第5話 レッツ、クッキング!


 アパートの玄関ホールに入ったとき、三人の耳に飛び込んできたのは春馬の悲鳴だった。

 玄関は一階から三階まで吹き抜けのため、聞こえてきた声も反響して大きさを増す。

 何事だ、と思いつつ、三人は声が上がった共有ルームへと向かう。

 和泉がドアを開けようと手を伸ばすも、それより先にドアは開かれた。


「うわああぁぁぁぁ!! ったぁ!?」

「おっと」


 中から飛び出してきたのは、悲鳴の発生源である春馬だ。

 後ろから春斗もやって来たが、彼は和泉達に気づくとすぐに足を止めた。

 だが、先に飛び出した春馬はドアの向こうに和泉がいるとは思わず、そのまま和泉にぶつかった。

 和泉は咄嗟の判断で春馬の肩に両手を置き、右足を一歩引いて踏ん張る。

 それでも春馬が勢いを殺しきれず和泉に抱き止められる形になった瞬間、隣にいた花菜が顔を輝かせた。


「きたこれ!」

「こら」

「いたっ」


 彼女が何故反応したのか、付き合い上で察したほのかが小気味良い音を立てて花菜の後頭部を叩いた。なかなか容赦がない。

 そんな二人はなるべく気にしないようにしつつ、和泉は半泣きの春馬に小首を傾げる。

 一体、中で何があったのか。

 先に訊ねたのはほのかだ。


「何があったの?」

「あ、姐さん……」


 和泉から少し離れた春馬は、原因である共有ルームの奥へと視線を向ける。

 一先ず三人が中に入ると、テーブル席に座る柊がいた。そして、部屋に充満するのはスパイスを焦がしたような異臭。

 柊も突然のことに驚いているようで、逆に怪訝な顔を向けられる。対象は春馬と春斗だが。


「おい、双子。キッチンで何したんだ?」

「「あー……」」

「もう。そんな悲鳴上げるほどのことじゃないのに……」


 視線を泳がせる双子は、明らかに原因について関わっていると分かる。

 すると、臭いが漂ってくるキッチンから、フライパンを片手に彼方が姿を現した。

 フライパンには何やら黒い物体の端が見え隠れしており、細長い何かが突き出ている。

 炒めていたのか灰色の湯気が立ち、臭いの原因となっていた。


「彼方さん、その手に持ってるのは……」

「これ? エビチリ」

「真っ黒で足の生えた?」

「見た目は」


 真顔でさらりと答える彼方だが、フライパンに入っているのは真っ黒に焦げた『何か』だ。原型を留めているのは飛び出す甲殻類らしき黒い足くらいか。

 エビチリにエビの足は入らないはずだが、そこに関しては取り忘れたのだと思っておくことにした。

 一体、何をどうやったらエビチリが異臭を放つ物質に変わるのか。

 すると、彼方はフライパンに乗る黒い物体を見て落胆の溜め息を吐いた。


「エビチリ作ろうとしたんだけど、炒めすぎたみたいで真っ黒になった」

「炒めすぎの問題じゃない気がするんですけど……」


 フライパンを見ていたなら、黒くなる前に火を止められるはずだ。

 和泉が改めてフライパンの中の物質を見ると、生えている足がぴくりと動いた。


「う、動いた!?」

「未確認生物作んなって言っただろーが!」

「え! 未確認生物!?」

「喜ぶな!」


 動いたのは誰もが目にした。それは座ったまま固まっていた柊もだ。

 しかし、彼は足が動いたのを見るなり『エビチリらしき物』を素手で掴むと、キッチンの入口手前の右側にあるゴミ箱に向かって投げた。

 ガコン、とやたらと重い音に何か呻きのようなものが聞こえた気がするが、気のせいだと思っておく。

 和泉は外さなかったことに驚いたものの、すぐに彼が掴んだ物が何かを思い出した。


「エビチリってボールみたいに掴めましたっけ?」

「いや、あれは『エビチリ』じゃねぇ。『未確認生物』だ」

「よ、よく触れたね。さすが柊さん……」


 春斗の後ろに隠れる春馬はすっかり謎の黒い物体に怯んでいる。盾にされた春斗のほうがまだ度胸はあるようだ。

 誰もが謎の物体がなくなったことに安堵する中、一人だけ落ち込む者がいた。


「酷い……。異世界からの使者を捨てた……」

「現実世界の物質で作ったモンは異世界に関わりないからな」

「憑依」

「あんな物質に憑依するとかどんなモンスター……」


 ばっさりと切り捨てる柊に、彼方は懲りた様子もなく何故か「これだ」と言わんばかりの顔だ。

 春斗は呆れを滲ませつつ、深い溜め息を吐いた。そして、彼の今までの調理を思い返しながら言う。


「まぁ、彼方の料理は見た目が『アレ』なだけで、食べれると言えば食べられるけど、さすがに動くのはまずいだろ」

「食べられるんですか!?」

「一応ね」


 どう見ても不味い味しか想像できないが、後ろで春馬も頷く辺り偽りではないようだ。

 ただ、いくら食べられるとは言え、先入観で不味いと思っていると体が受けつけない気はするが。

 すると、許可を取る前に投げたことを後悔したのか、柊は気まずそうに視線を逸らしつつ確認の意を込めて問う。


「捨てたのは悪いけど、動いたあれを食う気は?」

「「無理」」

「僕も」

「おい、作った本人」


 双子が首を振るのはともかく、作った本人が拒否をするのは如何なものか。

 柊は深い溜め息を吐きつつ、彼方だけでなく小鳥遊双子にも注意をする。


「ったく、材料も元は生き物なんだから、あんまり無駄にしてやるなよ」

「分かった。気をつける」


 素直に頷いた辺り、次からは謎の物体を見ることはなくなりそうだ。

 ふと、和泉は彼方の調理がこうなると分かっていたなら、何故、春斗達は止めなかったのかと疑問に思ったが、それは先に花菜が口に出した。


「あのさ、彼方の料理の見た目がこうなるって知ってるのに、なんで二人はやらせたの?」

「知ってるけど、俺達が見てれば大丈夫かなって思って……。ほら、さすがにずっと作らせないのも、将来的にどうなのかなって」

「そうそう。今までもそれならいけてたし」


 春馬と春斗も、何も考えずにやらせたわけではなかった。

 今、カスミ荘にいる間は誰かと調理をすれば問題ない。しかし、いつまでもこのままではないのだ。

 いつか来るであろうここではない場所での生活、もしくは人が変わってからの生活を思って、双子は彼方の料理の腕が向上できるように取り計らったつもりだった。

 だが、それは想像以上にハードなものだったとは、さすがに思わなかったのだ。


「でも、一瞬……ホントに一瞬だけ目を離して戻したら『あれ』だよ? そりゃ悲鳴も出るって」?

「一瞬で何入れたんだよ!?」

「火力上げた」


「ここのコンロは魔法陣か何かか?」


 火力を上げて一瞬で焦がすのは逆に神業だ。

 すると、柊の出した例えに彼方は喜色を滲ませてキッチンを一瞥した。


「魔法陣……」

「止めろ。火事になる」

(柊さん、触発するようなこと言わなかったらいいのに……)


 和泉は口に出せば怒られそうなので言わなかったが、もしかすると彼は天然なのだろうかと思った。

 そして、三人は材料がなくなったため、再度買い出しに行ってくる、と手早く片付けを済ませてから共有ルームを出た。

 和泉達はコンロが空いた今の内に調理を済ませてしまおうと、三人で手分けをして作業に取り掛かった。柊は「仕事があるから」と共有ルームを出たため、まだ晩ご飯を作る気はないらしい。

 花菜はほのかに言われ、食器や道具の準備などだけで材料に触らせてもらえていなかった。調理は苦手だと本人も言っていたが、彼女も相応の癖があるようだ。

 作っている途中で千鶴も帰宅し、彼女は別メニューのため作業は異なるが、花菜が道具の準備や片付けなどをついでに手伝っていた。

 作業がスムーズに運んだこともあり、料理はすぐに完成した。


「でーきた! さー、食べよ食べよー」

「あ。か、花菜ちゃん。片付け、ありがとう……」

「いえいえー。あたし、特にすることなかったからちょうど良かったし」


 ビーフシチューをついだ皿を運んでいた花菜の後を、千鶴が慌てて追って礼を言う。

 のんびりとした空気の二人を見ながら、和泉はこっそりとほのかに訊ねた。


「花菜さんって、どのくらい料理が苦手なんですか?」

「そうねぇ。彼方より上で、彼方より下かしら」

「……ん?」


 基準が「謎の物体」を作り上げた彼方の時点でレベルが分からないが、それよりも上であって下ということは、結局のところどのくらいになるのか。

 難しい顔をした和泉にほのかは微笑みつつ、花菜の今までの調理を思い返しつつ言った。


「パンを焼くとか、出来合いの物を温めるとか、簡単な物なら大丈夫なの。でも、一から作る物に関しては、食べられる分、彼方の方がマシかもしれないわね」

「ええ……」

「でも、簡単な物でも、たまに失敗するの」

「なんですか、そのロシアンルーレット的な調理は……」

「不思議よねぇ。でも、花菜ちゃんも料理の腕は上げたいみたいだから、また時間があったら見てあげてね?」


 そう言ってキッチンを出て行くほのかに、和泉は花菜の料理が逆に気になりつつ、冷める前に食べてしまおう、と彼女に続いた。

 四人が席に着いたとき、買い出しに行っていた三人と途中で合流したらしい智佳が帰ってきた。


「お帰りー。早かったね」

「智兄が車だから、乗せてもらっちゃった」

「事情は聞いたぞ。今度は俺も一緒に作るから、もう失敗はないはずだ」


 智佳はスーツの上着を脱ぎ、鞄を置いた席の背凭れに掛ける。

 ネクタイを外す彼に紺色のエプロンを手渡す春馬だったが、それはどうやら彼方が着けているエプロンだったようで、彼方が「僕のはないの?」と春斗に言っている。先の今で彼はまだ作る気でいるようだ。

 キッチンで調理する四人の傍らで話をしながら食事をしていると、先に出てきたのは小鳥遊双子と彼方の三人だけだった。手には普通に美味しそうなエビチリがある。


「あれ? 由井さんはどうしたんですか?」

「あー……目が痛くなるから、先に逃げて来た」

「え?」


 和泉が隣に座った春馬に問えば、彼は何故かちらっとキッチンを一瞥するとぎこちない表情で言った。

 調理で目が痛くなるのは玉葱を切ったときなどだが、彼らはもう調理を終えているはずだ。

 何か別に作っているのかと思った矢先、キッチンの方から漂ってきたのは鼻を突き刺すような刺激臭だった。


「なんか、鼻が痛いんですけど……」

「ユイちゃん、換気扇回したー?」

「ああ、すまない。今つける」


 感じたのは和泉だけではなく、花菜達もだ。

 だが、和泉のように怪訝な顔をすることなくすぐに原因が分かったようで、花菜はキッチンにいる智佳に声を掛けた。智佳も言われた作業を忘れていたのか、あっさりと謝るとすぐに換気扇のボタンを押す。

 春馬達が持ってきた料理は当初の予定通りのエビチリだ。辛い料理ではあるため、ある程度の刺激臭がするのは理解できるが、今感じるのはそれを遙かに上回る。心なしか目にも沁みるのだ。

 智佳が料理を手に出てきたとき、和泉は思わず目を疑った。


「由井さん、それって……」

「エビチリだが?」


 和泉の問いに対し、智佳は何かおかしなところがあるのかと目を瞬かせる。

 彼が手にしているのは、確かに、エビなどしっかり具材が分かる料理ではあるが、「色」が普通ではなかった。

 春馬達が食べているのは鮮やかな赤い色をしている。だが、智佳が持ってきたエビチリは赤いと言えば赤いが、ただの赤ではない。「赤黒い」だ。


「エビチリって、そんな色でしたっけ?」

「辛さMAXだからな」

「えっ」

「智兄、一つ和泉君にあげていい?」


 淡々と答えた春斗に驚いていると、春馬が笑顔で智佳に確認を取る。箸を手に。

 ちなみに、和泉は辛い物は苦手ではないが限度はある。そして、智佳のエビチリは色からして辛さが尋常ではないと分かるものであり、一般人が口にするレベルではない。

 味覚はともかく、常識人であろう智佳なら断るだろう。

 そう思った和泉だったが、彼はその思いを見事に裏切ってくれた。


「構わないが、大丈夫か?」

「うん。まずは食べてみないと分からないしね!」

「それもそうか」

「いや、食べてみなくても分かるものってありますよね! さっきの謎の物体とか!」


 何故、智佳は断る姿勢を見せないのか。嬉々とした春馬の言葉に頷いている場合ではない。

 和泉が抗議の声を上げるも、春馬の向かいに座っていた春斗が和泉の後ろに立ちながら言う。


「見た目はちゃんとした料理だ。色はともかく」

「最後の結構重要ですよ?」

「見た目ほど辛くないかもしれないだろ」

「匂いすごかったですよね? え、ちょっ……!」


 春斗はこれ以上の抵抗を認めないと言わんばかりに和泉を後ろから羽交い締めにした。

 目の前にはエビチリを箸で持った笑顔の春馬。


「はい、あーん」

「ううっ……」


 食べるまで離してくれる気配はないため、和泉は観念して差し出されたエビチリを口にした。

 平気だったのは最初の一瞬。

 あ、いけるかも? と思って咀嚼した直後、一気に突き抜けた刺激にテーブルに突っ伏した。


「うわ、大変! お水お水!」

「っ、ううぅぅぅぅ……!」


 辛いというよりもはや痛い。

 声を出すのも辛く、和泉は悶絶しながらも智佳の料理を危険な物に分類した。

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