第7話 魔法が使えない魔法使いの正体


 綺麗に晴れた昼下がりの土曜日。昨晩、恐ろしい料理を目にしたとは思えないほど平和な時間が流れていた。

 お騒がせ双子の一人が和泉の部屋を訪れるまでは。

 扉が破壊されんばかりの勢いで開かれ、同時に突風が室内を駆けた。


「うわぁぁぁ!」


 テーブルに置いていた課題の一部や教科書、メモが風に浚われ散乱する。さらに、時計や棚に入れていなかった雑誌、布団や枕まで。窓を開けていれば外に飛んでいっただろう。

 テーブルを滑ったスマホを落ちる直前でキャッチした和泉は、風を起こした主をキッと睨むように見た。風を起こせる人は、和泉が知る範囲だと二人だけだ。

 部屋に入ってきたのは、予想どおり春馬だった。嬉々とした表情で、散乱する室内を気にすることなく和泉に詰め寄る。


「和泉君、和泉君! 聞いて聞いて! 俺すごいこと知っちゃった!」

「狭い場所で風を起こしたら惨事になるってことですか?」

「え? あ。ごっめーん」

「軽っ!」


 和泉に言われて辺りを見渡した春馬は、漸く自身が何をしたか気づいたようだ。ただ、謝罪はとても反省しているようには見えなかったが。

 これ以上は何を言っても無駄か、と諦めて飛んだ物を片付けつつ、何故、彼がそんなに興奮した様子なのかを訊ねる。


「何があったんですか?」

「おお、これ懐かしい! そういえば、授業で春斗とこっそり入れ替わったことあったなぁ……」

「授業で何してるんですか」

「意外とあっさりバレて怒られたけどね!」

「でしょうね!」


 和泉の問いは流し、教科書を見て懐かしむ春馬から出た言葉に我が耳を疑った。

 一卵性双生児である小鳥遊双子は、確かに見た目はよく似ている。性格は弟である春馬のほうがやや活発だが。

 また、クラスが違えば授業も進行にズレが生じる場合もある。その点からも発覚するのは予想できただろうが、春馬曰く「試してみたかった」とのことだ。

 粗方、散乱した物が片付いたところで、春馬はここに来た理由を話し始めた。


「さっきね、智兄が『魔法使い』だってことに気づいたんだよ。あ、正確にはあと一年くらいしたらなんだけど」

「は?」


 魔法使いになるのに修行でもしているのか。彼方なら「ああ、そうなんですね」と軽く流せそうなものだが、智佳ともなれば本当なのかと思ってしまう。

 しかし、まださほど話していないにしても、智佳にそれらしき言動はない。料理はともかく。

 春馬は腕を組んでしみじみと言う。


「本人は特に何も言ってなかったんだけどさ、いやー、まさかねー」

「あの、話が見えないんですけど……。由井さん、魔法か何か使えたんですか?」

「いや、魔法なんて使えるわけないじゃん。半妖じゃないし」

「え? じゃあ、どういう意味なんですか?」


 あっさりと和泉の言葉を否定した春馬だが、魔法が使えないなら魔法使いとは言えないだろう。また、半妖でないなら特殊な力も持っていないはずだ。

 春馬が言っている「魔法使い」の意味が分からずに問えば、彼はまたしてもあっさりと、まるで昨日の晩ご飯のメニューでも聞くかのような口調で訊ねてきた。


「和泉君、異性との経験は?」

「…………はぁ!? 昼間から何言って……!」

「ないんだね……」

「なんで哀れむような目で見られてるんですか、俺」


 突然の質問に一瞬、理解が追いつかなかった。しかし、少しの間を置いてから理解した和泉は耳まで赤く染めながら声を上げた。

 その反応から察した春馬の目には、何故か哀れみの感情が籠もっている。

 春馬は「純情な高校生だねぇ」と、まるで自身の高校時代が相応に荒れていたとも取れる発言をしてから言葉を続けた。


「和泉君も『三十路』までそのままだったら魔法使いになれるよ。魔法は使えないけど」

「ええ!? ……え? 『三十路』?」


 まさか、自分もなれる可能性があるとは思わず驚いたが、ふと、春馬が口にした年齢に引っ掛かりを覚えて冷静になる。

 春馬は「うん」と頷いてから、「魔法使い」について説明した。


「三十路まで経験なかったら魔法使いなんだって。さっきスマホでネット見てたら書いてた」

「…………あー……聞いたことあるようなないような……。というか、どんなサイト見てたんですか」

「頑張ってね!」

「どっちをですか?」


 笑顔で親指を立てた春馬だが、それは魔法使いを目指せという意味か、はたまた、魔法使いにならないようにという意味か。

 魔法使いの真意を知った和泉は、どっと押し寄せる疲労感に深い溜め息を吐きつつ、仕返しの意味も込めて訊ねる。


「そういう春馬さんは……」

「教えてあげようか?」

「……いや、やっぱりいいです。なんか違うことも教えられそうなんで」


 経験の有無だけでは収まらない気がして、丁重に断っておくことにした。

 どこか残念そうに「えー、つまんないのー」とぼやいた春馬だったが、すぐに気を取り直して智佳についての『ある事』を呟いた。


「まぁ、智兄は半妖でも魔法使いじゃなくても、どちらかといえば俺達寄りなんだけどね」

「え?」

「さっき共有ルームに『巴』といたし、和泉君も行ってみる? きっと分かるよ」

「巴って、昨日も言ってましたよね?」

「うん。可愛いわんこだよー」

「ああ、飼ってるって言ってましたね」


 まだ目にしたことはないが、隣の部屋であっても鳴き声を一切聞いていない辺り、とても賢い犬なのだろう。

 元より動物は和泉も好きであるため、巴に何か秘密が隠されていてもそうでなくとも会ってみたい。

 いち早く立ち上がった春馬は、先に玄関に向かいながら和泉を急かした。


「ほらほら、早く行くよ」

「あ、ちょっと待ってください」


 春馬に置いて行かれないよう、和泉も慌ててスマホをズボンのポケットに入れると部屋を後にした。

 共有ルームに入ると、奥のソファーに智佳と春斗、ほのかがいた。そして、ソファーの端に座る智佳の横には、床にちょこんと座った白い中型犬が。


「うわぁ、お◯さん犬だ!」

「見た目はな」

「さ、触ってもいいですか?」


 外見はテレビなどで見かける白い犬に似ている。黒くて丸い瞳には愛嬌というより忠誠心が表れているようだ。

 見た目は、と智佳が強調した辺り、似ているだけで犬種は違うのだろう。

 逸る気持ちのまま近づいて驚かせないよう、和泉は黒い瞳を向けてくる犬の様子を気にしつつ、ゆっくりと歩み寄ってしゃがんだ。

 智佳から「ああ、構わない」と許可を貰ったところで、手のひらを上に向け、そっと鼻先辺りに近づける。


「扱いは知っているのか」

「一応、簡単には……。俺の友達で、犬の扱いに慣れてる奴がいるんですけど、『初対面の犬は無理やり触ろうとするな』って聞いてて……あ、大丈夫そう?」

「そうだな。まぁ、巴は普通の犬とは違うから、その辺は平気だが」

「あはは。賢いんですね」


 ふんふんと和泉の指先を匂っていた白い犬……巴は、「撫でて」と言わんばかりに和泉の手のひらに顎を乗せた。

 智佳の発言に「親バカ」という言葉が浮かびつつ、和泉は巴を撫でてやる。固そうに見えた毛は予想よりも柔らかく、顎下はふわふわしているようにも思えた。

 気持ち良さそうに目を細める巴を見て、和泉の表情も自然と緩んだ。智佳の斜め前にいたほのかが何処からか取り出したデジカメを向けているが、それさえも気づかない。

 代わりに、彼女の向かいにいた春斗がその行為について指摘した。


「姐さん、それ盗撮じゃ……」

「隠れてないから違うわよ」


 うふふ、と怪しく笑みを零し、またシャッターを切るほのかは至極嬉しそうだ。

 この状態のほのかを止めるのは難しい上、下手をすれば口を凍らされるため、春斗も春馬も何も言わないでおいた。

 一方、和泉はシャッター音すら耳に入っていないのか、巴を撫でながら入居してからの日々を思い返す。


「俺、隣の部屋なのにちっとも声とか聞かないし、偉いなー」

「そうだな。基本的に俺と一緒にいるし、部屋にいることも少ないからな」

「え? 仕事に連れて行っても大丈夫なんですか?」

「巴ならな」

「うん?」


 どういう意味だろうか。巴なら大丈夫、ということは会社も認めるほどの賢い犬なのか。

 首を傾げる和泉だったが、智佳は腕時計を見ると「遊んでいるところすまない。ちょっと出てくる」と言ってソファーを立った。

 飼い主が外出するなら巴も部屋に戻すのだろう。そう思い、「大丈夫ですよ」と返した和泉だったが、次の瞬間、我が目を疑った。


「……え?」


 智佳を追って和泉の手を抜けた巴が、ぽんっと小気味良い音を立てて

 その場にいた和泉以外は驚くこともなく、平然と智佳を見送っている。

 智佳が共有ルームを出ても和泉の視線は彼が出た扉から外せず、一体何が起こったのかと脳内は混乱したままだった。

 ほのかも「私もちょっと外すわねー」と言って部屋を出ると、入れ違いに花菜がやって来た。


「あれ? 和泉君、どうしたの?」

「巴見て固まってる」

「巴ちゃん? ……ああ! 初めて見たの?」


 春斗に言われ、和泉が固まっている理由が分かった。

 花菜は無邪気に笑いながら和泉のもとに歩み寄ると、和泉から質問が投げ掛けられた。


「えっと……巴は何犬ですか?」

「何犬っていうのは難しいけど、種類でいうなら『犬神』かな」

「犬神って、あれですよね? 妖怪的な……」

「うん。ユイちゃん家、『犬神憑き』なんだって」


 犬神は漫画やゲームで聞いたことはあるが、実際に目にするのは当然ながら初めてだ。

 巴を撫でていた手を見た和泉は、自分がもの凄く恐ろしいことをしていたように思えてきた。何せ、相手は妖怪の類そのものだ。

 もし、癪に触れることをしていたらと思うと、今後、素直に撫でてもいいものなのだろうか。


「うわあぁぁ……。思いっきり普通に撫でちゃった……」

「可愛いよねー」

「『可愛い』で片付けちゃう辺り、もうなんかあれですね。非現実的なものに馴染み過ぎな気が……」


 花菜は一般人のはずだが、半妖だけでなく犬神の存在もあっさりと受け入れている。

 和泉も半妖までならまだ見た目が人間であるせいか、風やら氷やら起こされても受け入れられたが、まさか妖怪の類そのものが出てくるとは思わなかった。

 すると、春斗が和泉の気持ちを軽くしようとしたのか、ここでの巴の様子を話してくれた。


「大丈夫。巴は基本的に大人しいから。世間一般で言う犬神は呪いだのなんだの言われるけど、怒らせなかったら大丈夫」

「最後! 最後で何のフォローにもなってないです!」


 怒らせなければ大丈夫なのは分かる。できれば、そうしないための方法を教えてほしかった。

 花菜も花菜で、「普通のわんちゃんと同じ感じでいけるよ」と言いつつ、「ここで暴れたのも一度くらい……だと思うし」と不安の残る言い方だ。

 どうやって巴に向き合えばいいのだろう、と思っていると、和泉の肩を春馬がぽん、と軽く叩いた。


「まぁ、これがここでの日常だから。頑張って!」

「ああ……。まさか本物がいるなんて……」


 可愛いと思っていたものが最大の脅威になるとは思わず、和泉はがっくりと項垂れた。

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