第8話 職業:マル秘


《――CMのあとは、現在、人気急上昇中の俳優の生出演です!》


 画面の向こうで女子アナウンサーがテンション高く予告した後、映像が切り替わってCMに入った。

 朝食を終え、のんびりと共有ルームでテレビを観ていた和泉は、あまりドラマなどを観ないせいか特に興味が沸くこともなく、小さく音を鳴らしたテーブル上のスマホに視線を向ける。

 春休み中のためか、友人から遊びに行かないかという誘いの連絡が入っていた。

 表示された小さい枠に途中まで表示された文面を見て、和泉がスマホを手に取ったときだった。


「うわあぁぁぁぁ! 遅刻するー!!」

「……賑やかだなぁ」


 悲鳴の主は春馬だった。ただ、共有ルームの扉の小窓を通過したのは春馬だけでなく春斗の姿も見えたため、二人揃って寝坊したようだ。

 すると、キッチンから食器を片付けて出てきた花菜が悲鳴を聞いて、「昨日、遅くまで彼方とゲームしてたらしいからね」と言った。まさに自業自得だ。

 花菜は彼方と一つ開けて隣の部屋のため、音が聞こえてきたのだろう。部屋は防音壁のおかげで音がほとんど聞こえない造りになっているが、窓は防音にはなっていない。そのため、深夜の静かな時間帯であれば、騒げば多少の声は聞こえてくる。


「朝からバイトあること忘れてゲームに興じるからよ」

「あはは……。春休みだからって、気が抜けてるんですかね」

「予定の管理くらいしっかりしてほしいけどね」


 溜め息を吐いた花菜が、一瞬母親のように見えてしまった。

 彼女も彼女で昼からバイトがあると朝食を摂っていたときに言っており、和泉は友人に「いいよ。何時にする?」と返信をしてから、春休みでも特にすることがない自分がいることに気づいた。


「俺もバイトしようかな……いや、でも、今からだと中途半端か」

「春休みは短いからねー」


 夏休みならまだしも、春休みは二週間ほどしかない。しかも、今はその半分を過ぎている。

 学校はバイト禁止ではないため、今からバイトを始めても問題はないが、和泉が学業と仕事を両立できるか不安なのだ。

 しかし、花菜達が休みでもバイトをしている上に、智佳達も仕事で学生のような長期休暇はもうない。そんな中で悠々と休みを満喫していてもいいのかと気になってしまう。

 悩む和泉を見てか、花菜が苦笑を浮かべて言った。


「まぁ、高校生から一人暮らしって、早々あるもんじゃないし、勉強に専念してバイトしないっていうのもいいと思うよ?」

「うーん……。そうなんですかね……」


 せめて部活動をしていたなら、ここまで悩むこともなかっただろう。勉強も終わらせた今、ただ時間を持て余すくらいなら働いたほうがいいのではないかと思った。

 去年の夏休みは友人と一緒に短期のアルバイトをしたが、社会勉強にもなっていい経験になっている。

 夏休みになったらちゃんとアルバイトを探そうと思っていると、花菜はこのアパートで唯一、仕事らしい仕事をしていない人を挙げた。


「ほら、柾さんだって遊んでるし」

「あれって遊んでるんですか?」


 軽い引きこもりだが、果たしてそれは遊びの域に入るのだろうか。仕事ではないことは間違いないが。

 きょとんとする和泉に、花菜は今までの柾の生活を思い返しつつ言う。


「特に仕事っていう仕事はしてないし、遊んでるってことにしていいんじゃない?」

「それを言うなら、柊さんも……柾さんに管理人みたいな仕事押しつけられてますけど、本当の仕事が何してるか気になりません?」


 以前、花菜とほのかと買い出しに行った際に話をしたときは、二人とも知らないと言っていた。本人が「秘密」と言っていた辺り、ここの住人のほとんどは知らないのだろう。

 花菜は腕を組んで考えつつ小さく唸った。


「うーん……。気にはなるんだけど、大人の事情っていうのもあるだろうし……」

「俺、本人に聞いても『秘密』って言われて教えてくれなかったですよ」

「えー、何それ。ますます気になるじゃん」


 柊との付き合いが最も長いであろう柾は知っていそうだが、本人が隠している以上、他人伝に聞くのも気が引ける。

 そもそも、柊は何故、仕事を明かしたがらないのか。

 二人揃って考えていると、タイミング良く共有ルームに柊が入ってきた。片手にはいつかの如く柾の襟首を掴んでいる。


「ひ、らぎっ! く、るし……!」

「おー、そうか」

(またやってる……)


 デジャヴとはこのことか。柾はまた窒息しかけている。

 呆れて物も言えない和泉だったが、考え込む花菜は視線すら向けていない。日常の一部として流しているのだろう。

 共有ルームの中に柾の体が入りきったところで手を離せば、柾はどさりと床に倒れ込んで噎せた。

 そんな彼に柊は冷ややかな視線を向けつつ、片手を腰に当てて言う。


「昨日、一日引きこもってたんだし、たまには朝から外出ろ」

「一昨日は出たんだし、あと一日くらいはいいじゃない!」

「夕飯くらいは部屋出ろって俺が引きずったんだろうが! 放り出すぞ!」

「酷い! 僕、大家なのに!」


 朝からよく声を上げられるな、と別の意味で感心してしまった。

 柊としては柾に引きこもりを治してほしいがために強行手段に出ているのだろうが、本人がこれでは治りようもない。

 ただ、花菜と柊の仕事について話をしていたせいか、和泉はあることに気づいた。


「そういえば、柾さんのお仕事って何をされているんですか?」

「僕? 大家」

「それだけで生活できるものなんですか?」


 家賃収入だけで生活をしている人はいなくはないだろうが、そう楽に儲けられる仕事ではないだろう。

 すると、彼は怪しげな笑みを漏らした。


「ふっふっふ……。僕が持ってるアパートがここだけだと思ったかい?」

「こいつ、他にもアパート持ってるからな。そっちは管理会社に任せてるけど」

「他にはまぁ、家にいてもできるような資金繰りしてるから」


 株とかそういうのとかいろいろとね、とさらりと言う柾に、まさかの単語を彼から聞いた和泉は開いた口が塞がらなかった。

 単なるニートで引きこもりだとばかり思っていたが、彼は彼なりに頭を使って収入を得ていたのか。


「柾さんって、意外と出来る人……?」

「あはは。和泉君から見た僕のイメージって何なの?」

「引きこもりだろ」

「引きこもりでしょ」

「酷い! ちゃんと部屋で仕事するときは仕事してるのに!」


 柊と花菜が揃って言ったことに対し、柾はまたしても声を上げた。

 だが、柊は不満げに腕を組むと、何度か掛かってくる電話について追及する。


「じゃあ、なんで俺に管理会社から電話掛かってくるときがあんだよ」

「予備の連絡先で伝えてるからかなぁ?」

「おい、個人情報」


 家族の連絡先を伝えておくならまだしも、柊と柾は戸籍上でいけば他人だ。

 連絡先で書くにしても相手は一般の会社であり、普通なら他の連絡先を書くように言うはず。

 柾は管理会社との話を思い返しつつ、へらりと笑みを浮かべた。


「最初は管理会社の人にも言われたよ? けど、『この電話先の人は僕の信頼できる友人で、アパートの管理とかも一部任せてる人なんで大丈夫です』って言っておいたから大丈夫だよ」

「物事には順序ってモンがあってだな、ああ?」

「痛い痛い!!」

(自業自得……)


 せめて、事前に柊に話を通しておく必要はあるだろう。

 柊が柾の額を掴んで力を込めているが、止める理由はない。

 溜め息を吐いて視線を二人から外すと、花菜が「ねえねえ」と柊に声を掛けた。もちろん、柾を解放してほしいために掛けたわけではない。


「柊さんはお仕事何してるの?」

「あ? 言うわけねーだろ」

「なんで?」

「面倒」


 ここに来て柊の仕事について訊くのか、と和泉は花菜に少し感心しつつも、やはり仕事を明かさない柊に首を傾げた。明かさないほうが面倒な気はするが、仕事が説明しにくいものなら何となく頷ける。

 そして、和泉はある結論に至った。


「はっ! まさか、人には言えないような……!?」

「お前、そんなキャラだったか? っつーか、危ない仕事じゃねーよ。言う人は普通に言うだろうよ」

「えー。じゃあ、教えてよー」

「やだね」


 食い下がる花菜を一蹴した柊は、漸く柾を解放してやった。

 乱れた前髪を手櫛で手早く直す柾だが、直す間も目がまともに見えないのはもはや神業だ。

 眼鏡のフレームが前髪の隙間から見える程度になったところで、柾は仕返しのつもりなのかさらりと言った。


「僕、知ってるよ」

「言ったら部屋から追い出す」

「言わないけどね!」

「大家さん、しっかりして!」


 部屋から追い出される大家は見たことがないが、柊ならやりかねない。彼はアパートの管理を一通りこなしているのだ。

 叱る花菜に、柾は降参の意を小さく両手を挙げて示した。


「まぁ、柊の仕事については、人には教えられない恥ずかしいものってことでひとつ」

「ぶっ飛ばすぞテメェ」

「いたっ」


 言うのと同時に頭を平手で叩いているのはカウントされないのだろうか。

 柾も叩かれすぎているのか、さして痛がることもなく、「もー、せめて同時じゃなくて叩く前に言ってよ」と斜め上をいく文句を言っている。

 すると、花菜は悲しげに視線を落とした。


「そっか……。柊さんとはあたしの趣味を話せるくらい仲良くなれたって思ってたんだけど、あたしの気のせいだったんだね……」

「お前の趣味についてはお前が勝手に言ってるだけだからな」

「え?」

「しらばっくれんな腐れ女子」


 悲しげな顔をしていたかと思えば、柊に一刀両断された直後に「そうだったっけ?」と言わんばかりに目を瞬かせている。

 柊に冷たく言われた途端、花菜は近くにいた和泉に抱きついた。


「わーん! 柊さんが冷たいよー!」

「え!? わわ、えっと……」


 ふわりとした花菜の髪が頬に当たり、花のような甘い香りが鼻腔を擽った。首に回された腕は細く、どこか柔らかい気もする。

 初めての体験にどうすればいいか分からず、かといって花菜の顔が近いために彼女に向くこともできずに固まっていると、柊が助け舟を出した。


「女子慣れしてないやつに絡んでやるな!」

「ぷぷー。柊、それ嫉妬? ねぇ、嫉妬? 年下相手に嫉妬?」

「腹立つ」

「あたっ!!」


 口元に手を当ててわざとらしく笑う柾。それに対し、柊は即座に手刀を脳天に叩き込む。

 和泉は一瞬、柾は殴られたいがために言っているのかと思ってしまった。

 そこで花菜が和泉から離れることはせず、首に腕を回したまま柊の方を向いて抗議の声を上げた。


「じゃあ、教えてくれたっていいじゃん!」

「『じゃあ』の使い方おかしいぞ。嫉妬してねーから」

「……知りたいだけなのに」

「花菜さん……?」


 恐らく、柊には届いていないであろう小さな呟きは、本当に悲しげだった。

 そんなに知りたいのか、と不思議に思いつつ、和泉は「あの」と切り出す。


「そうまでして言わない理由、ちゃんと聞いてもいいですか? 面倒とかって言うのでなくて」


 言いたくないことを無理やり聞くのは、正直なところあまり気は進まない。だが、言いたくない理由くらいならいいのではないのか。

 柊は面食らったように押し黙ったが、しばらくすると頭を掻きながら深い溜め息を吐いた。


「はぁ……。そんなメジャーなもんでもないし、説明が面倒っていうのも本当だ」

「そう、ですか」

「けど、まぁ……敢えて言うならあれだな」


 面倒なのが本当なら他に言うことはない。仕方ないことか、と諦めかけた和泉だったが、柊は話を続けた。

 和泉に向き直った柊が、至極真面目な顔をしていたのは確かだった。


「秘密があったほうが、なんかカッコ良いだろ」

「「……え?」」


 まさかの理由に、和泉も花菜も耳を疑った。

 彼は今、なんと言ったのか。

 さすがの柾も引いたのか、柊からやや距離を取って言う。


「柊って、たまに彼方君に近いよね」

「はぁ? 中二病と一緒にすんじゃねーよ」

(いや、近いと思う……)


 和泉は、柊を見る目が少しだけ変わった。

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