第9話 大家と管理人(仮)


 花菜がバイトの準備に共有ルームを出た後、柊と柾も朝食を摂り終え、和泉と共にソファーで寛いでいた。テレビの正面に当たる一人掛けのソファーに和泉が、テーブルを挟んだ左右のソファーに柾と柊が座っている。

 朝の情報番組も終わり、ややテンションの高い社長自らが出演する通販番組に切り替わった。

 その番組に負けず劣らず、わいわいと話をする二人を見ていた和泉は、どれほどキツい当たりをされても挫けない柾と、どれほどだらけられても完全放置はしない柊の関係性に首を傾げた。

 普通ならどちらかが折れるか離れるかしそうだが、何故、ここまで一緒にいられるのだろうか。


「柊さんと柾さんって、腐れ縁だって言ってましたけど、いつからの付き合いなんですか?」

「小学生くらいからだな」

「長っ! じゃあ、二十年くらいは経つんですね」


 まさかそんなに長い付き合いだとは思わなかった。また、昔から柾の性格がこれなら、治る可能性はゼロなのではないのかと。

 すると、柊は和泉に向き直ると半ば呆れた様子で言った。


「すげーだろ。高校くらいまでは普通だったんだけどな」

「へぇー。じゃあ、柊さんって『高校デビュー』ってやつなんですか?」


 今では耳にすることはほとんどなくなったが、確か数年前はそんな言葉もあった気がする、と和泉は記憶を探る。それまであまり目立たなかった人が、知人の少なくなる進学を機にイメージチェンジを行うものだったはずだ。

 だが、それは柊によって否定された。


「なんで俺なんだよ。つか、その流れだと今の俺が普通じゃないみたいだな」

「こっ、言葉のあやです! その手なんですか!?」

「和泉君、和泉君」

「は、はい?」


 何か掴もうとする形の右手を向けてくる柊に、和泉は防御するように両手を挙げる。

 すると、警戒する和泉に柾が近寄って至極真面目な顔で爆弾を投下した。


「柊のアイアンクロー、いいよ」

「え」

「黙れクソニートドM」

「痛い痛い!」


 右手の標的が和泉から柾に変わり、和泉は内心で安堵の息を吐く。

 すぐそばで悲鳴が上がっているが、自業自得なので止める器は毛頭起きない。悲鳴は煩いが。

 柾は柊の右手首を両手で掴むと、少しだけ剥がすことに成功した。そして、再度掴まれる前に必死に弁明する。


「いや、違うって! なんか変な意味に捉えられてるけど違うから! 『綺麗に決まるから威力すごいよ』って意味だから!」

「あんまり変わってねーんだよ!」

「暴力反対ー! うっ!」


 柊の力が強いのか、それとも柾の腕力が無さすぎるのか、柊の手首を掴む柾の手は生まれたての小鹿のごとく震えている。

 尚も喚く柾の腹に、柊の左拳が入った。


「ったく……。で、話逸れたけど、変わったのはこいつだよ」

「柾さん? ということは、高校時代にいじめか何かあったんですか?」


 床に崩れ落ちた柾も心配だが、ここで柊が戻した話題についていかないと同じ目に遭いかねない。

 心の中で合掌した和泉は、柊が言った言葉に目を丸くした。

 もしや、当時の事が原因で引きこもりになったのだろうか。その割には柊にも怯まず、他の住民にも友好的な上に飄々としているが。

 だが、その心配は柊自身が拭い去った。


「違う違う。こいつ、昔は俺達と一緒につるんでたんだよ。むしろ、交友関係は俺より……というか、誰よりも広かったぞ」

「……え?」

「待ってろ。たしか、部屋に高校の卒アルあったから」


 友好的な引きこもりとはなんだ。

 困惑する和泉を残して、柊は一旦共有ルームを後にする。

 柾を床に寝かしておくわけにもいかず、一人でせっせとソファーに運んでいると、柊が大きく厚みのあるアルバムを片手に戻ってきた。

 ソファーのあるテーブルにアルバムを置いて広げると、気を失っていたはずの柾が目を覚ました。


「うわー、柊そんなの持ってきてるんだ」

「いつだったか、花菜が見たいっつってたからな。持ってきてそのまま置いてたんだよ」


 見たいと言われた後に実家に帰る機会があり、その際に催促されたのを思い出したようだ。

 だが、卒業アルバムは軽いとは言えない代物だ。一度持ってきたら最後、持って帰るのが億劫になる。

 アルバムを開いていくと、今よりもやや若い柊の姿はすぐ目に入った。


「うわ、柊さんってこの頃から金髪なんですね」


 すぐに目についたのは、彼が今と変わらぬ見事な金髪だったからというのもある。

 柊といる友人らしき青年達も茶髪や金髪、さらには赤や銀といった色に染めた人もいた。悪目立ちしすぎている。

 すると、復活した柾が自然な流れでアルバムを覗き込んだ。


「校則自由だったもんねぇ。その代わり、いろいろと自己責任だったけど」

「柊さんが昔、やんちゃだったのは何となく想像つきましたけど……」

「テメェ、さりげに貶してんじゃねーぞ」

「い、いえ! そんなつもりは……!」


 荒々しい口調や柾を黙らせる手荒い方法など。それなりに経験がなければできないものだ。

 決して悪意があったわけではないが、確かに本人からしてみればあまり気分のいいものではない。

 すると、空気を読んでいるのかいないのか、柾がさらっと校則が自由というものにつきまとうものを言った。


「こういうのも自己責任なんだよ」

「なるほど」

「納得すんな」


 初対面の人は外見だけで判断することが多い。例え中身が良くても、外見だけで引かれればそれまでだ。

 どんな格好をしてもいいが、世間から向けられる目については自分の身を持って経験しろということだった。

 学校の方針について納得した和泉は、改めてアルバムへと目を落とす。

 柊のいる写真のいくつかには、隅の方だが柾らしき姿もある。相変わらず長い前髪で目は見えないが。


「でも、柾さんは見るからに系統違うのに、よく一緒にいましたね」

「扱いやすそ――あ、すごく良い事する人だなって思って」

「(最初のは流しておこう……)良い事?」


 柾から聞いてはいけない台詞を聞いた気がしたが、取り合えば面倒なことになりそうだったため、和泉は話の先を促した。柊には都合良く聞こえていなかったようだ。

 過去を振り返った柾は、出来事を述べつつ数えるように指を一本、二本と立てていく。


「重い荷物持ってるおばあさんに声を掛けて荷物持ってあげたり、カツアゲを殴って止めたり、子供が産まれそうになった妊婦さんをタクシーで病院まで送ったり、親父狩りをしてる人を返り討ちにしたり、痴漢を撃退したり!」

「良いことをしている話のはずなんですけど、合間に荒々しいエピソードがあるせいですかね」

「サブリミナル効果的なね」

「お前がやってんだよ」


 もはや狙ってやっているとしか思えない。

 小気味良い音を立てて柊の平手が柾の後頭部を打つと、彼は拳でなかったためか平然として言う。


「でも、迷子の子供をあやしながら交番行ったときは笑っちゃったけどね」

「迷子?」

「迷子……」

「あれ? 忘れちゃった?」


 そんなことをしただろうか、と本人の記憶すら曖昧のようだ。最も、いろいろな面倒事などに当たった柊からすれば、さして記憶に残しておくものでもなかったのだろうが。

 余程可笑しかったのか、柾の口元は弧を描いたまま言葉を続けた。


「号泣してる子供を連れて交番に行ったら、柊がなんかしたと思われてめっちゃ怒られ、ったぁ!!」

「あー、嫌なこと思い出した」

(校則自由だけど自己責任ってこういうことか)


 確かに、見た目が所謂「不良」である柊が号泣する子供と現れれば何事かと思うだろう。ただ、傷つけた本人がわざわざ連れてくるかと考えればすぐに違うと分かるのだが。

 忘れていた嫌な思い出を掘り返した柾に強い手刀を落とした柊は、やはり手慣れている。


「柾さんも柊さんも、よく離れませんね」

「真の腐れ縁ってやつなんだろうな。大学も、こいつが志望校出したのを見て変えたし、受験する大学は教師と親以外に言わなかったのに、試験日になって同じとこいるし」

「何それ怖い」


 教師や親伝いに聞いたのかと最初は疑ったが、どちらも柾に聞かれたことはないと言っていた上、本人も「志望校出した直後に変えたくなっちゃって」と自分の意思で変えたようだった。

 これが偶然ならば、本当の腐れ縁とはこの二人のことを言うのだろう。


「柊ほど僕の面倒を見てくれる人はいなかったし、僕は嬉しかったけどね。こういうの、何て言うのかな……」

「親友ってやつですか?」


 「やめてくれ」と柊はげんなりとした顔をしているが、柾はいまいちしっくりこなかったのかまだ考えていた。

 そして、行き着いた答えが――


「あれかな? 執事」

「即行で辞表出すわ」

「諦めないで!」

「お前が言うな!」


 力強く謎の励ましを飛ばす柾に柊も強く返す。

 同時に振りかぶられた平手を綺麗にかわしてみせた柾は、もはや何も言うまいと真顔で二人のやり取りを見ていた和泉に向き直った。


「和泉君にもそんな人ができるといいね」

「そうですね。長く付き合える友人ができたら嬉しいです。面倒は見てもらわなくてもいいので」

「え!?」

「それが普通だからな?」

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