ぼく-30774による記述


〈〈

 

 五人のぼくがこの部屋にいる。数にはぼく自身も含まれているから、つまりぼくを除いてほかに四人、余計なぼくがいるということになる。



 ぼくは十八から人形ヒトガタ工場で働いていて契約期間は四十年、五人で分担しているから実際のところは八年で、それもきょうで中間地点を折り返した。昨日の仕事後、面具マスク姿の班長がやってきて、「きみは実によくやっている、ここまでたない者は多いのだ、引き続きこの調子で続けなさい」と噪音ノイズだらけの人工音声で褒めてくれたけれど、それを聞いたぼくの心には特になんの感慨も湧いてこない、だってそうだろう、翌日もその翌日もそのまた翌日も続くのっぺりと継ぎ目のない開け放した蛇口みたいに相似形な日々、そのいちいちの節目に心を動かす必要性がどこにある? 大事なこと、それは一四六○日後に訪れる契約終了の瞬間、つまりそこに至るまでの一日一日はただの無用な石くれで、崩れないよう気を払って積み上げること以外になんの意味もない。石積みの塔の先が天に触れる瞬間こそがこの日々の本質であり希望、ぼくはそれをいつでも忘れずにいる、日常がどれだけぼくを埋め立てようと。

 今朝も労働が始まる。

 すべてまったくいつも通りに。


 ※


 廊下をくねくねと曲がり辿り着いた電梯エレベータ、その暗闇のなか、ぼくは口笛を吹いて気を紛らせながら、長い長い地上までの時間を潰す。

 明るいベルの音、扉が開いた先にあるのは大きな広間。そこでぼくたちは点呼を取り、朝礼をしてから歩み出す。

 工場の外へ。

 外の空はきょうも白い。地面は白い磚地タイル張りで、白い地面と白い空がどこまでも続いていた。

 ここはどこなのか、考えることはもうとっくに辞めていた。

 余計なことは考えないほうがいいのだ。

 連想は毒、ましてや感情移入などはなおさら。意識は不要、自分もまた工場のひとつの部品なのだと云い聞かせる、この場所を疑問に感じる必要もその意味を考える必要もない、四年たっても人形の製造工程の全貌はまったくつかめないし完成した人形を見たこともないが、そこに疑問を抱くこともまた求められてはいない。ただぼくは警備をし、敵と戦うだけだ。いつもの習慣に従って。

 面具マスクの指示に従って、ぼくは歩き出す。ほかの労働者たちと共に。

 地平線の手前、はるか向こうで、小さな点が蠢いている。彼らは灰色の建物――別の工場からやってきているようだった。朝礼で聞かされた話じゃ、労働者たちが団結して反乱を起こしたらしい。面具マスクで監視され、鼻先にいつでも死がぶら下がっているこの環境でどうやってそれを成功させたのか不思議だったが、まあいい。どうせ関係のないことだ。ぼくはただ日々の責務を果たすのみ。

 互いの姿を認めながら、延々と行進を続ける時間が過ぎた。きょう中に帰れるだろうかと、あくびを噛み殺しながらぼくは思う。

 異変が起きたのはそのときだった。

 悲鳴。

 それは前方から聞こえた。ざわめきが伝染して広がる。接敵したのか? いや違う。まだ相手はまだ少し離れたところにいるはずだ。奇襲? でもこんななにもない場所でどうやって……。そこまで考えたとき、鬨の声が地面を揺らした。同時に、重たい足音の奔流がぼくを撃つ。相手が走り出したのだ。ぼくも反射的に声をあげ、周りの労働者とと共に走り出していた。だがからだは思うように進んでくれない。前にいる仲間が邪魔なのだ。彼らは及び腰になっているどころか、何人かは逃げ出そうとしている。なんだ? なにをそんなに恐れているんだ? 

 不意に視界が開けた。先頭に飛び出したのだ。『敵』がすぐ近くに相対し、大声でなにかを叫んでいる。

 彼らは作業着に身を包んでいる。ぼくたちと同じように。だが面具マスクはつけていなかった。大声で吠える剥き出しのその顔は――




 ――嘘だろ?




壓力ストレス値が上がっています』 

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