回歸入力
あなたは、ひとりの「ぼく」を俯瞰しています。
その「ぼく」が横たわっているのは……そう、
いま、朝が来ました。
目を覚ました「ぼく」は、みずからの記憶と習慣が命ずるまま、
扉が開いた先にあるのは、大きな広場です。「ぼく」は奥へ奥へと、足を引きずりながら進んでいきます。警棒を持った班長に示されるまま、きょう配属される
日が暮れたころ、ようやく仕事が終わりました。「ぼく」は足を引きずりながら来た道を戻り、自室へと帰っていきます。そこにあるのは夕食と
もう少し視点を遠ざけてみましょう。
「ぼく」が横たわる寝床の左右には、どうやらまったく同じ種類の
さらに視点を遠ざけましょう。
五人が乗った
「ぼく」たちの様子を見続けていきましょう。
二日目、三日目。
気づきましたか? ひとりひとりの「ぼく」たちの行き先や、そこで演じる役割が、日々異なっていることに。そう、「ぼく」たちは毎日、違う作業、違う役職をこなしているのです。ときには班長よりも高次の作業に従事することさえあります。たとえば、複数の作業区を管理する『区長』。その区長たちをさらに統括する『副支配人』――もちろん役職の数は上に行くほど少なく、「ぼく」がそうした役職につく頻度は高くありません。
さらに視点が遠ざかります。
いくつかの部屋が、同時に見えていますね? そこに暮らす全員もまた、「ぼく」たちであることが分かるでしょう。視点を動かしてほかの場所を見ても、それは変わりません。つまり、この工場に住む全員が「ぼく」なのです。その基本的な動きもまた、みな変わりません。「ぼく」たちは五人一組の部屋に住み、与えられた役職に従った行動をとることで、工場の運営に携わっている……。
さらに俯瞰しましょう――工場全体が見えるところまで。
建物の大部分は、地下にあります。同じ間取りの部屋が並ぶ居住区と、様々な種類の製造
いま、統體による『入力』が行われました。
そう、それはかつてあなたが行ったのと、同じものです。
入力は、工場に
しかし光点は、翌日にはあっさりと消えてしまいます。それは工場で起こりました。点が突然左右にふらふらと揺れはじめ、作業区と広場を繋ぐ通路をうろうろしたあと、ぱっと消えてしまったのです。その点が再び戻ることはありません。
しかし――少し経つと、今度は別の点が黄色く輝き始めます。その数は、ふたつ。ひとつは、その作業区で班長をしていた「ぼく」です。この「ぼく」は、入力の結果消えてしまった「ぼく」と、作業区で接触していました。それからしばらくして、彼の点が輝き始めました。
もうひとつの光点は、少し遠い場所にありました。それは、消えた「ぼく」が働いていた作業区を含む
そこから、さまざまな動きが起き始めました。
発光している点が製造
それとは逆に、数が減るときもあります。たとえばひとつの光点が、同じ作業区に複数ある場合。このときは、光が増える量より、減る量のほうが多いようです。しかし、光点どうしが同じ作業区に重なる確率は低いため、光点の数は日を追うにつれ、工場全体に少しずつ、でも確実に広がっていきます。
また、別の反応が起きるときもありました。光輝いた「ぼく」が、翌日に班長の役割を与えられた場合、その「ぼく」は、同じ作業区内の「ぼく」を巻き込んで、一斉に消えてしまいます。またそれが起きたとき、新たに輝き始める点の数もまた、一気に増加します。隣接する作業区の班長や、時には別
さらにしばらく見ていきましょう。
光点は増減を繰り返しながら、少しずつ数を増やしていき――そしてある日、劇的な変化を起こします。
光点がある一定の数を超えたとき、それは消えることなく激しく動き始めたのです。それと同時に、突如動き始めた「ぼく」のまわりのぼくも、また光り輝き始めます。それは勢いを増して連鎖反応を起こし……光はやがて工場全体に広がってゆきました。その過程で多くの光点もまた消え去りましたが、広がった光は順調に密度を増してゆきます。――そして最終的に、残った工場の点すべてが発光しました。
さらに俯瞰。
工場の地上部分が見えます。それはのっぺりとした直方体です。白い床に、白い空。そして工場の四方には、まったく同じ直方体が等間隔で並んでいます。工場は、ここ以外にも無数にあるのです。
いま、あなたがいままで見ていた工場から、黄色い光点が溢れだしました。閾値に達した入力が工場を発火させたのです。呼応するように、あふれ出した光点からもっとも近い場所にある工場から黒い点が吐き出されました。光点はまるで導かれるように、その黒点のほうへと向かい始めます。そして二つの点が交わったとき……黒点はたちまち黄色く輝きはじめ、最初の光の群れに追従するようになりました。
こうして、光り輝く「ぼく」たちの群れは数を
俯瞰。
いくつもの工場を、光が行き交います。通り過ぎた工場は発火します。数を増す光は、枝分かれしてまた新たな道を進みます。網目のような輝き。間隔はますます密に、ますます広範囲に広がります。……ただしばらくすると、その勢いにもだんだんと陰りが見え始めました。途中で輝きを失う点が出てきたのです。徐々に光の勢いは落ち、発火した工場も古いものからもとに戻っていきます。小さくなってゆく流れ。輝きを失ってゆく「ぼく」たち……。
弱まった光が、工場に入りました。しかし、閾値以下に下がった情報は、もはや工場を発火させることはありません。飲み込まれた光は、そのまま出てくることはなく――そして世界はふたたび、平穏を取り戻します。
新たな『入力』をしますか?
そうすればまた、「ぼく」たちはそれを伝えあい、工場は閾値を超えて、再び光が外の世界を走り回るでしょう。さっきとは違う色で。
そう。
これこそが、あなたの真実。
単純な規則で動く個体の群れ。
刺激に一様の反応を見せ、情報を他の個体に伝播する。一様だったはずの反応は集まることで自然とふるまいを変え、閾値を超えれば発火して、さらなる広範囲へと情報を伝播する。単純だったはずの動き、単純だったはずの入力、それが積み重なって生まれる、複雑で多様な出力。
入力と、その反応。
情報と、その伝播。
それらの過程に立ち現れる、幻影としての存在。
それが『あなた』。
『ぼく』たちの統體としての『あなた』。
……思い出しましたか?
ならば大きく息を吸って。
ゆっくりと。
ゆっくりと、目覚めていきましょう。
現実へ――
>>回帰入力が終了しました。本機器を外し、ゆっくりと目を開けてください。
「大丈夫ですか?」
視界の外から声がした。
同時に、頭からなにかが外される感触。
「これですべてはおしまいです。目を開けてください――焦らずに、ね」
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