②
この先にいったい何があるのか。その予想はついている。きっとほかのぼくたちも同じだろう。だが誰ひとりとして、それを口に出すものはいなかった。なぜだろう。自分の目でそれを見るまでは、言葉にして確かめたくないような、そんな気がしたのだ。
だしぬけに響く
踏み出した足が沈み込み、足をとられてよろめいた。深い絨毯がいちめんに敷き詰められている。両脇に天井まで届く窓が並んだ奥行きの広い部屋、窓にはことごとく
彼はなにも云わなかった。けれど、ぼくたちはみな硬い表情のまま次の一歩を踏み出せずにいる。その理由は分かっていた。きっと皆同じなのだろうと、ぼくはそんなことを思う。
「ようやく、出会えたな」
とうとう口火を切ったのは、副支配人のぼくだった。その一言で意を決したように、ぼくたちは揃って歩き出す。彼はそれを見ても微動だにせず、椅子に深く腰掛け、その顔をじっとこちらに向けていた。
「この部屋の可能性に気付いたのは、すべてが終わったあとだ」
どこかのぼくが云った。
「この工場で働く労働者の数は崩我族をのぞいて四千五百五十人。五人の副支配人がいて、それぞれが九人の区長を管理し、それぞれの区長は五つの作業区を管理する。一つの作業区に割り当てられるのは二十人――班長ひとりと、労働者十九人。その全員が、五人ごとに同じ部屋で暮らしている。だが、この工場にはもうひとりいるはずだな。労働者、班長、区長、そして副支配人……その全員の上に立つ、『工場』の最高責任者が。その人物は、どの部屋にも割り当てられていない。専用の部屋で寝起きし、常に同じ『ぼく』がその役割を担っている。その居場所は誰も知らない。工場の図面にも書かれていない――五人の副支配人が、同時に顔を合わせでもしない限り」
ぼくたちは彼の前に立っていた。
副支配人のぼくが云う。
「初めまして、支配人。そしてぼく――お前が、
※
誰も、なにも喋らなかった。
ぼくたちと支配人は、ともにじっと立ち尽くして、互いの様子を伺っていた。彼はなにを考えているんだろう? ぼくと彼は、同じ人間。だがその立場には大きな開きがある。もしぼくが彼の立場だったら、いったいどうするだろうか――
静寂を破ったのは、無機質な機械音声だった。
『製造
それは大音量で、天井の
『自壊
その一言と同時に彼は立ち上がり、自らの
それは確かにぼくの顔だった。だが……明らかに正気じゃない。眼球が左右ばらばらに動き回り、半開きの口からは涎が垂れ落ちている。
そして彼は、自分の頬を両手で挟み込むように持ち――
「止めろ!」
制止も空しく、自分の首を力づくで一回転させた。
ごりゅっ。
耳を塞ぎたくなる音とともに、激しく痙攣しながら倒れる
駆け寄ったぼくらが再び見下ろしたとき、彼はもう動かなかった。壊れた人形のような、奇妙な姿勢のまま。
呆けたようになっているぼくたちを、激しい金属質の騒音が襲った。身構えたが、だがそれは、窓の
ぼくたちの視線もまた、自然その向こうへと吸い寄せられた。
窓の向こうへ――
「なんだよ、これ」
なにもなかった。
期待していた空も、土も、森も、海も、砂漠も、見えなかった。ただ広い空間だけが、どこまでも広がっていた。空は白一色で塗りつぶされ、凹凸のない地面は、『工場』の部屋とまったく同じ、白い
「どういうことだよ……」
押し出されたぼくの声は、かすかに震えている。
「おかしいだろ!」
別のぼくが叫んだ。
「なんなんだ! なんなんだよここは! もう終わったんじゃねえのかよ! こんな狂った場所を脱け出せば、外には現実が待っているんじゃなかったのかよ!」
誰も止めなかった。むしろぼくも彼と同じように叫びたかった。
だってそうだろう? ぼくたちはみんな、ここを出たらそこには本物の世界があるはずだと、そう思っていたのだ。緑豊かな山、青い空。いやもうこの際、煤煙立ち込める工場地帯でもいい。とにかく、ここから出て、外の空気を少しでも吸いさえできれば、たとえ処分されてもかまわないと、そう覚悟を決めていたのだ。
それがこんな形で裏切られるなんて……!
ひとり(あるいはぼく)は涙を流した。
ひとり(あるいはぼく)はただ放心したまま、立ち尽くしていた。
ひとり(あるいはぼく)は狂ったように笑った。
ひとり(あるいはぼく)は怒りに任せ、机の小物を全て床に落とした。
そして――
「待ってくれ、みんな」
と、ぼくは云った。
「あれを見てくれ」
白い世界に無数に並ぶ灰色の箱。どれも同じ見えるそのひとつだけ、周りのものと違っていた。箱の周りから、小さな点が湧き出している。
「あれは……」
「たぶん、労働者だ」
労働者だって? と、ぼくたちがざわめく。
「あの箱みたいに見える建物、あれはきっとここと同じ、工場の地上部分なんだと思う。ひとつだけじゃなかったんだ。そして多分、ぼくたちの反乱はもうばれてる」
――製造
「このあとぼくたちがどうなるかは分からない。けど普通に考えて、鎮圧しようとするはずだ」
「じゃあ、あいつらがぼくたちの死神、ってわけか」
誰かが憎々しげな口調で云う。
「うん。だけどみんな、おとなしく処分されるつもりはないだろう? このまま工場にいるのは危険だ。四方を囲まれたら為す術がない」
「ここを棄てて外に逃げる?」
「違う。逃げるんじゃなく、戦うんだ」
「無茶だ」
「外を見てみろよ。敵が多すぎる」
口々に上がる反対の声。だがぼくは知っている。彼らだってもう気付いているはずだ。
「だけど、戦闘機や兵器が出てきてるわけじゃない。この工場とほかの工場が同じなら、火器もなければ兵器もないはず。戦うのはきっと、ぼくらと同じような境遇の労働者たちだ。そしてぼくたちと同じ境遇の彼らなら、もしかしたら説得できるかもしれない」
「……少なくとも、まったく同じ顔をした人間が迫ってきたら驚くだろうな」
「そうだ。ここでの反乱のとき、ぼくたちはどうなった? 戦った人数より、真実を知って協力したり、
どちらにせよ絶望的な戦いには変わりない。だけど、ここがまだ外でないのなら。この先に現実が待っているのなら。それを見ないまま、座して死ぬわけにはいかない。
「……彼の云うことも、もっともだ」
副支配人のぼくが云った。
「確かにここは、地上じゃない……悪夢はまだ終わってない。だがそれなら先に進むまでだ。ぼくたちがひとり残らず死んでしまうまで」
ぼくたちはめいめいに頷く。
こんなところで諦めてたまるか。
進むのだ。
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