第6話 料理の腕前
「はー、終わった終わったー」
「お疲れ様ー、柊さん」
和泉の舌の感覚が戻ってきた頃、溜め息を吐きながら共有ルームに入ってきたのは仕事をしに行った柊だった。
ちなみに、激辛エビチリを智佳は汗一つ流さずに完食している。和泉は「あの人は味覚が麻痺しているんだ」と横目で見ながら自己完結させた。
花菜が柊に労いの言葉を掛けたとき、柊の後ろで声が上がった。
何故か襟首を掴まれて引きずられている柾だ。
「ひ、らぎ……待っ、て。……僕、死に……そうっ!」
「あ? 人間そんな簡単に餓死しねぇよ」
「違う、窒息……!」
必死に服の襟元を掴んでいるが限度はある。自身の足で歩けばいいものだが、息が苦しい上に足を止めない柊によって叶っていないのだ。
長い前髪のせいで表情は分かりにくいが、声音からは本気で苦しんでいると伝わってくる。
柊が手を離せば、支えを失った柾が床に落ちた。
蛙を潰したような声が上がったが、柊は気にもせずに共有ルームにいる顔ぶれを見てあることに気づく。
「あれ? 光輝の奴、まだ寝てんのか?」
「そう言えばそうねぇ。私達が買い出しに行く時も動いている気配はなかったし、まだ具合悪いのかしら」
「ここまで起きてこないってことは、相当調子悪そうですよね……」
「んー……本当にヤバいなら、智兄のとこの『巴』とか反応してるから大丈夫だろうけど」
光輝は昨晩、自身の限度を超えて飲酒したせいで体調を崩している。今朝、光輝に会って話をした和泉も今更ながらにその事を思い出した。
大量の飲酒は急性アルコール中毒など、命を危険に晒すこともある。朝の時点で病院に連れて行くべきだったかもしれない。
そう考える一方で、和泉は春馬が言った「巴」が一体何者なのだろうかとも疑問に思った。
すると、柊が大きな溜め息を吐いて言う。
「しょうがねぇな。お粥でも作って持ってくか」
「え!? 僕、健康体なのに!?」
「お前じゃねーよ」
今の会話から何故、お粥が柾に作られる物と思ったのか。そもそも、柾も言うように健康な人に作る必要はあまりない。
和泉達のように一緒に作るのならまだしも、柾は晩ご飯を柊に作ってもらう気だった。
「僕のご飯は?」
「自分で作れ。お前はできるだろ」
「柊が作ってくれるって言うからここまで来たのに!」
「言ってねーし、『引きずられて』が抜けてるぞ」
先ほどまで柊に引きずられて苦しがっていたとは思えない言い方だ。
淡々と柾に返す柊も律儀なものだ、と和泉は口を開いた方を交互に見ながら感心した。
「いやいや、『飯食いに行くぞ』って言っただけだし、そもそも柊のも作らないといけないでしょ?」
「作るとは言ってねーよ。それに、俺は後でもいけるけど、光輝は一応病人だからな」
「僕、お昼何も食べてないのに……」
「光輝もだし、お前は寝てたからな。健康なら一食抜いたって平気だろ」
確かに、柾は朝に見たきりだ。和泉も常に共有ルームにいたわけではないため、てっきり適当に起きて食べたかまた柊が作ったかと思っていた。だが、柊もそこまできっちりと面倒を見るわけではないようだ。
どうしても自分では作りたくないのか、柾はさらに食い下がった。
「一食抜くことで健康を害するんだよって誰かが言ってたかもしれないと思うけど、どうなの?」
「聞くな」
まさかの疑問系に、柊は「これ以上、付き合ってられるか」と調理に取り掛かろうとしたときだ。
テーブル席で座っていた花菜が何かを閃いたのか、元気よく手を挙げて立ち上がった。
「はいはい! あたし作ろうか?」
「はぁ!?」
「お粥」
「…………ああ、お粥な」
一瞬、柊のご飯を作るのかと思い、彼女の料理を知る柊が声を上げるも、すぐに作る物が何かを聞き、どこか安堵していた。
彼方や智佳の料理を見た後のため、和泉はもう何が起きても驚くことはないだろうと思っていたが、柊の反応を見るに彼女の料理も相応の癖がありそうだ。
それを肯定したのは、柾の何故か楽しげな声だった。
「えー、なになに? 花菜ちゃん、今日もロシアンルーレットするの? それとも召喚系?」
「召喚!?」
「引きこもりニートと中二病は引っ込んでて!」
「わぁい。許可貰ったから帰るねー」
「戻るな! 花菜に作らせるぞ!」
「わぁい。死にたくないからここいるねー」
「ちょっと待って。なんであたしの料理が危険物質になってるの?」
喜んで戻ろうとした柾だが、柊にそう言われると即座に近くの席に座った。
脅しに使われた本人は不服そうに顔を顰めるが、それも柊の次の言葉で和らいだ。
「あー、悪いな。条件反射だ。お粥くらいなら大丈夫だろうし、作ってやってくれるか?」
「……条件反射なら仕方ないけど」
「仕方ないんですか?」
「和泉ちゃん。面倒になるから突っ込まないようにしましょう?」
「え? あ、は、はい……」
条件反射ということは、花菜の料理が危険であるという認識から変わっていない。だが、花菜自身が納得するなら話は収めておいたほうがいいようだ。
そして、和泉を制止したほのかが「花菜の料理、一度見てみるといいわよ」と言って、キッチンに入って行く柊と花菜を追うように背を押した。
和泉はごくりと固唾を飲んでからそちらに向かった。
「あれ? 和泉君、どうしたの?」
「えっと……あ。ほら、さっき、手伝ってくれましたし、俺も何か手伝えないかなと……思いまして……」
言ってから、お粥を作る手伝いとはなんだ、と自分で突っ込みを入れてしまった。口には出さなかったが。
だが、柊は何故、和泉がここにいるのか大体の事情は把握した。カウンター越しにテーブルにいるほのか達を見れば、何故か小鳥遊双子が右手の親指を立てて笑顔を浮かべた。
(手伝いっつーか、現場監督か……)
「そっか。ありがとう。あたしもあんまりお粥って作ったことないから、何を入れたらいいかとかアドバイス貰えると助かるー」
「あ、はい」
ふわりと笑う花菜は普通に可愛い。
思わず心臓が高鳴ってしまったが、柊は視線を向けないように作業に取り掛かっている。結局、柾の分も柊が作る流れになっているが、もはや一種のルーティンになっているのだろう。
そして、お粥作りに取り掛かっておよそ五分後。
一人用の小さな土鍋に投入されたご飯と水を見て、和泉は首を傾げた。
「花菜さん、花菜さん」
「んー?」
五分間、和泉はキッチンから出ていない。目を離した隙に火力を変えた様子もない。ずっと同じ火加減で煮ていたはずだ。
だが、花菜が「待っている間に卵溶いておこうか」と言って奥にある冷蔵庫に向かい、和泉はそちらを一瞬だけ見てまた土鍋に視線を戻した。
ただそれだけのはずだったのだが。
「これって、ホットミルクでしたっけ?」
「お粥」
土鍋には、いつの間にすり替えられたのか、真っ白な液体が煮込まれていた。三分クッキングも驚きの早さだ。
ボールに卵を入れて溶く花菜の横で、和泉は土鍋の中をお玉で軽く掬ってみたりかき混ぜてみるも、先ほどまであったはずのご飯がない。ややとろみはあるものの、白い水だけだ。
「……ご飯はどこに?」
「溶けたんじゃない?」
「溶けた!?」
果たして、ご飯は一瞬で溶けるものなのか。
さらっと言ってのけた花菜はさして驚いた様子もなく、これが普通だと言わんばかりの表情だ。
柊へと視線を向ければ、彼は素早く視線を和泉から逸らした。どうやら、花菜にお粥作りを任せたことを後悔しているようだ。
すると、今までテーブルで寛いでいた柾がカウンター越しに土鍋を見て言う。
「お粥ってご飯が柔らかくなるでしょ? 液体だけど。その卵入れたら、ちょっとはそう見えるかもよ? 液体だけど」
「だよね! じゃあ、入れるねー」
「いや、『液体』ってとこ聞いてました?」
「んー……卵スープ?」
「お粥はどこにいったんですか?」
あっさりとメニューを変えた花菜だが、そもそも卵スープならばご飯がいらない。消えてなくなっているが。
和泉は頭が痛くなるのを感じ、キッチンの中央にある作業台に手を突く。このままでは光輝の身に新しい危険が及ぶ。
何とかしなければ、と必死に言葉を選びながら花菜へと向き直ったときだった。
「……あの、花菜さん」
「んー?」
「なんか、コーンスープみたいな色になってますけど」
「卵入れすぎたかなぁ?」
「なんで固まらないのかって疑問はないんですね」
とろみはそのまま、土鍋の中の液体は白から薄い黄色へと変わっているだけだ。普通、お湯に卵を入れれば多少は固まるはずだが、その気配が一切見られない。
そこで、またもや柾が余計なアドバイスを入れた。
「単色だから、彩りを加えたらお粥っぽくなるんじゃない? ほら、梅干しとか葱とか」
「柾さんはちょっと黙っててください」
「そっか! そうするね!」
(ごめんなさい、空篠さん。俺にはこの人達を止める術がありません……)
悪化しか目に浮かばないが、花菜は早速冷蔵庫から梅干しの入ったパックと刻まれた葱が入ったパックを持ってきた。
見た目はコーンスープだが、元々はご飯と水と卵だ。
最初こそ止める気だった和泉も、もしかすると見た目はまずいが意外と食べられる系で、これくらいは入れてもいいのだろうかと思ってしまう。
口を挟むか否か迷っていると、あろうことか花菜は梅干しを一粒丸ごと入れようとした。
「ああああ! 待ってください! そのまま入れるのはさすがに違いますから!」
「あ、そっか。食べにくいよね」
(どんだけ料理苦手なんだろう、この人……)
せめて丸ごと出すなら小皿に乗せて出せばいいのに、と思いつつ、何故か包丁とまな板を取り出した花菜に思考は停止。
復活したのは、まな板にちょこんと置かれた梅干しに包丁の背が叩きつけられた音でだった。
「あ、あの、何してるんですか?」
「え? 叩いて柔らかくしようと思って」
「えっと……すいません。梅干しってそうやって細かくするものでしたっけ? 種とか……」
梅干しの種は取り除くことがほとんどだが、まさかそれを食べる物の一つに加えるという発想はなかった。
だが、それも花菜なりに考えがあってのことだった。
「種って栄養豊富そうじゃない?」
「ああ、確かにそうだねぇ」
「柾さんは空篠さんに恨みでもあるんですか?」
「世話を焼かれるポジションは僕だけでいいと思うんだ」
「理不尽!」
柊曰く、柾は料理ができる人間だ。ならば、アドバイスももっと正しい方向にできたはずだが、それをしないということは完全に悪意がある。
さらりと言ってのけた柾の眼鏡が前髪の奥で怪しく光った。のんびりした彼の腹黒い一面を見た気がする。
一方、花菜は調理の手を迷うことなく進めていた。異様な破砕音に春馬が春斗と彼方の間で震えている。
「あとは……あ、そうだ。お醤油ちょっと入れて、あとは海苔とかも良さそうだから入れて……」
入れている物は至ってありきたりな物のはずだが、それら全てが異様な物に変じているのは、彼女の腕のせいなのだろうか。
お粥からホットミルク、コーンスープと転じてきていた『それ』は、最終的には焦げ茶色のどろっとした液体に赤茶色の梅干しらしき欠片と刻み海苔、葱が混じった物へとなり果てた。
「出来たー!」
「すみません、柊さん……! 俺には無理でした……!」
「いや、お前はよく頑張ったよ」
一緒にキッチンにいた柊は、半泣きの和泉の頭を軽く叩くように撫でてやりながら労った。まさか、お粥をここまで別の物にするとは思わなかったのだ。
カウンター越しに土鍋を覗き込んだ小鳥遊双子と彼方は、出来上がったお粥らしき物に顔を強張らせた。
「すごい。コウ君の黒歴史に刻まれそうだね」
「トラウマレベルのな」
「お粥二度と食べれなくなりそう」
「じゃ、運んでくるねー」
「え? それ、ホントに食べさせ――あの、春馬さん達はなんで拝んでるんですか?」
トレーに土鍋と蓮華、取り分け用の小皿を乗せ、花菜は共有ルームを出て行った。
誰もそれを止めることはせず、それどころか小鳥遊双子は両手を合わせている。
「コウ君……。夢を果たす前に散っちゃうんだね……」
「ああ、良い人だった」
「不謹慎ですよ!」
「けど、ああなった三嶋は俺達では止められないぞ」
「一応、超可愛い女の子の手料理なんだし、冥土の土産くらいにはなるでしょ」
「超可愛い女の子の手料理」に関しては否定しないが、それがとんでもない味ならば話は別だ。
入れている物は普通だったはずなのに、何故、あそこまで変わり果てるのかと唸っていると、春馬が簡単に結論を出した。
「ほら、ここって雪女や鎌鼬やらの半妖いるし、案外、何でもありなんだよ」
「その発言アウトじゃないですか?」
元も子もない発言に和泉は突っ込みつつも、それ以上は深く考えないことにした。
そして、およそ三十分後、花菜はまさかの空になった土鍋を持って共有ルームに戻ってきた。
「光輝君、全部食べてくれたよー」
「え!? うっそ。コウ君男前ー」
「さすが、天然女たらしー」
花菜の言葉が信じられず、思わず駆け寄って土鍋を確認した小鳥遊双子は感心の声を上げた。
ただ、光輝に対するものだけだったため、花菜は「あたしの料理に対する感心は?」と拗ねたが、双子はさっと視線を逸らせていた。
和泉はその様子をキッチンから遠目に見ながら、こっそりと隣にいた柊に確認を取る。柊と柾も早々に食事を済ませ、今は食器の片づけの最中だった。
「空篠さんって、味覚音痴なんですか?」
「いや、あれは『食わせた』の間違いだな」
「……大丈夫ですかね? 空篠さん」
柊の訂正に納得したのも束の間。強制的に食べさせられた光輝の身が心配になった。
すると、キッチンにやって来た花菜には和泉の言葉だけが聞こえたようで、別の意味として捉えた彼女は光輝の様子を話した。
「うん。起きてこなかったの、単なる寝不足も重なってたんだって。顔色も良かったし元気そうだったけど、食べた後すぐに寝てたから、また明日様子見てみないとね」
「や、そういう意味ではないんですけど……」
土鍋を洗う作業に入った花菜はどこか上機嫌であり、作った物はどうであれ、彼女の調理に対する自信を高めたようだ。
それを壊すのも可哀想かと思った和泉は、それ以上は何も言わないことにして自分の作業に戻ることにした。
柊の、「胃薬あったっけな……」と言う呟きを聞き流しながら。
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