第16話 歩きスマホにご注意
花見の当日。
空は気持ちが良いほど晴れ渡り、春の陽射しが車内の空気を温めて程好い眠気を誘う。
普段であればそのまま睡魔に飲まれるところだが、今はそんな気分にはなれなかった。
和泉はちら、と横目で隣にいる千鶴を見る。
彼女は車に乗ってからずっと外を見ており、何を考えているのか読めない。
運転しているのは柊で、助手席には光輝が乗っている。
二人は何気ない会話をしており、時折、和泉や千鶴を気遣ってかこちらにも話を振ってくれるが、千鶴に関しては少し返しただけで終わるのがほとんどだ。
(柊さんは、なんで俺と結城さんを場所取りに選んだんだろう……)
せめて、花菜とならば千鶴も気楽だったろうし、和泉が調理を手伝うことも荷物を運ぶこともできる。
途中までは光輝が一緒だが、天文台への挨拶のため一時は離れるのだ。
二人きりになる空気を考えると今から気が重い。
吐きそうになる溜め息を飲み込むと、光輝が会話を一旦止めて言った。
「あ、柊さん。ここでええよ」
「おう」
車が止まったのは、山を少し登ったところにあるロープウェイ乗り場の駐車場だ。休日に加えて花見シーズンでもあるため、他にも多くの車が停まっている。
山頂にある天文台へは車で直接行くこともできるが、登山や散歩を楽しむ人用の遊歩道やロープウェイもある。
今回、花見をするのは遊歩道を途中で逸れた位置にあるため、車で山頂まで行くと手間が掛かるのだ。
ビニールシートを入れたカバンを和泉が持って車を降り、運転席側に回った光輝について行く。
「じゃ、昼くらいには他の奴らも連れてくるから、場所取り頼んだぞ」
「うん。任せといて」
車から少し離れれば、柊はアパートに戻って行った。
光輝がにこやかな笑顔で手を振って見送り、見えなくなったところで和泉達に向き直って言う。
「ほな、行こかー」
「はい」
歩き出した光輝に和泉が続き、千鶴もやや遅れて一歩を踏み出した。
ロープウェイ乗り場の横に立てられた大きな看板には「遊歩道はこちらから」と書かれており、その案内どおり、すぐ近くには人が四人並んでも十分通れそうな広さの道があった。
山桜を楽しもうと多くの人が遊歩道を選んでいるようで、これから場所取りをしなければならない和泉はまだ空いているのかと不安になる。
「これ、場所大丈夫ですかね? 思ったより人が多いんですけど……」
「ああ、うん。大丈夫やと思うよ。場所は少し上の方で、花見目的の人はそれより下の広場使うやろうし」
人間の心理というものが働いているのだろう。また、それに加えて目的地は遊歩道を逸れて少し細い道を通るため、単に花見を楽しみたい人からすれば知らなければ近寄らない場所のようだ。
ただ、少し上の方、と聞いた和泉は登る前から疲労を覚えた。
「俺、体力大丈夫かな……」
「ははっ。現役高校生なんやし、いけるやろ」
「うーん……。でも、俺は運動部じゃないですし……結城さんは体力あるほう?」
「……た、多分」
まさか話を振られるとは思っていなかったのか、ぼんやりと辺りを見ていた千鶴は答えるまでに少し間が開いた。
光輝も山道に慣れているのかすんなりと進んでおり、さすがに格好悪いところは見せられないとビニールシートを入れたカバンの紐を握り締める。
遊歩道に踏み入ると、歩きながら周りを見ていたせいか、思ったより苦にはならず目的地の手前まで辿り着けた。
「ほな、僕は挨拶してくるけん、二人はこの先の広いとこにおってな」
「……えっ。これ、先に広い所なんてあるんですか?」
遊歩道の途中に休憩するための少し広めのスペースがあり、二、三人が座れそうなベンチが二台設置されていた。
また、その奥には人が一人通れるくらいの細道がある。道の左右は雑草が好き放題伸びているが、人の往来があるせいか細道には草がほとんど生えていない。
花見の場所はその細道を進んだ先のようだが、遊歩道と違って道が整備されておらず、普通の山道に見える。進んだところで広い場所などあるのかと疑ってしまう。
「そう思うやろ? けど、進んだら分かるよ。まさに穴場やから。ただ、見てのとおりの山道やから、気をつけてな?」
「それ、フラグですかね……」
「ははっ。まぁ、僕も何度か来たけど、道を逸れん限りは大丈夫やから」
「それじゃ、頼んだでー」と言って、光輝は遊歩道を進んで行った。
残された二人の間に沈黙が流れ、下の方の広場で行われていた花見の声が聞こえてくる。
通りすがりに見たが、殆どの花見客が集まる広場は人が多く、場所を変更しようにももうスペースはなさそうだった。
和泉はスマホで時間を確認すると、気まずそうに視線を泳がせていた千鶴に声を掛けた。
「えっと……とりあえず、奥に行こうか」
「う、うん」
危険がないよう和泉が先を進む。千鶴も腹を括ったのかあとをついて来た。
山道は細いものの、地面はしっかり固まっているお陰で比較的歩きやすい。
周りを見ながら歩いていると、やがて光輝の言っていたとおり、開けた場所に出た。
「うわ、ホントに穴場だ」
「綺麗……」
山桜が周りを囲うように生え、誰かが整備しているのか、草が生えていてもかなり短いものばかりだ。また、脇の方には一本だけ桜が内側にあった。
和泉は千鶴に確認してから、その下にビニールシートを敷くことにした。
そして、ビニールシートを広げて専用の杭で簡単に四隅を留めると、いよいよやることがなくなって沈黙が目立つようになる。
立っているわけにもいかず微妙な距離を開けて座っていたが、周りに人がいない分、沈黙が重くのし掛かった。
「あー……そう言えば、皆、大丈夫かな? 柾さんとか、ここまで来る前にバテそうだよね」
「……うん」
「花菜さんと彼方さんも、柊さんの手伝い大丈夫かな……」
「…………」
「…………」
「…………」
会話終了。
最後の話は独り言と取られたのか、返答すらなかった。
鴬の鳴き声がやけに大きく聞こえた。
(お、重い……。会話の内容間違えたか? なんか地雷踏んだ?)
話題の選択を誤ったか、と思ったが話が続きそうな共通の話題はカスミ荘のことくらいしか思い浮かばない。学校は同じだが、クラスが違っていたので話題に出しづらい。
スマホを出して時間を確認すれば、光輝と別れてまだ三十分も経っていないことに気づいた。
(多分、まだ時間掛かるだろうし……)
このまま沈黙で過ごすのも千鶴に悪い気がした。せめて、自分がいなければまだのんびりできるだろうか。
そう思い、また、周りが少し気になることもあって、和泉は一旦この場を離れようと立ち上がった。
不思議そうに見上げてくる千鶴に笑みを向けるが、状況のせいかぎこちなくなったのが自分でも分かる。
「ちょっと、周りが気になるから見てくる。女の子一人にするのも不安だけど、何かあったらすぐに呼んでね?」
「……あ」
スマホはお互い持っている。連絡先も交換しているため、すぐに呼ぶことは可能だ。そもそも、そんなに遠くに行くつもりはない。
千鶴は何か言いたげだったが、特に引き留めることもせず、小さく「いってらっしゃい」と言う。
それだけでも進歩のような気がして、胸の奥が温かくなった気がした。
そして、和泉は通ってきた道ではなく、さらに奥に続く道を見つけて足を向ける。
通ってきた細道よりも草が生い茂って道を隠している辺り、人は殆ど通らないのだろう。
(獣道ってほどでもないけど、ちょっと歩きにくいな……)
歩いていると道は片側が急な斜面に変わり、気をつけなければ足を滑らせてしまいそうだ。
早めに引き返そう、と思いながら、周りをゆっくり見渡した。
鳥の囀りが森に響き渡り、そよ風が木々の枝を揺らす。
カスミ荘も木々に囲まれた場所に経っているが、森の中と比べるとやはり空気が断然に違う。木々の枝葉が太陽をやや遮っているせいか、少しひんやりしているように感じた。
(ホントの自然って感じだな)
息を大きく吸い込めば、澄んだ空気が体の隅々まで行き渡るようだ。
もう少し奥に行ってみよう、と歩きながら、振動したスマホを取り出す。
「光輝さんだ」
短い振動は連絡アプリのメッセージだった。
天文台に挨拶に向かった光輝からのメッセージによると、挨拶を済ませて今からこちらに向かうとのことだ。
もっと時間が掛かるかと思ったが、天文台の職員も気を遣ってくれたのだろう。
それなら和泉も戻るべきか、とまだ続くメッセージを読みながら歩いていると、足もとで嫌な感触がした。
「……え?」
何かを踏んだ。
ゆっくりと足もとに視線を落とせば、細長い何かが……指三本分程の太さの蛇がいた。
「へっ……! ……え?」
驚いて数歩下がれば、蛇も怯んだのか攻撃してくることはなく草むらの中へと逃げていった。
だが、下がった場所が悪かったようだ。
あると思った高さに地面がなく、ずるりと足が落ちた。体が重力に従って後ろに引っ張られ、視界が大きく揺れる。
状況に頭がついてこず、ただ木々の合間から見えた青空がやけに綺麗に思えた。
だが、それも背中を襲った痛みで吹っ飛んだ。
「っ! う、わああぁぁぁ!?」
斜面に落ちた体が和泉の意思に逆らって転がり落ちる。
和泉が持っていたスマホが、読んでいたメッセージを表示させたまま地面に残された。
――それと、最近、あったかくなったせいか、蛇が出るけん、あんまり森の中とか入ったらあかんよ? スマホ見ながらとか特にね。
そこ、近くに急な斜面があって、蛇に驚いて落ちて大ケガした人もおるらしいけん。
光輝からの忠告は一歩遅かった。
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