ぼく-4281による記述


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 きょうもひとりの労働者が暴走を起こした。ほかの区長が担当する作業区分でも中規模な反乱があったらしい。隣接する区長らが共同で鎮圧にあたったという報告が面具マスク越しに伝達事項として伝わってきた。

 ぼくも今回は新たな事実を報告できそうだ。

 きょう起きた暴動の鎮圧後、ぼくは自身に起きている異常に気付いた。騒ぎを日誌に残そうかどうか迷ったことではじめて、自身の記憶の欠落に気付き、また過去のぼくたちの記述に辿り着いたのだ。

 ……云っている意味がわかるだろうか?

 つまり、異常に気付けたのはまったくの偶然。

 ぼくの寝床には紙片が入っていなかったのだ。

 昨日のぼくが入れ忘れた? ありえない。

 紙片が取り除かれてしまった? その可能性はまあ、なくもない。

 だが、ここできょうの暴動が絡んでくる。それを起こしたのは、やはり「ぼく」だった。過去の記述を読む限り、これで三回目。あまりに頻度が高すぎる。

そこまで考えたところで、ぼくはひとつの仮説に思い至る。

 つまり……

「区長」であるぼくは、次の日も「区長」になるのだと、これまでのぼくたちは当たり前のように考えてきた。だからこそ、日誌を書き、寝る前に枕元に書き置きを残すことで、情報の引き継ぎをはかったのだ。

 だがそうではなかったとしたら? ぼくの役割が、同室の「ぼく」たち四人と毎日入れ替わっているのだとしたら。

 ぼくは思い出す。きょう暴動を起こした労働者の様子を。前触れのない反乱。投げ捨てられた面具マスク。なにかに怯えているような表情。同じぼくだからこそ分かる。あれは、あの様子は、ただ労働に嫌気がさして逃げようとしたとか、そういう類のものでは決してない。

 ……仮に、明日のぼくの役割が「労働者」だったとしよう。「われわれの記憶は偽物だ」という枕元の紙片を見たぼくは、いったいどうする? 「日誌を見ろ」といわれても、膠囊艙床カプセルベッド筆記本ノートにはなにも書かれていないし見る暇もない。

 作業区に行ってもぼくは考え続けるだろう。紙片を見た過去のぼくたちと同じように。そして、記憶を失ったぼくも、きょうのぼくと同程度の思考能力を持ち、また同じような筋道で物事を考えるとするならば。

 やはりまた、辿り着くのではないか。

 自分の記憶が欠落しているという事実に――。

 根拠不明な妄想? ああ、確かにそうかもしれない。だが……。何度も起こる暴動。そのすべての実行犯が「ぼく」であること。寝床に入っていなかった紙片。様々な不合理を、少なくともこの仮説はきれいに説明してくれる。

 事実を知った労働者のぼくはどうなる? 区長のぼくと違って、労働者は電流懲罰を免除されていない。そんな究極の緊張の中で、自分の記憶を疑いながら平静さを保って作業することができるだろうか? 作業が滞れば電流に焼かれ、それでもだめなら――行きつく先は処分だ。逃げ場のない袋小路。確実に歩み寄る死。

あとは、いままでの「ぼく」たちの記述に残されている通りだろう。

 捨て鉢の暴動――そして処理。

 今朝、ぼくの部屋には「ぼく」が三人しかいなかった。欠員が出たのだ。彼は翌日には復帰すると、ぼくの記憶は語っていた。おそらくきょう帰宅したときにはいつの間にか欠員が埋められているのだろう。だが代わりに、別のひとりが欠員となっているはず。

 それはきっと、昨日は区長だったはずのぼくで。

 そして明日のぼくの、成れの果てなのかもしれない……。

 拳に力が入るのが分かった。

 真実を知れば待っているのは確実な死。

 どこまで腐っていやがるんだ、この工場の系統システムは?

 その仮説が事実だとしても、ぼくは紙片を残すことをやめられない。明日同じこのぼくが情報を引き継げるかどうかなんて関係ない。毎日記憶を消される自分にとって、この記述は、きょうこの瞬間、確かに生きた証なのだ。

 それに希望はある。

 きょうのぼくは、労働者であるぼくの暴動を通じて真実に気が付いた。

 だとすれば、仮に明日のぼくが区長ではなく労働者になったとしても、暴動を通じて明日の区長であるぼくに情報を引き継ぐことができるはず。

 ……そう思えば、明日の自分が辿るかもしれない運命も、受け入れられる気がした。

 明日のぼく。

 そして未来のぼく。

 このくそったれな工場から、いつかきっと、絶対に脱け出してくれ。

 そのためならいくらでも、ぼくは犠牲になってやる。

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