ぼく-21による記述
①
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あれからいったい、どれくらいの時間が経ったのだろう。
気づけばぼくは、集団から取り残され始めていた。前を行くぼくたちは、誰ひとりとして振り返りもしない。うつろな目をして次の戦いを目指す彼らに、ぼくのような落伍者を振り返る余裕などあるはずもない。
やがて重たい足音の群れは、はるか先に遠ざかり――そして消えた。あとに残ったのは静寂。風はそよとも吹かず、出した声さえ吸い込まれてしまうような。
不思議な気持ちだった。
あれほどぼくを駆り立てた衝動が、いざひとりになってみると、嘘みたいに消えている。まるで夢から覚めたように。
もういい。満足だ。
ぼくは精一杯やった。結局ここからは出られなかったし、新しいことは何一つ分からなかったけれど、それはそれで、無駄ではなかったと思いたい。
後悔はなかった。ぼくはすっかり見慣れた白い空を見上げ、そして踵を返す。いままで歩いてきた道を、反対方向に。
とっくに忘れていると思っていたその場所を、足はまだ覚えていた。
――帰ろう。
※
どれも寸分たがわず同じ。そのはずなのに、見分けはつくのだった。
ぼくは黙って、その灰色の直方体を見上げる。
……懐かしい。
そんな感情が浮かぶのが、なんだか可笑しかった。ここにいい想い出なんてひとつもない。どころか、ぼくを苦しめ続けた元凶であるはずなのに。
ここまで戻る長旅のせいで、右足はもう動かなくなっていた。
頭が重い。
あまり、難しいことは考えられなくなっていた。まるで
かつての『ぼく』たちが通り過ぎた工場。解放されたその日の熱狂はいまや残り香さえなく、閑散としている。自身と同じ顔をした英雄たち。世界と記憶の真実。そして終わりなき凱旋の日々。ぼくは重たい足を引きずりながら、
下までたどり着く長い長い暗闇のなかで、ぼくは腰に下げた
いままでのことを思い出す。
すべてが陽炎のような、一夜の夢のように思えた。出会って死んだ数多の「ぼく」たち。同じに見えて違い、違うはずなのに同じな、不思議な関係。ぼくたちは出会い、そして別れていった。そういえば、あるぼくとは各々に別の名前をつけて呼び合おうって話にもなったっけ。結局、それを実現する前にそいつは死んだ。相手の
明るい
の、はずだった。
「うぉっ」
開いた扉の向こう、後ずさる影。驚いたのはぼくも同じだった。だけど咄嗟に
「なんだよ……びっくりさせやがって」
待って。
振り返ってそう云ったときには、もう扉は閉じていた。
なぜ?
どうしてここにまだ、ひとがいる?
戦いで傷ついていたはずの廊下は嘘みたいに綺麗になっている。場所を間違えた? そうかもしれない。だがぼくの直観は確かにここだと云っているのだ。この光景を見ているいまでさえも。
わけのわからないままに、それでもぼくの足は勝手に動く。くねくねと曲がる廊下をゆっくりと歩き、そして辿り着いた。ぼくの部屋の前へ。
開け放していたはずの扉は閉じている。それはでも、ぼくが目の前に立てば自動的にぼくを迎え入れてくれるはずだ。
開かない。
開かない。
開かない。
開かない。
開かない。
開かない。
開かない。
意味がわからなかった。扉を叩いた。思い切り力を込めたはずなのに、それは驚くほど弱弱しい音しか立てなかった。
なぜだ。ここはぼくの部屋だ。
足元がおぼつかない。ぼくは壁に手をつきながら歩いた。どこまでも続く廊下。だまし絵みたいな道のり。そうだきっと間違えたんだ。ひとつひとつまわろう。ぼくの部屋がみつかるまで。
それからぼくはさまよった。手当たり次第に扉を叩いた。途中、なんどか労働者たちとすれ違った。かつてぼくがしていたような、五人組の行進。だけど彼らはぼくが声をかけても、まるで無視して通り過ぎるのだ。ときには五人同時に舌打ちさえして。追いつくにはぼくの動きは緩慢すぎた。
どこだ。ぼくの部屋はどこだ。
最期はそこで寿命を迎えようと思っていたのに。これじゃぼくは、ぼくとして死ぬことさえできない。なんにも得られず、どこへも帰れないまま終わりを迎えるなんて、みじめだ。あんまりにもみじめじゃないか。かえしてくれ。ぼくの居場所を、かえしてくれ。
ぼくは歩いた。広場があった。たくさんのひとがいた。だれもぼくを相手にしてくれなかった。えらそうなひとに道を聞こうとしたら、こわい棒でおいはらわれた。
ぼくはあるいた。夜にそこかしこのとびらを叩いてまわった。だれもへんじをしてくれなかった。だれでもいいから、出てきてくれないかな。ぼくも仲間に入れてよ。大丈夫、これでもむかしは優秀だったんだ。だいじょうぶ、いっしょうけんめいはたらくから。
たまに、にたようなひとたちにあった。だけどかれらも、ぼくも、なぜだかお互いにくちをきかなかった。なぜだかはずかしかった。ぼろぼろで、あしをひきずって歩く、うすぎたないふくを着た、男たち。なんだろう、むかし、こんなひとたちを、みたことがあったような気がする。でもおもい出せない。なんだかさいきん、きおくがうまくできない。このままじゃだめだ。しょぶんされてしまう。けいやくがおわってしまう。へやにもどらなきゃ。しごとにもどらなきゃ。
あるひる、おおきな音がどこかでなった。なんだかなつかしい気がした。だから、ぼくはそのおとがするほうへむかった。だれかが、たたかっていた。あのこわい棒をむちゃくちゃにふりまわして、まわりのひとをなぐりたおしていた。それから、かれらのますくを、むりやりとりあげていた。
おぼえてるぞ!
ぼくも! ぼくもなかまにいれてくれ!
だけど、そのひとはぼくをみると、かおをゆがめてぼくをなぐった。なんで? なんでみんな、ぼくをなかまはずれにするの? ぼくはないた。ないて、めちゃくちゃにうでをふりまわした。かえして、ぼくのばしょをかえして。なにかをつかんでちからまかせにひっぱったらとれた。だれかがうめいたようなきがした。ざまあみろ。ぼくをいじめるからだ。だけどそのとき、ぼくのぜんしんにびりびりがはしって、うごけなくなった。ゆかにはなをぶつけた。ぬるぬるしたちのあじ。なんだかそれもなつかしいかんじがした。
くろうしてあおむけになると、だれかがぼくをみていた。いっぱいのひとたち。あはは、みんなおなじかお。あはははははは。おもしろいなあ。
ねえ、なかまにいれてよ。
「まだあーあー云ってら……。なあ、こいつはどうする?」
「説得もしようがないだろう、崩我族なんて」 「そりゃそうだ」
いたい。
たすけて。
いやだ。
まだしにたくない。
ぼくは、ぼくは、ぼくは――
――だれだっけ?
>> 記述終了
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