ぼく-21による記述


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 あれからいったい、どれくらいの時間が経ったのだろう。

 からだはもう、そこかしこが不具合だらけだった。意思と裏腹に、それはゆっくりと、錆び付いたようにしか動いてくれない。工場の外に出てから、ぼくたちには本来、食事も排泄も睡眠も必要ないことを知った。それはぼくが複製人クローンですらないなにか……たとえば有機部品を作った機器人ロボットのような……であることの証左に他ならなかったが、そのことに随分と助けられたような気もする。老いも疲れもないぼくたちは、激情に身を任せるまま、戦って、戦って、戦い続けた。だがさすがにもう、限界が来たようだ。きっと、ぼくの製品としての寿命なのだろう。

 気づけばぼくは、集団から取り残され始めていた。前を行くぼくたちは、誰ひとりとして振り返りもしない。うつろな目をして次の戦いを目指す彼らに、ぼくのような落伍者を振り返る余裕などあるはずもない。

 やがて重たい足音の群れは、はるか先に遠ざかり――そして消えた。あとに残ったのは静寂。風はそよとも吹かず、出した声さえ吸い込まれてしまうような。

 不思議な気持ちだった。

 あれほどぼくを駆り立てた衝動が、いざひとりになってみると、嘘みたいに消えている。まるで夢から覚めたように。

 もういい。満足だ。

 ぼくは精一杯やった。結局ここからは出られなかったし、新しいことは何一つ分からなかったけれど、それはそれで、無駄ではなかったと思いたい。

 後悔はなかった。ぼくはすっかり見慣れた白い空を見上げ、そして踵を返す。いままで歩いてきた道を、反対方向に。

 とっくに忘れていると思っていたその場所を、足はまだ覚えていた。

 ――帰ろう。


 ※

 

 どれも寸分たがわず同じ。そのはずなのに、見分けはつくのだった。

 ぼくは黙って、その灰色の直方体を見上げる。

 ……懐かしい。

 そんな感情が浮かぶのが、なんだか可笑しかった。ここにいい想い出なんてひとつもない。どころか、ぼくを苦しめ続けた元凶であるはずなのに。

 ここまで戻る長旅のせいで、右足はもう動かなくなっていた。からだ全体の動きがひどく緩慢で、少し動くだけでも異様に疲れる。

 頭が重い。

 あまり、難しいことは考えられなくなっていた。まるでからだの不備に引きずられるように。いよい限界寿なのかな……と、そんなことを思う。

 かつての『ぼく』たちが通り過ぎた工場。解放されたその日の熱狂はいまや残り香さえなく、閑散としている。自身と同じ顔をした英雄たち。世界と記憶の真実。そして終わりなき凱旋の日々。ぼくは重たい足を引きずりながら、電梯エレベータに乗る。

 下までたどり着く長い長い暗闇のなかで、ぼくは腰に下げた面具マスクを手にとる。ひび割れたそれは、もうとっくの昔に動かなくなっている。ぼくはそれを顔に被った。螢幕バイザー越しの、懐かしい視界。

 いままでのことを思い出す。

 すべてが陽炎のような、一夜の夢のように思えた。出会って死んだ数多の「ぼく」たち。同じに見えて違い、違うはずなのに同じな、不思議な関係。ぼくたちは出会い、そして別れていった。そういえば、あるぼくとは各々に別の名前をつけて呼び合おうって話にもなったっけ。結局、それを実現する前にそいつは死んだ。相手の面具マスクを外すのに手間取って、電撃を浴びたのだ。黒焦げになったあいつは、ほかのぼくの死体と区別がつかなかった。ぼくの死体を見るのにも、その頃にはもう慣れていた。

 明るいベルの音と共に、扉が開く。無人の廊下。かつての戦いの傷跡をそのままに廃墟と化した、ぼくの故郷。

 の、はずだった。

「うぉっ」

 開いた扉の向こう、後ずさる影。驚いたのはぼくも同じだった。だけど咄嗟にからだが動かない。なんだ? お前は誰だ?

「なんだよ……びっくりさせやがって」

 面具マスクと作業着。見慣れた装備の誰か。彼は面具マスク越しの合成音声で、ぼくに毒づく。待って。伸ばした手を強引に掴まれ、ぼくは電梯エレベータから引きずりだされる。


 待って。


 振り返ってそう云ったときには、もう扉は閉じていた。

 なぜ?

 どうしてここにまだ、ひとがいる?

 戦いで傷ついていたはずの廊下は嘘みたいに綺麗になっている。場所を間違えた? そうかもしれない。だがぼくの直観は確かにここだと云っているのだ。この光景を見ているいまでさえも。

 わけのわからないままに、それでもぼくの足は勝手に動く。くねくねと曲がる廊下をゆっくりと歩き、そして辿り着いた。ぼくの部屋の前へ。

 開け放していたはずの扉は閉じている。それはでも、ぼくが目の前に立てば自動的にぼくを迎え入れてくれるはずだ。


 開かない。

                       開かない。

         開かない。


開かない。

 

            開かない。

                      開かない。

開かない。 



 意味がわからなかった。扉を叩いた。思い切り力を込めたはずなのに、それは驚くほど弱弱しい音しか立てなかった。

 なぜだ。ここはぼくの部屋だ。

 足元がおぼつかない。ぼくは壁に手をつきながら歩いた。どこまでも続く廊下。だまし絵みたいな道のり。そうだきっと間違えたんだ。ひとつひとつまわろう。ぼくの部屋がみつかるまで。

 それからぼくはさまよった。手当たり次第に扉を叩いた。途中、なんどか労働者たちとすれ違った。かつてぼくがしていたような、五人組の行進。だけど彼らはぼくが声をかけても、まるで無視して通り過ぎるのだ。ときには五人同時に舌打ちさえして。追いつくにはぼくの動きは緩慢すぎた。

 どこだ。ぼくの部屋はどこだ。

 最期はそこで寿命を迎えようと思っていたのに。これじゃぼくは、ぼくとして死ぬことさえできない。なんにも得られず、どこへも帰れないまま終わりを迎えるなんて、みじめだ。あんまりにもみじめじゃないか。かえしてくれ。ぼくの居場所を、かえしてくれ。

 ぼくは歩いた。広場があった。たくさんのひとがいた。だれもぼくを相手にしてくれなかった。えらそうなひとに道を聞こうとしたら、こわい棒でおいはらわれた。

 ぼくはあるいた。夜にそこかしこのとびらを叩いてまわった。だれもへんじをしてくれなかった。だれでもいいから、出てきてくれないかな。ぼくも仲間に入れてよ。大丈夫、これでもむかしは優秀だったんだ。だいじょうぶ、いっしょうけんめいはたらくから。

 たまに、にたようなひとたちにあった。だけどかれらも、ぼくも、なぜだかお互いにくちをきかなかった。なぜだかはずかしかった。ぼろぼろで、あしをひきずって歩く、うすぎたないふくを着た、男たち。なんだろう、むかし、こんなひとたちを、みたことがあったような気がする。でもおもい出せない。なんだかさいきん、きおくがうまくできない。このままじゃだめだ。しょぶんされてしまう。けいやくがおわってしまう。へやにもどらなきゃ。しごとにもどらなきゃ。

 あるひる、おおきな音がどこかでなった。なんだかなつかしい気がした。だから、ぼくはそのおとがするほうへむかった。だれかが、たたかっていた。あのこわい棒をむちゃくちゃにふりまわして、まわりのひとをなぐりたおしていた。それから、かれらのますくを、むりやりとりあげていた。

 おぼえてるぞ!

 ぼくも! ぼくもなかまにいれてくれ!

 だけど、そのひとはぼくをみると、かおをゆがめてぼくをなぐった。なんで? なんでみんな、ぼくをなかまはずれにするの? ぼくはないた。ないて、めちゃくちゃにうでをふりまわした。かえして、ぼくのばしょをかえして。なにかをつかんでちからまかせにひっぱったらとれた。だれかがうめいたようなきがした。ざまあみろ。ぼくをいじめるからだ。だけどそのとき、ぼくのぜんしんにびりびりがはしって、うごけなくなった。ゆかにはなをぶつけた。ぬるぬるしたちのあじ。なんだかそれもなつかしいかんじがした。

 くろうしてあおむけになると、だれかがぼくをみていた。いっぱいのひとたち。あはは、みんなおなじかお。あはははははは。おもしろいなあ。

ねえ、なかまにいれてよ。

「まだあーあー云ってら……。なあ、こいつはどうする?」

「説得もしようがないだろう、崩我族なんて」 「そりゃそうだ」


 いたい。

 たすけて。

 いやだ。

 まだしにたくない。

 ぼくは、ぼくは、ぼくは――

 


――

 

 










>> 記述終了


 精神分數メンタルスコア:――― 状態ステータス・終了。


 統體入力αの模擬エミュレートが完了しました。

 本程式プログラムの工程をこれで終了します。

 

 回帰入力を終えるまでお待ちください。

 

 お疲れ様でした。

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