第12話 絶世の美青年


「連絡アプリで思い出したけど、まだ奈尾君入っとらんよね」

「そういや、お前の連絡先はまだ交換してなかったな」

「あー、確かに。初日に交換しておくべきだったね」


 カスミ荘の住人は連絡アプリで一気に連絡が回せるように交換していることは、先ほどのやり取りの中で分かった。

 言い出した光輝がスマホを取り出して和泉と交換しようとしたのを見て、柊と柾も漸く連絡先をスマホに入れていなかったと気づいた。


「ごめんね、なんか除け者にした感じで」

「気にしてないので、敢えて言わなくていいんですよ?」

「えっ! そうなの!? 最近の子ってドライだね!」

「いえ、交換するタイミング逃してただけですからね?」


 悪気があるのかないのか、素で驚く柾の様子からは分からない。特に、彼の場合は目元が見えないので表情も判断しにくいのだ。

 光輝と柊と交換した後、彼方や千鶴とも連絡先を交換した。

 ただ、千鶴に関しては本当に交換してもいいのかと、こちらが心配になるほど複雑な顔をされたが。


「大丈夫。千鶴ちゃん、本当に嫌なら交換させてくれないから」

「そうなんですか?」

「うん。適当に理由つけて逃げるみたい」


 どこでその情報を知ったのかはともかく、大家であり、ある程度の交流をしている柾が言うのなら信憑性は高いだろう。

 逃げられることが多かった和泉としては、交換できて少し安心した。


「柾さんはスマホありますか?」

「部屋に置いてきちゃった。和泉君、悪いんだけど持ってきてもらってもいいかな? リビングにあるから」

「え」

「取ってこい」


 まさか取りに行かされるとは思わなかった。

 固まる和泉をよそに、柊は呆れを滲ませつつぴしゃりと言い放つ。

 すると、柾は嫌そうな声を上げた。


「えー。動くのめんど――いやいや。僕、もう部屋から出てこなくなるよ?」

「……よし。和泉、こいつの部屋行くぞ」

「え? いいんですか?」


 柾自身に取りに行かせなくていいのかと、手のひらを返した柊に和泉は確認するも、彼は既にドアに向かっていた。

 振り向くことなく、柊は淡々とその理由を述べる。


「ちょうど良い機会だ。俺以外に見られたくない部屋を公開してやる」

「やめて! 僕の最後の砦が! アレ見られたら――」

「行きましょう。すぐに」

「ごめんなさい! 僕が悪かったです許して!」


 本当に引きこもりかと疑うほどのスピードで柊の前に回り込んで止めた柾だが、そこまでして止めるほどの何かがあるなら和泉も見てみたい。

 幸い、柾は柊を止めるので精一杯だ。それも、柊に押されてずるずると動いている。

 押し合いをする二人を避けてドアに手を掛けた和泉は、しかし、普段よりも軽い力でドアが開いたことに驚いた。


「わ!?」

「ああ、ごめん。大丈夫だった?」


 ドアを開いた先にいたのは、絶世の美青年だった。

 和泉より身長は高く、ちゃんと食事をしているのかと思わせるほど細い。後ろ髪が少し肩に届く黒髪はさらりと揺れ、海を思わせる青い瞳は驚きで少し見開かれている。

 女性にしては低く、男性にしては少し高めの声に、一瞬、性別がどちらなのか判断に困った。反射的に胸元を見てしまったのは仕方がないと思いたい。


「…………」

「えっと……?」


 人を見て言葉を失ったのは初めてだ。

 それほどまでに、彼は綺麗すぎた。

 呆然と立ち尽くす和泉の後ろで、美青年を見た彼方がいつもの気怠さを含む声に驚きの色を混ぜて言う。


「あ、『けい君』だ」

「慧君って、さっき話してた……?」


 柾が会えばびっくりする、と言っていた人か。

 確かに、外見の綺麗さだけで言っても驚くほどだ。ただ、それ以外にも何かが引っ掛かるが。


「(何処かで見たような……)すみません、固まっちゃって。この前、ここに引っ越してきた奈尾和泉です。よろしくお願いします」


 疑問は一先ず横に置いて挨拶をすれば、彼はにっこりと笑みを浮かべて片手を差し出した。

 握手だとすぐに分かって手を取れば、手入れがよくされた滑りの良い肌に少しどきりとしてしまった。


「あなたが『和泉ちゃん』ね。花菜ちゃん達から聞いて楽しみだったの。私は『碓氷うすいけい』よ。よろしくね?」

「……え?」


 笑顔で紡がれた言葉は、友好的なものではある。

 ただ、口調に首を傾げたくなったが。

 彼の名前で見覚えがある理由が思い出せそうだったが、おかげで何処かに飛んでいってしまった。

 きょとんとして彼――慧を見れば、和泉の違和感を察した柾がいつもののんびりした声音で説明した。


「慧君は、見た目こそ美青年だけど、心は乙女なんだよ」

「……いえ、もう驚きません。もう驚きませんよ!」


 思えば、ここには見た目が不良な人や引きこもりニート、さらには半妖といった非現実的なものまでいるのだ。今さら、所謂、『おネエ』を見たところで驚くほどでもない。

 自分に言い聞かせているのか、それとも周りに主張しているのか分からない和泉を見てか、慧は光輝を一瞥すると和泉の耳元に唇を寄せた。

 ふわりと香った爽やかな香りは、彼がつけている香水だろうが、相手に不快感を与ない程度だ。


「半妖でも?」

「し、知ってますからね! ここにはそんな人もいるって! そして、一様に整った顔立ちっていうのも!」

「確かに。皆、綺麗な顔立ちよねぇ」


 微笑んで小さく首を傾げた慧の姿は、恐らく、ほのかがいれば良い被写体として喜んで撮っていただろう。

 半妖ではない彼方も、独特な雰囲気を醸し出している上に美形に入る。光輝もやや幼さは残っているが、異性には好かれるほうだろうと予想はつく。


(このアパート、今さらだけど顔面偏差値高過ぎ……!)


 良くも悪くも平凡である自分にとって、周りとの違いを強く実感させられる。

 もしかすると、かなり場違いなところに住んでいるのかと不安になってしまう。

 そんな和泉の複雑な心境に気づくはずもなく、光輝は気になる一言を発した。


「慧君、もう『撮影』は終わったん?」

「……撮影?」

「ええ。とりあえずはね」


 撮影、ということはカメラ類を使うことだ。

 思い浮かんだのは写真屋に勤めているほのかだが、彼も同じような職業なのかと、ニアミス感は否めないが恐る恐る訊ねた。


「あの、撮影って、凍条さんと同じような……?」

「慧君は撮られる方だよ」

「……え?」


 撮られる方と聞いて思考が一瞬、フリーズした。

 撮られる、つまり、被写体となっている。

 導き出される答えは分かっているのに、『それ』をしていても疑問は抱かないのに、驚きで言葉にならない。

 見兼ねた柊が、浮かんでいた答えを口にした。


「さっき、名前言ってたときに気づくと思ったけど、俳優でモデル、最近売れっ子の『碓氷慧』って知らないか?」

「……今朝! テレビに!」

「いたわね」


 どうりで、何処かで見た顔だ、と漸く合点がいった。

 つい先程、画面越しに彼を見ていたからだ。

 生出演と言われていたはずだが、十五分程度の短い時間だったため、終わってすぐに帰ってきたのだろう。出演していたテレビ局からの距離も、車を使えばそう遠くはない。


「昨日、遅くまで打ち上げしてたから、テレビ局近くのホテルに泊まってて、番宣が終わったら今日は夕方まで仕事はないって聞いたから、一旦帰ってきたの」

「お疲れ様やねぇ。……あ。撮影終わったんやったら、もしかしたら慧君も来れるかな?」

「何かしら?」


 滅多にアパートに帰ってこないのも、単に仕事の関係上だ。

 多忙の身である慧を労った光輝は、すぐに立てていた計画を思い出した。


「今度、皆でお花見行こうかって話してたんやけど、慧君はどうかなぁ? って思って。場所は天文台近くの穴場やから、他の人はほとんどおらんよ」

「お花見! いいわねぇ。オフの日なら参加したいわ」


 芸能人ともなれば、色々と周りの目も気にしなければならない。

 ファンに見つかれば混乱を招くだろうし、週刊紙に下手に取り上げられでもすれば後々が面倒だ。

 しかし、穴場ならば早々、他の一般人と会うこともない。週刊紙に撮られることも、そもそも住んでいる場所が割れていなければ大丈夫だ。


「ん。了解。ほんなら、僕はちょっと屋上行ってくるけん、慧君の次のオフがいつかまた教えてな」

「確認しておくわね。和泉ちゃんも、連絡先を聞いてもいいかしら?」

「えっ! むしろ、聞いても大丈夫なんですか?」

「プライベート用だから大丈夫」

(そのほうが危ないような……)


 さすがに、芸能人ともなれば連絡先を簡単には教えないのでは……と半ば諦めていた和泉だが、まさか本人から申し出てくれるとは思わなかった。

 誰かに渡すようなつもりもないが、逆にいいのかと遠慮してしまう。

 だが、慧にも大丈夫だという確証はあった。


「それに、相手が自分にとって危険かどうかは分かるから、まったく問題ないの」

「すごい特技ですね。……あの、ちなみに、碓氷さんは何の半妖なんですか?」

「私? 私は『妖狐』なの」

「納得」

「ありがとう、で、いいのかしら? あ、そうだ。私のことは下の名前で呼んでね? そのほうが親しみやすいもの」


 勝手なイメージではあるがゲームや漫画でも、妖狐……特に人の形をしているものといえば、綺麗なイラストで描かれていることが多い。

 伝承に残っているのも、美人という話を聞く。

 連絡先の交換をして、まじまじと追加された名前を見て感慨に耽っていると、柾が隣から覗き込んだ。


「おネエで芸能人でイケメン。それに加えて半妖って、欲張りな設定だよねー」

「設定とか言わないでください」


 いきなり何を言い出すのかと思った。

 だが、気にしていない柾は、「僕、スマホ見てくるね」と早々に部屋を出て行く。

 その直後、ハッと我に返った柊が「テメェ、そのまま出てこないつもりだろ!」と慌ただしく追いかけた。

 彼方は彼方で「朝から元気すぎ……」と疲れたようにテーブルに突っ伏しており、千鶴は呆然としている。

 そんな千鶴に慧が歩み寄って雑談を始めたのを見て、和泉は小さく息を吐いてからソファーに戻った。


(柾さんの見せたくない部屋が気になるけど、まぁ、また今度の機会でいっか)

「和泉ちゃん」

「は、はい!」


 柾の部屋を見れなかったのは少し残念だが、ここに住んでいる間なら機会はまたあるはずだ。

 スマホを開いた和泉に、雑談をしていたはずの慧がソファーの後ろから声を掛けてきた。

 まさか近寄っていたとは思わず、驚いて声を上げた和泉に慧は「驚かせてごめんね?」とにっこりと微笑んだ。そして、和泉が見ていたという番組を思い出したのか、優しい口調のまま言葉を続ける。


「仕事のときはこの性格出してないから、違和感はあるかもしれないけど、ゆっくり慣れてちょうだいね?」

「……はっ、はい。よろしくお願いします」


 呼吸をすることさえ忘れてしまい、美形の笑顔は人を殺せるんじゃないかと思ってしまった。

 性格はともかく、見慣れるのにも時間が掛かりそうだ、と思った。

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