ぼく-2486による記述
①
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この事実に気付けたのは、ほとんど奇跡だったように思う。
きっかけは、ある労働者の暴走だった。大した騒ぎではなかった。作業にあたっていたひとりが突如叫び出し、
だが問題はここからだった。
一連の処理を終えたぼくは、その内容を念のため日誌に記録しようかどうかを考え――ふと、ひとつの疑問を抱いた。
「以前、日誌を書いたのはいつだったっけ?」
なんてことのない問題のはずだった。問うた自分自身、そう思っていた。おそらく暴動が起こらなければ考えもしなかったはずだし、すぐにそんなこと忘れて、いつも通り懐かしい想い出の世界に戻ってもよい気がした。
だがぼくはたまたま、この疑問を手放さなかった。
そして気づいてしまったのだ。
記憶が思い出せないことに。
たった二十四時間前のことですら!
昨日食べた飯はなんだった? 起きた時刻は? 作業区分はいくつで、どんなことをやった? 毎晩楽しみにしている就寝前の娯楽――
すべて空っぽだ。
直近の記憶は今朝から始まっている。この工場に来る前の記憶もはっきりと思い出せる。つまり正確に云えば、工場に来たその日から今朝までの記憶が、ごっそり抜け落ちていた。
……ぼくが管理者でよかったと思う。もしぼくが労働者だったなら、この大きすぎる感情の揺らぎを感知した
瞑想
この不自然な記憶の欠落が意味するものはなにか?
単純に考えて、ぼくはどうやら記憶を消されているとみるべきだ。
それがきょうだけのことなのか、あるいは毎日のように行われていることなのかは分からない。だがなんとなく、後者であるような予感がした。もし前者であれば、ぼくは次に記憶が消されるのがいつなのか常に怯えながら働くことになる。そんな状態でどうしてまともに働くことができるだろう?
ぼくはどうやら毎日記憶を消されている……。
そこから導かれる推論はふたつ。
ひとつ。ぼくは当初の契約期間を大幅に超えて、なおここで働いているのかもしれない。
契約期間は四十年、自分を五人に
そして、もうひとつ。
――ぼくもまた、
いままでこう思っていた。自分のほかにあと四人、ぼくの
なぜいままで思い至らなかったのだろう?
ぼく自身もまた、疑似人格を与えられた
いや。
もしかしたらぼくは、過去にも何度か、同じ気づきをしたことがあるのかもしれないぞ。そして誰にも云えないまま、なにも出来ないまま、なすすべなく再び
もちろんすべては憶測だった。というより、憶測であってほしかった。ぼくはやはり本物のぼくで、記憶を消されているというのはただの妄想で、すべては単なるぼくのど忘れのせいだったと、そういうことにしたかった。だって、工場に来る前の記憶は鮮明すぎるのだ。荒れ果てた砂漠の村で虐げられながら育ったこと、
だがやはりどう頑張っても、工場での記憶は戻らない。思い出す気配もない。その事実が厳然と横たわっている以上、希望的観測も、悲観的観測も、なんの保証も持たない陽炎にすぎない。確認のしようがないのだ。
なんてひどい話だ!
ぼくの労働契約は四十年、
事態の元凶はあの
ただ、だからといって、部屋に戻らないわけにもいかなかった。管理者とはいえ、明らかに不自然な行動をすればとればたちまち懲罰対象だ。
記録が必要だった。
ぼくが記憶を失っても、記憶を消された事実を次のぼくに引き継ぐことができる、そんな記録が。
そこでぼくは、はたと気づく。
作業日誌だ。
すべての
だがひとつ問題がある。この日誌の存在を、どうやって明日のぼくに伝えよう?
きょうの奇跡がまた起きて、そして同様に日誌の利用を思いつく。その確率はどのくらいだろうか。その間、これが処分されずにいうという可能性は?
考えるまでもなく、とても低い。なにか手段が必要だ。気づく可能性を少しでも高める手段が。たとえばどこかに文章を書いて残したりとか……自分の體(からだ)に書く? いや、
そうだ!
あれを一枚やぶり、枕元にこんな書き置きを残しておこう。
『われわれの記憶は偽物だ。日誌を見ろ』
うん。いいぞ。
明日のぼくは事実に気付くだろうか?
……そう信じたい。
記憶がなくても、ぼくはぼくだ。
その思考の道筋は、自身が一番よく把握している。
きっと明日の彼は、紙片の意味に気付き、この日誌に気付き……そして受け継いでくれるはずだ。
ぼくの意思を。
ぼくの記憶を。
いまやぼくの目的は変わった。
いつ来るとも知れぬ労働の終わりを信じて働き続けるのはもう終わりだ。
ここを脱け出してみせる。自分の力で、今度こそつかみ取るのだ。
真実と、自由とを!
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