第4話 カスミ荘の料理事情


「あ、もうこんな時間か」


 片付けも終わり、和泉は課題をしながら部屋で過ごしていた。

 夏休みのときに比べると課題の量は少なく、引っ越し前から手をつけていたので残りは僅かだ。

 ふと、課題の文字が見辛くなり、外を見た和泉は太陽が西に傾いていることに気づいた。

 向かいのテレビボードに置いた時計を見れば、十六時をとうに過ぎている。

 昨日は歓迎会で調理の必要はなかったが、今日はさすがに作らなければいけないだろう。


「商店街行ってみようか」


 アパートを出て東に行けば商店街がある。その向こうにはスーパーなどもあるため、近場でほとんどの買い物は終わるだろう。

 課題を片付けながら、改めて立地の良さを実感した。周りは木々に囲まれているが。

 行き先を決めた和泉は、財布とスマホを持って部屋を出る。鍵を締めることは忘れずに。

 一階に下りて玄関へと向かおうとしたとき、ちょうど共有ルームから出てくる花菜とほのかに会った。


「あ。和泉君も今から買い物?」

「はい。花菜さん達もですか?」

「うん。じゃあ、一緒に行こっか!」


 目的が一緒ならば特に断る理由もない。まだ会って一日だが、彼女達の社交性の高さ故か一緒にいても居心地の悪さは感じないため、和泉は頷いてからアパートを出た。

 歩きながら商店街のどこの店が安いのか、タイムセールの時間は何時かなどという主婦のような会話をしつつ、和泉は今日のメニューの参考ついでに訊ねる。


「お二人は、今日は一緒に作るんですか?」

「そう。他の人は個人で作ってることがほとんどだけど、花菜とは事前に話して一緒に作ることが多いの」

「あたし、あんまり料理が得意じゃないから、誰かと作ることがほとんどなんだよねぇ。簡単なものなら自分で作ることもあるけど」


 歓迎会の時、花菜は自分は料理をしていないような口振りだった。ただ、調理は苦手なだけで作れないわけではないらしい。

 何故かほのかが微妙な表情でそっと視線を逸らしていたのが気になるが、追究しないほうがいい空気だったため何も聞かないでおいた。

 すると、花菜は「あ、そうだった!」と何かを思い出したように手を叩いた。


「一緒に作るときなんだけど、よっしーと彼方は気をつけたほうがいいよ」

「由井さんと彼方さん、ですか?」

「あー、彼らも特殊だものねぇ……」

「特殊?」

「んー……二人とも食べれないわけじゃないけど、よっしーのは食べられる人はカスミ荘にはいないかなぁ。彼方のは慣れればいけるかな」


 具体的に何が特殊かは明かされないが、それは自分で見て確かめたほうがいいのだろう。もしかすると、和泉はいけるかもしれないから明言しないのかもしれない。

 ほのかが「彼」と言ったのは引っかかるが、こちらも追究しないほうがいい空気だ。

 ひとまず、和泉は智佳と彼方との調理はできるだけ避けようと決めた。


「ちなみに、和泉君は何を作るの?」

「あー……それが、特に考えてなかったんです。とりあえず、見てから作りたいの決めようかと思って」

「じゃあ、一緒に作る? 今日はビーフシチューの予定なの」

「いいんですか?」

「もちろん。手伝ってくれると助かるわ」


 量は増えてしまうが、作業を分担すればそれも早く終わる。

 ほのかも歓迎している様子だったため、和泉は今日も甘えることにした。

 夕方という時間帯のせいか、到着した商店街は主婦以外にも部活を終えた学生や仕事帰りの人が行き交っている。

 八百屋や鮮魚店、精肉店といった古くからありそうな店から最近できたようなカフェや本屋、アパレルショップもあり、ここだけで日用品のほとんどは揃えられそうだ。

 三人でそれぞれ必要な食材を買い、ついでに足りていない日用品も買って行く。


「和泉ちゃんは、お部屋の片付け終わったの?」

「はい。一応は。元々、そんなに持ってきてはいなかったんですけど、アルバムとか雑誌とか読み返してたらそっちに集中しちゃって、予想以上に時間が掛かりました」


 一通りの買い物を済ませて帰る途中、ほのかに問われた和泉は自身の部屋を思い浮かべながら答える。

 初日に柊が手伝ってくれていたものの、後からやって来た柾がアルバムを見つけたことによりしばしば作業は中断していた。終わったのは今日の昼間だ。


「あたしも来たときは柊さんが手伝ってくれたなぁ」

「智もそうだけど、柊も面倒見が良いからね」


 柊の引っ越しの手伝いは新しい入居者が来るたびのようだ。

 智佳に関しては仕事がなければ、ということだが、それならば毎回手伝っているらしい柊は何の仕事をしているのだろうか。仕事の電話が掛かってきていた辺り、無職ではないはずだ。

 本人は秘密にしていたが、もしかしたら花菜やほのかは知っているかもしれない。


「あの、柊さんって、お仕事は何をされてるんですか?」

「「え?」」

「……え?」

「「…………」」


 二人の声が揃った。

 そして、同時に訪れる沈黙。

 何かまずいことを聞いたのだろうかと思ったものの、花菜とほのかは顔を見合わせると「そういえば……」と今更ながらに気づいたようだった。


「あたしも知らないよ」

「そうねぇ。聞いてもはぐらかされるし」

「人に言えないような仕事なんですかね……?」


 和泉が聞いたときの柊に後ろめたさはなさそうだったが、ポーカーフェイスの可能性もある。

 ただ、危険な仕事をしているなら友人である柾が止めていそうだが、そもそも、引きこもりで働く気のない彼が誰かの仕事に口出しをすることはあるのだろうか。


「在宅でも出来るとは言ってたけど、何かはさっぱりなんだよねぇ。でも、アパートにほとんどいるからこそ、柾さんの面倒も見れ……はっ!」

「花菜。和泉ちゃんはノーマルよ」

「うん、分かってる。必死に堪えてる……!」


 花菜が何かを閃いた様子だったが、あまり聞かないほうがいいだろう。

 察して制してくれたほのかに感謝しつつ、和泉は視線を前へと戻す。

 すると、見覚えのある人物が前方にある本屋から出てきた。


「「あ」」


 相手……千鶴と和泉の声が重なる。

 千鶴は片手に本が入っているであろう袋を持っており、これから帰るところのようだ。

 アパートのときと違い、外で見る姿は学校で見かけたことのある凛とした姿勢であり、やや近寄りがたい雰囲気がある。

 何を言えばいいか迷っていると、続いて気づいた花菜が先に声を掛けた。


「あれ? ちーちゃんだー。今から帰り?」

「う、うん。一応……」

「あたし達も今から帰るとこなの。一緒に帰ろー」

「あ、えっと……」


 帰る場所は同じだ。微妙な距離を開けて帰るよりは一緒に歩いても問題はない。

 笑顔で誘う花菜だったが、千鶴は表情に僅かな困惑を滲ませると和泉と花菜を交互に見る。

 ほのかは何かに気づいたようで、「ああ、なるほどねぇ」と穏やかに呟いた。


「あ、えっと……ごめん。私、他にも買い物があるの思い出したから……また後で……」

「そうなんだ。じゃあ、また後でねー」


 頭を下げた千鶴は、和泉達がやって来た方向へと足を進める。

 すれ違いざまに花菜が言えば、彼女は「うん」と返事をしてくれた。

 その背を見送ってから、三人は一足先にアパートへと戻るために再び歩き始める。

 買い物があるなら仕方ないが、和泉は千鶴に避けられている気がした。


「うーん……。俺、なんかしちゃいましたかね?」


 何かするほど話をしていないはずだ。会ったのも片手で足りる程度。

 記憶を探っても原因が出てこない。

 すると、花菜が苦笑を浮かべつつ、出会った頃の千鶴を思い浮かべながら言う。


「ちーちゃん、人見知りするからね。あたし達も最近になって馴染んでこれたし、ゆっくり仲良くなってあげてね?」

「それ、柊さんにも言われました」

「えっ」


 昨日、千鶴と会ったとき、彼女は挨拶もろくにせずに部屋に入ってしまった。

 それに少なからず傷ついた和泉が柊に言えば、彼も同じように千鶴は人見知りだと言っていた。また、仲良くなるのもゆっくりでいいと。

 溜め息混じりに和泉がそのことを口に出すと、花菜はやや驚いたように肩を跳ねさせた。

 気を悪くさせたか、と和泉は自身の失言を心配したものの、視界に入れた花菜は予想に反してどこか気恥ずかしそうだった。


「そ、そうなんだ。……柊さんもかぁ」

「……?」


 花菜の反応に何か引っかかりを感じた。

 ほのかは知っているのか、にこにこと微笑んで花菜を見ている。

 だが、和泉に正体が分かるはずもなく、もやもやとした疑問だけが残った。

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