第17話 船
ペダルの負荷はとてつもなく強く、スレツとライニーカールはペダルを片方ずつ分担して全力で踏み込んだ。それでもやがて勢いが出てくるとスレツ一人でも回せるようになり、翅の振動が増し、そして〈グライダー〉は息を吹き返した。波打つ海面スレスレで〈ユーリー機関〉が起動し、電撃を撒き散らしながらいくつかの水滴と共に重力から解放される。翅を強く羽ばたかせ、〈グライダー〉は雲の高さまで昇ることに成功した。
ただし、これはそう何度もできることではなかった。体力の消耗が激しいのだ。食べ物も飲み物もない状態では限界がある。
スレツとライニーカールはそれから頃合いを見て操舵と漕ぎ手を交代し、じわじわと二人の体力が限界に達してきた頃に、幸いにも一隻の船を発見した。二人の足はもう震えてペダルを回せる状態ではなかったが、船までは停止した翅の滑空で十分だった。
〈グライダー〉は航海中の木造りの帆船――先ほど波に飲まれた船よりもやや大きい――の正面から接近し、旋回して船の前に出たところで着水した。船員たちは突然出現した謎の飛行物体に鐘を鳴らし、船員全員が甲板でその動向に警戒していたが、スレツとライニーカールはできうる限り敵意のない手振りで、大きな声で助けを求めた。
〈グライダー〉は海に触れると、なんの迷いも未練もなくいかのように青い海に沈んでしまった。困難な冒険を共にし力尽きた戦友へ精一杯感謝をしつつ、スレツとライニーカールは全身全霊で助けを求める。海水は想像以上に塩辛くて、それを吸った服は想像以上に重たくなり、顔に波がかかると目に強い痛みが走った。船が二人の横を水を切って進んでいく。どうやら船はスピードを緩めないらしい。スレツとライニーカールは手をつないで運命を覚悟した。
「できることはやったよね」
スレツの言葉にライニーカールは頷いた。もしここで自分たちの人生が終わるのだとしても、その責任は誰にもない。例えば船員にとって自分たちは謎の技術を使って唐突に飛来し勝手に海に落ちた間抜けな二人でしかなく、彼らにしてみたらそんな他人たちを助けてやる義理はないのだ。スレツとライニーカールの体の向きは、徐々に船を見送る向きに傾いていた。段々と泳ぐ手足の力が抜けてくる。が、その時、スレツの頭に縄はしごが落ちてきた。スレツの首に巻き付いた縄は船の速度に合わせてスレツを引っ張りはじめ、ライニーカールは咄嗟にスレツの足を掴むことで、何とか置いてけぼりを回避した。スレツを土台にして、まずはライニーカールが縄はしごを昇る。次いで、気道が塞がり気を失いかけていたスレツがライニーカールの手を借りて縄に足をかける。
言うことをきかない縄はしごを苦労して昇り切ると、二人は船員に引っ張り上げられ船上に転がった。縄はしごを投げ込んでくれたのはどうやらこの男性――腕がライニーカールの頭ほどもある筋肉質の男――のようで、黒色の不精ひげをはやした力強い表情で、二人を交互に見比べている。筋肉質ではあるが身長はスレツの肩ほどもなさそうだ。
男は縄はしごを巻き取りながら、笑顔で口を開いた。『お前たちなにモンだ?』スレツとライニーカールには理解不能な言語を発する。『まぁそれは後でゆっくり聞きゃいいか。まずは温かい毛布とメシだな』
それはおそらく敵意のない言葉なのだろうとスレツは直感した。男の豪快な笑顔は頼りがいのある力強さに加え、まだ抜けきらない無邪気さを含んでいる。
『立てるか?』
男はスレツとライニーカールを立ち上がらせ、船の外部通路を移動して甲板へと誘導した。甲板はたくましい男の群れで溢れていて、みなスレツとライニーカールに興味津々だった。異言語が二人に降り注ぎ、場が荒々しく混乱する。先導していた男はスレツたちを保護するように船内へ誘導した。そしてドア口に来たところで外に向かって、『コウイチ! 《スィー》を乗り越えた後で悪ぃが、ちょいと付き合ってもらえるか』と手招く仕草を見せる。
「コウイチ?」スレツが言葉を拾って繰り返し、ライニーカールに投げかける。
「人を呼んだようだけど、それ以外の部分はなんて言っているのか全く不明ね。聞いたことないニュアンス」
「《スィー》って言葉も最初の船の船員たちが叫んでいたよね」
「あの波のことを言っているのかもね。まだわからないけど」
船内は明るい色の木造だったが、柱などの要所は合金のフレームが組み込まれていた。とても頑丈そうな造りで、奥へと続く階段の先には沢山の木箱や樽が見て取れる。どうやらこの船は商船のようだった。
『挨拶が遅れたな。おれはトモヨシだ。お前は?』
トモヨシは自分を指さして〝トモヨシ〟と口にした後、その指をライニーカールに向けた。
「なにこのヒゲ。人に指さしてなんのつもりかしら」ライニーカールは不愉快そうにトモヨシを睨みつける。
スレツが慌ててフォローした。「普通に名前を聞いてるだけだよきっと」そしてトモヨシと同じようにライニーカールと自分を指さし「ライニーカール。彼女は、ライニーカール。スレツ。僕は、スレツ」
『スレツとライイーカウか。ライイーカウ……変な名前だな、発音が難しいぜ』
「今このヒゲ絶対私の悪口言ったわよ」
「君の目つきが悪いからだろ? 命の恩人なんだ、悪い人じゃないよ」
扉が開いて、スレツとライニーカールの前に、やはりたくましい体をした男が現れた。おそらくコウイチと呼ばれた人物であろう男は、ずぶ濡れの二人を一瞥すると、腕を組んでトモヨシに話しかけた――半そでに隠れる腕には刺繍のような繊細な刺青が彫り込まれている。
『お前、こいつらをどうする気だ? こいつら《スィー》に巻き込まれた漂流者じゃないだろ? さっきトリみたいに飛んでやがった得体のしれない乗り物の操縦者どもだ。なぁトモヨシ、お前は知ってると思うが、おれは得体のしれないモノが大嫌いなんだ。こんなひ弱そうな奴ら、さっさと海に放り出してサメのエサにしちまおうぜ』
やはりライニーカールは言葉がわからなくてもコウイチの仕草や表情でなんとなく彼の感情を読み取ることができたため、あからさまにため息をついた。
「スレツ、私早くこの船から降りたい」
「港までどれくらい時間がかかるんだろうね」
「それを知るためには彼らとの交流を試みなきゃいけないんでしょ。億劫だわ」
「僕がやるよ」スレツはおしゃべりをしているコウイチとトモヨシの間に割って入った。「あの、港までどれくらいかかりますか?」
男二人はスレツの言葉と身振りに注視して意図を汲み取ろうとしてはくれたが、すぐに顔を見合わせる。
『こいつなんて言ってるんだ?』
『わからん。聞いたこともない言語だからな。だが、大体の予測はつくぞ。さては腹でも減ったんだろう』トモヨシがスレツとライニーカール顎でを促す。『よし、ついてこい。メシにしよう。航海はまだ一ヶ月近く続くが、必ず港まで送り届けてやるからな』
「通じたみたいだよ、ライニーカール!」
喜ぶスレツをよそにライニーカールはトモヨシをぐっと睨みつけたが、途端にくしゃみがとびだした。ライニーカールはコウイチに鼻で笑われながら、スレツの後に続いた。
貸してもらった服は民族衣装とでも言えばいいだろうか。スレツは裾口も袖口も広がった上下一体の羽織状の布服を身に着けて腰をベルトで固定し、トモヨシに案内されるまま食事の席についた。天井からバタバタと大きな足音がいくつも聞こえていることから、ここは甲板の真下に位置していると推測できる。ライニーカールは濡れた金髪をパサパサにほどいて現れた。彼女もやはり同じような民族衣装を羽織っており、赤と白の模様――花だろうか?――が襟の分け目を境界に艶やかに彩っている。そのライニーカールの後ろから、男たちよりも大きな体の女性がドスンドスンと存在感を地響きに変換して近づいてくる。
『よぉかったわ! この服を持ってきておいて!』
女性はおそらく本人にとっては普通の声量であろう大声で何かを言って、ライニーカールの肩をドンドンと叩いた。『船長、よぉかったわよ!』
『おうそうか、そりゃよかった!』トモヨシが答える。
「似合ってるじゃん」とスレツは褒めてあげた。いつものつなぎ服とタンクトップに比べたら断然女の子らしい服装だ。ライニーカールは虫を払うように手を振る。
「やめてよ。動きにくいったらありゃしない」
ライニーカールの動きにトモヨシが興味を示した。『おい、ライイーカウ。今のこの手を振る動作はどういう意味なんだ?』
「……真似しないでくれる」ライニーカールは陽気なトモヨシを見て呆れ顔を作る。
が、次の瞬間、テーブルの上に広がったおいしそうな食事の匂いに気付き視線を移した。テーブルに並べられた料理はどれも異文化と言えば異文化といえよう初めて目にする料理だが、それほど奇怪なものというほどでもなかった。香ばしい魚の塩焼きは〈惑星エフ〉にもなんとなくいそうな魚が使われていたし、油でまる揚げされた小魚も極めて平凡なフォルムだ。目を引いたのは、魚肉が生でカットされ並べられている皿と、魚とは違った不思議な形状の骨付き肉――豚肉や牛肉とはまた少し違った色の肉――が何切れか並べられた皿だ。
「魚を生で食べる文化が《惑星ジー》にはあるのね。それにこの肉。どの生物のどの部分かしら」ライニーカールは好奇心に目を輝かせる。
トモヨシがいい笑顔で言った。『案の定、腹ペコだったようだな』
大柄な女性にライニーカールも促されて着席した。
『食べながら話そう』トモヨシはいくつかの食器道具をその女性に用意させ、自分は一番に食べはじめる。
スレツとライニーカールは見慣れたフォーク状の食器を手にとった。スレツはその時気づいたのだが――この空間には正面のテーブルにトモヨシが座り、その後ろには大きな女性が。スレツとライニーカールの後ろにはコウイチが腕を組んで立っていて、それはまるで自分たちを監視しているかのようだ。
「そういえば……、この船は商船だったね……」スレツは何かを危惧するように言う。「まさか人なんて扱ったりしてないよね」
「私たちが奴隷として売られるかもって心配を?」
「あり得ることではあるでしょ?」
ライニーカールは肯定とも否定とも取れないぎこちない頷きを見せた。「可能性なんて言い出したらあらゆることが想定できるわ。だけど少なくとも今、私たちの身体や権利は侵害されていない……。油断しないに越したことはないけれど」
「まぁ仮にそんな感じだったとしても、命を助けてもらった事実はありがたいしね」スレツは「食事もおいしいし」と魚料理に手をつけていく。
ライニーカールは骨付き肉に挑戦しようと手を伸ばした。
『お楽しみのところ悪いが――』
おもむろにトモヨシが壁を指さした。壁には地図が額縁に飾られており、大陸が上下に分かれ点々としている。《惑星ジー》の地図だ。
『お前らはどこの国から来たんだ?』
「ここはどこよ?」ライニーカールはテーブルを指でつついて言う。
トモヨシは立ち上がり『今はこの辺りの海域だ』と地図の右半分の中央付近を指さし、その指を次いで床へと向け何度か強調した。ライニーカールも立ち上がって地図に近づき、縮尺を確認する。だが記入されている文字はそのすべてが理解不能な幾何学模様で、ライニーカールはジェスチャーで紙とペンを要求した。大きな女性が簡単なメモ書きと筆記具を渡す。
ライニーカールは紙に二センチ程の直線を一から十まで書き込み、そこに自分たちの世界で使っていた数字を割り当ててトモヨシに差し出した。トモヨシはその図をジッと見つめた後、ライニーカールの考えを読み取ってか、数字の横に幾何学模様を描きはじめた。トモヨシが正しく解釈をしてくれているならば、これがこの世界の数字として判断できる。
『なにやってんだ船長。はやくこいつらの正体を暴いてくださいよ』コウイチが腕を組みながら言う。
『慌てるな、まだ〝交流〟の最中だ。はじめはこいつらのペースに合わせてやろう。着眼点が面白いぜ。どうやらこの娘は地図の縮尺を知りたがっているようだ。博に富んでいるのかもな。まぁ当たり前か、あんな未知の乗り物に乗ってたんだもんな』
「で、トモヨシさん。この船はこれからどこに向かうの? ここ?」ライニーカールは地図に描かれている船から一番近い丸印――おそらく港町だ――を指さした。
『そっちじゃねぇ。おれたちが向かってるのは〝オオニシ〟……、ここだ』トモヨシは太い指で、ライニーカールが指した大陸とは反対側にある丸印をトントンと叩いた。
「わかったわスレツ」ライニーカールは今度はメモ書きをスレツに突きつけ、「この地図によると海の幅はこの付近では大体五千キロメートルってところね。で、今のこの船の位置とこいつが指した港はだいたい七千キロくらい離れていて、船の速度を平均十キロとしたとき……」言いかけてライニーカールは天井を仰いだ。「不幸な計算結果よ。到着までに三十日近くかかるわ」
「三十日も!? もっと近くの陸や港じゃダメなの? 一番近い所ならもう少し早く着くんじゃない?」
「じゃあ自分で聞いてみてよ」ライニーカールはため息と一緒に着席した。スレツは仕方なく立ち上がって、地図を指さしてなんとか意図をトモヨシに伝達しようと試みる。
『なんだって、船長』と、その様子をみて苛立ち混じりにコウイチが言った。
『わからん。だがどうやら一番近くの港に連れていけ、なんてことを言ってそうだな』
『泳いで行かせろ』
『引き返せば五日もかからず港だが、そしたらお前らに払う賃金がなくなっちまう。安心しろ、予定は変えねぇ』
トモヨシはスレツの主張の後、変わらずに丸印をトントンと叩いた。
「ダメみたいだ……」スレツは肩を落とす。
『じゃあ次はおれが質問をする番だ』トモヨシは地面を指さし、『ここは、ここだ』と、先ほどと同じように地図の現在地を指した。次いで『じゃあお前たちは――』とスレツとライニーカールを指さし、そして今度は地図全体をぐるんと囲む円を描いて、『どこから来たんだ?』と、トモヨシはその動作を二回繰り返した。
スレツは天井を指さした。「僕たちは、〈惑星エフ〉から来ました」
トモヨシはぽかんとしながらスレツのジェスチャーの解読を図った。
『まさかな』トモヨシは笑い飛ばして食事にかぶりつく。『今の文明で人間が惑星間移動なんてできるはずがねぇ』
『なんだって?』コウイチが翻訳を求める。
『見ての通り、こいつは空を指さしやがったのよ。それはつまり、そういうことだろう。〈イリク〉から来やがったのさ。信じられるわけねぇがな。だが、おれたちはこいつらが空から来た瞬間を目撃している。が、とはいえ、とても信じられねぇ』
『〈イリク〉ねぇ。言われてみりゃ、顔の骨格なんかもおれたちとだいぶ違うな』
コウイチはスレツとライニーカールをまじまじと観察した。ライニーカールが表情で不快感を示したため、コウイチは素直に身を引いた。
食事が終わったところでトモヨシが立ち上がり、『さて、いい揺れになってきた。そろそろ航海再開といこうか』と、子供のような笑みを見せ、コウイチを引き連れて出ていった。取り残されたスレツとライニーカールは、大きな女性――名前を聞くと〝カナコ〟と答えた――に連れられて階段を下り、客室まで案内された。
翌日、スレツはベッドの中で無性にうずうずしていた。ライニーカール曰くこれから三十日の船旅――ということは少なくとも四回は《ジェヌ》と会えないということになる。そう、四回も会えないのだ。それは過酷な現実だった。さらにスレツは、今自分たちのいる場所が《惑星ジー》であるという、根本的かつ衝撃的な問題を思い出す。それはつまりこの惑星にいるはずの《ジェヌ》本人を見つけ出す以外、もう彼女の顔を見る術はないということなのだ。
「僕は大変なことをしてしまったかもしれない……」
これがもう引き返せない冒険であるということに、今更ながらスレツは気づいた。それどころか《ジェヌ》を見つけ出すまでに彼女がいつもの
スレツは頭を抱え、ベッドの中でうずくまった。あれからスレツとライニーカールは、事実上この部屋から出ることを禁止されている。カナコに部屋へと案内してもらったあの後、暇を持て余したスレツは甲板へ出てみたが、そこでは船員たちが張り巡らされた縄を息を合わせて操作し、船の帆を操って見事に風を掴まえていた。その指揮を執っているのはトモヨシで、スレツはこの時はじめて、船の船長が彼だったことを知った。船の帆はピンと風に張り、波を割って気持よく進んでいる。
『邪魔だ、どけ!』
上から声が聞こえたので見上げてみると、若く細身の青年が縄に掴まりながら降ってきた。その青年の落下に合わせて帆の一部が見事に畳まれていく。スレツは危うく蹴飛ばされるところだったが、青年が上手に体を躱してくれた。が、船員のチームワークにわずかな乱れを起こしてしまう。コウイチが飛んできて、『素人はすっこんでろ!』と怒鳴り声を上げた。言葉はわからないものの、スレツはすぐ船内に逃げ戻った。のちにトモヨシが部屋にやってきて〝航海の邪魔をするな〟と取れるジェスチャーを演じ、以来、スレツとライニーカールは客室に閉じこもったままだ。
「退屈だね……」そう言いつつも、スレツはここ最近でこんなにもゆっくり時間を過ごしたことがあっただろうかと振り返る。
ライニーカールも布団を被って横になっていた。「このままあと二十七日間も怠惰な生活を続けていたら、確実に太るわね」
「ライニーカールも気にするんだ、そういうこと」
「するに決まってるでしょ。ただし肥満を恐れる上での問題は体を動かしてないこと以上に頭を動かしていないことよ。頭ってのは使えば使うほどエネルギーを消費するからね。体を動かしていなくても頭を動かしていれば、本来、肥満なんて現象は起こらないハズなの」
「それは言い過ぎでしょ」
ライニーカールは答えずに、寝返りをうってさらに布団に潜り込んだ。
『《スィー》!!』
救助されてから三日目の朝、船上から聞こえた大きな声でスレツは目を醒ました。慌ただしい外の雰囲気を感じ取り、スレツは思わず客室を飛び出して階段をのぼり、甲板へのドアを開けた。正面に、遠近感を失うほど巨大な山のような波が迫っていた。
「《スィー》だ……!」スレツはその迫力に圧倒されて立ち尽くす。
薄着のライニーカールもあがってきた。「一つ言葉を覚えたわね。それにしても大きな波。でもこの波があるってことは……」
ライニーカールが空を見上げると、ドンピシャで〈惑星エフ〉の雄大な姿を発見する。
「きれい……」
「来てよかったね」
気持ちのいい風の感触。スレツが笑いかけたところで、トモヨシの罵声が飛んだ。
『てめーらは部屋に戻ってろ! どうしても見学したけりゃ海にでも飛び込むこったな!』
スレツとライニーカールはカナコに引っ張られて客室に戻された。二人はベッドの上で胡坐をかいて、徐々に傾きはじめた船に身をゆだねる。
「スレツ。私、甲板に出たいわ」
「こんな時に?」
「ううん。この波が通り過ぎて、まだ私たちが生きていたら」
「それなら僕も同感。というかどうせなら《ジェヌ》と会った時のために、この世界の言葉とか勉強したいなぁ」
ぎしぎしと船体のフレームが音を響かせる。それからしばらくして、船は《スィー》を乗り越えて、スレツとライニーカールは船酔いしつつも遠ざかる〈惑星エフ〉を見送った。
救助されてから五日目の朝。スレツは一番に早起きをして甲板に出て、船の主柱に繋がる縄はしごをのぼり、見張り台に手をついた。そこにいたのは、初日に空から降ってきてスレツを怒鳴った青年だ。青年は三六〇度開けた見張り台のふちで片足を組み、体を捻って遠くの海を監視している。
『おふぁよう』
スレツは覚えたての言葉を使ってみた。口に出してみて、なんとなくイントネーションが間違っていることに気付く。〝は〟の発音は息を口の中で意識して独特な形状に変換する必要があるようだ。
『おはよう』
言い直したところで、青年は不愉快そうな視線をスレツに向けた。
『なんだよ居候。あっちいけよ』
「君は僕と同じくらいの年齢だよね」スレツは強引に見張り台に上がり込む。海は朝霧に包まれていて、もうしばらくすれば爽快な青を空に描いてくれそうな割れ目を見せていた。
「僕はスレツ」スレツは自分を指す
青年は無視して海の監視を続けた。スレツもしばらく付き合ってみる。時々横を向いて、青年の機嫌を確認しながら。青年の、遠くにある何かを見極めようとする双眸は凛々しく力強い。命を懸けて海を航海するという覚悟が伝わってくるかのような色だ。だが、その奥深くにはどこか異色が混ざっているような気がして、スレツはジジジクを思い出してみた。ジジジクの瞳には、常に模索の色が混ざっていた。この青年の瞳にあるのは、ジジジクのそれと同じ類のものだ。一度そう確信してみると、顔の作りこそ全く違うが、いつもなにかを探して思考の旅をしているジジジクの表情と瓜二つに思えた。きっと悪い人じゃないはずだ。
「僕はスレツ」
繰り返して、スレツは青年の返答を待った。波の音が少しだけ大きくなったような気がして、それが長い沈黙のせいだと感じたとき、青年が面倒臭そうに頭を掻きながら言った。
『ヒロシ』
青年の言葉は短かったが、スレツは感動を覚えた。この船に救助されて以降、初めて本物の〝交流〟を成し遂げた気がした。
スレツは興奮を隠さずに『ヒロシ、おはよう!』と元気よく挨拶する。
ヒロシは負けたような口ぶりで『おはよう、スレツ』と返した。
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