ぼく-3による記述
①
〈〈
五人のぼくがこの部屋にいる。数にはぼく自身も含まれているから、つまりぼくを除いてほかに四人、余計なぼくがいるということになる。
※
ぼくは十八から
そう。
昨日までは確かにそうだったのだけれど。
『われわれの記憶は偽物だ』
紙片にはそう書かれていた。
※
それを見つけたのは今朝のこと。
起床時間は午前五時四十五分、雑踏のざわめきが爆音で響く
かさりという音。
手に異物感。
首をめぐらすと、
それは一枚の紙片で、
殴り書きで短い文章が――
咄嗟にぼくは、それを見なかったことにして、
短い確認音、低く唸りはじめる寝床。ぼくは仰向けのまま気を付けの姿勢になってじっと息をひそめる。
瞑想
金属質の様々な音が空間内を飛び交ったり、こすった下敷きを近づけられたような感覚が遠ざかったり近づいたりするなか、ぼくは呼吸を整える。
いつの間にかあった紙片。その冒頭に書かれていた文字。
『われわれの記憶は偽物だ』
……知られてはいけない。
なぜだかそう直観していた。
目に見えない
出し抜けに明るい効果音が鳴り
……
紙片の言葉には続きがあった。
『日誌を見ろ』
日誌とは、これのことだろうか? そういえば、紙片もどうやら同じ
だが、それに手を伸ばそうとしたのと同時に、天井の画面が再び「OK」に変わった。
ぐずぐずと読んでいる時間はなさそうだった。
……仕方がない。夜の娯楽時間のときにでも、ゆっくり読もう。
蓋が視界から消えるとその先にあるのは白一色の潔癖な天井、身を起こせば部屋には均一な光が満ちていて、風が
快適で完璧な朝だった。すべてまったくいつも通りに。
……だがぼくの胸の裡には疑念がわだかまっている。
見慣れぬ紙片。目に飛び込んだその一文は、
身を起こして左右を見回す。同時に「ぼく」たちが起き上がるのはいつも通り。右に並ぶ四つの頭。だが表情は見えない。ぼくと同じく、一斉に右を向いているからだ。どれだけ素早く左右を見ても、彼らの表情を捉えることは適わない。
いまぼくは、どんな顔をしているのだろう。
そこまで考えていまさら気づいた。この部屋には鏡がない。寝室、
気が狂いそうになる、一瞬だけ。だけどそれは本当に一瞬のことで、過大な
……たぶん。
やわらかい女性の声が大音量で部屋に響く。
『おはようございます。社員のみなさま、昨日はよく眠れましたか。本日は紀元三○○年七月七日、
七夕か。
思わずつぶやいた声に、四人の「ぼく」たちの声が重なった。
※
起床時間は午前六時すこし前。蒸気による洗体を済ませて着替えると六時十六分、いつもより一分遅い朝食となった。朝食は少し焦げた
七時に完全装備で部屋を出る。くねくねした廊下を通り、工場の入り口につくと、ぼくと「ぼく」たちは別々に
時刻は七時十五分。
扉が閉ざされる。
『
ああ、くそ、わかってるよ。
ここまではよかった。準備にかまけて、なにも考えずに居られたから。この悪夢じみた日常はそれでもぼくにとって慣れ親しんだものであり、いつもの流れに身を任せているかぎり、ぼくはまだ、いつものぼくでいられたのだ。
だがここでは駄目だ。
行くべき場所も、こなすべき作業も、与えられた余暇もなにもない、そのことがどうしてもたまらない。特に、きょうは。
紙片に。
誰がどうやって、あれをぼくの寝床に入れたのだろう? 清掃
妙な妄想は、この狭くて暗い空間のせい。そう前置きをして次に進む。
たとえば……上層部でなにかが起きているとか? 内紛? あるいはひっそり反乱でも企てているのだろうか。そっちのほうが可能性は高そうだ。つまりええと、この悪夢めいた工場には重大ななにかが隠されていて、誰かがそれに気付いた。その真実を広め、蜂起を促すためにあの紙片を無差別にばらまいているとか、そんなところ。
乾いた笑みを漏らす。我ながら馬鹿馬鹿しい。ただの子供じみた陰謀論――
われわれの記憶は偽物だ。
『
胸騒ぎがひどい。
想い出をたぐった。ぼくの故郷について。実家は貧しい漁村のあばら家。怪我で漁に出られなくなった父親、振るわれる暴力、白い眼を向ける村人たち、ちっともいい記憶じゃないけどちゃんと思い出せる。それにぼくにはちゃんと希望もあった。叔父と幼馴染。ぼくをここへと導いたふたり。叔父は権力によってぼくをこの労働に誘い、そして彼女はぼくに動機をくれた。忘れるはずもない……『儀式』の甘美な痛みも、『屋敷』での謁見も。違和感はない。間違えようもない。むしろ思い出すほどに鮮明に、彼女の幻影は目の前に浮かび上がる。
少年のような華奢な体躯。
無邪気に開かれた大きな瞳。
笑うとのぞく愛らしい八重歯。
それは幼馴染。
それは同い年の少女。
それはぼくの欲しいもの。
「……
間違えようもなく憶えている。
胸のざわめきが鎮まる。だが完全には消えてくれず、鉛のように未練がましく腹の奥にわだかまっていた。なにかを忘れたままでいるような感じ。忘れたことだけ覚えているのだ、しかもとても重要ななにかを。
到着を告げる
眩しい光に目を細める。すぐさま螢幕(バイザー)が明度を調整。淀んだ紅茶色の視界には、無数の労働者たちが蠢いていた。
すべてまったくいつも通りに。
ぼくは歩き出す。習慣に後押しされるまま、周りの労働者たちと同じく、重たい安全靴を引きずって。途中、崩我族とすれ違う。相変わらず
『警告。暴力行為は禁じられています』
舌打ち。んなこた分かってるよ。
七時二十八分、作業区分「κ―15」作業区に到着。その前には赤い
七時三十分、朝の朝礼。
『本日は紀元三○○年七月七日、
軽快な
朝礼が終わった。
喉が痛む。
列が動き出す。ぼくも前の人に続く。進む先には開かれた
七時四十五分、作業開始。
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