第2話 カスミ荘の住人


 柾の部屋を出て、柊に連れられてやって来たのは二個隣の一〇三号室だった。

 部屋番号の所には、個人情報がどうのと五月蠅い最近にしては珍しく、「小鳥遊」と苗字が書かれている。


(あ。これ、珍しい読み方の苗字だ。なんだったっけ……)

「一応、微妙にだが下の階にはなるし、知らずに会うと驚くだろうから先に紹介しとくわ」

「は、はい」


 苗字の読み方を思い出そうとしていた和泉は、柊に声を掛けられて我に返った。

 彼は和泉の反応を不思議に思いつつ、あろうことか先ほどと同じくインターホンも鳴らさずに扉を開いた。


「えっ」

「おーい。たか……あ?」

「柊さん? 一体、どうし……うええぇぇ!?」

「「あ」」


 和泉は怪訝な顔で固まった柊に首を傾げつつ、失礼と思いつつも彼の横から顔を出して中を覗く。そして、激しく後悔した。

 そこにいたのは、一人の可愛らしい顔立ちの少年と、同じく可愛らしい顔立ちのロングヘアーの少女だ。

 しかも、少年は少女の顎を片手で軽く持ち、もう片方の手を頬に添えていた。少女の目尻には涙が浮かび、頬はやや紅潮している。

 見てはいけない光景を見てしまった背徳感に襲われるものの、まるでドラマのワンシーンを見ているかのような非現実感からか目が離せない。

 すると、口を開いたのは少女のほうだった。

 ただし、その口から紡がれた声は、想像よりも少しだけ低めの“少年”のものだったが。


「あれ? 柊さん、その子は? ひょっとして新しい『コレ』!? 酷い! 僕というものがありながら――」

「黙れ腹黒ド変態野郎! 俺はノーマルだし、お前ともなんもねーからな!? どっかの誰かが喜ぶからあんまり大声で言うな!」

「きゃー。こわーい!」


 少女のような少年は、小指を立てて何かを示したかと思えば、矢継ぎ早に責め立てた。

 そんな少年を一喝した柊だったが、先ほどの柾相手のように手は挙げなかった。

 怯える言葉を口にしてもう一人の少年の後ろに隠れるが、その表情は笑顔で怖がっている様子はない。

 これもいつものことなのか、柊はそれ以上、取り合うことはせずについ数分前の二人の態勢について追究した。


「で? 何してんだよ、玄関先で」

「『春馬』が、『目にゴミが入った』って言うから見てた」

「紛らわしい態勢してんじゃねーよ」


 二人の関係を知っている柊ですら、一瞬、思考が停止してしまった。

 ただ、まだ状況に頭が追いつかない和泉は困惑したままで、どこからどう訊ねるべきかと口を開けたり閉じたりしている。

 それを見止めたのは冷静な表情のままの少年だった。


「新入り君、固まってるね」

「そりゃあ、あんなモン見せられたら固まるわ。……おい、和泉。生きてるかー?」

「は、はい!」


 顔の前で手をひらひらと振られ、和泉ははっとして姿勢を正した。

 「そんな畏まらなくてもいいのにー」と少女の格好をした少年が無邪気に笑った。その姿は本当に少女のようで、声が低いだけと思えば少女と偽っても誰も疑わないだろう。

 思わず惚けそうになる和泉だが、すぐに柊が紹介に移ってくれたことでなんとか踏み留まった。


「こいつ……男の格好が双子の兄のほうで『小鳥遊春斗たかなしはると』。女装してんのが『小鳥遊春馬たかなしはるま』で双子の弟だ。一応、来月から大学二年になる」

「よろしく」

「よろしくねー。奈尾和泉君」

「はい。こちらこそ、よろしく――え? 名前……」


 女装の少年、春馬に名前を呼ばれ、挨拶を返そうとした和泉は首を傾げた。

 柊に名前は呼ばれていたが、苗字は呼ばれてもいない上に名乗ってもいない。柊か柾のどちらかから事前に聞いていたのならばいいのだが、それにしても春馬の笑顔には何か含みがある。

 すると、春馬は鶯色の目を妖しく細めながら理由を話した。


「“風の噂”ってやつだよ」

「両親は海外転勤。でも、自分は日本に残るって」

「英語の勉強、面倒だったの?」

「いや、英語は……まぁ、それもありますけど」

「おーい、和泉が困ってるぞ」


 さすがは双子か。上手い具合に二人の言葉が続き、和泉は口を開いた方を交互に見た後、残った理由を口にするか否か迷い、視線をさまよわせる。

 すかさず柊が助け船を出してくれたことで、二人の追究はそこで止まった。


「あの、すごくお聞きしづらいというか、聞いても良いのか微妙なんですけど、その、春馬さんのは……」

「ああ、これ? 可愛いでしょ?」

「可愛いですけど……そういう趣味なんですか?」


 春馬は着ていたワンピースの裾を持つとくるりと一回転してみせた。明るい茶色のロングヘアーも一緒に靡き、様になっている。

 素直に同意しつつも、趣味であればこれから頻繁に見ることになるのかと、嫌ではないが慣れるまで驚きが続きそうだと思った。


「うーん。趣味ってほどでもないけど、この格好で新入り君に会って驚かせようかと思ってさ」

「まさかこんなことになるなんてな」

「ねー。失敗だったね」

「いや、十分です……」


 むしろ、知らずに会って自己紹介をするよりダメージが大きかった気がする。どっちもどっちかもしれないが。

 初日からこの調子で大丈夫か、と少し先が思いやられる。

 春馬は気が済んだのか、徐に頭頂部の辺りを掴むとそのまま手を引き下ろした。その下から出てきたのは、ロングヘアーのときと同じく明るめの茶髪。ただし、長さは春斗と同じ毛先が肩に付くか付かないか程度だ。


「えっ」

「まぁ、いいや。これからは同じ屋根の下、いつでも驚かせられるしね!」

「そのシュールな光景で既に三度目の驚きをもたらしてるけどな」

「うわぁ、そんな調子じゃこの先保たないよ?」


 固まる和泉を見て柊が言えば、春馬は逆に驚かされていた。

 「が、頑張ります……」と弱々しく返す和泉の様子に柊は溜め息を一つ吐く。これは柾に言われたからではなく、本当に自分がしばらく気を置いてやっておかねばと。


「お前らもほどほどにしてやれ。こいつ、さっき来たばっかりで、まだここの特殊さを知らないんだからな」

「はぁーい。じゃあ、何かあれば、気にせず俺とか春斗にも相談してね。手取り足取り、丁寧に教えてあげるから」

「よ、よろしくお願いします……?」


 そっと手を取って笑顔で言う春馬に和泉はぎこちなく返す。

 当然ながら、二人の性格などはまだ把握しきれないが、柾が言っていたように根は良い人なのだろう。

 隣で様子を見ていた柊はキリがいいと見て踵を返した。


「それじゃあ、隣の共有ルームで皆にも紹介しないとな。春馬、着替えてこい」

「はーい」

「うわ!?」

「ここで脱ぐな!」


 あっさりと返事をした直後、春馬はその場でワンピースを脱ごうと服の裾を掴んだ。

 和泉が条件反射から服を持ち上げた春馬から視線を逸らせば、声に気づいて振り返った柊が春馬を止めた。

 だが、春馬は何故止められたのか理解に苦しむ、といった表情で反論する。


「え。俺、男なんだけど」

「気分の問題だ」

「うわー。可愛いって罪だねー」

「さっさと行け!」

「はいはーい」


 かなり譲歩したという姿勢だが、春馬は向かって右側の部屋に入って行く。この双子はそれぞれ部屋を分けているようだ。

 残された春斗は溜め息を吐いてから弟の行動に謝った。


「ごめん。あいつ、悪気があってやったわけじゃないんだけど」

「い、いえ。俺も、驚く必要ないのに驚いちゃったし……」

「いや、驚くのは普通だと思うぞ」


 いくら同性とはいえ、目の前で服を脱がれたら誰だって驚く。それも今日会ったばかりの人間であれば尚更だ。

 冷静な突っ込みを入れた柊に春斗も頷いた。

 そこに、つい先ほど部屋に消えて行ったばかりの春馬が戻ってきた。ワンピースではなく、ハーフパンツにパーカーという少年らしい格好だ。


「お待たせー」

「早いな」

「ワンピースって脱ぎやすいから」

「そうかい。じゃ、隣行くぞ」


 わざわざ一緒に行く必要もないのだが、共に行動するのは数時間後のことを考えてのことだ。

 ただ、理由を知らない和泉は何かあるのだろうかと思いつつ、柊に続いて小鳥遊双子の部屋をあとにする。

 先頭を歩いていた柊は、さらに隣の「共有ルーム」と書かれたプレートのついた扉を開けた。

 中はかなり広く、モダンな雰囲気を醸し出している。右奥にキッチンが見え、左奥にはソファーとローテーブル、大型テレビが設置されているが、今はテレビは消されていた。

 奥ばかりを見ていた和泉は視線を手前に移す。

 入口に対して垂直に二台の長テーブルが並んで置かれており、そこに座っているのは二人の女性と一人の青年だ。


「あれ? 『千鶴』はいなかったか。『彼方』と『智さん』が買い出しだっけ?」

「千鶴ちゃんは買い出し組とは別で買い物に行ったよ。ルーズリーフがなくなったんだって」


 柊の問いに答えたのは、最も入口に近い席に座っていた女性だ。

 顔立ちはかなり可愛い部類に入る彼女は、緩いパーマのかかったココア色の髪が肩をやや過ぎ、大きな焦げ茶色の瞳には愛嬌が感じられる。

 先ほど、春馬の女装も可愛いとは思ったが、彼女はそれ以上だ。


(うん。多分、この人は普通の女の人だ)

「柊。その子が例の新人さん?」


 内心で確信を得ていた和泉に気づいたのは、可愛らしい女性の向かいに座る、こちらは美人系の女性だ。

 丁寧に手入れをされているのだろう前下がりの黒髪は艶があり、紺色の目は穏やかな海を思わせる。

 ゆったりとした口調の彼女に問われた柊が頷いた。


「おう。奈尾和泉。この春から高校二年だと」

「へぇー。じゃあ、千鶴ちゃんと同い年だ!」


 ココア色の髪の女性は喜色を浮かべると、席を立って和泉の前にやって来た。

 彼女は笑顔で片手を差し出して自己紹介をする。


「あたしは三嶋花菜みしまかな。そこの小鳥遊双子と同い年なの。まぁ、学校は専門なんだけどね。で、こっちがあたしのお隣さんの凍条とうじょうほのか! こう見えて凄腕のカメラマンなんだよー。普段は近くの写真屋さんで働いてるの」

「よ、よろしくお願いします」


 すらすらと紹介していく花菜にやや圧倒されつつ、和泉は彼女の手をそっと握る。すぐに離そうとしたが、花菜が離すことをせず、軽く手を引いて柊の後ろから引っ張り出した。

 そして、示したのは「ほのか」と呼ばれた美女の隣に座る栗色の髪の青年だ。顔立ちの整った二人と並んでいたせいでやや霞みそうだったが、それでも「好青年」といった言葉が似合う外見と雰囲気を併せ持っている。


「ほのかの隣にいるのが、関西出身の空篠光輝からしのこうきって言って、来月からは近くの天文台で働く予定の二十二歳だよ」

「よろしゅう、奈尾君」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 ご丁寧に職業まで紹介する花菜だが、光輝は嫌な顔ひとつせずに小さく頭を下げた。

 三人の前には何枚かのルーズリーフが置かれており、何かを相談していたと分かる。ただ、何を書いているのかは和泉の位置からでは見えなかった。

 無理に見る必要もないだろうと、視線を目の前の花菜に戻す。手はいつの間にか離されていたが、彼女は何故か目を輝かせている。ただ、それは柊に向けられているが。


「さっき、春馬の声聞こえたんだけど」

「空耳だろ。なんだ、耳まで腐っちまったか?」

「酷い! 最近、柊さん見てたら『リアルもアリかな』って思い始めてたのに!」

「やめろ腐れ女子。頼むから全国の同類に土下座してくれ」


 二人の間で何があったのかは分かりかねるが、柊の言葉はなかなかに酷い。

 春斗と春馬は花菜が座っていた席に座ると、「いいぞー。もっとやれー」「冷酷非情な朴念仁に正義の鉄槌をー」などと野次を飛ばしている。

 逃げるタイミングを逃し、間に挟まれた和泉はいい迷惑だ。

 花菜はふくれっ面で両手を腰に当て、強気の姿勢で返す。


「あたしはオープン派だし、知ってる人相手だから言ってるだけだよ。ほら、ちゃんと弁えてる!」

「もう一回、辞書で『弁える』って調べてこい」

「調べたよ!」

「その辞書間違ってんだろ。燃やせ」


 意味が間違っている辞書とは何だと突っ込みたくなった。

 一体、二人が何で揉めているかはともかく、誰か止めてくれと春斗達へと視線を向ける。

 すると、ほのかが小さく溜め息を吐いて席を立った。


「こーら。新入りさんが困ってるでしょ。いい加減にしなさい」

「はーい。……柊さん。誰が相手でも、『そっち』に目覚めたらいつでも相談してね!」

「安心しろ。絶対にねーから」


 尚も食い下がる様子の花菜に、柊は嫌悪感を露に返す。

 やっと解放された和泉は一先ず双子のもとに歩み寄り、小声で先ほどの発言で気になったことを訊ねる。


「『そっち』ってなんですか?」

「三嶋、ああ見えて所謂『フジョシ』ってやつなんだ」

「『婦女子』?」


 春斗が口にした単語は特におかしなところはないはずだ。

 何がどうなってあの口論に発展したのかと首を傾げる和泉を見て、春馬は苦笑を浮かべた。


「多分、漢字変換違うと思うから簡単に説明すると、男同士の恋愛の漫画とか小説とかそういったのが好きな人のことだよ」

「……そういえば、そんな言葉もありましたね」


 たしか、学校で一部の女子生徒が口にしていた気がする。まさか、こんな身近にも現れることになるとは思わなかったが。

 春馬は柊とほのかと話す花菜を見ながら、当初は自分達も驚いたことを思い出す。


「見た目は超可愛い上にスタイル良い女の子だから、モテるにはモテるし彼氏がいたこともあるけど、あんまり長続きはしてないみたいだね。『リアルは面倒』って言ってたの聞いたことあるよ」

「現実の人間相手に妄想した場合、言うのは御法度ってのも分かってるけど、ほら、ここっていろいろと緩いから。柊さんもなんだかんだで普通にやり取りしてるから、枷が取れたんだろ」

「取れていい枷なんですか、それ」


 弁えている、と言ったのは、柊相手なら言っても許されるから言っているという意味か。

 突っ込んだ和泉に、春斗は「まぁ、俺達にこれといった被害ないし」と元も子もない結論を出した。

 すると、フォローに出たのは今まで場を眺めていた光輝だった。


「花菜ちゃん、思考は特殊やけど明るくて良い子やからね。『この子やからいっか』ってなるよ。多分」

「多分!?」

「大丈夫。基本的に、苦手な人相手には話さへんから」

「……柊さんの場合は基本外ということですか」

「そうなるね」


 柊は単に許される相手と見なされただけだ。ならば、自分には何か起こることはないだろう。むしろ、そう思っておかないと普通に生活ができない可能性がある。

 これも試練と思え、と和泉が内心で言い聞かせていると、話し終えたらしい柊が和泉に声を掛けた。


「そういや、和泉。お前、荷解きは終わってないんだろ?」

「あ、そうでした。まだ終わってません」


 カスミ荘に着いてすぐ、大家に挨拶をしようとしたものの、柊の部屋にある「管理人室」というプレートに惑わされた結果、今に至る。

 ほとんどの荷物は事前に送ってはいたものの、部屋に入れているだけでまだ開封はしていない。


「なら、俺も後で手伝いに行ってやるから、先に部屋に行ってやってろ」

「えっ。いいんですか?」

「おー。大体、手伝ってやってるしな」

「……柊さん、ご職業は?」


 柊の言い方ではほとんどの入居者の荷解きを手伝っていると聞こえる。

 今は三月なので、大学や専門学校、高校は春休み中だ。和泉だけでなく、小鳥遊双子や花菜がここにいるのも頷ける。来月から就職だという光輝も。また、今日は土曜日なので写真屋が休みとは想像しにくいが、ほのかも休みならばいてもおかしくはない。

 ただ、柊については職業を聞いていなかった。入居者が来るたびに休みの取れるような仕事があるのだろうか。管理人についてはともかく。

 すると、柊は何故かにやりと笑って答えた。


「秘密」

「やーい、ニート」

「むっつりー」

「男好きー」

「テメェら、あとでまとめてぶっ飛ばすぞ」


 春馬、春斗、花菜の野次が飛び、柊のこめかみに青筋が浮かんだ。

 もはやこれがデフォルトだ、と自身に言い聞かせた和泉は、苦笑しつつも柊に礼を言った。


「ありがとうございます」

「困ったときはお互い様ってやつだ。ほら、行った行った」

「はい。それじゃあ、一旦、失礼します」


 部屋の場所は柾から貰った『カスミ荘ルール』の用紙を見れば分かるため、和泉は戸惑うことなく共有ルームをあとにした。

 和泉が階段を上って行ったのを確認した柊は、壁に掛けられた時計で現時刻を確認して言う。


「今は三時か。なら、制限時間は四時間だ。それまでに『完成』させとけよ」

「はーい。了解しましたー」


 柊の言葉が何を意味しているのか、五人は既に知っている。

 軽く返事をした春馬は、テーブルに置いていた数枚の用紙を手に取って妖しく笑んだ。


「久しぶりの新入り君だもんね。これから楽しみだよ」

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