『作業が遅れています』


 もう何度目かも忘れた警告。だんだん音量が大きくなっているような気がする。

 調子はのっけからめちゃくちゃだった。作業自体は簡単だ。十何種類かの仕事のうちのひとつ、単純計算でもう百四十回はこなしたはずの手順。だというのに、からだが全く思うとおりに動いてくれない。

 輸送帯コンベアを流れる人形の部品、その羊膜を破り、毒々しい桃色の肉塊を露出させる。その時点でもう手が震えている。肉塊は触ると激しく痙攣し、ぼくは思わず手を引っ込める。螢幕バイザーから警示音アラーム。早くしろという合図。吐き気をこらえながら、左手で無理やり肉を抑えこむ。

 潰れた。

 張り詰めた表面がはじけ、泡と一緒に血が滲み出す。また失敗。半ばやけくそで、右手の注射器を強引に刺そうとするが、その針先はなおも激しく暴れる肉塊に弾かれる。

『廃棄してください』

 ぼくはため息をついて肉を輸送帯コンベアから掴みとり、奥の廃棄場所に投げ込んだ。肉塊は暴れながらすり鉢状の床を滑り落ち、中央に穿たれた穴から落ちていく。落下音は聞こえない。そしてまた螢幕バイザーに表示される『作業が遅れています』の警告。

 終始こんな調子だった。


壓力ストレス値が上がっています』


 ぼくは息を整える。

 作業服のわきの下、知らないうちに冷たい汗が流れている。

 拒絶反応。それも作業に支障が出るほど深刻な……このままではいけない。瞑想方法メソッドに従ってゆっくりと息を吐きながらぼくは自分に云い聞かせる、意識は不要、感情移入などはなおさら、自分もまた工場のひとつの部品なのだ、作業になにかを感じる必要も、その意味を考える必要もない。


『作業が遅れています』


 だけどやっぱり不可解だ。

 なんなのだ、この作業は。

 ぼくはいったい、なにを作っているんだ?


人形ヒトガタの製造』。それが叔父から聞かされた作業の内容で、確かにそれらしいことをしている実感はある。だが作業の全貌は四年経ったいまもさっぱりつかめないし、完成した人形を見たこともない。そもそも人形とはなんだ? 作業内容から類推するかぎり、それは有機部品を使った複製人アンドロイドの一種だろう。しかしその用途についてはさっぱり想像がつかない。工業用? 採算が合わない。愛玩用? これほどの需要があるとは思えない。いったいこれはなんなんだ?

 こんな単純作業をわざわざ人の手で行わせるのも不可解だ。膠囊艙床カプセルベッド自動式淋浴シャワー、清掃機器人ロボットに給仕機器人ロボット……ぼくら短縮労働者の生活は徹底して自動化されている。それなのに、肝心の製造工程を手作業にする必要性がどこにある? 労働者たちの生活費、契約完了時の報酬、螢幕バイザーと作業着の維修メンテナンス、それから「ぼく」たちの製造成本コスト。ちょっと思いつく限りでも、必要経費が膨大すぎる。ぼくは田舎生まれの世間知らずだが、それでもこの工場がおかしいことくらいは分かる。ただでさえ労働人口が少ないこの国で、なんでこんな無駄が許されるんだ?

 知らないふりをしていた事実を直視するほどに、現実感が消えてゆく。足元がふらついた。眩暈がひどい。胸のあたりが搾られるように痛む。ここはどこで、ぼくはなにをしているんだっけ? もしかしたらこれはぜんぶ夢なのだろうか。それもとびっきりの悪い夢。


『警告。直ちに作業を再開してください』


 面具マスクの口調が変わった。それは最終通告だ。次に来るのは電流、それでもなお作業を再開しないと班長がやってきて別室に連行、そこで行われるのは精神分數メンタルスコアのチェックで、ぼくの精神状態が正常な範囲内を逸脱していれば、契約は途中で解除となる。自分がまだ正気なのかどうか、ぼくには自信がなかった。契約の打ち切り、すなわちそれはぼくの絶望。そうだ。ここで止まるわけにはいかない。思い出せ、ぼくはなんのためにここに来た?

 震える手で必死に肉塊を掴む。手が習慣に沿って動くに任せる。ただそれだけでいいんだ。ただそれだけで。羊膜をやぶり肉を押さえ薬液を注入し按鈕ボタンを押す。余計なことは考えない。思考は壓力ストレスを生み、壓力ストレスは遅延を生む。手がようやく、それらしい動きを取り戻しはじめた。いいぞ、その調子だ、機械になれ、なにも考えない機械に、破り・押さえ・注入・確認・動きは淀みなく、目の前の光景は電視機テレビのように。

 これでいい。

 いつものようにやりさえすれば。

 そう。

 すべてまったくいつも通りに――

 ……。

 …………。

 あれ?

 あれあれ?

 おかしい。

 おかしいな。うん、おかしい。


 


『作業が遅れています』


 うんうん分かってる。ちょっと、ちょっとだけ待ってね。少し確認するだけだから。ええっと、なんだっけ。そうそう、この作業の話。うん、やっぱりおかしいよ。だってぼく、この作業はきょうが初めてだよね? そうだよ。だのに勘違いしてたんだ……もうずっと昔からこの作業をやってるはずだって。なあんだ! どうりで上手くいかないわけだよ! まったくもう、ひやひやして損しちゃったなあ。それならそれで、螢幕バイザーもきちんと説明してくれればいいのに。ぶっつけ本番でいきなり指示もなく警告だなんて不親切すぎるよね、まったく。でもぼくも馬鹿だなあ、だっていまのいままで全然気づかなかったんだもん。さすがに間が抜けすぎてて自分でも笑っちゃうよ。だってそうだろ? 単に気づかないだけならまだしも、


 なんで昨日のことが思い出せないんだろう。


『作業が遅れています』


 いや、待て待て。そんなことあるわけないだろう? だってぼくは色々知っているじゃないか。崩我族のことも、逃げ出す作業者が後を絶たないことも。誰から聞いたかは忘れたけれど、確かに知っている。疲れて、ど忘れしちゃっただけなんだよきっと……こういうときは落ち着いて、まずは簡単なことからはじめたほうがいいな。ええと、きょうは何日だっけ? そうそう、紀元三○○年七月七日、星期四もくようびだ。七夕か、って云ったもんな、ぼく。うん、確かに思い出せる。きょうの花は菖蒲アヤメで、花言葉は信じるものの幸福。朝食は焦げた牛角麺包クロワッサンに分厚い火腿ハム鶏蛋ゆでたまご清湯コンソメスープ。いいぞ! 完璧だ。あとは遡っていくだけ……そうだ! 確か昨日はぼくの労働の折り返し地点で、仕事後に面具マスクを被ったままの班長がやってきて「きみは実によくやっている、ここまでたない者は多いのだ、引き続きこの調子で続けなさい」とねぎらってくれたじゃないか! だからつまり昨日の日付は……。

 星期四もくようび


 あれれ? 


 違うっけ?


 


『警告。直ちに作業を再開してください』


 待って待って、そうだ。思い出す順番が悪いんだよ。思考を止める癖がついているから、最近の記憶は全部ぼんやりしてるんだ、きっと。大事なこと、それは一四六○日後に訪れる契約終了の瞬間、つまりそこに至るまでの一日一日はただの無用な石くれ……自分でも今朝そう考えていたじゃないか。だからぼくが思い出すべきなのはここ数日の記憶じゃなくて、もっと昔の……そう、ここに来る前のことから始めたほうがいいに決まってる。

 工場より前の記憶。それはつまり、銘華ミンファとの日々だ。忘れもしない。『儀式』でぼくを痛めつける彼女の無邪気な笑顔とむせかえるような鼻血のにおい。それから叔父との謁見。彼は云った。『合格だ』って。どんな暴力も受け止めて、しかしなお屈しないそのしなやかな精神力が素晴らしいって。労働へ向かう動機を育むために、ぼくを孤立させ、また彼女を当て馬にしたんだって。それからぼくは説明を受けたんだ。工場について。労働について。複體について。適格条件は手術で通過、精神分數メンタルスコアの試験も問題なく、そしてぼくはやってきた。工場へ。

 そうだ! ぼくの労働は確かにあの日からはじまったんだ。

 あれは忘れもしない、――

 からだの中を熱いなにかが奔り抜けた。

 肺の中の息が消えた。視界は白く染まり、全身が自分の意思に反して石のように硬くなる。懲罰の電撃を受けたのだ……気づけばぼくの頬はすでに冷たい床の上。全身に残る痛みと疲労感。まるで限界まで全力疾走した直後のような。

 一秒? 二秒? 電撃が流れたのはごく一瞬だろう。警告なのだから当然だ。ぼくはからだを点検しながら立ち上がる。鼻から垂れ落ちる生温いなにか。それは血だった。倒れるときにどこかにぶつけたのだろうか。鼻腔を満たす生臭さにぼくは昔を思い出す。ゆっくりと押し寄せる懐かしい痛み。

 すべては徒労に終わった。

 彼女との儀式、叔父との謁見。そこまで思い出したあと、次に浮かんだ情景は今朝のもの、つまりそれは膠囊艙床カプセルベッドの天井と、大音量で響く雑踏の警示音アラーム。その間に起きた出来事、工場に入ってからきょうまでの記憶は、脳裏からきれいさっぱり抜け落ちている。り抜かれた西瓜すいかみたいに。

 疑いようがなかった。

――われわれの記憶は偽物だ。

 ぼくの記憶は改ざんされている。あの紙片に書いてあった通り。

 気づいた瞬間、僕は顔から面具マスクを引き剥がした。力任せに、強引に。そしてすぐさま投げ捨てる。面具マスクが手から離れた瞬間、その内部から青白い火花が激しい炸裂音と共に飛び散った。契約違反イレギュラーに対する再度の電流。おそらくそれは、致死、少なくとも当分動けなくなる程度の強さだろう。だがぼくはそれを回避した。『事実』に気づいたぼくを、この工場は必ず排除する、咄嗟にそう思ったぼくの頭は冴えていた。作業着自体に電極はない、はずだ。あれば今頃、とっくにぼくは死んでいる。

 面具マスクは高い反響音を響かせながら、廃棄場所の床を滑り落ちていった。


「なにをしている!」


 怒鳴り声。背後に班長が立っていた。ぼくと同じ墨緑色モスグリーンの作業着に面具マスク、ただ胸の徽章バッヂと警棒だけが、ぼくとの階級差を示している。警棒の先端から散る青い火花が、強行突破の意思を挫いた。さっきの痛みはまだ体に残っている。もう一度あれを食らう覚悟はない。少なくともいまは。

「契約者B―55。お前のやっていることは重大な契約違反だ。ただちに別室で精神分數メンタルスコアの確認を実施する。指示に従え!」

 面具マスク越し、噪音ノイズ交じりの甲高い声には聞き覚えがあった。『きみは実によくやっている、ここまでたない者は多いのだ』そうだ、あれは昨日ねぎらってくれた班長と同じ声。きっとこの仕事について色々教えてくれたのも彼なのだろう……。

 いや。


「なにがおかしい!」


 ぼくは苦笑する。

 きっと、それも嘘だ。

 面具マスクを外したぼくを見て、班長は明らかに動揺しているようだった。警棒を持つ手が激しく震えている。無理もない。いままで問題ひとつ起こさず、精神分數メンタルスコアも正常だったはずの労働者が、突如として反旗を翻したのだ。もしかしたらこんな事態は初めてなのかもしれなかった。

「お前……お前は……」 

「すみません、班長」ぼくは努めて朗らかに云った。「この度はご迷惑をおかけしてしまって。でも、ちょっと取り乱してしまっただけなんですよ、本当に……。いえ、もちろん、あなたのご指示には従いますよ。確かにぼくは検査を受けるべきです。だけど、そんなに怖い顔で、警棒を向けられるに足るほど、理性を失っているわけじゃない。わかってくれますよね? ぼくはあなたに危害を加える気も、この工場から逃げようなんて意思も、金輪際ありません。いままでのぼくの働きぶりを見ればわかるはずでしょう。人畜無害なただの一労働者ですよ、ぼくは!」

 いまこれ以上の敵対姿勢を見せれば、直ちに排除されてしまうだろう。ぼくは手を上げ、親しみを込めた笑顔を浮かべてみせる。だが予想に反して、彼の顔はますます引き攣った。まるで猛獣を相手にしているといわんばかりに。

「黙れ! 余計なことを云うな!」

 そう云って警棒を振りながらぼくに近づいてくる。青い火花が揺れながら近づく。

「ありえない、お前は、そんなはずは――」

 面具マスクから洩れるうわ言。なんだ? いったいぼくがどうしたっていうんだ? 分からないが確実なことがひとつ。なにがあっても、こいつはぼくに電撃を食らわせるつもりらしい。後ずさりした背中は、すぐに作業台につきあたった。逃げ場はない。いちかばちか、いっそ廃棄場所に飛び込んでみようか。

 班長に異変が起きたのはそのときだった。


「かへっ!?」


 彼は突然奇声を発したかと思うと、まるで自分自身を抱きしめるかのように両手足をすくめた。持っていた警棒は、そのまま彼自身の作業着に触れる。飛び散る火花。そして彼はゆっくり、前のめりに倒れた。辛うじてそれをよけると、彼は作業台に頭から突っ込み、痙攣し始める。

 懲罰電流? なぜ?

 だが、その疑問が浮かぶと同時に、ぼくは走り出していた。

 あの班長の態度は尋常じゃなかった。ぼくはすでに契約解除の対象になっているとみるべきだ。契約の途中解除――それはつまり、不穏因子として処理されるということを意味していて――ああ、なんだってこういう知識だけはすらすら出てくるんだ、畜生!

 作業台から降り、廊下に出る扉を開ける。

 そしてぼくは絶望した。

 広場に通じる廊下は、すでに労働者で埋まっている。その動きには見覚えがあった。殭屍ゾンビみたいな、出来損ないの崩我族。

 なぜ彼らがここにいるのか、自我を失ったはずの彼らがどうして一斉に同じ動きをしているのか。ともかく彼らはぼくを狙っているようだった。迫る手を避けるのは簡単だが、なにしろ数が多すぎる。二、三人殴り倒した程度じゃ、道は開けそうもない。ひとりにでも捕まればおしまいだ。どうする、どうすればいい? ぼくは思い出す。班長が持っていた警棒。あれさえあれば、もしかしたら。

 ぼくは来た道をとって返し、作業台へ向かう。班長はまだそこに倒れていた。その手にはしっかりと握られた警棒、ぼくは硬直した指を無理やり引き剥がし、それを強引に奪い取る。

 振り返ると、崩我族どもがなだれ込んでくるところだった。右手に警棒を持ち、握把グリップを強く握り込むと火花が飛んだ。これを振り回しながら一気に駆け抜ける。あの広場まで出て、無数にある電梯エレベータのどれか一つに乗れば、少しは時間が稼げるはずだ。もしかしたら、あの紙片を投げ入れた誰かが助けてくれるかもしれない。そうだ、もしかしたらさっき班長が倒れたのも、その人のおかげなんじゃ――



「おい」



 背中に衝撃。声に反応して振り返りかけた顎が、しこたま床にぶつかった。痛み。だがこれくらい、なんてことない。彼女の儀式と比べれば。ぼくの手を誰かの手が探っている。警棒を奪う気だ。ぼくはその手に噛みつく。悲鳴。頬に痛み。殴られたのだ。ぼくと班長は必死で揉み合って床をごろごろと転げまわる。口から自分でも聞いたことのないうなり声が洩れた。殺してやる。殺してやるぞ。警棒を無茶苦茶に振り回す。がつんと硬い手応え、同時にぼくを押さえ付ける力が一瞬緩む。その隙にぼくはのしかかるからだを跳ね飛ばして立ち上がり、めちゃくちゃに警棒を振り回しながら崩我族の群れに突っ込んでいく。

 押し寄せる人の群れ。だが予想に反して彼らはひるむ気配を見せなかった。警棒を当てれば倒れるが、すぐ後ろから別のやつが現れる。きりがなかった。倒れた崩我族のからだを踏んで平衡バランスを崩す。その隙に右腕を掴まれ、あっと云う間もなくぼくは床に倒される。力が異常に強い。自我がないぶん、容赦もないのだろうか。握力に関節が軋みを上げ、意思に反して警棒が手を離れる。ぼくの生命線が! 同時にのしかかってくる無数のからだ。無我夢中で暴れ、右腕に噛みつく。手が離れた。どこだ? 警棒はどこだ。ぼくは這って逃げながら必死に床をまさぐる。

 手の甲に、こつりと冷たい感触。

 次の瞬間、またあの衝撃がぼくを走り抜けた。悲鳴を上げる暇すらなかった。目の奥でなにかが音を立ててはじけ、視界が赤く染まる。噪音ノイズの群れ。息が吸えない。震える手足が床を打ち鳴らしている、その音が遠い。まるで水中にいるように。

 からだを持ち上げられる。無数の手が、ぼくを無遠慮に掴んであちこち引っ張る。なにかが千切れた。たぶん、ぼくの腕だ。痛みはない。ただ、感覚だけが消え去った。

 誰かがぼくの前に立っている。その手には警棒。

 班長の面具マスクは割れていた。その隙間から顔がのぞいていた。恐怖に震えるその瞳、馬のように開いた鼻、強張った口元――

 ああ、なんてことだ。


 班長は、

   彼は、


       


                  警棒を高く振り上げて叫ぶ。


「消えろ、仿製品まがいもの――――」


>>  Error

 精神分數メンタルスコア●●● 状態ステータス・強制終了

 記述をジャンプします。

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