようになっていた。

 《惑星ジー》はとても蒼く瑞々しい、海と植物が多い惑星だった。望遠鏡を覗き込めばレンズの向こうで《惑星ジー》の大地や海や雲がゆっくりと移動している。その中に時折映り込む文明が発達した街は、エルラミドと似たようなものもあれば、巨大な石造りの建物が密集している都会的なものもあった。街にはやはり馬が走り、人を乗せたり四輪車を引いたりしている。全くの異文化だが、異質とは思えないほど近い文明。人の容姿もそれほど変わらないし、生きている生物も、火を吐く生物がいるだとか、そういった驚嘆するほどの違いはなかった。

 ある時スレツは偶然、《惑星ジー》の公園を捉えた。そこでは市民があつまり、自分よりも小さいと思われる子供たちが、自分と同じような望遠鏡を持ってこちらの様子を眺め、楽しんでいた。その時、スレツはとても単純なことを忘れていたことに気づいた。

(僕たちの〈惑星エフ〉は、向こうからみたらどう見えるのだろう)

 頭上の美しい星、そしてそこに住む人たちを観察する新鮮さに気を取られ忘れていたが、スレツをはじめ〈惑星エフ〉に住む人類は、まだ自分たちの母なる大地〈惑星エフ〉の姿を見たことがなかったのだ。

(《惑星ジー》の人間は、知っているんだろうな。僕達の惑星の色を)

 それを〝羨ましい〟と感じるようになってから、スレツは一層、空を見上げるようになっていた。

 スレツが十六歳になった時、同じ学校に通うライニーカールと親しくなった。きっかけは《惑星ジー》に対する興味からだ。ライニーカールは学校の中でも華奢な女の子で、物静かにいつも教室で本を読んでいる子だった。しかしその実、とんでもない前衛的なセンスの持ち主で、学校ではそれを隠し通しているもののプライベートでは極めて異質なオーラを放っていた。まず驚かされたのは、清楚を感じさせる黒い長髪はヅラ(ウィッグ)だった。作り物の髪の下にはセミロングの金髪を頭に編みこんでおり、私服はだぼついた男性物が中心で、さらにそれを着崩して着ているものだから外で会ったらまず誰もライニーカールと気づかない。

 そんな彼女ではあったが――あるいはそんな彼女であるからこそ――頭脳の方はズバ抜けていた。当時すでに宇宙学の最新理論をほぼ完璧に理解しており、二つの惑星の移動に関する計算式を完成させる国家プロジェクトに応募して参加が認められ、そして重力と質量を結びつける重要な計算式を導き出す成果をあげた。その後、国家プロジェクト全体の成果として《惑星ジー》を観察する際の座標計算が完成し、それは望遠鏡のレバー付き座標固定装置の発明へと至り、そして決まった時間に決まった座標を捉えることを可能とするシステムが確立した。

 スレツは、この国家プロジェクトにライニーカールが参加していたことを知り、ある日、詳しい話を聞きに彼女の家を訪問した。ライニーカールの家は代々技師の家系で、自宅に大きなガレージを備えていた。スレツが訪問した時、彼女はそこで男性物のつなぎ服を着て上半身部分を腰でまとめたタンクトップ姿で、工具を散らかしながら発明を楽しんでいた。トンテンカンと鉄を変形させていく中、スレツが《惑星ジー》を観察していることを話すと、ライニーカールは喜んでその話題に食い付き、いつか一緒に行こうと約束してくれた。これをきっかけに、スレツも張り切ってライニーカールの手伝いをするようになった。スレツはライニーカールのように独創的な発想はないし専門知識にも疎い。その上、手先も不器用だ。それでもライニーカールの助手は楽しかった。ある時、スレツがハンマーの振り下ろしをしくじって自分の指を打ってしまった時、ライニーカールはスレツの指を口で咥え、丁寧に処置してくれた。ライニーカールのその行為にスレツは、自分とライニーカールの感情がとても高いレベルで一致していると気付きかけたが、この時はまだそれを口に出すまでには至らなかった。だけど次に会った時、もしまた似たようなことがあれば――。

 しかしその頃になって、スレツは《ジェヌ》と出会ったのだった。

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