第21話 これから、


(結局、あれから結城さんに会えなかったけど、今日はさすがに会うよな……?)


 まずは千鶴にお菓子のお礼を言おうと決めたものの、昨日は会えないまま一日が終わってしまった。

 彼女は晩ご飯も談話室で作ったのか、共有ルームには姿を見せなかったのだ。もしくは、入れ違いになったか。

 かといって夜遅くに異性の部屋を訪れるわけにもいかず、同じ屋根の下にいるのだから、いつかは会えるだろうと踏んで昨日は休むことにした。

 朝がきた今、和泉は共有ルームに向かいながら、速まりそうな鼓動を落ち着けるために深呼吸を一つした。


「……よし」


 最初の言葉を迷う必要はない。今は朝なのだから、普通に挨拶をすればいいだけだ。

 和泉は共有ルームの扉の前で小さく意気込んでから、扉に手を掛ける。


「おはようございまーす」

「テメェ、食器くらい自分で下げろ!」

「やだよ。僕、ペンより重い物持てないし」

(ああ、いつもどおりの光景が……)


 入ってすぐ目についたのは、テーブルに両腕を伸ばして突っ伏した柾とその隣に立つ柊だ。

 柾の傍らには食事を終えた後の食器が残っており、片づけをしない柾を柊が怒っているところだった。

 もはや見慣れた光景に、和泉は思わず遠い目をしてしまう。


「布団持てるような奴が何言ってんだ。寝言は寝て……いや、生まれ変わってから言え」

「『寝言は寝てから言え』じゃないの!?」

「この前そう言ったら、喜んで寝に行こうとしたの何処のどいつだ」

「僕だね!」

「胸張って言うことじゃねーだろ!」

(元気だなぁ……)


 今はまだ朝の七時を少し過ぎたところだ。

 さすがに、和泉も朝から声は張り上げられない。もはや、呆れを通り越して感心してしまった。


「おっはよー、和泉君」

「おはようございます。春馬さん、春斗さん。……あの二人は朝から元気ですね」


 入口近くの席にいた小鳥遊双子は、入ってきた和泉に気づいて視線を向けた。

 和泉が言い争う柊と柾を見ながら言えば、春斗は小さく息を吐いてから返す。


「まぁ、いつものことだからな」

「柊さんも、注意しながらも結局は片づけるから甘えるんだよ」

「確かに」


 現に、今も柊は文句を言いながらも柾の食器を自分の物と一緒に片づけている。

 そこで、和泉はキッチンから熱い視線を送っている花菜に気づいたが、何も見なかったことにした。触れてはいけないと、入居してから数日で学んだことだ。

 ただ、キッチンから出てきた千鶴に気づくと、落ち着いていたはずの心臓が大きく跳ねた。


「「あ」」


 和泉と千鶴の声が重なり、二人同時に見つめ合ったまま固まる。

 小鳥遊双子はそんな二人を交互に見てから互いの顔を見合わせると、何かを察したのか頷いてから自分達の食事へと戻った。


(違う違う。平静……。平静を保て……!)


 最初の一言は何度もイメージトレーニングをしてきたはずだ。

 ただ「おはよう」と言えばいい。そして、昨日のお菓子の礼を続けるだけだ。

 小鳥遊双子だけでなく、二人の微妙な雰囲気を見た柊と柾、花菜も何事かと視線を送ってきている。

 先ほどまで騒いでいたのに、こんなときばかり静かにならないでほしい、と和泉は強く思った。

 こうなればあとは勢いだ。

 そう思った和泉は、ぎこちない笑みを浮かべて口を開いた。


「お――」

「お、おはよう!」

「……え?」


 声がした直後、千鶴の姿が視界から消える。

 今、挨拶をしたのは誰か。

 今、横を駆け抜けたのは。

 ふわりと香った柔らかい花の匂いに、思考はさらに混乱していく。

 現実に思考を引き戻したのは、放心する和泉を案じた柊だ。その後ろからは柾もついてきている。


「大丈夫か?」

「ひ、らぎ、さん……。今……」

「なんだ?」


 考えていたことがすべてに無になった。

 ただし、良い方向に事態は動いてくれている。

 今の感情がうまく言葉にできない和泉は、やがて目頭が熱くなり、視界が滲んだのを感じた。


「っ……!」

「え」

「あー! 柊が泣かしたー!」

「…………」

「いだっ!?」


 突然、泣き出した和泉を見た柾がひやかすように声を上げた瞬間、鈍い音が室内に響く。

 小鳥遊双子の合掌は食事を終えたからのものなのか、それとも殴られた柾に対する「ご愁傷様」なのかは分からない。

 柊は、頭を押さえて蹲った柾を気にせず、呆れたように和泉に言った。


「そんな泣くほどのことか?」

「いえ、その……びっくりしちゃって……。今まで向こうから何か言うことなんてなかったですし、昨日のこともあって……」


 まともに話をしたのも、花見のときくらいだ。あの日以降、どこか余所余所しい雰囲気だったため、和泉も話しかけにくかった。

 そこに昨日と先ほどの出来事だ。

 キッチンから出てきた花菜は、涙を拭う和泉を見ると笑顔を浮かべた。


「和泉君ってピュアだね」

「今さらそれ言うか」

「えっ。柊さん、見抜いてたの?」

「なんでちょっと嬉しそうなんだよ」


 花菜が喜ぶような内容ではないはず、と一瞬、理解できなかったものの、すぐに彼女の中で何かの妄想が広がったのだと察する。

 そして、花菜が何かを言う前に遮ろうと、柊は言葉を続けた。


「お前と比べたら、純粋さは月とスッポンだろうが」

「否定しない!」

「言っといてなんだが、ちょっとはしてくれ」


 花菜の趣味は知っているが、揶揄を素直に受け入れられても困る。

 そんな二人をよそに、復活した柾は和泉に向き直った。


「和泉君」

「はい……?」

「実はね、千鶴ちゃんの件に関しては、僕も彼女の両親から言われてたんだ」

「結城さんの、両親から……ですか?」


 確かに、柾は仕事を柊に押しつけてはいるが、「大家」ではある。また、半妖についても理解がある人だ。

 入居前に話があってもおかしくはないものの、柾の様子からはそれ以外にも何かがあるように感じた。

 柾は口元に笑みを浮かべたまま、千鶴とのことを話す。


「僕と彼女、親戚なんだ。彼女の父親が、僕の従兄弟」

「……ええ!?」

「半妖のことも、従兄弟の兄さんが千鶴ちゃんのお母さんと結婚するってなったときに聞いたんだよ」


 そんな関係だとは思いもしなかった和泉は、開いた口が塞がらない。

 半妖については絶対に隠す必要はないため、千鶴の両親は柾を信用して話したのだろう。彼ならば受け入れてくれる、と。


「人見知りを治してあげたいけど、僕には良い方法が思いつかなくてね。ここで過ごせばその内……と思ってたけど、和泉君がいれば、もっと早いかもしれない」


 和泉と千鶴は学校が同じだ。

 これからはカスミ荘だけでなく、学校でもサポートができるだろう。

 柾は、「押しつけるようで悪いけど……」と前置きをしてから言った。


「これからも、千鶴ちゃんのことをよろしくね」

「……はい! もっと仲良くなってみせます!」


 千鶴からも歩み寄ろうとしてくれている今、断る理由は一つもない。

 頷いた和泉を見て、傍観していたはずの春馬がにやにやと笑みを浮かべた。


「おっと、これはー?」

「なになに? カップル誕生フラグ立った!?」

「初日に言ったのが実現される日がくるのか……」


 春馬に続けて、花菜と意外なことに柊も冷やかしに乗ってくる。

 その柊の言葉が何だったのか、初日のことを思い返した和泉は、やがて顔を真っ赤にさせてから強く否定した。


「ちっ、違いますから!」

「今夜はお赤飯だぁー!」

「お前が作ると黒飯だな」

「が、頑張るし!」

「ちょっと! 勝手に話を進めないでもらえませんか!?」




 ――拝啓、父さん、母さん。

 そちらでの暮らしはどうですか?

 俺は、いよいよ明日から高校二年になります。

 春休みから始まったカスミ荘での毎日は、想像よりもずっと非日常だらけだけど……


 俺は、なんとかやっていけそうです。


 それじゃあ、また。

 身体には気をつけてください。







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カスミ荘の(非)日常 村瀬香 @k_m12

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