貳章

ぼく-5による記述


〈〈

 

 五人のぼくがこの部屋にいる。数にはぼく自身も含まれているから、つまりぼくを除いてほかに四人、余計なぼくがいるということになる。



 ぼくは十八から人形ヒトガタ工場で働いていて契約期間は四十年、五人で分担しているから実際のところは八年で、それもきょうで中間地点を折り返した。昨日の仕事後、面具マスク姿の班長がやってきて、「きみは実によくやっている、ここまでたない者は多いのだ、引き続きこの調子で続けなさい」と噪音ノイズだらけの人工音声で褒めてくれたけれど、それを聞いたぼくの心には特になんの感慨も湧いてこない、だってそうだろう、翌日もその翌日もそのまた翌日も続くのっぺりと継ぎ目のない開け放した蛇口みたいに相似形な日々、そのいちいちの節目に心を動かす必要性がどこにある? 大事なこと、それは一四六○日後に訪れる契約終了の瞬間、つまりそこに至るまでの一日一日はただの無用な石くれで、崩れないよう気を払って積み上げること以外になんの意味もない。石積みの塔の先が天に触れる瞬間こそがこの日々の本質であり希望、ぼくはそれをいつでも忘れずにいる、日常がどれだけぼくを埋め立てようと。

 

 ※


 七時。起床後手早く準備を終えたぼくと「ぼく」たちは、完全装備で部屋を出た。

 すべてまったくいつも通り――とは、いかない。

 今朝、欠員がひとり出た。動作不良による維修メンテナンスだ。先頭を歩くぼくが見る風景に変わりはないが、もし振り返ったとすれば、あとを続くぼくたちの数がひとり減っていることが確認できるだろう。無論、そんな無駄な行動はとらないが。

 くねくね曲がる工場への道のりも、四年目ともなれば慣れ親しんだ庭のようなもの。ほとんど意識することもなく、ぼくは迷わず歩を進めていく。

 七時十三分、工場の入り口に到着。

 それは五つの電梯エレベータで、廊下のどん詰まりの横、左手側の壁に並んでいる。ぶ厚い金属製の扉は油をひいたように滑らかな光沢を放ち、その表面には塗料で「いち」「」「さん」「」「」の番號が振られていて、突き当りまでまっすぐ進んで左を向くとそこはちょうど「壹」の電梯エレベータの目の前だ。床にはひとりが立ってぴったり収まるくらいの枠が白く描かれていて、ぼくは一歩踏み出してその中に入る。視線は前を向いたままだが、等間隔を保ってついてきたほかの「ぼく」たちもまた、同時に各々の番號の前に立っているはずだった。

 電梯エレベータの扉が開き、ぼくは中へと入る。背後で閉まる扉。中は棺桶のように狭い。両足に緩やかな重量感。ぼくを乗せ、上へ上へとひたすらのぼってゆく。

 遠くから響く歯車の唸り――

 ぼくはこの時間が嫌いだった。予定で埋まった一日にぽっかりと開いた虚無。どこにも行けない。なにもできない。それがどうにもたまらない。

 ぼくは口笛を吹く。時間の隙間を埋めるために。それはいつだったか、愛しい『彼女』がぼくに教えてくれた歌だった。名も知らぬ山岳で暮らす遊牧民たちの、大地の恵みを寿ぎ、天なる神へ感謝を捧げるための歌。その素朴な旋律は、高く低く、風の音のように暗闇を裂く。はるか昔から知っていたような、もの悲しいけど暖かい、胸を不思議と満たす音。目に浮かぶ情景は、遥けき山脈と、そのさらに上、果てしなく広がる蒼穹の天蓋ドーム……。

 電梯エレベータの到着を告げるベルの音。からだを訪れる軽い浮遊感。口笛をやめる。情景が消える。

 開いた扉から一歩踏み出すと、ほのかな赤い光がぼくを照らした。そこは大小さまざまな画面に埋め尽くされた狭い部屋。部屋の中心に置かれた椅子にぼくが座ると、それらは一斉に点灯する。

 映った画面は上下左右、どれも似たようなものだ。広大な空間。様々な角度からとらえられたその場所は、どこも無数の人たちで埋め尽くされている。墨緑色モスグリーンの作業着、顔を覆う面具マスク、安全靴を引きずる姿勢まで判を押したように同じ労働者たちの群れ。彼らは辿り着いた先で班長たちの警棒に追い立てられては、それぞれの作業区によろよろと歩いていく。その様子はまるで家畜を見ているようでひどく醜悪だった。なにより受け入れがたいのは、あの労働者のなかに「ぼく」自身も混じっているという事実だ。たとえ彼らが本人オリジナルたるぼくとは違う仿製品コピーだとて、やはり気分が良いものではない。

『おはようございます』

 出し抜けにぼくの面具マスクから響く女性の声。

 朝礼が始まったのだ。

『本日は紀元三○○年七月七日、星期四もくようびです。疲れも溜まっている頃でしょうが、最後まで集中力を切らさずにまいりましょう。あなたの管理する区分β―1から5は、すべて人形の仕上げ加工ラインです。危険はありませんが、繊細な操作が要求される作業のため、効率の低下が予想されます。適宜注意を促し、異常個体があれば報告をしてください。きょうの花は梅撫子ビスカリア、花言葉は望みを達する情熱、です。休みまであと二日、もう一息がんばりましょう!』

 管理職であるぼくは、社訓の斉唱を免除されている。もとよりあれに意味などない。「ぼく」を含む労働者たちの単純な自我を教化し、また壓力ストレスを発散させるための方法メソッドにすぎないのだ。ぼくの複體たる「ぼく」たちは、みな自分たちこそが本人オリジナルだと思っていて、ほかの「ぼく」たちが自分の真似をしていると信じている。実際は膠囊艙床カプセルベッド面具マスクによって同期されているにすぎないのに、それが自分の意思による行動だと刷り込まれている。なぜそんな面倒な管理をするのかは知らない。知る権限は与えられていないし、もとよりぼく自身それを知りたいとも思わなかった。大切なことは、契約の終わりと与えられる報酬。それ以外のことに意味も興味もない。

 

 社訓斉唱が終わった。再びぞろぞろと動き出す労働者たちの姿を眺めつつ、ぼくは脚を組んだ。これから長い一日が始まる。監視を続けるだけの退屈な時間。

 ……だがきょうは違う。

 ぼくは思い出す。

 きょうの朝に膠囊艙床カプセルベッドのなかに入っていた紙片。

 筆記本ノートを破いたようなそれに殴り書きされていた言葉を。


『われわれの記憶は偽物だ。日誌を見ろ』



 ぼくの親がどんな人だったのか、ぼくは知らない。物心ついたときには親はおらず、そしてぼくは殺風景な部屋にいて、まわりには白衣を着たたくさんの大人たちがいた。

「わたしのことは、“叔父さん”とでも呼んでくれたまえ。親しみを込めてね」

 そう云った彼は、どうやらこの施設の責任者であるようだった。身長はすらりと高く、顔は不気味なほど若く、まだ幼いぼくが見ても、まわりの人と明らかに違う雰囲気をまとっていた。親しみを込めた口調に反して、その目はとても冷たかったけれど。

「きみは事故で両親を失ったんだ。でも安心しなさい。わたしたちは政府の人間だ。これからきみを、責任をもって保護し、面倒をみよう」

 施設での生活で楽しかった想い出は少ない。ご飯はあまりおいしくないし、いろんな勉強や訓練をさせられたし、試験と称してよくわからないままに痛い思いをすることもあった。叔父以外の大人たちはみな冷淡で、必要があるとき以外は、ぼくがどんなに話しかけても絶対に口を開かず、触れず、また目も合わせてくれなかった。

 唯一の例外が、雅婷ヤーティンだった。

 彼女はぼくの世話係のなかで一番若く、まだ十代半ばくらいに見えた。だからだろうか、彼女はやたらとぼくに構った。それはたとえば、ぼくに対する罵倒だったり(特に勉強がわからないときは散々馬鹿にされた)、見えないところでぼくに足をひっかけて転ばせることだったり、ぼくのご飯に砂やごみを混ぜ込むといったことだった。それはとてもいやだったしときには痛かったけれど、彼女はぼくが泣きそうになるといつも近づいてきて、

「ごめんね、きみが可愛いから、ついいじめたくなっちゃうの」

 と云ってぼくの頭を撫でるのだ。その顔はとても優しくて、ぼくはいつも彼女を許してしまう。ぼくが大きくなるにつれ、彼女の悪戯はますます過激になっていったけれど、だけど彼女の笑顔を見るたび、ぼくの心には暖かいなにかが宿るのだった。

 かわりばえしない生活に区切りがついたのは、ぼくが十八になったある日のこと。

「なに、難しいことじゃない」

 週一回の叔父との面接。型どおりの近況報告のそのあとに、ぼくは突然、叔父から『工場』での仕事について聞かされたのだった。

「きみにやってもらうのは、ただの作業監督だよ……労働者たちが働く姿を監視し、怠けていたり、おかしな行動をしている人員を見つけたら報告するだけ。簡単だろう?」

 ただし、と彼は附け加える。

 労働期間は四十年。その間、工場の中から外に出ることはできない。工場内の寮で毎日寝起きすることになる。

 長すぎる、とぼくは云った。十八の男にとって、四十年という期間は永遠と同義語だ。そんなもの、到底受け入れられるはずもない。

「そうわがままを云っちゃいけない。ふつうはもっと長いんだよ。前に教えた通り、この国はひどい高齢化に悩まされている。きみたち若者は、国にあふれる老人たちを養ってゆく義務があるんだ――と、云いたいところだがね。正直、きみの気持ちはよく分かる。そうさ! 短い人生、その大半を、自分と関係のない人間のための労働に費やすことはない。若者の自由もまた最大限に守られるべきだ。だからこそ、わたしたちはこの研究を進めてきた。心配いらない。実のところ、きみが働く時間はもっとずっと短くていいのさ」

 自分をやす――

 彼が語ったのは、荒唐無稽でどこか奇怪グロテスクな、その工場の系統システムだった。

「短縮労働は、自身を含め最大五人まで、自分を『やす』ことで、労働の効率を高めるというものだ。労働期間は殖やした全員で分割し、労働期間も短縮できる。今回のきみの場合……もし最大限自分を殖やすのなら、四十年の労働が実質八年になるというわけだね」

 それから彼は、報酬についてぼくに伝えた。死ぬまで保証される政府からの年金、好きな公営住宅への移住権、そして優先婚約権。

雅婷ヤーティンはまだ独身ひとりみだよ」

 と彼は云った。

 正直に云おう。もっともぼくの興味を惹いたのはそれだった。お金とか、外の世界とか、ずっと施設のなかで過ごしてきたぼくにはあまり実感がわかないけれど、雅婷ヤーティンはこの生活の中心だったから。

「あの娘も、きみと同じ孤児でね……一生ここで暮らさせるわけにもいかないが、かといってこの施設の内情を知っている以上、下手な相手には預けられないのだよ。ああ、隠さんでもいい! きみたちふたりの仲は知っているつもりだ。彼女もどうやら、きみのことを憎からず思っている。そうだろう? どうだね、悪い話ではないと思うが」

「……もし断った場合はどうなるんですか?」

「残念ながら」と彼は渋面を作る。

「そうなれば、別の候補に譲るしかないな。これまで手塩にかけて育ててきたきみを処理するのは、わたしも心苦しいのだが、こればかりは仕方ない。役に立てない人員を飼う余裕はわれわれにはないのだ。理解してくれるだろう?」

 つまり実質、ぼくに選択肢はなかった。八年の労働もぼくにとっては長いけれど、処理――その言葉が持つ不吉な響きを、ぼくは敏感に察していた――されるのはもっと厭だ。それに雅婷ヤーティンと一緒に外で暮らす未来は、なかなか悪くないように思えた。

「わかりました。受けます、そのお仕事」

「おお、そうかい!」

 叔父はまた笑顔満面になり、ぼくの肩を気安く叩く。

「そう云ってくれるとありがたいね! なんせ、きみを育てるのには膨大な費用がかかっているのだ……まず探してくる段階から大変だったのだからね。実際に手に入れるまでにも色々な苦労があったものさ。きみもいままで随分、辛い思いをしてきただろう。すまなかった。だがそれも、この『工場』のためだ。歪みの少ない肉體に、強い壓力ストレス耐性を持つ精神、まっさらで偏見のない心に、ひと匙の渇望。いいかい、この仕事さえ終われば、きみは自由だ。それもただの自由じゃないぞ! 莫大な富、そして愛を得て、きみは世界に踏み出すのだ。この意味がわかるかい? これは大変な機会なのだよ!」

 彼が熱弁する内容はほとんど理解できなかった。ただ自由というひとことと、雅婷ヤーティンの姿だけが脳裏に踊っていた。そうだ、ぼくは彼女といたい。こんな狭い部屋のなかでなく、もっと広い世界で。それは欲望だった。生まれて初めて自覚したぼくの衝動。

「まずきみは、一つの試練を越さなければならない。適格検査だ。肉體のほうは問題あるまい。骨格の歪み、視力、BMI、血液成分、それから遺伝情報――それらはすべて完璧に調整している。きみのからだは世界の誰よりも平均的で健康だ。問題は精神試験メンタルテストだが、これもきみなら難なく超えられるとわたしは信じているよ。だってそう育ててきたのだから! 『自分をやす』という異常な条件を受け入れられる安定した精神、単純労働をこつこつ続けられる粘り強さ、その中で高い能率を保ち続けられる高い意志。どれもすでにきみに備わっているものだ。大丈夫、きみならきっと通過できる」

 事実その通りになった。

 そしてぼくは工場にやってきたのだ。労働者たちを管理する『区長』として。 

 そう、あれは忘れもしない、紀元三○○年――『十二時です! 午前の業務は終了です!』 

 面具マスクの声がぼくを現実に引き戻した。

『お疲れさまでした。食堂に移動してください』

 ぼんやり見ていた画面では、手を止めた労働者たちが伸びをして、いっせいに動きはじめているところだった。本日も異常なし。というより、これまで異常事態に見舞われたことは一度もないのだった。退屈といえば退屈。だけどぼくはそれを凌ぐすべを知っている。過去への逃避。彼女との想い出への没頭。

 ぼくは立ち上がり、電梯エレベータへと向かう。

 この生活ももう四年、あと四年でおしまい。

 この労働が終われば、彼女にまた逢える。迎えに行くのだ。花束を持って。片時たりとも心を離れない、ぼくの愛しい人。

 眼鏡の奥の瞳は冷たく涼しかった。

 短くまとめられた黒髪はなお艶やかに輝いた。

 彼女の着る白衣は、一際輝いて見えた。

「……雅婷ヤーティン

 それはぼくのほしいもの。

 この記憶が、あの姿が、あの想い出が、偽物なんかであるはずがないのだ。

 ――だからこそわからない。なんだというんだ? この胸騒ぎは。


壓力ストレス値が上がっています』


 面具マスク耳機イヤホンがぼくの耳小骨を揺らす。


 ※

 

 十三時。

 昼食から厠所トイレ休憩と瞑想訓練を挟んで仕事部屋に戻ってきたぼくは、椅子の位置をずらす。そこはぼくがひそかに『休息座標』と名付けた場所だった。この部屋には各箇所に監視機カメラが設置されているが、この場所はそのほとんどの死角になっており、映るとしてもぼくの背中だけなのだった。裏を返せばそこに居ること自体が怪しいのだが、どうせなんとでも誤魔化すことはできる。なにしろぼくは、これまで些細な違反ひとつしたことないのだ。

 手のなかには一冊の雙環筆記本リングノートがある。紐でくくられた表紙の端には一本のペンがさしてある。それはこの管理人室にある備品のひとつ、おもに業務日誌として使われるものだが、ほとんど開かれることはない。特に記述するべき事件なんて、いままで起きなかったから。

『日誌を見ろ』

 あの紙片にはこうあった。

よくみればそれはとても古く、表紙はかなり黄ばんでもろくなっている。いったいいつのものなのだろう? 用心深くページをめくると、枯葉が舞うような音がした。

 そう、ぼくはただ、この部屋で確認された異物を検分するだけだ。労働者たちがよからぬことを企てているかもしれないし、あるいはただの悪戯かもしれない。いずれにせよこの日誌は立派な業務上の異常事態イレギュラー、確認するのは管理者の仕事のはず。

 そんな誰に向けたともしれない言い訳を重ねながら……ぼくはその最初の一行に目を落とした。


 なぜだろう。

 とても長い旅に踏み出したような、そんな気がした。

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