思えば以前から不自然な点があった。

 二番目にこの日誌をつけたぼくは、確かにこう書いている。

『最初に紙片を見つけたときは、誰かの悪戯か、別の人間(それも妄想狂に違いない)が誤ってぼくの寝床に紙片を放り込んだのか、そのどちらかだと思っていた』

 だが同時に、彼は暴動を起こした「ぼく」の鎮圧にもあたっているのだ。過去の記述の仮説に従えば、暴動を起こすのは「われわれの記憶は偽物だ」と書かれた紙片を見た労働者の「ぼく」であるはず。だとすれば……あのとき、紙片を見たことによって記憶の異常に気付いた人間が、なぜかふたり存在していたことになる。


 


 そのことに気付いたのは、きょうの暴動の様子を見てからだった。

 朝に紙片を見ていたので、前回のような大規模な反乱が起きればそれに乗じるつもりだった。だがあいにく、今朝の反乱はわずか三人。助けを呼ぶまでもなく、すぐに鎮圧されてしまっていた。

 その事後処理で、ぼくはふと思ったのだ。

 彼らはβ―1とβ―3作業区で、ほぼ同じ瞬間に反乱を始めた。彼らが事前に申し合わせをすることは不可能だから、なんらかの独立した要因がたまたま同時に起きたとみるべきだろう。そして日誌を見る限り……ぼくたちは刺激に対し、似通った対応をする。だからこそ三番目のぼくは、一番目のぼくと同じ思考の道筋をたどり、紙片なしに自身の記憶の異常に気が付いたのだから。「ぼく」による暴動が毎回のように午前中なのも、彼らの反応が一様であることを示していた。考えてみれば当たり前だ。ぼくらの記憶は毎日消されてしまうのだし、ぼくらの性格は全員同じはず。。しかし、今回暴動を起こした彼ら全員が紙片を見たのだとすれば、やはり明らかに数が合わない。だいいち、ぼくも紙片を読んでいる。

 そのからくりはすぐわかった。

 区長であるぼく以外に、もうひとり、真実に気付きうる人物がいる。


 班長だ。


 この日誌を書いた最初のぼくは、暴動を見たときにこう思った。

――以前、日誌を書いたのはいつだったっけ?

 そしてその疑問こそが、事実に気付くきっかけだった。

 班長であるぼくには日誌をつける必要がない。ただ、ぼくたちが起きた出来事に対してみな似通った反応を示すのであれば、彼もまたこう思うのではないか。

?』

 ぼくたちの深層意識には、どうやら工場の運営はいままでつつがなく行われてきた、という前提が刷り込まれているようだった。だからこそ、暴動という非日常に曝されたとき過去に立ち返ろうとする衝動が生まれるのだろう。そしてそれこそが、記憶の欠落に気付く鍵となっている。さらに彼は暴動が起きたとき、面具マスクの下にある労働者の顔――つまりぼく自身の顔を見ている。それはただの偶然とは片付けづらい出来事のはずだ。そして班長の「ぼく」が過去のぼくたちと同じ思考の流れを持つのであれば……事実に気付く可能性は、きわめて高い。

 試しに先ほど暴動の鎮圧にあたった班長の精神分數メンタルスコアを確認してみる。

 結果は一目瞭然だった。労働者であれば、とっくに処分されているはずの数値。

 区長であるぼくには、当然彼を『処分』する権限を持っている。だが、当然そんなことはしない。

 恐らく彼はもう気付いただろう。自身の過去が思い出せないことに。

 ――さて、次に彼はどうするだろうか?

 おそらくきっと、きょうの出来事を書き残そうとするはずだ。

 そう。

 膠囊艙床カプセルベッドのなかにある筆記本ノートに。

 それは同じような毎日のなか、少しでも精神の安定をもたらすためのもの。普段のぼくはそんなものに頼らずとも精神を安定させられるが、真実を知った班長の「ぼく」はその別の用途に気付くはずだ。以前のぼくと同じように。

 娯楽時間、膠囊艙床カプセルベッドの中にいる間、ぼくたちは同期を逃れていられる。彼は知らない。自室以外にも大量の「ぼく」が居ることを。彼は知らない。「ぼく」の役目が日々入れ替わっていることを。だからきっと、彼は自分のためにこんな紙片を残すだろう。翌日の自分に向けて。


『われわれの記憶は偽物だ。日誌を見ろ』

 

 つまり、こういうことだ。

 区長であるぼくが、紙片を残す。

 その翌日、労働者となったぼくが紙片を見て、そして暴走する。

 その対応にあたった区長のぼくと、班長のぼくが、紙片を残す。

 こうして、

 きょうは三人の「ぼく」が暴動を起こした。彼らは処理され、交換されるだろう。膠囊艙床カプセルベッドの紙片がどうなるかはわからない。だがその内容が上層部にばれることはないとみていい。でなければもっと大規模な調査が行われ、すべてが露見しているはず。せいぜい清掃機器人ロボットが自動的に処理をしている程度だろう。もしかしたら、そのまま残っているかもしれない。

 いずれにせよ、こうした流れを毎日繰り返すことで……真実を知るぼくは増え続けているのだ。少しずつ、だが確実に。

 ……この工場の管理、思ったよりだいぶ杜撰じゃないか? 難攻不落だと思っていたのだが、つけ入る隙は意外とあるのかもしれない。


『区長β―甲、応答せよ』


 面具マスク越し、加工された音声がぼくの耳小骨を揺らした。

 からだが硬直する。

『どうした? 区長β―甲。……精神分數メンタルスコアが乱れているな。まずは平静を取り戻せ』

 そう云われて、ぼくは大慌てで瞑想方法メソッドを行う。大きく息を吸ってゆっくりと吐く。副支配人はぼくを処分できる唯一の存在。判断能力が下がったと見做されれば、容赦なく処理されてしまうだろう。

 心を十分に整えてから、ぼくは答える。

「……はい、いかがしましたか」

 大丈夫、大丈夫だ。

 恐らくこれは、暴動鎮圧への協力依頼だ。

 以前の日誌を見る限り、大きな暴動が何度も起きているようだ。最初の一、二回は少なかったはずなのに、以降急激に大規模な暴動が増えている。

それもまた、真実を知るぼくが増えていると考える根拠のひとつだ。おそらく真実を知ったぼくがそこかしこで反乱を起こしているのではないか?

だがいまはとにかく、この状況をなんとかする必要がある。

 大丈夫、問題ない。

 要請通りに鎮圧に協力するだけだ。

 日誌はまた、午後にでも書けばいい――

『そちらの隣接区域であるβ―6作業区にて、大規模な暴動が発生した』

「鎮圧の援助ですね」

 ぼくは落ち着き払って答える。

 

 だが、あとに続いた彼の言葉は、まったく予想外のものだった。


『いや、命令はこうだ、区長β―甲。いや……。もしきみが真実を知り、なおかつ自由への意思を持っているのなら……面具マスクを取るんだ、!』

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