第11話 マイマイマイ

「働かせてください!」

 指に包帯を巻いた若き日のルダは、近所の技師の工房に足を運んでいた。

 工房の技師はまん丸いお腹を叩き、まん丸いスキンヘッドを光らせて、迷惑そうに言った。「でもなあ、過去に何の実績もない素人なんてなんの役に立つんだよ」

「物覚えの良さには自信があります! 雑用でもなんでもしますんで、技師に必要なノウハウを一から叩きこんでください!」

 ルダは職探しの際、敢えて自分の過去を相手に伝えなかった。古ぼけた過去の武勇伝など、今はもう自分とは関係のないことだと思ったからだ。持っているのは、プライドが突然変異した悔しさと根拠のない未知への自信だけ。

 スキンヘッドの技師は頑なだったが、最終的に熱意に負け、ルダはこの技師の工房で働かせてもらえることになった。そして改めて仕事を学びはじめたルダは、ほどなくして自らの才能を再発見し、技術を高めていくこととなる。この頃からルダは、昔に比べやや衰えたインスピレーションを少しでも活性化させるためのコツとして、自分の製作物から名前を聞き出すようになった。


 スレツとライニーカールは小高い丘にやってきた。恒星が《惑星ジー》に隠れているため薄暗い環境ではあるが、エルラミドの建物の屋根や、いつもスレツが望遠鏡を設置している観測地点の広場、その先の荒野や川や森までハッキリと見える。

 模型は一メートルの胴体に対し翅は左右合わせて四メートル近くと、その長さが際立っている。風が丘の下からスレツたちを取り込むようにして吹き上がり、大気の高層と低層で循環していた。飛行試験にはおそらく適した状態だろうと、スレツはなんとなく評価してみる。

 しかし、折角作った模型だ。環境や自分のミスによって、試験すら行えず墜落してしまったらどうしよう。スレツは弱気に聞いた。「……君が投げる?」

「これでも私は非力なの」腕を組んだライニーカールの口調はなぜか強気だった。

 スレツは渋々頷いて覚悟を決め、模型機体を水平に持ち上げた。ライニーカールが操縦席部にあるスイッチをいれると、翅が激しく振動した。スレツは、どう機体を送り出すかイメージを描きながら、心の中で五、四、三、二、一……と秒読みを重ねる。本当に自分なんかが作った模型で大丈夫なのだろうか――不安と緊張を抱きながらも、自然と訪れてしまった自らのゼロの合図をもって、スレツは模型を空中に放った。

 手から離れる瞬間、機体の翅が空気をうまく抱え、安定した滑り出しの手ごたえを感じた。案の定、放たれた模型〈グライダー〉は、翅を羽ばたかせながら丘の上から徐々に高度を下げつつも十分な滞空を見せて、スレツのいつもの観測地点方向へと滑空をはじめた。

「飛んでる……! ライニーカール、本当に飛んでるよ!」

「すごいじゃない! やったわスレツ!」

 ライニーカールがご機嫌でスレツに飛びついて、そしてすぐに模型〈グライダー〉の後を追った。途中、機体は横風に煽られてバランスを崩しかけたが、長い翅がすぐに空気を捉えなおして持ちこたえる。ただ、少しだけ機体の後方に気になる揺れが見て取れた。模型〈グライダー〉はふらふらと横風のたびに進路を変えて機体を揺らし、それに応じて高度がガクッと落ちていく。

「がんばって! もう少し飛んで!」

 ライニーカールの応援に応えてか、模型〈グライダー〉は最終的に何度か波打つように高度を上下させてから、スレツの観測地点を飛び越えて鉱山跡のゴツゴツとした岩石地帯に不時着した。滞空時間は三分ほどだった。

「すごい距離をすごい長い時間飛んだ! これって大成功だよね!?」

「期待以上の結果よね! でもまだ機体が不安定だったから、急いで改良に取り掛かりましょう!」

 スレツは不時着の衝撃で小破し飛び散った部品をかき集め、最後に羽ばたきを止めた模型機体を抱え上げて、胴体を撫でながら優しく語りかけた。

「思ったほど壊れなくてよかった」

「ちょっと修理すれば次の飛行試験でも使えそうね」

 ライニーカールは今までにないときめき顔で言った。彼女にとっては、失敗や期待外れの結果を味わい続けてきた中での久々の成功だ。それも今回は次に繋がる成功で、今後の改良次第で更なる好成績が期待できる。

 スレツも自分たちが実際に空に飛び立つ瞬間が待ち遠しくなり、体の震えが止まらなくなった。徐々に遠ざかりはじめる《惑星ジー》を見上げ、たまらず深呼吸する。

「ちょっとスレツ、いつまでも感動してないで早くデータを集めるわよ。模型は結局何メートル飛んだのか、どのぐらいの角度で滑空したのか、翅の振動回数は本当に適切だったのか、そういったことをしっかりと測定して計算するから、ロープを持ってあの丘の上まで行ってきて」

 ライニーカールはそう言って、五メートル間隔で赤印をつけたロープの端をスレツに手渡した。

「時間が惜しいわ。上まで走ってちょうだい」

「あそこまで……?」

 スレツが丘の上を指さしてとても嫌そうな顔をしたとき、遠くから「おーい」という声が聞こえた。ルダの声だった。

 ルダは川の向こうからミトヒを背負った状態でふらふらと力なく歩いており、ただでさえ普段から汚い服はいつも以上にボロボロの泥まみれだ。

「どうしたんだろ」

「知らないわよ、どうでもいいわ。そんなことより早くそれを持って上まで行ってよ」

「あ、倒れた」

 スレツの言葉にライニーカールが振りむいて確認すると、確かにちょうどルダが地面に頭をぶつけたところだった。ライニーカールはため息をついた。

「世話がやけるわね……」

 結局二人は作業を中断してルダとミトヒを助け、工房へと送り届けた。

 ルダは自力でスレツの背中からおりて、いつもの椅子にふらふらと腰かける。

「迷惑かけたな……」

「かけました……」ライニーカールの背中からおりたミトヒが繰り返す。

 どうやら二人とも脱水症状を起こしており、二階からおりてきたジジジクが二人に砂糖入り食塩水を調合し差し出した。「これはなんの騒ぎ?」

「私も知りたいわよ」ライニーカールはいつも以上に呆れた口調だ。「なんだって二人とも、あんな汚い格好してあんな所にいたのよ」

「それが大発見だったんだよ」ルダは水を一口飲んでそう言った。本当ならごくごくと一気に飲み干してしまいたいのだろうが、ルダはその水分摂取方法が体に毒であることを知っていた。「浮遊していたマイマイマイが何かのビンを持っていたんだ」

「ビンを!?」スレツはライニーカールに顔を向ける。

 ライニーカールは不意を突かれキョトンとした。

 水をもう一口飲んで、ルダは続けた。「な、びっくりだろ。だからおれたちは慌ててそのマイマイマイを追いかけたんだ――お前たちの〈グライダー〉起動試験に立ち会った、あの後すぐの話だぜ。それからおれたちは今まで一睡もせず食事も摂らず、そのうえ嵐にも襲われながら奴を追いかけた。だが結局、奴は上昇気流に乗って《惑星ジー》に行っちまった」

ルダはタバコを探してポケットに手を入れ、湿ってぐちゃぐちゃになった箱を引っ張り出し一瞥したあと、それをゴミ箱に捨てた。「奴らは本当になにを考えて漂ってんだろうな。マジで謎な生物だぜ」

「マイマイマイの思考についてはさて置いて」ライニーカールが静かに切り出す。「そのビンの正体は三通りの想像ができるわ」

 ジジジクが目を見開いて割り込んだ。「一つは君が持たせたビン。もう一つはその中身に対するなにかしらの反応が詰められたビン……」

「あとはそのマイマイマイが全く別の個体で、私とも何ら関連のないビンか」

「その可能性は低いと思うけどな」

「どうかしらね」ライニーカールは故意に慎重な姿勢をジジジクに向ける。

 ミトヒがちびちび水を飲みながら会話に入ってきた。「今のやり取りはどういうことですか? もしかしてあれはライニーカールさんが取り組んだ実験の一つなのですか?」

「そうかもね」ライニーカールはミトヒの存在を少し疎むようにしながらも頷く。

「マジか」と事情を知らないルダが疲弊しつつも驚いた。

「詳しくお話を聞かせてください」

 ミトヒが好奇心を持って言うが、ライニーカールは頭を振った。

「気が向いたらね。私たちはもう帰るから。それよりもあなたたち――」と言ったところで、ルダとミトヒが同時にくしゃみをする。

「さっさとシャワーでも浴びて着替えたら?」

 ライニーカールの気の利いた提案に、二人は素直に頷いた。

 その後ガレージに戻ったスレツとライニーカールは、さっそく模型〈グライダー〉の部品をまとめ、図面と模型の改良に取り掛かった。

「でも、どっちなんだろうね」

 唐突にスレツが言う。

 ライニーカールはそれが先ほどの話の続きであることをすぐに察した。

「マイマイマイが持っていたビン? ……それはわからないわ。観測してみないことには、今はなんとでも言える状況よ」

「じゃあもし仮に《惑星ジー》の誰かが持たせたビンだったなら、どうしてマイマイマイはまた《惑星ジー》に行っちゃったんだろう?」

「その場合マイマイマイの目的は、単に反対の惑星に移動することではないかもしれない、って仮説が立てられるわね。でもナイスな疑問よ、スレツ」

「どういうこと?」スレツは聞きながら模型〈グライダー〉をそっと机の上に置く。

 ライニーカールは模型〈グライダー〉の図面を広げ、鉛筆でさらさらと改良案を描きながら言った。

「私の観察によると、マイマイマイの星渡りはすごく短期的なスパンでおこなわれているの。――ねぇスレツ、考えてみて。もしマイマイマイの目的が本当に〝反対の惑星に行く〟ただそれだけなのだとしたら、その周期は必然的に長期的なものになるでしょ? せっかく惑星から飛び出したのにまたすぐ惑星を飛び出そうとするなんて非合理的としか思えないもの。でも今回のルダたちの報告からすると、どうやら彼らは実際にその非合理的行動をとっている可能性が出てきた――それはビンの中身が私の書いた手紙でも返信の手紙でも同様に言えることだわ。いずれにしても数ヶ月前に《惑星ジー》に飛んでいった個体がもうまた〈惑星エフ〉に来ているんだもの――そしたらこれはどういうことだと思う? マイマイマイはただ単に非合理的なことを繰り返す愚かで下等な生物であると決めつける? それとも、どこか私たちがまだ発見できていない領域にその非合理を解き明かす鍵があるかもしれないと考える?」ライニーカールは手近にあった定規を手に取って続ける。「私は後者に賭けてみたいの。意味がわからないことなんてこの世界には存在しないのよ。どんなものにも必ず答えはあるわ」

「じゃあマイマイマイが星渡りをする本当の目的は……」

「仮説の仮説になるけど、例えば私たちはマイマイマイがどうやって子孫を残しているのか未だ解き明かせずにいるでしょ。有力な説は〝それは《惑星ジー》でおこなわれている〟だけど、その様子を望遠鏡で観測した人はまだいない」

「望遠鏡で《惑星ジー》にいる一つの生物を継続的に観察するなんて不可能だよ。僕と《ジェヌ》みたいな定点観測じゃないんだし」

「だけど世の中にはもっと観察困難な場所があるわ」

「嵐の雲の中とか?」

「真面目に考えなさいよ。嵐の最中にマイマイマイは浮上する? 彼らの行動をしっかりと思い出してみて。彼らはいつも嵐の後の上昇気流を狙ってるでしょ。そしてたぶんそれは《惑星ジー》側でも同様に行われている。だとすると彼らが一番集まるのはどこ?」

 スレツはピンと閃き、ライニーカールがそれを言葉で解説した。

「《惑星ジー》と〈惑星エフ〉の重力の拮抗が生み出す共通重心の無重力空間――重力隙じゅうりょくげき。私は、マイマイマイはそこに集まってるんじゃないかなって思うの。もしかしたらコロニーになっているかもしれないわ。彼らは普段はそこで過ごしていて、時々風や重力や何らかのきっかけで惑星に放り出されてしまうことがある……ってね。そう考えればマイマイマイの習性も割と合理的なものになるでしょ?」

「うーん。あまりに仮定が重なりすぎてもう僕には」

「ま、行ってみればわかることよ。推測の域から抜け出すためには観測しないとね」言い終わったところでライニーカールは大げさに鉛筆を流し「できた!」と図面を持ち上げる。

 早くも修正された図面に新たに描かれていたのは、尾ひれの側部から地面に対して水平に飛び出した短い後翅だった。

「これで機体は安定するはずよ。あとは翅骨格の形なんだけど……」

 それからライニーカールとの打ち合わせは夜遅くまで続き、翌日もその翌日も、ほんのわずかな睡眠を挟んで、スレツとライニーカールは〈グライダー〉の試験と調整を続けた。

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