第10話 人見知りの改善のために
共有ルームでは、和泉、柾、柊の三人が談笑している。柊は柾に対して怒ったり叩いたりといつもの調子だが。
そんな様子を扉の窓からこっそり見ていた影があった。
「……どうしよう」
扉から離れ、中に入ることもせずに不安げに呟いたのは千鶴だ。
ここに花菜やほのかがいれば気にすることなく入れたのだが、生憎、二人とも仕事やバイトでいない。
(相談だけだし、また今度でいいかな……)
ちら、とまた扉の小窓から中を覗き、目的の人物である柾を見る。
彼は奥のソファーにいるが、斜め後ろ……それも距離があるせいかこちらを見ることはない。和泉や柊に至っては死角に入る。
果たして、自分はこの中に入って行ってもいいものか。空気を壊してしまわないだろうか。うまく話のできない自分が入っても気まずい思いをさせるだけではないだろうか。
悪い考えばかりが頭をぐるぐると回り、やがて出た結論は「入らないほうがいい」だ。
相談も大したことではないし、朝食なら二階の談話室でも作れる。
小さく溜め息を吐き、部屋に戻ろうとしたときだった。
「あれ? 結城さん、どないしたん?」
ちょうど階段を下りてきたのは、二日酔いから復活した光輝だ。
花菜の料理でさらに体調を崩していそうだったが、毒を持って毒を制するとはまさにこのことか。
千鶴は一瞬、たじろいだものの、和泉に比べるとまだ付き合いの長い彼の前から逃げるほどでもない。
視線をさ迷わせつつ、なんと言えばいいか言葉を探す。
「えっと……『お兄ちゃん』に用があったんですけど、話しているみたいなので……」
「……ああ、なるほどね」
半妖がいることを知らない光輝でも、千鶴が人見知りすることは知っている。そして、それを改善しろと親に言われてここに入居していることも。
光輝もつい最近まではまともに会話も出来なかったくらいだ。毎日顔を合わせる内に、少しずつ慣れてきてくれた。
扉を見た千鶴に気づいた光輝は、中を小窓から覗いて理解した。
このまま一緒に中に入るのもいいが、それでは千鶴の人見知り改善には繋がらない。
「遠慮せんでも、入ったらええんちゃうかな? 誰も怒らんよ」
「で、でも……私、うまく、話せない、ので……」
人見知りに遠慮しがちな性格が悪影響を及ぼしている。
一度、じっくり話す必要があるか、と光輝は中に入ろうとドアに掛けていた手を離した。
「んー。ほんなら、ちょっと二階の談話室行こか」
「談話室?」
「そ。談話室ならぬ、お兄さんのお悩み相談室」
「……!」
「結城さん、あんまり誰かに相談したことあらへんやろ? お兄さんが一肌脱いであげるわ」
千鶴は悩みについては何も言わないが、あえて言うような子でもない。小さい頃からの知り合いだという柾や同性である花菜、ほのかならば言うのかもしれないが、光輝は異性である上に慣れ始めたばかりだ。
ならば、ここはもう少し仲良くなるためにも、まずは悩み相談などから始めるのもいいだろう。
千鶴も戸惑いつつも頷いてくれたため、二人は揃って階段を上がる。すると、上からゆっくりと下りてくる人物に気づいた。
「ふわぁ……あれ? 何してるの、二人して」
「おはよう、彼方君。あ、せや、『三人寄れば文殊の知恵』って言うし、君も一緒に行こかー」
「え? 何? 何の話? 三人?」
寝起きらしい彼方は、笑顔を浮かべた光輝に頭がついて行かずに頭上にクエスチョンマークをいくつも浮かべる。癖のない黒髪だが、変な姿勢で寝たのか右横の一房が元気に跳ねていた。
光輝は手短に「結城さんとの交流会みたいなものかなぁ」とのんびりと言う。
一体、何があって交流会が開かれるのか。
彼方の無言の問いに、当の千鶴も困惑した。
「えっと、その、わ、私が、もっと、うまく話せるように、って……」
「……ふーん。じゃあ、せっかくだから行こうかな」
「あ、ありがとうございます」
行こうと決めた裏には光輝と千鶴の二人だけで進むか不安を覚えたのもあるが、千鶴の人見知りは「独特な性格」と言われる彼方でも改善したほうがいいと思っていたからだ。
本人が改善を望んでいるのなら、と彼方は下りてきたばかりの階段を再び上がる。
談話室に入り、手前の自動販売機前の丸テーブルに座ってすぐ、光輝は千鶴に向き直って訊ねた。
「さてさて、結城さんは人見知り直したいんよね?」
「は、はい」
「んー。どうやったらええんやろか。一朝一夕で直るようなもんとはちゃうけど……」
彼方の予想どおり、早速、壁に当たった。
自動販売機の稼働音が沈黙の中でやけに大きく聞こえる。
彼方は「せめてテレビ点ければよかった」と後悔しつつ、小さく溜め息を吐いてから気怠げに口を開いた。
「とりあえず、僕らにはタメ口でいいんじゃない? 三嶋に、『親しくなるには敬語とかなしで。年上だけど、その年上がいいって言うなら構わないでしょ』って言われて、あの二人には敬語使ってないし」
「そう、ですね……」
「それ」
「あ」
まずは今、慣れてきている人相手から、と指摘をするも、すぐに直るようなものでもない。
「意識して直していかないと直らないよ」と言えば、千鶴は肩を縮めて申し訳なさそうに「すみません」と謝った。
その言い方もまた丁寧な言い方のため、これは先が思いやられる、と彼方はまたしても溜め息を吐いた。
「まぁまぁ。慌ててやろうと思っても、逆に縮こまったりしてうまいことできへんやろうし、のんびりやったらええよ」
「でも、踏み出す意思がないとこのままじゃん」
「うっ」
彼方の言葉は最もだ。
いくら「人見知りを直せ」と両親にここへ強制入居させられたとは言え、当の本人が変わらなければ直るものも直らない。
ただ、光輝からすれば焦って直すよりも自然な流れでいいと思ったのだ。自分達がそうだったように。
「ここは懇親会とかもあるし、一年もあれば慣れそうやけどなぁ。ほら、僕らにも最近は話すようになってくれたやん?」
「ごめんなさい……」
「えっ。なんで謝るん?」
「な、なんとなく……」
どこに謝る要素があったのかと目を丸くする光輝に、千鶴はうまく言葉にできずに曖昧に返す。
光輝はあくまでも「話してくれるようになった」と素直に喜んでいるだけだ。
だが、千鶴は「最初は話してくれなかった」という過去を気にする意味に取れて申し訳なく思ったのだが、彼の表情からはさして気にした様子はない。ただの被害妄想にもなるため、どう説明すればいいか分からなかった。
ただ、一つだけ彼らに伝えておかなければならないことがある。
先に柾に相談しようと思っていたのだが、せっかくの場だ。ここで彼らに相談するのもいいかもしれない。
「あ、あの、実は、夏休みまでにもう少し人見知りを直さないと、転校させるって言われて……」
「転校? 手間掛かるし、脅しじゃないの?」
「けど、人見知り直すためにここに入れられてるんやし、ありえんくはないね」
千鶴の両親は有言実行の人達だ。
だからこそ、二人に言われたときは血の気が引いたし、どうしたらいいか分からず柾に相談しようと思った。
しかし、人見知りを直すために「転校」という大がかりなことをわざわざするのかと彼方は首を傾げる。両親の仕事の都合ならまだしも、性格を直すためでは聞いたことがない。
最も、千鶴がここに入居している状況を考えれば、否定もしきれないのだが。
「本気、だと思います。私、漸く今の学校にも慣れてきたのに、離れるのはちょっと……」
「けど、夏休みまであと四ヶ月くらいでしょ? 難しくない?」
「ですよね……」
今は三月の下旬。四月からは春休みも終わって学校がスタートするが、果たしてどれほど成長できるのか。
そもそも、両親がどの程度で納得するのかも分からないのだが。
がっくりと肩を落とした千鶴を見て、光輝はしばし顎に片手を添えて何か思案しているようだった。
やがて、彼はスマホでカレンダーを確認すると「よし」と何かを決めたのか頷き、にっこりと人当たりの良い笑みを浮かべた。
「じゃあ、ここはお兄さんが頑張っちゃおうかな」
「「え?」」
「いやー、ほんま、ここはちょうどええもんがあって助かるわぁ」
そう言いつつ立ち上がった光輝は、「ほな、朝ご飯食べに行こかー」といつもののんびりした口調で続けて部屋を出るために出入り口に向かう。
二人も席を立てば、彼方は先を歩く光輝を見て小さく言った。
「あの人、見た目は……柾さん程ではないにしろ、のんびりしてるけど、結構、頭動くよね」
「……うん」
(お。ちょっと直った?)
素直に頷いただけだろうが、初めて聞いた返事の言葉に彼方は内心で驚いた。
しかし、彼女に言えばまた謝られそうだったため、決して口にはしなかった。
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