ぼく-577による記述


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 ――本当にあった。

 それが最初の感想だった。

 最初に紙片を見つけたときは、誰かの悪戯か、別の人間(それも妄想狂に違いない)が誤ってぼくの寝床に紙片を放り込んだのか、そのどちらかだと思っていた。

 だが実際に日誌には記述があった。そして、書かれている通りのことが起きていた。確かにぼくにはきょうより以前の記憶がない。正確に云うと、工場に来てからきょうまでの記憶が。ぼくの身は震える。恐怖と――それ以上との怒りとに。

 とはいえ、昨日の「ぼく」の期待に応えられそうな見通しはないままだった。ぼくにも良い方法なんて思い浮かばないからだ。だってそうだろう? 無数の監視機カメラ面具マスクによる絶え間ない監視。これらを潜り抜けて現状を打開する手段なんて、ちょっとやそっとで思いつくわけがない。なにしろぼくの能力は昨日のぼくと同等なのだ。

 できることといえば、再びの丸投げ――つまり、また明日のぼくにこの問題を引き継ぐことくらいだった。

 だが前回の記述を見て唯一新たにわかったことがある。ぼくの監視体制についてだ。少なくともぼくがこの面具マスク越しに見ている視界、それ自体は監視されていないと思う。でなければ昨日この日誌を書いていた様子は工場側に筒抜けなわけで、ぼくは処分、この日誌はごみ箱行きに違いないからだ。前回のぼくはその可能性には気づかなかったみたいだけれど……。面具マスクが感知するのは、ぼくたちの健康状態、位置情報、それから、もしあるとすれば音声くらいだろうか? ほとんど一日喋ることのないぼくたちの声を記録することに意味があるとは思えないが。

 つまり、ぼくがこの部屋の監視機カメラの死角で作業をする限りにおいては、ぼくたちは自由ということだ。通常の業務を逸脱する行動を起こしたり、大きな動揺を感じ続けたり、監視機カメラが見張っている場所で余計なことをしない限りは、ぼくの行動に嫌疑はかからない。

 

 いまのぼくが残せる情報は以上。

 次のぼくの健闘を祈る。

 

 ――追伸。

 きょうもちょっとした小競り合いがあった。作業区分βー5で、ひとりの労働者が暴動を起こしたのだ。崩我族と班長にあっさり鎮圧されてしまったけれど。

 

 ……だが、反乱を起こしたのがまたしても「ぼく」とは、どういうことだろう。

 偶然にしては出来すぎていやしないか?

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