ぼく-2による記述


〈〈

 

 五人のぼくがこの部屋にいる。数にはぼく自身も含まれているから、つまりぼくを除いてほかに四人、余計なぼくがいるということになる。



 ぼくは十八から人形ヒトガタ工場で働いていて契約期間は四十年、五人で分担しているから実際のところは八年で、それもきょうで中間地点を折り返した。昨日の仕事後、面具マスク姿の班長がやってきて、「きみは実によくやっている、ここまでたない者は多いのだ、引き続きこの調子で続けなさい」と噪音ノイズだらけの人工音声で褒めてくれたけれど、それを聞いたぼくの心には特になんの感慨も湧いてこない、だってそうだろう、翌日もその翌日もそのまた翌日も続くのっぺりと継ぎ目のない開け放した蛇口みたいに相似形な日々、そのいちいちの節目に心を動かす必要性がどこにある? 大事なこと、それは一四六○日後に訪れる契約終了の瞬間、つまりそこに至るまでの一日一日はただの無用な石くれで、崩れないよう気を払って積み上げること以外になんの意味もない。石積みの塔の先が天に触れる瞬間こそがこの日々の本質であり希望、ぼくはそれをいつでも忘れずにいる、日常がどれだけぼくを埋め立てようと。


 今朝も労働が始まる。

 すべてまったくいつも通りに。


 それはまず海豚イルカき声と波の音だった。目覚めた狭い膠囊艙床カプセルベッドのなか警示音アラームはすでに最高潮、人間工学に基づき壓力ストレスなく人を起床させるという潮騒のさざめきも爆音となれば話は別で、ぼくは必死に枕元の按鈕ボタンを探してそれを押す。警示音アラームが止まり、照明がゆっくりと点灯、次いで強い香草ハーブの香りが狭い空間に立ち籠めて、つまり二度寝は封じられていた。

 目覚めたぼくはいつもの日課をこなす。つまり按鈕ボタンを押して掃描スキャンを開始、一連の冗長な検査のあとようやくロックが解除されると目の前に広がるのは白い天井で、身を起こせば左右にいるのは四人の「ぼく」だ。右にひとり、左に三人、どちらを向いても後頭部しか見えないのもいつもと同じで、狂いそうになる衝動は反射的に抑制され、そしてやさしい女性の声が大音量で部屋へと響く。

『おはようございます。社員のみなさま、昨日はよく眠れましたか。本日は紀元三○○年七月七日、星期四もくようびです。休日まであと二日、きょうも一日元気にがんばりましょう』

 七夕か。

 ぼくの脳裏によぎるひとりの女性の姿。ほかの「ぼく」たちもいま、同じ人のことを想ったのだろうか?

 声を出さずに苦笑する。

 なにを想うっていうんだ? たかが仿製品コピーにすぎないやつらが。

 ぼくと「ぼく」たちは揃ってぎくしゃくと立ち上がり、冷たい床に足を下ろす。起床時間は午前六時すこし前、始業は七時四十五分だからのんびりしてる暇はない。

 淋浴シャワー、朝食、厠所トイレ、洗顔。置物櫃ロッカー面具マスクと作業着を身にまとう。螢幕(バイザー)越しの視界に浮かび上がる「早安おはようございます!」の文字。

 そして七時。ぼくと「ぼく」たちは完全装備で部屋を出た。

 すべてまったくいつも通りに。

 

 ※

 

 七時十六分、工場の入り口に到着。

 七時三十分、「ξ―2」作業区にて朝礼。社訓を絶叫したぼくの喉はがらがらになる。構いやしない、残り一日どうせ声を出すことなんてほとんどないのだ。

 七時四十五分、作業開始。

 十二時、午前の作業終了。工場の食堂にて昼食。

 十二時三十分、瞑想訓練。

 十二時五十分。厠所トイレ。「ぼく」のいない個室で思う存分大をする。

 そして十三時――

 作業は変わらずそこにある。

 きょうの作業区分である「ξ―2」、それは具体的に言えば人形部品の被覆工程で、四年間繰り返した十数種の仕事のうちのひとつ、つまり四年で平均百四十回は繰り返した作業だから、もはや意識せずともからだは勝手に動いてくれる。

 余計なことは考えないほうがよいのだ。

 輸送帯コンベアを流れてくる部品は半透明の羊膜に包まれている。手袋をはめた手でそれを破るとぬめる液体が中からこぼれ、そしてあとには塊が残る。それは足首、人の足首だ。皮膚のない鮮やかな桃色の肉の下には青と赤の血管が脈打ち、その断面は機械の部品じみた直線で、血液を循環させるための幫浦ポンプが透明な管で繋がれている。ぼくは管を切らないよう用心しつつ足首を手前の水槽に沈め、肌色をした粘性の液体の中でぐるりと一回転させてから引き上げる。余分なしずくが垂れ落ちるのを待つと、現れるのはきれいな皮膚をまとった足首、ぼくは塗りむらがないのを確認してからそれを輸送帯コンベアへと戻し按鈕ボタンを押す。

 壓力ストレス値はまだ正常だった。さっきの瞑想訓練のおかげだろうか。しかし午後の作業は午前より長くまた休憩もなく、つまりここからが正念場。ぼくは改めて自分も工場の部品のひとつなのだと心に云い聞かせ、手が習慣に沿って動くに任せる。羊膜を破り肉を漬け確認して按鈕ボタンを押す、作業は素早く、意識は平坦に。からだ節奏リズムに乗り始める。破り・漬け・回し・確認、そして按鈕ボタンを押す。午後も好調、あとはこの調子を保つだけ。


 ぼくは再び過去のなかへと逃避する――

 

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