星を見上げて ~双子惑星の渚~

丸山弌

第1章

第1話 双子惑星の空

 スレツは空を見上げていた。

 青い夕焼けが嵐の後に気持ちよく広がっていて、その中に散らばる白い雲が長い影を伸ばしている。その空をのんびり漂う浮遊生物マイマイマイは、背中に背負った巨大な綿を目いっぱいに膨らませ、眠たそうな顔で上昇気流を待っていた。

 空の先に見えるのは、スレツたちが暮す〈惑星エフ〉の双子星、《惑星ジー》だ。

 恒星の青い核融合反応は惑星にそのまま青色の夕焼けを届けており、その空のおよそ半分を占めるまでに接近し巨大化した《惑星ジー》は、その大陸や海の姿を薄っすらと浮かび上がらせている。それはまるで逆さまの世界のようだった。

 スレツは、街の技師にねだって特別に作ってもらった懐中時計を持ち上げた。円を均等にⅩⅡ等分したパネルの上に《JENEジェヌ》と刻まれている。

 この懐中時計は今の時間を指し示すものではなかった。短針と長針が同時に頂点に到達するまで、あとⅢメモリ。スレツは再び望遠鏡の設置作業に戻った。

 長細い五十センチほどの円柱の筒をレバー付きの四角い箱に固定し、今度はそれを三脚にセットする。次いで四角い箱のパネルを開き、極軸調整レンズに太陽の光がうまく入るよう、三脚の位置を調整する。一分間におよそ〇.六度ずつ降下する太陽の青い光が調整レンズを通して集中され、箱の内側の側面に点となった。その光点を頼りに箱のレバーを勢い良く回転させると、望遠鏡が《惑星ジー》を捉える。ボックスを確認すると、今度は太陽の角度が少しだけずれていた。スレツはまた三脚を調整し、再び望遠鏡の頭を設定し直す。これを何回か繰り返した。

 時計を見ると、時間はあっという間に残りⅠメモリだった。夕日方向の遠くにある街から鐘の音が聞こえ、しだいに両星の接近に伴う重力の拮抗がスレツの体重を軽くしていく。互いの惑星の高高度を流れる気流はしだいに重力の束縛から開放され、〈惑星エフ〉と《惑星ジー》の上層大気は一時的に交わり、虹色のスペクトル偏移を描きながら神秘的な螺旋のベールとなって息吹の交換をはじめた。ここぞとばかりにマイマイマイがオールのような足を二十本近く波打たせて、天空の星を目指し乱気流に吸い込まれていく。

 カチッと懐中時計の針がてっぺんを差す。スレツはレバーに手をかけたまま望遠鏡を覗きこんだ。

 座標の調整は今回も正確だった。

 スレツの望遠鏡は《惑星ジー》のとある民家を捉えており、瓦屋根の周りには草原が風を受けてキラキラと靡いている。その中に、同じく三脚を立てて望遠鏡を覗き込み、こちらを観察している人物の姿があった。スレツは一度望遠鏡から目を離し、《惑星ジー》めがけ、大きく手を振った。そしてまた望遠鏡を覗きこむ。この間にも少し位置がずれていたため、またレバーで調整をかける。観察者も同じように望遠鏡から目を離し、こちらを向いて、大きく手を振ってみせた。スレツは望遠鏡のつまみを回し、その姿を拡大した。観察者は栗毛のくせっ毛で、目は大きく鼻は小さい。大きな口の、イタズラっけのある八重歯まで見える。ここまで拡大すると惑星の移動に合わせ常にレバーを動かし続ける必要がありブレも起こりやすいが、スレツはその少女の笑顔を見ることができるのなら、その苦労はいとわなかった。

 スレツはまた、望遠鏡から目を離し、空に広がる大地を見上げて、手を振った。

 時間は限られている。

 だからスレツは、できる限り大きく手を振った。

「《ジェヌ》! またね!」

 スレツの声が合図だったかのように、恒星が〈惑星エフ〉の地平線に沈んだ。

 影が遠くから一気に押し寄せ、手を振るスレツを巻き込んだ。それに伴って少女は望遠鏡によるスレツとの相互観察をやめ、草原に寝ころぶ。その姿は〝神の視点〟にいるスレツからはよく見えた。しかし恒星の影に隠れたスレツの姿を、少女はもう捉えることができない。

 二人が対等に〝交信〟できるのは、時間にしてわずかⅠメモリほどだった。なんとかこの時間を伸ばそうと、スレツは今までに何度も、懐中時計が指し示す〝定刻〟よりも前に、望遠鏡を設置し極軸調整レンズの奇跡的な新たなる仕組みを見つけようとしていた。しかし惑星接近直前に必ず訪れる星間磁波による嵐の妨害もあり、空が晴れてからすぐさま、なんの計算もせず目的の座標を望遠鏡で捉えるという挑戦はやはり無謀に終わっており、この挑戦によって少女との交信時間が伸びることはわずかでもなかった。スレツは《定刻》にならなければ、少女がいつもいる座標を見つけることができなかったのだ。

 草原の中に寝ころんだ少女は歌を歌っているようだった。それがどんな曲調なのか、どんな言語なのか、何を伝えるものなのか。スレツは、少女の楽しそうな表情からなんとかそれを読み取ろうとした。そしてそれからおよそⅤメモリ後に、少女はスレツに手を振って、そして彼女の世界も闇に包まれた。スレツを包んでいた影が《惑星ジー》に達し、日食となったためだ。スレツはそれでもしばらく望遠鏡のレバーを握り、青暗い世界の中で少女の姿を追っていた。だが、やがて諦めた。《ジェヌ》と書かれた懐中時計の針がまたⅠから時を刻みはじめる。次に《ジェヌ》と会うことができるのは一週間後だ。この別れた直後のもどかしさを感じる度に、スレツは心に強く夢を抱いていた。


 《惑星ジー》に行きたい。


 しかしこの時代、人類はまだ空への進出すら果たせていないのだった。

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