第20話 まずは一歩


「…………」


 柾のアドバイスどおり、普通に渡そうと決めた千鶴は、共有ルームのソファーで和泉の帰りを待っていた。

 最初は柾や柊もいたが、今は「やることがあるから」と部屋に戻っている。柾については、単に部屋に引きこもっただけだろうが。

 クッションを抱えてテレビを観ながら待っていたが、朝から動き回っていたり、慣れないことを考えたせいか、次第に睡魔が襲ってくる。

 入居したばかりの頃は、ほとんど住人とも話せなかった自分が、今や相談を自ら持ちかけるほどにまでなった。

 少しは成長できているのだろうか、と思いながら、千鶴は少しの間だけ、と目を閉じた。




「ただいまー……って、誰もいない?」


 帰宅した和泉は、共有ルームから微かにテレビの音が聞こえてきたため、誰かいるのかと室内に足を踏み入れた。

 しかし、奥のソファーには人の姿は見えず、テレビだけがついている状況だった。


「柊さんに見つかったら怒られそう……」


 共有ルームのテレビは誰も観ないなら消す、というのが決まりだ。

 今までつけたまま部屋を出た人はいないため、珍しいこともあるものだと思いながらテレビへと歩み寄る。

 そこで、和泉はソファーの向こうで横になっていた人に気づいた。


「……え?」


 一瞬、柾かと思った。彼ならば前科はある。

 しかし、ソファーを覗き込んで見れば、クッションを抱えて寝ていたのは千鶴だった。

 まさか千鶴が寝ているとは思わず、突然のことに思考は停止した。


「なんで、こんなとこで……?」


 恐らく、テレビを観ていたら寝てしまったのだろうが、一体、いつから寝ていたのだろうか。他の住人は起こさなかったのか。

 疑問はいくつも浮かんできたが、今は先に彼女を起こすのが先だ。

 いくら室内の温度が温かくても、布団も被らずに寝るのは身体に悪い。また、年頃の女の子が無防備に寝るのもいかがなものか。

 和泉はテレビを消すと、千鶴の肩を軽く叩いて呼びかけた。


「ゆ、結城さん。起きて」

「ん……」

「ほら、ここで寝ると風邪引いちゃうよ」


 まだ覚醒しきっていないせいか、千鶴はぼんやりとしたままゆっくりと体を起こす。

 そして、聞こえてくる声の主を漸く理解したのか、勢いよく和泉へと視線を向けると顔を真っ赤にさせた。


「え。あ、なっ、わ、私……」

「大丈夫? どこか具合悪い?」


 テレビを観ていたら眠くなっただけならまだしも、体調が悪いなら薬を持ってきたほうがいいだろう。

 そう思って訊ねたのだが、千鶴は大きく首を左右に振った。


「だ、大丈夫! えっと……これ!」

「……これって?」


 テーブルに置いていた小さな包みを取ったかと思いきや、和泉に差し出された。

 一体、何の袋だろうかと思いながら千鶴の言葉を待つ。中には何かが入っていると分かるが、何のためにこれを渡してきたのか分からなかった。

 視線を泳がせていた彼女はクッションを置いて立ち上がると、蚊の鳴くような小さな声で言う。


「……いろいろと、ありがとう」

「え?」


 言い終えると同時に、千鶴は寝起きとは思えないスピードで逃げ出した。

 テレビを消していたおかげで、彼女の小さな言葉はかろうじて聞き取れた。

 ただ、お礼を言われるようなことをした覚えがなく、一人残された和泉は目を瞬かせて首を傾げる。

 そこに、入れ違いで花菜と光輝がやって来た。

 二人はすれ違った千鶴の様子がいつもと異なっていた上、彼女が出てきた共有ルームには和泉がいたことから、何があったかを察したようだ。


「お帰りー。和泉君」

「結城さん、顔真っ赤やったよ」

「あ……えと、ただいま。……お二人は、これについて知っているんですか?」


 花菜はにやにやしながら和泉に歩み寄り、光輝も微笑ましそうにその後から近づいてきた。

 事情を知っているであろう二人なら、千鶴が渡してきた包みについても知っているはずだ。

 そう思って訊ねれば、二人は顔を見合わせてから笑みを深くした。


「それ、結城さんが作っとった分なんよ」

「手作り……!?」

「うん。和泉君が出かけた後くらいから、ちーちゃんが一人でもくもくと作ってたよ。クッキーだったかな」

「なんで突然……」


 今日は誕生日でも何でもない。また、彼女とはプレゼントを渡し合うほどの仲でもないのだ。

 何があってクッキーを渡す流れになったのか。

 嫌ではないが、理由は気になってしまう。

 すると、花菜は言うべきか否か少し迷ってから口を開いた。


「あたしから言うのも違う気がするけど……この前のお礼だって」

「お礼?」

「ほら、この前のお花見のときの……」

「あー……」


 そこまでを言って、花菜は光輝を見て口を閉ざす。

 光輝はまだ、半妖の存在を知らない。そして、彼自身、そういった存在にやや否定的だ。

 知ったところで嫌うことはないだろうが、今は明かすべきではない。

 花菜の気持ちを察した和泉は、花見のときに千鶴が半妖としての姿を見せたことを思い出す。

 しかし、あのとき、助けられたのは和泉であり、むしろお礼をすべきなのは和泉のほうだ。


「むしろ、俺のほうが何かお礼をしたいんですけど」

「あはは。なら、それはまた今度ね。今回は、ちーちゃんの気持ちを大事にしてあげてよ」

「せやね。『これからもよろしくね』ってことで。ほら、結城さん、はよ人見知りを治したいみたいやしね」

「あ……」


 千鶴が何故、ここにいるのかを思い出した。酷い人見知りを治すためだと。

 そして、柊や柾からも彼女をよろしくと言われている。

 急に、今まで千鶴と二人にならないよう、自然と避けていた自分が恥ずかしくなった。


「……大丈夫、ですかね?」

「うん。大丈夫! ちーちゃんからも歩み寄っているしね!」

「分かりました。めげずに頑張ってみます」

「千里の道も一歩から、やね」

「……や、それは長いです」




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