回歸入力

あなたは、ひとりの「ぼく」を俯瞰しています。

 その「ぼく」が横たわっているのは……そう、膠囊艙床カプセルベッドです。あなたがいままで見て、体験してきたものと、まったく同じ寝床。

 いま、朝が来ました。

 目を覚ました「ぼく」は、みずからの記憶と習慣が命ずるまま、からだ掃描スキャンを行います。それから起き上がって手早く準備を終え、面具マスクと作業着に着替えて、部屋を出ます。複雑に曲がりくねった通路、その終点にあるのは一台の電梯エレベータ。「ぼく」はそれに乗り、閉じ込められた箱のなか、鼻歌をくちずさみます。遠い昔、誰かが教えてくれた故郷の歌……ということになっており、「ぼく」も少なくとも現時点では、そのことを疑いません。


 電梯エレベータが到着しました。


 扉が開いた先にあるのは、大きな広場です。「ぼく」は奥へ奥へと、足を引きずりながら進んでいきます。警棒を持った班長に示されるまま、きょう配属される区域エリアの待機所へと辿り着き、朝礼の時間が来ると社訓を絶叫。それから大きな鐵門シャッターをくぐって、いま作業ラインに到着しました。「ぼく」はここで、毎日働いているのです。時間は刻々と過ぎていきます。「ぼく」は淡々と仕事をこなしていきます。このとき、「ぼく」が考えることはまちまちなのですが、おおむね自分の過去、特に恋人との想い出に浸っていることが多いようです。午前の作業が終わりました。昼食と瞑想訓練、わずかな休憩のあとに、午後の作業が始まります。「ぼく」は黙々と仕事をし続けます。工場に来る前の出来事、その記憶にどっぷりと浸ったまま。

 日が暮れたころ、ようやく仕事が終わりました。「ぼく」は足を引きずりながら来た道を戻り、自室へと帰っていきます。そこにあるのは夕食と淋浴シャワー。すべてを終えた「ぼく」は再び膠囊艙床カプセルベッドへと戻り、やがて眠りに落ちていきます。

 

 もう少し視点を遠ざけてみましょう。


「ぼく」が横たわる寝床の左右には、どうやらまったく同じ種類の膠囊艙床カプセルベッドがあるようです。その数は、五つ。朝が来ると、彼らはまったく同じように寝起きし、一糸乱れぬ動きで部屋を出ていきます。くねくね曲がる廊下を一列に行進し、辿り着いたのは電梯エレベータ。それはどうやら、同型のものが五つ並んでいるようで、「ぼく」たちはまったく同時に、自分の前にある扉へと入っていきます。


 さらに視点を遠ざけましょう。


五人が乗った電梯エレベータは、それぞれ違う場所に辿り着いたようです。ある者は、先ほどの大きな広場に。またある者は、小さなもうひとつの置物櫃ロッカーに。置物櫃ロッカーに辿り着いた「ぼく」は、そこに置かれている警棒と徽章バッヂを身に着けてから広場に出て、ほかの労働者たちの整理をし始めます。彼らは『班長』と呼ばれ、この交通整理のほかに、各作業区での現場監督を担っているのです。

「ぼく」たちの様子を見続けていきましょう。

 二日目、三日目。

 気づきましたか? ひとりひとりの「ぼく」たちの行き先や、そこで演じる役割が、日々異なっていることに。そう、「ぼく」たちは毎日、違う作業、違う役職をこなしているのです。ときには班長よりも高次の作業に従事することさえあります。たとえば、複数の作業区を管理する『区長』。その区長たちをさらに統括する『副支配人』――もちろん役職の数は上に行くほど少なく、「ぼく」がそうした役職につく頻度は高くありません。


 さらに視点が遠ざかります。


 いくつかの部屋が、同時に見えていますね? そこに暮らす全員もまた、「ぼく」たちであることが分かるでしょう。視点を動かしてほかの場所を見ても、それは変わりません。つまり、この工場に住む全員が「ぼく」なのです。その基本的な動きもまた、みな変わりません。「ぼく」たちは五人一組の部屋に住み、与えられた役職に従った行動をとることで、工場の運営に携わっている……。


 さらに俯瞰しましょう――工場全体が見えるところまで。


 建物の大部分は、地下にあります。同じ間取りの部屋が並ぶ居住区と、様々な種類の製造ラインが並ぶ作業区。それらが複雑な通路と広場で繋がれたアリの巣のようなこの空間全体が「工場」です。ここまで遠ざかると、「ぼく」たちひとりひとりの姿はもはや視認できません。目をじっと凝らしてようやく、うろちょろと動き回る小さな点が見えるのみです。


 いま、統體による『入力』が行われました。

 そう、


 入力は、工場にうごめく「ぼく」たちのひとりに影響を与えました。その「ぼく」を、工場全体のなかでこのように……黄色く光る点として図示しましょう。

 しかし光点は、翌日にはあっさりと消えてしまいます。それは工場で起こりました。点が突然左右にふらふらと揺れはじめ、作業区と広場を繋ぐ通路をうろうろしたあと、ぱっと消えてしまったのです。その点が再び戻ることはありません。

 しかし――少し経つと、今度は別の点が黄色く輝き始めます。その数は、ふたつ。ひとつは、その作業区で班長をしていた「ぼく」です。この「ぼく」は、入力の結果消えてしまった「ぼく」と、作業区で接触していました。それからしばらくして、彼の点が輝き始めました。

 もうひとつの光点は、少し遠い場所にありました。それは、消えた「ぼく」が働いていた作業区を含む区域エリアを管轄していた、区長の「ぼく」です。この「ぼく」もまた、入力を受けた「ぼく」が消えてからしばらくして、黄色く輝きはじめたのでした。彼らはそれぞれ発光したまま部屋に帰り、そして膠囊艙床カプセルベッドへと戻ります。光は翌日になると消えましたが、それぞれが仕事を初めてやや経つと、また再び輝きはじめます。

 そこから、さまざまな動きが起き始めました。

 発光している点が製造ラインで作業をしていた場合、それは消え、そしてまた新たな二つの点――班長と区長――とが、発光しはじめます。つまり、わけですね。

 それとは逆に、数が減るときもあります。たとえばひとつの光点が、同じ作業区に複数ある場合。このときは、光が増える量より、減る量のほうが多いようです。しかし、光点どうしが同じ作業区に重なる確率は低いため、光点の数は日を追うにつれ、工場全体に少しずつ、でも確実に広がっていきます。

 また、別の反応が起きるときもありました。光輝いた「ぼく」が、翌日に班長の役割を与えられた場合、その「ぼく」は、同じ作業区内の「ぼく」を巻き込んで、一斉に消えてしまいます。またそれが起きたとき、新たに輝き始める点の数もまた、一気に増加します。隣接する作業区の班長や、時には別区域エリアを管轄する区長にさえ、光が波及していきます。波及の広さは、どうやら同じ作業区内に重複する光点の数が多いほど顕著になるようです。


 さらにしばらく見ていきましょう。


 光点は増減を繰り返しながら、少しずつ数を増やしていき――そしてある日、劇的な変化を起こします。

 光点がある一定の数を超えたとき、それは消えることなく激しく動き始めたのです。それと同時に、突如動き始めた「ぼく」のまわりのぼくも、また光り輝き始めます。それは勢いを増して連鎖反応を起こし……光はやがて工場全体に広がってゆきました。その過程で多くの光点もまた消え去りましたが、広がった光は順調に密度を増してゆきます。――そして最終的に、残った工場の点すべてが発光しました。

 

 さらに俯瞰。

 

 工場の地上部分が見えます。それはのっぺりとした直方体です。白い床に、白い空。そして工場の四方には、まったく同じ直方体が等間隔で並んでいます。工場は、ここ以外にも無数にあるのです。

 いま、あなたがいままで見ていた工場から、黄色い光点が溢れだしました。に達した入力が工場をさせたのです。呼応するように、あふれ出した光点からもっとも近い場所にある工場から黒い点が吐き出されました。光点はまるで導かれるように、その黒点のほうへと向かい始めます。そして二つの点が交わったとき……黒点はたちまち黄色く輝きはじめ、最初の光の群れに追従するようになりました。

 こうして、光り輝く「ぼく」たちの群れは数をやしてゆきました。勢いは止まりません。「ぼく」たちは工場へと向かい始めます――黒点が吐き出されたほうの工場へ。しばらくの沈黙ののち、工場からは再び光点が吐き出されます。さっきよりも、もっとずっと多い数の光点が。入力された情報が「ぼく」を通じて別の工場へと伝播されたのです。そしてまた、新たに別の工場から黒点が吐き出されました。その数、ふたつ。光点の群れもまた二手に分かれ、それぞれの黒点へと、その先にある別の工場へと、進んでいきます。


 俯瞰。


 いくつもの工場を、光が行き交います。通り過ぎた工場は発火します。数を増す光は、枝分かれしてまた新たな道を進みます。網目のような輝き。間隔はますます密に、ますます広範囲に広がります。……ただしばらくすると、その勢いにもだんだんと陰りが見え始めました。途中で輝きを失う点が出てきたのです。徐々に光の勢いは落ち、発火した工場も古いものからもとに戻っていきます。小さくなってゆく流れ。輝きを失ってゆく「ぼく」たち……。

 弱まった光が、工場に入りました。しかし、閾値以下に下がった情報は、もはや工場を発火させることはありません。飲み込まれた光は、そのまま出てくることはなく――そして世界はふたたび、平穏を取り戻します。


 新たな『入力』をしますか?


 そうすればまた、「ぼく」たちはそれを伝えあい、工場は閾値を超えて、再び光が外の世界を走り回るでしょう。さっきとは違う色で。


 そう。

 これこそが、あなたの真実。


 単純な規則で動く個体の群れ。

 刺激に一様の反応を見せ、情報を他の個体に伝播する。一様だったはずの反応は集まることで自然とふるまいを変え、閾値を超えれば発火して、さらなる広範囲へと情報を伝播する。単純だったはずの動き、単純だったはずの入力、それが積み重なって生まれる、複雑で多様な出力。


 入力と、その反応。

 情報と、その伝播。

 それらの過程に立ち現れる、幻影としての存在。


 それが『』。

『ぼく』たちのとしての『』。

 

 ……思い出しましたか?

 ならば大きく息を吸って。

 ゆっくりと。

 ゆっくりと、目覚めていきましょう。

 現実へ――














>>回帰入力が終了しました。本機器を外し、ゆっくりと目を開けてください。


「大丈夫ですか?」

 視界の外から声がした。

 同時に、頭からなにかが外される感触。

「これですべてはおしまいです。目を開けてください――焦らずに、ね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る