第19話 伝えたい想い


 親睦会である花見を終えて数日。

 結城千鶴は、二階にある談話室のテーブルで一人唸っていた。


「うーん……」


 目の前に置かれているのは、薄茶色のビニール製の小袋。上の方を白と水色のリボンで綺麗に結んでおり、一目で誰かへのプレゼントだと分かる。


「……どうしよう」


 千鶴は、先日の花見の件で和泉へのお詫びとしてお菓子を作った。それも、どうやって渡すかを考えず、その場の勢いで。

 オーブンのあるキッチンでは他の住人に追究されたときに答えにくいため、簡易コンロと冷蔵庫のある談話室でも作れる生チョコだ。

 ただ、生チョコを作り終え、ラッピングをしてからあることに気づいた。

 和泉とは漸く話すようになった仲だが、こちらから話しかけることはほとんどない。

 また、数日が経っているのに、今さらお詫びの品を渡すのもいかがなものか。余計な気を遣わせてしまうのではないか、と。

 考えれば考えるほど、勢いで作ったことを後悔してしまう。


「……ううん。普通に。帰ってきたときに、普通に、渡せばいいんだし……」


 マイナスへと思考が走っていたものの、すぐに自身を叱咤して考えを切り替える。

 当の本人……和泉は夕方まで外出していない。

 今朝、共有ルームで朝食を摂っているときに花菜と話しているのを聞いて知った。盗み聞きではなく、一緒に食べていたので自然と聞いたものだ。

 だからこそ、やるなら今日しかない、と朝食後に何を作るか考え、材料を買いに行ってすぐに調理に取りかかった。

 人目を忍んでいたつもりが、タイミング良く談話室にやって来た花菜や小鳥遊双子に見つかったため、事情は話している。

 話を聞いた三人は顔を見合わせた後、にこやかな笑みを浮かべていたが。

 いらぬ誤解を招いた気がして、思い出すたびに胸の辺りが靄がかったような感覚がする。


「うーん……。こうなったら……」


 スマートに渡す方法が思い浮かばず、このままでは渡せずに流れてしまう。

 プレゼントを持った千鶴は、誰かに相談しよう、と談話室を後にした。





「んなモン、普通に渡せばいいだろ」

「柊さんは、もっと女の子の気持ちを分かってあげるべきだと思う」


 まず、最初にやって来たのは共有ルームだ。

 誰かはいるだろうと思って入れば、ソファーで寛ぐ花菜とキッチンで掃除をしていた柊がいた。

 掃除を終えた柊は、ソファーに座る花菜の斜め後ろに立つとあっさりと言ってのける。

 アドバイスになっていない、と窘める花菜だが、柊は自身の考えを述べたまでだ。


「こういうのって気恥ずかしいんだよ。対面だと相手の反応もすぐ分かっちゃうし、告白じゃなかったとしても緊張するって。……多分」

「じゃあ、お前は何かあるのかよ」

「んー……」


 花菜は和泉ともそれなりに親しくなっているので、何かを渡すにしても気軽に渡せる自信はある。ただ、千鶴は性格上、今の状態では厳しいだろう。

 それならば、と花菜は閃いたことを元気良く言った。


「手紙と一緒にポストへイン!」

「余計、気ぃ遣うわアホ」

「いたっ。ラブレターみたいでいいじゃん!」

「えっ」


 柊の平手が花菜の後頭部を襲う。

 叩かれた頭を押さえた花菜が柊を見上げて抗議の声を上げるも、その発言には大きな誤りがある。

 あくまでも、今回の目的は「告白」ではなく、「感謝」だ。

 和泉のことは嫌いではないが、いらぬ誤解を与える可能性がある方法は避けたい。

 これは他の人の意見も聞いてみるべきか、とぎゃあぎゃあと言い争う二人に「いろんな人の話も聞いてくる」と言って席を立った。

 二人に聞こえているかは定かではないが、途中でいないと分かっても怒るような二人ではない。





「「玄関に掛けておく」」

「それだと素っ気ないような気が……」


 次に相談したのは、玄関ホールで何かをしていた小鳥遊双子だ。

 何かを柊のポストに入れていたように見えたが、何も見ていない振りをして追究しないことにした。

 そんな二人からの答えはとてもシンプルなものだった。ただ、隣人からのプレゼントが玄関に掛かっていたら、わざわざ距離を置かれたことに少し傷つきそうだが。

 心配する千鶴を見て、春馬は真剣な表情で言う。


「いやいや、女の子からの手作りお菓子だよ? 存在自体が尊い」

「まして、手渡しなんて爆発すればいい。男が」

(二人とも、意外と貰ったことないのかな……)


 外見や明るい性格から見れば異性から好かれそうなものだが、もしかすると「恋人」という枠には該当しないタイプなのかもしれない、と意外なことに気づけた。

 ただし、本来の悩みが解決するわけもなく、「参考にしておくね」と言って二人の前を去った。

 千鶴の姿が階段の上へと消えていったのを見て、二人は無言でポストに向き直る。

 アパートの住人のポストが集まった玄関ホール。ポストの中身は他の住人が勝手に取れないよう鍵が掛けられているものの、入れるのは自由だ。

 そして、片手に持っていた袋の中身を確認して頷く。


「よーし。和泉君のとこにも入れちゃうぞー」

「よい子は真似するなー」

「今だけよい子じゃないからいいの!」

「……今『だけ』?」


 春馬の悪戯は今に始まったことではなく、不定期に繰り返されている。勿論、春斗も加わることが多い。

 「今だけ」という言葉は使えないはずだ、と怪訝に眉を顰めた春斗の目の前で、和泉のポストに「ある物」が投函されたのだった。





「『アル』に持って行ってもらう?」


 今の時間、他にアパートにいるのは彼方と光輝だ。柾も部屋にいるだろうが、起きているか定かではない。

 先に話を聞いてみようと彼方と光輝を探せば、二人は揃って三階の談話室にいた。

 花見の前に相談したときを思い出す顔ぶれだが、今回は彼方のペットもいる。「アル」と呼ばれた、彼方の肩にいたフェレットだ。

 アルは彼方の腕を伝ってテーブルに乗ると、千鶴の前にとことこと歩み寄った。

 器用に後ろ足で立ち、千鶴の持つ袋を興味深そうに見ている。

 小さな体のアルに袋が持てるようにも見えないが、物は試しだ。


「アル、持てる?」

「手で持つのは難しいか。咥えると引きずりそうだし……背中に括り付けるとか?」

「二人とも、『衛生』って言葉知っとる?」


 最初、光輝は冗談かと思ったが、二人は本気だった。

 千鶴ならば冷静に物事の判断ができるだろうと口を閉ざしていたものの、どうやら今の彼女に冷静な判断は要求できないようだ。

 「それもそうか」と気づく二人に、光輝は小さく溜め息を吐いた。


「いっそ、追加で作って皆にも配るとか? 僕も作るん手伝うよ」

「う、ううん。もう時間もないから……」


 壁にある時計を見れば、既に四時を過ぎている。朝、何を作るかについても悩んだせいで遅くなってしまったのだ。

 詳しい帰宅時間までは聞いていないが、晩ご飯は帰ってきてから花菜達と作る約束をしていた。

 材料を買いに行ってから作ることを考えると恐らく間に合わない。

 光輝は納得しながらも、どこか残念そうに肩を落とした。


「そっかぁ。なら、しゃあないね。……お菓子食べれると思ったんやけど、失敗してしもたな」

「本音」


 どうやら、光輝は単に甘い物が食べたかっただけのようだ。





「んー、渡す方法、ねぇ……」

「何か、あるかな?」


 結局、良い案が思い浮かばず、ひとまず共有ルームに戻った。

 すると、部屋に引きこもっているはずの柾が出てきていた。

 柊も共有ルームにいる辺り、彼が部屋から引きずり出したのだと察する。

 ソファーでクッションを抱えていた柾に事の一部始終を話して相談すれば、彼は抱えたクッションに顔を埋めて唸る。考えているのか、それとも眠いだけなのかは本人のみ分かることだ。

 柾の向かいで何かの書類を広げていた柊は、書面を見ながらすっぱりと言い放った。


「引きこもりにアドバイスなんてできんのかよ」

「僕はただの引きこもりじゃないよ。引きこもりの大家さんだよ」

「引きこもりには変わりないだろ。つか、大家の仕事もほとんど俺だろうが」

「あいたっ」


 クッションから顔を上げて柊の言葉を訂正する柾だが、対して意味は変わっていない。

 柊の投げた消しゴムが柾の前頭部に当たり、跳ね返って柊の手元に戻った。

 長い前髪のせいで柾の表情は分かりにくいが、消しゴムが当たった場所を手で撫でながら「すぐ暴力に訴える……」と不満げにぼやいている。暴力に訴える原因は本人にあるのだが。

 すぐに気を取り直すと、顎に片手を添えながら結論を出した。


「けど……そうだねぇ。柊の言うとおり、告白でも何でもないんだし、普通でいいと思うよ」

「えっ……」

「ほらな」


 期待するだけ無駄だ、と柊は再び書面へと視線を落とす。

 しかし、柾のアドバイスはまだ終わってはいなかった。


「まあまあ、最後まで聞いて。作ってくれたっていう事実はどう足掻いたって消えないんだし、そのまま渡せばいいんだよ」

「でも……」


 今まで、プレゼントを贈ったことのある異性はすべて親族だ。

 渡すイメージなど浮かぶはずもなく、かといって誰かが異性にプレゼントを渡す場面を見たこともない。知っているのは、渡された後の嬉しそうな顔だけだ。

 視線を落とす千鶴に、柾は話を続ける。


「ああ、そうそう。渡すときは、『迷惑をかけてごめんなさい』じゃなくて、『受け入れてくれてありがとう』って言うといいかもね」

「……!」


 かちり、と頭の中で欠けていたピースが組み合わさったような音が聞こえた気がした。

 勢いよく顔を上げた千鶴の表情は、自分の中にあった靄が晴れたおかげで随分とすっきりしたように見える。

 柾は千鶴の晴れ晴れとした顔を見ると、口元に笑みを浮かべて優しく言った。


「やっぱり。渡す『方法』っていうより、『言葉』に迷ってたんだね」

「お前、引きこもりのくせに良いこと言ったな」


 正面にいる柊も驚いたように柾を見ていた。

 柊が柾に感心することは滅多にない。

 前髪にほとんど隠れたメガネのブリッジを指で押し上げた柾は、どこか得意げに笑みを漏らした。


「ふっ……。だから、僕はただの引きこもりとは違うんだよ。『ネット界』という大海原を航海する、引きこもりの大家さんだからね」

「とんだ泥船じゃねぇか。沈没してしまえ」

「酷い!」


 せっかく感心できたというのに台無しだ。

 「感心の無駄だった」とぼやきつつ、柊はコーヒーを淹れ直そうと席を立った。

 ただ、千鶴からすれば漸く答えに辿り着けたため、柾が格好つけた言葉を言って失敗していようが関係はない。


「ありがとう、お兄ちゃん」

「いえいえ。可愛い『妹』のためだからね」

「……あ、そうか。お前ら親戚だったな」

「従兄弟の子供だからそうだね」


 互いを「兄」、「妹」と呼ぶ二人に、キッチンに向かっていた柊の足が止まった。

 しかし、すぐに二人の関係を思い出した。二人が会話をするところをあまり見ないため、たまに二人の関係性を忘れてしまう。

 千鶴の父親が柾の従兄弟に当たり、二人の仲が良かったこともあって、子供である千鶴も昔から柾とよく遊んでいたのだ。そのこともあって、千鶴は柾のことを実の兄のように慕っている。

 ちなみに、猫又の血筋は千鶴の母親であり、柾も従兄弟が結婚をしたことで半妖という者達の存在を知った。

 柊は初めて千鶴と会った日を思い浮かべながら、柾のことを慕う千鶴に感心した。


「千鶴はすごいな」

「え?」


 突然、何を褒められたのかが分からず、千鶴は目を瞬かせながらカウンターの向こうにいる柊へと視線を移す。

 柊は作業の手を止めることなく、淡々と言った。


「俺、引きこもりが親戚にいたら、絶対に隠すと思うんだよな」

「…………あー……」

「待って、千鶴ちゃん。その顔はどういう意味かな?」




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