參章
ぼく-Σによる記述
①
〈〈
目を開いた。
強い光。
「ああ、だめですよ! そんなに急に眼を開けちゃ」
云われたときにはもう、反射的に瞼を閉じていた。
溢れだした涙が頬を濡らす。
「そうです。いきなりは刺激が強いですからね。何度か目を慣らしながら、慎重に開いてください。そう……そうです。瞬き、多めにしてくださいね」
あれが、ぼくなんですか。
呟いた声は驚くほど掠れていた。錆びた
「ええ、ええ……そのことは後でいくらでも説明しますから。まずは落ち着いて……」
なだめるような中年男性の声と共に、肩に両手が置かれる。そうされて初めて、息が上がっていることに気が付く。跳ね上がった心臓。落ち着きを取り戻さなければ。でなければ
深呼吸。
思い出す。記述にあった瞑想の
ようやく目が慣れた。
小さな医務室のような部屋。背もたれのついた椅子に、ぼくは座っている。傍らで白衣を着た男性が忙しく動き回っていた。顔を濡れた脱脂綿で手早くぬぐわれる。鼻をつく
「まだ現実感が乏しいでしょうから、無理に動かず、まずは自分の周りの状況をひとつひとつ把握してください。……記憶は思い出せますか?」
ぼくはうなずく。
「体調はどうですか? どこか気持ちの悪いところはありませんか?」
今度は首を振った。強いていうなら、
「あと十分ほどすれば、ちゃんと戻ってこれますよ」
目の前にいる彼はそう云って、笑った。
※
なんとなく、まだ信じられない。
だからぼくは、さっきの質問を馬鹿のひとつ覚えのように繰り返す。
「あれが、ぼくなんですか」
「ごく一部を
簡素な面談室。白衣の彼は、差し向かいに座っていた。一見するとまだ若いが、笑うと口の端に年相応の皺が寄る。どこかで見たことのあるような顔。だけど、ぼくと彼とはきょうが初対面のはずだ。まだ記憶が混乱しているのだろうか。
知識としては知っていた……ぼくたち自身の成り立ちについては。だけど、こうして実際に体験してみると、その意味の持つ重みが、まったく違って感じられる。
「そう。それこそがこの
白衣の彼は手に持った
「でも、やっぱり分からないな……あの無数にいる『ぼく』たちが、つまりこのぼくだなんて、実感がわかない」
「でも、あなたは見たでしょう? 実際に」
言葉に詰まる。
確かにその通りだった。彼らひとりひとりは、確かに生きていた。均質化されたぼくたち。与えられた刺激に一様な反応を示し、情報が閾値を超えて発火したのちは光の奔流となって、ぼくの入力をより広範に伝播し絡み合う。
「あの世界を駆け巡る、発火と伝播の
情報生命としての、ぼくたちの名。
いつそれが起きたのかはしらない。気づけばぼくは「ぼく」として生まれていた。気づいたときには、過去と現在がすでに用意されていた。あるいは、今しがた体験した「ぼく」たちの記憶にあったような国家ぐるみのなにかが、本当にどこかであったのかもしれない――減少した労働力を
ぼくは聞く。
「彼らは実在するんですか?」
「もちろん」
「だとすれば、どこに?」
「ここに」
彼が指さしたのは――ぼくの胸。ゆるやかな
「茶化さないでください」
「それが定説でしょう! あなたもご存じの通り。先ほども云いましたが、われわれを構成するのは無数の記述であり、われわれの意識は、それらが絡み合い、伝播する過程で生成される。われわれは自身の内部に働きかけて変化を促す存在であり……またその変化によって描写される存在でもある」
「知ってる。知ってるさ!」
ぼくは頭を掻きむしる。嬉しそうにそれを見ている彼が気に食わない。くそっ、やつにとってみればきっと、いい
「じゃあ、だったらぼくが見ているこの部屋は、いったい誰の記述なんだ?」
「あなたはどうやら、ふつうの人よりも感受性が豊かなようですね……まだ少し、影響が残っているようだ」
彼はぼくの目を見つめ、まるで幼子に聞かせるように、ゆっくりと囁く。
「いいですか。世界は世界です。それはわれわれの外に、厳然とした別の事象として存在します。われわれ全員が共有する概念空間に、情報として記述されているのです。色や形や位置や重さ……そうした情報の組み合わせとしてね。我々は我々の感覚器官でその情報を取り込み、変換して内部にいる『彼ら』へと入力する。その反応として『彼ら』は記述を生成する。それは刺激に対する単純な反応で、その組み合わせによってわれわれの意識は定義されている……」
ぼくは
「どうしたの? なにかあった?」
扉の向こうで誰かが云った。不安気に揺れる声。
ぼくはため息をつき、顔を両手で覆う。もういい。こんな謎々じみたやり取りをしたところで、こいつを喜ばせるだけだ。
顔を上げると、続けますか? とでも云いたげな顔でぼくを見る彼がいる。舌打ちを押し殺し、ぼくは扉の方を向いて云い返す。
「ああ、なんでもない! ちょっと驚いただけさ。……すぐ行くよ、
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