第3話 荷解きとお隣さん


「うわ、本当にそのままだ……」


 和泉は自身の部屋である二〇二号室に入って溜め息を吐いた。

 一階と違って二、三階の部屋は、二〇一号室と三〇一号室以外はワンルームタイプだ。そのため、部屋に入ってすぐ、荷物の山が目に入った。

 両親から「荷物は運んだから、あとの整理は自分でしてね」と言われていたが、段ボールから出しているわけではなかったようだ。

 せめてもの救いは、テーブルや本棚などの家具は梱包が外されているくらいか。ベッドは備え付けのものがあり、マットと布団を敷くだけでいいようになっている。

 まずは手近な段ボールを開けてみようと、積み重なった段ボールの一つを持ち上げて床に下ろす。蓋の部分には「衣服」と書かれていた。


「服か。そういえば、クローゼットの中ってどうなってるんだろう……?」


 一人呟きながら、先にクローゼットを見ておこうと立ち上がる。

玄関に入ってすぐ左手に脱衣所の扉があり、クローゼットはその隣にあった。ベランダの方を向いて扉があるため、回り込んでクローゼットの扉を開く。


「あ、意外とスペースある」


 クローゼットは天井まで高さが取られており、上の方には棚とその少し下にハンガーを掛けられる棒がある。下には自宅で使っていたチェストが入っており、どうりで見当たらなかったわけだ、と納得した。

 ここに服を入れて、上着などはハンガーに掛けて吊っておけばいいだろう。上の棚に置く物は片付けながら考えればいい。

 そう思いつつ、なぜか少し開いているチェストの引き出しを引く。そして、固まった。


「ん!?」


 引き出しの中には、長細い物体が隠れていた。白と焦げ茶色の毛が全身を覆い、丸い目は不思議そうに何度か瞬きを繰り返す。

 長い尾がぱたんと引き出しの底を叩き、「キュー」という鳴き声が聞こえたところで和泉は我に返った。


「いや、なんで『フェレット』!?」

「クゥゥゥ」


 和泉はフェレットはもちろん、ペットを飼ったことがない。

 引っ越しの荷物を搬入しているときに紛れたのだろうが、一体、どこで飼われていたフェレットだろうか。ここの住人の可能性は高いが、先ほど会った七人は誰もフェレットの姿を探している様子はなかった。こっそり逃げ出していたならともかく。

 チェストから出てきたフェレットは逃げるわけでもなく、天板に上がって和泉を真っ直ぐに見つめる。


「……君、どこの子?」

「?」

「分かるわけないか……」


 試しに問いかけてみるも、当然、人間の言葉を話せないだけでなく理解も難しい。

 これは柊達に聞いた方が早い。フェレットが逃げ出さないか心配だが。

 捕まえることは可能だろうか、と和泉は恐る恐るフェレットに手を伸ばす。手の甲を上に向け、なるべく頭上にはやらないようにしてそっと近づける。

 首を傾げていたフェレットだったが、ふんふんと指先を匂うと小さな前足を和泉の手に乗せ、そのまま手を伝い腕を上って肩に乗った。


「お、おお……!」


 言葉にならない感動が込み上げてくる。

 人に慣れているのか、フェレットは肩に乗ったまま辺りをきょろきょろと見渡していた。


「落ちないでね?」


 さすがに手で支えるのも脅かしてしまいそうで、和泉はフェレットに通じない言葉をかけてやりながらそろりと一歩踏み出す。

 肩にいるフェレットの手足に少し力が入ったが、飛び降りる気配はない。

 小さく安堵の息を吐いた和泉は、これまた慎重に靴を履く。やけに気を遣う出方をした和泉だったが、扉を開けて廊下に出たとき、隣の部屋の扉が開く音がして視線を向ける。


「「あ」」


 二つの声が重なった。一つは和泉の、もう一つは扉を開けようとしていた少女のものだ。

 背中の中頃まである黒髪は真っ直ぐで、日本人形を思い起こさせる。菫色の目が和泉を映して驚きに見開かれた。

 「大和撫子」という言葉が似合いそうなその少女に、和泉は見覚えがあった。


「あれ? 君、たしか隣のクラスの――」

「っ!」

「えっ!?」


 驚きの中に怯えの色を混ぜたかと思いきや、彼女は勢いよく扉を開けると部屋の中へと身を滑り込ませた。

 扉が大きな音を立てて閉ざされたせいか、やけに強調された静寂が訪れる。

 残された和泉は、何かしただろうかと玄関を出て彼女に会うまでを思い返すも、少し声をかけたくらいで何もしていない。しかも、声をかけたと言っても、最後まで聞いてもらっていないのだ。

 一体、何が彼女をあそこまで怯えさせたのだろうかと黙考していると、前方から柊がやって来た。


「おう、和泉。進捗はどうだー?」

「同級生の女の子に逃げられました」

「あ? 整理ほったらかして、なにナンパしてんだテメェ」

「ち、違いますよ!」


 確かに、発言的にはそう捉えられてもおかしくはないが、色恋が絡むようなものではない。

 慌てて否定する和泉を怪訝な顔で見ていた柊は、ふと、彼の肩に乗っていたフェレットに目を止めた。


「ん? なんだ、『アル』じゃねーか」

「何がですか?」


 何があると言うのか。

 どう弁明しようかと思案していた和泉は、すぐに思考を止めて首を傾げた。

 すると、柊は和泉の肩に乗ったままのフェレットを指さして言う。


「そいつ。ここの住人のペットの『アル』。正式名称は忘れたけど、大体の奴はそう呼んでる」

「……ああ。なるほど」


 フェレットのアルは、柊に呼ばれた名前に答えるように小さく鳴いた。やはり、自身の名前については理解しているのだろうか。


「さっき、チェストから出てきたんです。どうも迷い込んだみたいで」

「飼い主はなんも言ってなかったし、本人が部屋を出た後に脱走したのかもな」

「やっぱり、ここの住人さんのだったんですね。柊さん達に聞いてみようと思って外に出たんですけど、ちょうど隣の人と会ったんですよ」


 先ほどのナンパ疑惑をここで晴らしておこうと、和泉は手短に経緯を説明した。

 柊は隣の部屋を見た後、理解したように「ああ、そうか」と短く声を上げる。


「お前ら、同じ学校か」

「はい。クラスは違いますけど、学校じゃ『高嶺の花』とか『現代の大和撫子』とかって騒がれてますよ」


 結城千鶴ゆうきちづるという名のその少女は、学校でも周囲から一目置かれる存在だった。必要最低限以外は口を開かず、あまり表情を動かすことはないものの、孤立しているわけではない。友人はごく僅かだが一緒にいるのを見たことがある。また、話しかければ答えている様子もあった。

 学校での様子を柊に話せば、彼はどこか引いていた。


「……お前、よく見てんな」

「え!? あ、いえ! 決して、変な意味じゃなくてですね!」

「憧れの異性が隣かー。いいねー。青春っぽくてー」


 自身の説明を思い返した和泉は、その意味を理解して赤面した。

 慌てて訂正をしようとするも、腕を組んだ柊はにやにやと笑みを浮かべて和泉をじっとりと眺めるだけだ。


「憧れというか……けど、俺、思いっきり逃げられましたからね?」

「ああ、あいつ、極度の人見知りなんだよ」

「……えっ」

「学校であんまり喋らないのもそれだな」

「ええ……」


 人見知りという枠に収めていい反応なのだろうか。

 学校では決して逃げるような真似はしないのに、なぜ、ここに来て逃げるのか。

 言いたいことが浮かびすぎて、逆に口から出てこない。

 しかし、柊にとっては特に大きな問題にはなっていないのか、随分とあっさりした言葉しか出てこなかった。


「これからお隣さんなんだし、その内慣れてくれるだろ。いいねー。そっから恋が始まったらー」

「ちょっ! あんまり茶化さないでくださいよ!」


 まだそこまでの意識はないというのに、先に言われては変に意識してしまう。しかも、「恋」とまではいかずとも「いいな」くらいの意識はあるのだ。

 慌てふためく和泉を宥めることはせず、柊は和泉の肩にいるアルの首根っこを掴んで持ち上げた。


「こいつは俺が飼い主の部屋に放り込んでおくから、あとは若いお二人さんでどうぞごゆっくりー」

「だから、そんなんじゃないですって!」


 後ろ手に手を振って去って行く柊に声を上げつつ、この会話が千鶴にも聞こえていたらどうしよう、と頭を抱えたくなった。

 だからといって、千鶴の部屋に弁解のために向かうのも気が引ける。それこそ、聞こえていなかったら赤っ恥だ。


「……忘れてしまおう。うん」


 千鶴を見れば思い出しそうだが、とにかく平静を保つには忘れるしかない。

 片付けをしていれば気持ちも落ち着くか、と和泉は部屋に戻ることにした。



   □■□■□



 片付けを再開して、三十分ほどが経った。

 アルを飼い主の部屋に放り込んでおく、と言ったきり来る気配のない柊は別の用事でもできたのだろうか。

 軽い休憩を挟みつつ荷物を整理していた和泉は、引っ越しの整理を甘く見ていた、と引っ越し前の自分を恨みたくなった。一人暮らしだからさほど荷物はないだろうと思っていたのだが、予想以上に体力を使うためかなかなか捗らない。

 しかも、まだ春の暖かさが出始めた頃だが、作業をしているせいか蒸し暑くなってきた。


(暑……。あとで飲み物でも持ってこよう……)

「和泉ー。悪い。不測の事態で遅れた」

「うわぁ!?」

「あ、ワリィ。つい癖で」


 黙々と作業を進めていた和泉は、突然、玄関先から掛けられた声に驚いた。

 鍵をしていなかった自分も自分だが、インターホンを鳴らさずに入ってきた柊も柊だ。

 だが、あっさりと謝る彼に反省の色はない。


「覚悟しといたほうがいいぞ。ここ、部屋に住人いると分かってたら、基本的にノックとかインターホン無視だからな」

「それ、『親しき仲にも礼儀あり』に抵触しませんか?」

「まぁ、あれだ。臨機応変にな」

「便利な言葉ですね!」


 都合良く言葉を使い回す柊に荷解きとは別の疲労を感じてしまう。

 溜め息を吐いた和泉の疲労を知ってか知らずか、柊は靴を脱いで部屋に上がった。段ボールの合間を歩きながら和泉の横をすり抜ける際、一本の冷えたペットボトルを手渡した。


「どうせ飲みモン持って来てないんだろ? それ飲んでろ」

「あ、ありがとうございます」

「二、三階の談話室には自販機と簡易キッチンがあるから、共有ルームが面倒だったらそっち使え」


 柊が飲み物をわざわざ二本持ってきたのは、新入居者にはよくあることだからだ。

 説明をしながら窓を開ければ、爽やかな風が部屋に吹き込み、室内の熱気を瞬く間に冷やしていく。

 額に浮かんでいた汗が冷え、気持ちもややすっきりした。


「お前、ホントに分かんねーままやってんだな。窓くらい開けとけ」

「うっ。すみません……」


 片付けばかりに意識が向かい、換気のことをすっかり忘れていた。どうりで暑くなるわけだ、と汗を拭いながら視線を落とす。

 柊は小さく息を吐くと、袖を捲りながら和泉のもとに歩み寄った。


「とりあえず、荷物出して箱潰してくから、お前は仕舞ってけ」

「はい。ありがとうございます」


 手慣れている柊が手伝ってくれるなら、作業はすぐに終わりそうだ。まだ半分も開けていない段ボールにはそろそろ嫌気が差し始めていた。

 まずは一つ、と和泉が開けていた物とは別の段ボールを開けた柊は、中にある荷物を見て「おっ」と小さく声を上げる。


「何かありましたか?」

「いーもん見ーつけた」

「……げっ! なんでアルバムが!?」


 柊はにやり、と不敵な笑みを浮かべて箱から取り出した物――一冊のアルバムを和泉に見せる。

 以前の自宅で荷物整理の際、アルバム類に関しては両親か祖父母の家に分けて送られることになっていたはずだ。「邪魔になるから持って行って」と言ったそれがなぜ、ここにあるのか。

 固まる和泉をよそに、柊はフローリングに胡座をかいて座るとアルバムを足に乗せて開いた。


「大方、隆一さん達が恋しくならないようにって配慮だろ」

「いや、逆効果じゃないですか?」


 写真を見て、会いたいと思ってしまう場合が多い気がする。

 そう思って言った和泉に、柊は「へぇ」とどこか感心した声を上げた。


「恋しくなるほうか?」

「……いや、多分、大丈夫です。一生会えないわけじゃないですし、スマホでテレビ電話できますし」

「この現代っ子め」


 やや考えたあとに和泉から出された結論は、やけに現実的なものだった。

 昔ならテレビ電話もそう簡単にはできなかったのに、と内心で愚痴りつつ、柊はアルバムのページを捲る。


「……あの、片付けは?」

「あ?」

「いや、片付けは……」

「あー……」


 一瞬、怯みそうになるも、柊は怒っているわけではない。ただ、返事の仕方が雑なだけだ。

 そう言い聞かせて訊き直せば、彼はスマホを取り出して時間を確認すると、なぜか納得したように頷いて言った。


「一旦、休憩だ」

「今日中に終わるんですか、これ?」

「大丈夫、大丈夫。あと二時間くらいで終わる。多分」

「ええー……」


 その多分がかなり不安になる。

 今は春休み中のため、必要最低限まで終わらせて明日に続きをやってもいいのだが、片付かない部屋にいるのはやや落ち着かないのだ。

 自分だけでも片付けをしようかとしたが、それを止めてしまう言葉が柊から出た。


「おっ。隆一さんと美和さんの結婚式の時のもある」

「そんなのまで入ってるんですか!?」


 和泉は段ボールから出しかけた本を置いて柊に歩み寄る。自分が見たことのないものを前に、易々と聞き流すことができなかったのだ。

 そこへ、新たな人物が部屋に入ってきた。


「お二人さん、進捗の具合はどうかなー?」

「ホント、ここの人ってインターホンとかノックとかしないんですね」

「だろ」


 やって来たのは柾だった。柊に「引きこもり」と言われていたため、滅多に部屋を出ないのだと思っていたが、予想よりは出歩くようだ。

 扉が開く前に何も音はしておらず、柊が「インターホンやノックは基本的にしない」と言っていたのを思い出した。

 柾は気にした様子もなく靴を脱いで上がると、二人が覗き込んでいたアルバムに気づいて「わぁ」と歓声にも似た声を上げる。


「赤ちゃんの和泉君だー。わかーい」

「言い方おかしくないですか?」

「……それもそうだね」


 和泉はまだ十五の上、赤ん坊が若いのは分かりきっていることだ。感想がおかしいと後で柾自身も気づき、素直に和泉に同意した。

 「僕にも見せて」とアルバムを柊から取った柾は、彼の隣に座ってぱらぱらと捲ったあと、口元に柔らかい笑みを浮かべる。


「これ、隆一さん達の結婚式の頃から最近まで、順を追ってまとめられてるね」

「え?」

「しかも、写真に対してアルバムがほとんど色褪せたり傷がついてないってことは、引っ越しが決まってから作ったんじゃないのかな?」

「そんな、忙しいのにわざわざ作るなんて……」


 実家にいたとき、アルバムはそこそこの数が保管されていた。それに比べると、段ボールに入っていたのは二冊だけ。最初の一冊は柾の手元に、もう一冊は柊が段ボールから今まさに取り出している。

 新しいアルバムを捲っていた柊が最後のページを見て「あ」と短く声を上げたかと思いきや、開いたまま和泉に差し出した。


「お前、これ見てもまだ『恋しくならない』って言えるか?」

「……?」


 一体、何を見つけたのだろうか。

 柊からアルバムを受け取った和泉は、最後のページに写真と共に綴じられていた一枚のメッセージカードに目を留めた。


 ――何かあったら、いつでも連絡してね? 和泉がこれからも健やかに過ごせるよう、海を越えた遠くの国から祈っています。


 見慣れた母の字で綴られた文字に、思考は完全に停止した。

 今まで、ずっと側で暮らしていた両親と離れるのは正直、不安が大きかった。いくらテレビ電話で繋がるとはいえ、国が違えば時差もあるため、そう簡単にはできない。

 だが、母が書いてくれたメッセージのおかげで、その不安も少しは和らいだような感じがした。


「……今日の夜、電話してみます」

「うん。『無事に引っ越しが終わりました』って報告しないとね」

「はい!」


 前言撤回。ものすごく恋しくなった。と思いつつ、和泉はアルバムを閉じて床に置く。そして、柾の持つアルバムを彼に了承を得てから受け取ると、最初のページから開いた。


「僕もー」

「なんだか恥ずかしいですね」

「いいじゃないの。これから長い付き合いになるはずだし、ね?」


 先ほど、柊が見ていたのは彼の意思によるものだ。自分が捲りながら一緒に見ていくとなると気恥ずかしさが表に出る。

 柾に急かされつつも、和泉はアルバムへと視線を落とした。

 それからおよそ一時間後、和泉は激しく後悔することになったが。


「あ! 片付け!」

「任せて! 僕も手伝うから!」

「モヤシにそんな体力ないだろ」


 確かに。と、和泉は内心で頷きつつ、柾にはあまり期待しないことにした。

 すると、柾は長い袖を捲って細腕を露わにしながら意気揚々と言ってのける。


「大丈夫だよ。一キロまでは持っても筋肉痛起こらなくなったから!」

「邪魔だから出てろ。段ボールと一緒にゴミに出すぞ」

「酷い!」

(終わる気がしない……)

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