第15話 お花見計画
朝、いつもの時間に起床した和泉は、簡単に身だしなみを整えて部屋を出た。向かう先は共有ルームだ。
三月下旬とはいえ、まだ空気は少し冷たく、和泉は「さむっ」と小さく呟いて腕を擦る。
他の住人は仕事に向かったり、まだ寝ていたりするのか、誰かとすれ違うことはなかった。
廊下の窓から外を見れば、綺麗に晴れた朝の空が見える。
アパートの周りを囲う木々は青々と茂り、地面に生えている草花には白い蝶が舞う。
階段を下り、まだ残る眠気から欠伸を零したときだった。
「ふあ……あ!?」
共有ルームの前に、誰かがうつ伏せで倒れていた。
穏やかだった空気が一変。
血の気が引いていくのを感じつつ、震える足を叱咤して駆け寄った。
「だっ、大丈夫ですか!?」
隣に膝をついて肩を揺さぶる。
倒れていたのは光輝だ。
昨日の午前中に会ったきり姿を見ていなかったが、何かあったのか。
「空篠さーん!」
「うっ……うーん……」
「えっ。ちょっ、大丈夫ですかー!?」
肩を揺さぶって呼び掛けるも、眉間に皺を寄せて唸るだけで目を覚ます気配はない。
ここは救急車を呼ぶべきか、とスマホを取り出したところで、少し先にある部屋から柊が出てきた。
「朝から元気だな。何かあったのか?」
「柊さん! ちょうどいいところに!」
「あ?」
もし、光輝が体調不良で倒れているのなら急を要する。
しかし、視界に光輝が入っているはずの柊に焦る様子はない。
これもよくあることなのか、と思い始めた矢先、柊は光輝をしゃがんで見て溜め息を吐いた。
「寝てるだけだよ。どうせ、また夜遅くまで屋上で天体観測してたんだろ」
「ええ……。なんでこんなところで寝てるんですか」
光輝の部屋は二階の二〇五号室のため、寝るなら下りすぎだ。
柊は今までの光輝の様子を思い出しながら、今回の共有ルーム前での寝落ちについて淡々と解析した。
「眠気覚ましに何か飲もうとして下りてきたか、寝惚けて階を間違えて、でも戻るの面倒だからここで寝てしまおうとしたかだな。どっちにしろ、手前で寝落ちしたってとこだけど」
「前者はともかく、後者と落ちについてはもっと寝るの我慢できないんですかね?」
各階の談話室に自動販売機はあるが、もちろん、料金は発生するため、財布が手元になければ自然とキッチンに向かう。
また、光輝は以前も酔っていたとはいえ共有ルームで寝ていたので、彼は寝られれば何処でもいいようだ。
それにしても、共有ルームに着く前に倒れ込むほど眠かったのかと、未だに目を覚まさない光輝を見下ろして息を吐く。
「風邪引かれるのもなんだし、中に運んでやるか。和泉、ドア開けてくれ」
「あ、はい」
起きない光輝の腕を自身の首に回し、共有ルームに運ぼうと立たせる。最も、寝ているので足はほぼ引きずる形になるが。
そこへやって来たのは、先ほど起きた様子の花菜だ。
柊と光輝を見た瞬間、彼女の眠そうな顔が一気に輝いた。
「うわぁ、眠気よさらば!」
「頼むから一生眠気に襲われててくれ」
朝から何を言っているのかと、和泉はドアを開けた態勢のまま固まってしまった。
いつもどおり一蹴した柊は、そのまま光輝を共有ルームの中に運び、奥のソファーに寝かせる。
和泉は近くの棚に置かれていたブランケットを光輝に掛けてやった。
最初は誰の物か分からず使うのは躊躇われたが、柊が「ここ用だから大丈夫」と言ったので使わせてもらうことにした。
すやすやと眠る光輝を見て、花菜は手のひらを軽く叩いて言った。
「コウちゃん見て思い出したけど、お花見の件ってどうするの?」
「俺らはいつでもいいぞ」
「『ら』?」
聞き流してもいいような何気ない言葉だったが、何故か花菜は確認するように首を傾げる。
大方、柾だろうと思った和泉の考えを柊が肯定した。釘を刺しながら。
「先に言っとくが邪心すんなよ? 柾だよ」
「…………」
言われた途端、花菜は口元を押さえて背中を向ける。
その肩は小刻みに震えており、笑いを堪えているのかと思ってしまう。
直後、柊が手刀を花菜の脳天に落とした。
「おいこら。邪心すんなっつっただろ」
「ごめん、無理! ネタをありがとう!」
「ふざけんな」
グッジョブ! と親指を立てた花菜を見て、柊のこめかみに青筋が浮かんだ。
ただ、賑やかになったせいか光輝が「ううん……」と小さく唸ったため、和泉は慌てて止めに入った。もちろん、声は抑え気味で。
「ま、まあまあ! 落ちつきましょう!」
「それはこの腐れ女子の思考に言ってやれ」
「だって! スケジュール把握してるとかもう……ねぇ!?」
「俺に言われても困ります!」
同意を求められても頷けない。もはや、花菜の思考回路に驚きを通り越して感心すら覚えてしまう。
すると、柊は深い溜め息を吐いてから呆れ気味に言った。
「あいつにスケジュールとかあるかよ。万年ニートだぞ?」
「…………あー、そういえばそうだった」
(大家さんのはずなのにニート認定されてる……)
ニートとは、働く意思も学ぼうとする意思もない人のことだったような気がする、と思ったものの、納得している二人には何を言っても無駄だろう。
そもそも、和泉も柊が大家のような仕事をしていると知っているため、柾が「ニート」と言われても否定できないのだ。
せめて、もう少し外に出てくれたならフォローのしようもなくはない。やや難しいが。
そして、話をこれ以上続けても無意味と感じたのか、花菜は当初の話題に戻した。
「それで、お花見は? 早くしないと春休み終わっちゃうよ?」
春休みが終われば、学生組は基本的に土日祝日くらいしか参加できない。夜にやるのならばともかく。
また、先に桜が散ってしまうこともあり得る。
花菜に言われてスマホでカレンダーを確認した柊は、あっさりと日程を決めた。
「いつもどおり、日曜でいいんじゃないか?」
「大丈夫なんですか?」
「あたし達のバイトのほうはね。一番は慧ちゃんのことだけど、今週の日曜ならいけるはず」
(皆の仕事事情がよく分からない……)
日曜日ともなると忙しそうだが、休みを取れるのか。特に、小鳥遊双子や花菜は接客業だ。
彼方についてはよく分からないが、果たして日曜で大丈夫なのか。
不安が生まれたものの、やって来て数日の住人が言うことではないと内心だけに留めておく。
「んじゃ、とりあえず、日曜の昼にするか。場所取りは和泉と千鶴でやってくれ」
「え」
まさかの人選に思わず声が出た。
嫌ではないが、彼女は人見知りな上にまだまともに話したことはない。
せめて別の人に、と思ったが、柊が二人を名指ししたのには他に理由があった。
「俺は柾引きずってくし、光輝も天文台に挨拶があるし、人数多いと飯作る人手もいるからな。智さんは味覚がアレだから自分で作りたがるだろうし」
「彼方さんと花菜さんは……」
「荷物運び」
「それ、女の子にやらせる?」
彼方と花菜の料理が危険だということは既に知っている。もちろん、柊も。
だからこそ、二人には別の仕事が与えられたようだ。ただ、その内容は世間一般的に見ると男性がやることのほうが多いだろう。
花菜もまさかの役割に真顔になっている。
しかし、柊も花菜を女性として意識していないわけではなかった。
「誰が重いモン持たせるか。軽いモンしか渡さねーよ」
「……ならいいけど」
当たり前だ、と言わんばかりの柊に、花菜はぎこちなく視線を逸らせた。その顔は赤く、どこか照れているようにも見える。
和泉はどこに恥ずかしがる要素があったのかと首を傾げた。
「花菜さん、顔赤いですけど大丈夫ですか?」
「へっ!? だっ、大丈夫! 大丈夫だよー!」
指摘をすればさらに顔が赤くなっている。
とても大丈夫そうには見えないが、本人に理由を明言する気はないようだ。
ふと、視線を感じてソファーを見れば、ぐっすり寝ていたはずの光輝がいつの間にか目を覚まして和泉を見ていた。
それも、微笑ましそうな笑顔で。
「奈尾君は鈍いんやねぇ」
「いつから起きてたんですか……?」
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